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2009.05.14
ダーウィニズムの終焉
アメリカでは、ダーウィンの進化論を信じる人は、4割に満たないようです。
代わって台頭してきたのが、インテリジェント・デザインという科学理論。
この「ID理論」も、ついに日本上陸です。
進化論が追い詰められた状態にあることは明らかだ。
そして、事態は時間の経過とともに深刻化している。
ここまで追い詰められてしまった原因は、
何よりも進化論が科学的仮説としてあまりにも穴が多いこと、
科学であるにもかかわらずデータではなく推論をもとに構築されていること、
さらには唯一のデータとなるべき化石標本も完全ではないことに尽きる。
ID理論と進化論の対決が、全米各地で法廷までもちこまれ、
大統領選における大きな争点になったこともあって、
科学的だった問題に政治色が加味された。
進化論が解決しなければならないのは、
科学的正当性や政治的色合いを帯びた問題だけではない。
進化論にとってもっともとらえどころのない、そして最大の敵は、モラルの問題かもしれない。
進化論は純然たる科学であり、モラルや文化、そして社会的規範とは無関係であり、
何の影響も与えないといいきるだろう。
ところが、実際はそうではないのだ。
進化論が科学であり、それ以外の何物でもないというならば、
150年前に『種の起源』の初版が出版されたとき、
「ダーウィンのブルドッグ」との異名をもつ動物学者トーマス・ハクスレーと、
サミュエル・ウィルバーフォース大主教が、
イギリス学術協会で大喧嘩を繰り広げることはなかったはずだ。
進化論は、人類でさえ偶然の結果進化した種にすぎず、
地球に生息するほかの種と比べてなんら優位性はないという事実を暗示する。
人間は哺乳類の一部にすぎず、命の価値もさほど変わりはない。
人間の命の重みが、ほかの哺乳動物と変わらないという考え方が、
まさに進化論とモラルのあいだに横たわる問題なのだ。
進化論が、生きる姿勢とモラルにも影響をもたらす事実をあえて指摘する人もいる。
社会ダーウィン主義という言葉がある。
ダーウィンの進化論に影響され、19世紀に生まれた社会理論で、
社会秩序は、
既存の生活条件に最適な人間の自然洵汰によって、生み出されるという考え方だ。
社会ダーウイン主義では、
人間の行動すべてが自然洵汰のさいに有利な立場にあるための伏線であるとされるのだ。
互恵関係的な愛他主義を説明することはできるが、
無償の愛情から生じた行為は枠組みから出てしまうため、定義も解釈も不可能となる。
進化論の不備な点は、以下のような言葉で語られている。
「偶然を大きな要素としてとらえるダーウィン進化論は、
科学的データをもとにした理論モデルで説明しようとすると矛盾が起き、
みずからの理論で身動きがとれなくなってしまうようなところがある。
こうした状況を打破するためには、
偶然を知的存在の介在と定義せざるをえないのだ。」
2008年5月29日発行の「ネイチャー」誌に、
マテルピスキス・アッテンボローイという古代魚の化石に関する記事が掲載された。
奇妙なのは、化石のなかに胎児とへその緒がみつかったことだ。
つまり、この魚は人間のように子宮のなかに子供を宿して育てていたらしい。
脊椎動物の胎児としては、最古の記録となる。
ダーウィン進化論においては、もっとも有利な形質が胎生であるとされている。
いうまでもないが、人間も胎生動物だ。
マテルピスキス・アッテンボローイの化石の発見により、
ごく低いが、人間の祖先が、
胎生古代魚である可能性も視野に入れなければならなくなったのかもしれない。
人間の机上の争いをよそに、自然は次々と疑問を投げかけてくる。
宇佐和通「インテリジェント・デザイン ID理論」
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
代わって台頭してきたのが、インテリジェント・デザインという科学理論。
この「ID理論」も、ついに日本上陸です。
進化論が追い詰められた状態にあることは明らかだ。
そして、事態は時間の経過とともに深刻化している。
ここまで追い詰められてしまった原因は、
何よりも進化論が科学的仮説としてあまりにも穴が多いこと、
科学であるにもかかわらずデータではなく推論をもとに構築されていること、
さらには唯一のデータとなるべき化石標本も完全ではないことに尽きる。
ID理論と進化論の対決が、全米各地で法廷までもちこまれ、
大統領選における大きな争点になったこともあって、
科学的だった問題に政治色が加味された。
進化論が解決しなければならないのは、
科学的正当性や政治的色合いを帯びた問題だけではない。
進化論にとってもっともとらえどころのない、そして最大の敵は、モラルの問題かもしれない。
進化論は純然たる科学であり、モラルや文化、そして社会的規範とは無関係であり、
何の影響も与えないといいきるだろう。
ところが、実際はそうではないのだ。
進化論が科学であり、それ以外の何物でもないというならば、
150年前に『種の起源』の初版が出版されたとき、
「ダーウィンのブルドッグ」との異名をもつ動物学者トーマス・ハクスレーと、
サミュエル・ウィルバーフォース大主教が、
イギリス学術協会で大喧嘩を繰り広げることはなかったはずだ。
進化論は、人類でさえ偶然の結果進化した種にすぎず、
地球に生息するほかの種と比べてなんら優位性はないという事実を暗示する。
人間は哺乳類の一部にすぎず、命の価値もさほど変わりはない。
人間の命の重みが、ほかの哺乳動物と変わらないという考え方が、
まさに進化論とモラルのあいだに横たわる問題なのだ。
進化論が、生きる姿勢とモラルにも影響をもたらす事実をあえて指摘する人もいる。
社会ダーウィン主義という言葉がある。
ダーウィンの進化論に影響され、19世紀に生まれた社会理論で、
社会秩序は、
既存の生活条件に最適な人間の自然洵汰によって、生み出されるという考え方だ。
社会ダーウイン主義では、
人間の行動すべてが自然洵汰のさいに有利な立場にあるための伏線であるとされるのだ。
互恵関係的な愛他主義を説明することはできるが、
無償の愛情から生じた行為は枠組みから出てしまうため、定義も解釈も不可能となる。
進化論の不備な点は、以下のような言葉で語られている。
「偶然を大きな要素としてとらえるダーウィン進化論は、
科学的データをもとにした理論モデルで説明しようとすると矛盾が起き、
みずからの理論で身動きがとれなくなってしまうようなところがある。
こうした状況を打破するためには、
偶然を知的存在の介在と定義せざるをえないのだ。」
2008年5月29日発行の「ネイチャー」誌に、
マテルピスキス・アッテンボローイという古代魚の化石に関する記事が掲載された。
奇妙なのは、化石のなかに胎児とへその緒がみつかったことだ。
つまり、この魚は人間のように子宮のなかに子供を宿して育てていたらしい。
脊椎動物の胎児としては、最古の記録となる。
ダーウィン進化論においては、もっとも有利な形質が胎生であるとされている。
いうまでもないが、人間も胎生動物だ。
マテルピスキス・アッテンボローイの化石の発見により、
ごく低いが、人間の祖先が、
胎生古代魚である可能性も視野に入れなければならなくなったのかもしれない。
人間の机上の争いをよそに、自然は次々と疑問を投げかけてくる。
宇佐和通「インテリジェント・デザイン ID理論」



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素朴な疑問です(書き込んでスミマセン)
ダーウインの進化論は、現在では亜種化・変化理論との位置づけで、生命の発生と進化を説明しきれていないと言われてます。
唯、ID理論は生命進化に関与する何者かの「意思」が必要となります。
そこが、生物科学との折り合いが付かない所。
科学は「素直に現象を捉えるな観方」と「定説を疑う観方」の相反する概念が必要。
また、科学とは「森羅万象より法則を見出す学問」。
宗教や思想信条から離れる必要があります。
とは言え、ニュートンは光に神の「意思」を見出そうとしていたし、アインシュタインも科学とは別に何者かの「意思」を尊重していた。
私は工学系で、工学とは「森羅万象の法則より物を造る学問」。
以外に日本人の工学者は、物作りの現場では神仏を大切にします。これも学問とは切り離して、人の及ばざる所業への敬意です。
仏教では、人や生命が何処から来たかは問わないが、何処へ行くかは、その方法を示したと思っています。(因縁法則)
現代仏教学での生命倫理と生命科学との折り合いは如何様になっているのでしょうか?
素朴な疑問です。
唯、ID理論は生命進化に関与する何者かの「意思」が必要となります。
そこが、生物科学との折り合いが付かない所。
科学は「素直に現象を捉えるな観方」と「定説を疑う観方」の相反する概念が必要。
また、科学とは「森羅万象より法則を見出す学問」。
宗教や思想信条から離れる必要があります。
とは言え、ニュートンは光に神の「意思」を見出そうとしていたし、アインシュタインも科学とは別に何者かの「意思」を尊重していた。
私は工学系で、工学とは「森羅万象の法則より物を造る学問」。
以外に日本人の工学者は、物作りの現場では神仏を大切にします。これも学問とは切り離して、人の及ばざる所業への敬意です。
仏教では、人や生命が何処から来たかは問わないが、何処へ行くかは、その方法を示したと思っています。(因縁法則)
現代仏教学での生命倫理と生命科学との折り合いは如何様になっているのでしょうか?
素朴な疑問です。
2009/05/15 Fri 06:36 URL [ Edit ]
無碍の一道
素朴な疑問さま。
大変興味深いお話を聞かせていただきました。工学者の皆様が物作りの現場で神仏を尊ばれているというのは感動的です。そういえば、大工さまや職人さまも、神仏を大事にされますね。実は日本の物作りの凄さの秘密はこういうところにあったのですね。わが国には昔から「造化の妙」という言葉があり、「山川草木悉有仏性」という精神を大切にしてきましたが、物作りの世界には、まだ息づいていたのでした。
科学的思考とは基本的に帰納法なのですね。しかしながら科学者のなかにも、事物の奥にある神秘を見出される方は多いのですね。最近では、理数系の人の方が、文科系よりも、人知を超えたものや宇宙の意思や人間原理といった概念を認める傾向にあるようです。
ダーウィニズムが席巻する近代以前は、理性的な存在としての神を第一原因とするアリストテレス的な考え方が神学においても科学においてもあったようです。現在でも、ネイチャー誌によれば、アメリカ国籍の物理学者、生物学者、数学者の40パーセントは神の存在を信じているとのことです。日本ではこの割合はどうなるのでしょうか?もっと低くなるのでしょうか?
キリスト教国と仏教国では、宗教と科学の関係がどう違うのかという問題は、すなわち、神をどうとらえるかという問題でもあるのかもしれません。仏教はよく科学と親和性があり無神論的な思想だと言われますが、それは一体どういうことでしょうか?仏教は宗教では無いのでしょうか?仏教では生命はどう説明されるのでしょうか?
近代仏教学の説明でもっとも常識的なのは、『事物は因縁縁起によって成り立っており、あらゆるものごとは独立して存在しえない、よって神などの絶対者を認めない』というものです。しかしこの考え方でいけば「生命は縁起によって成り立つ」という、分かったようで分からない結論になってしまいます。しかも、その縁起の法則というのは、物理的レベルなのか、物理法則をも超えた超自然的な法則なのか、判然としません。
戦後の仏教学者達は、カント哲学や啓蒙主義の影響を受けているため、仏教から形而上を排除しようとやっきになってきました。それを象徴するのが、木村和辻論争です。プラトン的汎神論者の木村泰賢氏http://souryonotakurami.blog46.fc2.com/?q=%C0%B5%CF%C0%A4%CF%C1%C9%A4%EBと唯物論的縁起論者の和辻哲郎氏の論争の決着がつく前に、木村氏が亡くなってしまった為、和辻氏の説が学界の絶対権威となってしまい、それ以後の近代仏教というものは、仏教という思想の生命や本質をつかみ取ることができなくなって、それが今日まで続いているのです。
一方で、このような主張をする仏教学者もいます。
http://souryonotakurami.blog46.fc2.com/?q=%CD%AD%BF%C0%CA%A9%B6%B5%A4%CE%BA%C6%B6%BD
http://souryonotakurami.blog46.fc2.com/?q=%CA%A9%B6%B5%B3%D8%A4%CE%CC%EB%CC%C0%A4%B1
愚僧も氏の主張に賛成しております。
最後に肝心のお釈迦さまはどのように説かれているのかを示しておきます。
http://souryonotakurami.blog46.fc2.com/?q=%BF%C0%A4%F2%B8%EC%A4%EB%BC%E1%C2%BA
http://souryonotakurami.blog46.fc2.com/?q=%A5%F4%A5%A1%A5%AC%A5%F4%A5%A1
愚僧は学者ではありません。あくまでも仏教僧として、このように信仰するところであります。
うまくまとまらず長くなりましたが、お許しくださいませ。
大変興味深いお話を聞かせていただきました。工学者の皆様が物作りの現場で神仏を尊ばれているというのは感動的です。そういえば、大工さまや職人さまも、神仏を大事にされますね。実は日本の物作りの凄さの秘密はこういうところにあったのですね。わが国には昔から「造化の妙」という言葉があり、「山川草木悉有仏性」という精神を大切にしてきましたが、物作りの世界には、まだ息づいていたのでした。
科学的思考とは基本的に帰納法なのですね。しかしながら科学者のなかにも、事物の奥にある神秘を見出される方は多いのですね。最近では、理数系の人の方が、文科系よりも、人知を超えたものや宇宙の意思や人間原理といった概念を認める傾向にあるようです。
ダーウィニズムが席巻する近代以前は、理性的な存在としての神を第一原因とするアリストテレス的な考え方が神学においても科学においてもあったようです。現在でも、ネイチャー誌によれば、アメリカ国籍の物理学者、生物学者、数学者の40パーセントは神の存在を信じているとのことです。日本ではこの割合はどうなるのでしょうか?もっと低くなるのでしょうか?
キリスト教国と仏教国では、宗教と科学の関係がどう違うのかという問題は、すなわち、神をどうとらえるかという問題でもあるのかもしれません。仏教はよく科学と親和性があり無神論的な思想だと言われますが、それは一体どういうことでしょうか?仏教は宗教では無いのでしょうか?仏教では生命はどう説明されるのでしょうか?
近代仏教学の説明でもっとも常識的なのは、『事物は因縁縁起によって成り立っており、あらゆるものごとは独立して存在しえない、よって神などの絶対者を認めない』というものです。しかしこの考え方でいけば「生命は縁起によって成り立つ」という、分かったようで分からない結論になってしまいます。しかも、その縁起の法則というのは、物理的レベルなのか、物理法則をも超えた超自然的な法則なのか、判然としません。
戦後の仏教学者達は、カント哲学や啓蒙主義の影響を受けているため、仏教から形而上を排除しようとやっきになってきました。それを象徴するのが、木村和辻論争です。プラトン的汎神論者の木村泰賢氏http://souryonotakurami.blog46.fc2.com/?q=%C0%B5%CF%C0%A4%CF%C1%C9%A4%EBと唯物論的縁起論者の和辻哲郎氏の論争の決着がつく前に、木村氏が亡くなってしまった為、和辻氏の説が学界の絶対権威となってしまい、それ以後の近代仏教というものは、仏教という思想の生命や本質をつかみ取ることができなくなって、それが今日まで続いているのです。
一方で、このような主張をする仏教学者もいます。
http://souryonotakurami.blog46.fc2.com/?q=%CD%AD%BF%C0%CA%A9%B6%B5%A4%CE%BA%C6%B6%BD
http://souryonotakurami.blog46.fc2.com/?q=%CA%A9%B6%B5%B3%D8%A4%CE%CC%EB%CC%C0%A4%B1
愚僧も氏の主張に賛成しております。
最後に肝心のお釈迦さまはどのように説かれているのかを示しておきます。
http://souryonotakurami.blog46.fc2.com/?q=%BF%C0%A4%F2%B8%EC%A4%EB%BC%E1%C2%BA
http://souryonotakurami.blog46.fc2.com/?q=%A5%F4%A5%A1%A5%AC%A5%F4%A5%A1
愚僧は学者ではありません。あくまでも仏教僧として、このように信仰するところであります。
うまくまとまらず長くなりましたが、お許しくださいませ。
2009/05/15 Fri 12:08 URL [ Edit ]
素朴な疑問です(書き込んでスミマセン)
アイザック・ニュートンはプリンピキア「自然哲学の数学的諸原理」で有名な三つの法則・古典物理学を構築しました。
理工系の学生なら知っている事項ですが、ニュートンは錬金術師としても有名です。(URL参照)
また、物理法則に神を見ようとして「光」を西洋人では無理のある7色としました。
科学者は森羅万象・自然・宇宙に人知の及ばぬ優美な法則が存在する事に敬意を持っています。
また、全てが科学で証明できない事も知っています。
その上で宇宙の起源に迫ろうとし、DNAゲノム解析に没頭しているのです。
私も学生の頃に教官より、自然・生物と同じ機械を造る事の難しさと、自然科学の美しさを教えられました。
例えば、絹糸を造るにも蚕と同じ大きさの機械装置は造る事が出来ない等。
故に、近代仏教の無我=無霊魂には違和感が有ります。
理工系の学生なら知っている事項ですが、ニュートンは錬金術師としても有名です。(URL参照)
また、物理法則に神を見ようとして「光」を西洋人では無理のある7色としました。
科学者は森羅万象・自然・宇宙に人知の及ばぬ優美な法則が存在する事に敬意を持っています。
また、全てが科学で証明できない事も知っています。
その上で宇宙の起源に迫ろうとし、DNAゲノム解析に没頭しているのです。
私も学生の頃に教官より、自然・生物と同じ機械を造る事の難しさと、自然科学の美しさを教えられました。
例えば、絹糸を造るにも蚕と同じ大きさの機械装置は造る事が出来ない等。
故に、近代仏教の無我=無霊魂には違和感が有ります。
無碍の一道
素朴な疑問さま。
参照先拝見いたしました。
ヤヌス的天才ですか!凄いですね。
現代の我々は未だニュートン科学の一側面しか理解できていないのですね。
夜の物理学と言われることもありますね。
日本には素朴な疑問さまのような科学者の方々がたくさんいらっしゃるのですね。
それにしても素晴らしい教官さまです。感動しました。
「人知の及ばぬ優美な法則」というのは理工系の方ならではの表現でありますね!
科学を知るからこそ、その限界もまた知っているということなのですね。
愚僧は宗教者のはしくれとして、オカルトと言われるのを恐れ近代合理主義に迎合して、
無我=無霊魂説を強弁する現代の日本仏教を恥かしく思っております。
ですから素朴な疑問さまのご指摘は大変耳が痛いのであります。
仏教界は猛省しなければなりません。
このたびは、素晴らしいお話を聞かせていただきとても勉強になりました。
感謝いたします(_人_)
参照先拝見いたしました。
ヤヌス的天才ですか!凄いですね。
現代の我々は未だニュートン科学の一側面しか理解できていないのですね。
夜の物理学と言われることもありますね。
日本には素朴な疑問さまのような科学者の方々がたくさんいらっしゃるのですね。
それにしても素晴らしい教官さまです。感動しました。
「人知の及ばぬ優美な法則」というのは理工系の方ならではの表現でありますね!
科学を知るからこそ、その限界もまた知っているということなのですね。
愚僧は宗教者のはしくれとして、オカルトと言われるのを恐れ近代合理主義に迎合して、
無我=無霊魂説を強弁する現代の日本仏教を恥かしく思っております。
ですから素朴な疑問さまのご指摘は大変耳が痛いのであります。
仏教界は猛省しなければなりません。
このたびは、素晴らしいお話を聞かせていただきとても勉強になりました。
感謝いたします(_人_)
2009/05/15 Fri 18:30 URL [ Edit ]
ふろんてぃあ
言霊がキレイ(*^_^*)ウットリだわ
そ~なのか、科学者は神様なんかいないとみんな思っているものだとばかり思ってました。
神様を信じてるのは特別な神様みたいな科学者だけかと(^_^;)
感動しました☆
そ~なのか、科学者は神様なんかいないとみんな思っているものだとばかり思ってました。
神様を信じてるのは特別な神様みたいな科学者だけかと(^_^;)
感動しました☆
2009/05/16 Sat 22:05 URL [ Edit ]
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