| Home |
2009.11.04
真の宗教
宗教と科学は相反するかに考えられるが、
かえって科学的精神は、
宗教によって基礎付けられるということができる。
真の宗教の立場は、
どこまでも自己の独断を棄てて、
真に物そのものとなって考え、
物そのものとなって行なうことでなければならない。
西田幾多郎
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
かえって科学的精神は、
宗教によって基礎付けられるということができる。
真の宗教の立場は、
どこまでも自己の独断を棄てて、
真に物そのものとなって考え、
物そのものとなって行なうことでなければならない。
西田幾多郎



クリックして愚僧の活動に御協力ください。
スポンサーサイト
老荘凡夫
そうですよね。宗教と科学は矛盾しないと、僕も思います。一流の科学者は、皆、神を信じていることからも明らかです。
僕は、神というのは「宇宙法則のようなもの」だと思っていますが、無碍の一道さんは、どうお考えですか。
それと、西田幾多郎って不思議な人で、「絶対矛盾的自己同一」という言葉を、よく使っていましたが、とても、東洋的というか、禅的な世界と、ギリシャ哲学的な世界を、西田は持っているんですよね。
きっと、彼は、後世、今よりも、もっと評価されるような気がします。
僕は、神というのは「宇宙法則のようなもの」だと思っていますが、無碍の一道さんは、どうお考えですか。
それと、西田幾多郎って不思議な人で、「絶対矛盾的自己同一」という言葉を、よく使っていましたが、とても、東洋的というか、禅的な世界と、ギリシャ哲学的な世界を、西田は持っているんですよね。
きっと、彼は、後世、今よりも、もっと評価されるような気がします。
2009/11/04 Wed 21:22 URL [ Edit ]
無碍の一道
老荘凡夫さま、コメントありがとうございます。
日本においては、科学者が神(創造主)を語ることはタブーですよね。(根本問題なのに)
欧米では、科学者といえども、神を信じているか、いないかを表明しなければならないそうですね。
この違いは、日本人の信仰する「仏」というのは、大自然(山川草木悉有仏性)みたいな雰囲気があって表明し易いからだと思います。
愚僧も神を信じていますが、宇宙を統べる存在(もちろん創造主)だと思っています。
しかし、神を信じることとダーウィニズム(教科書レベルの常識)は両立できません。これが難しいのですね!
愚僧は西田幾多郎氏を「神」を語ることの出来る日本で唯一の哲学者だと思っております。
老荘凡夫はさすがです。
愚僧の師は、西田氏のことをギリシャのアリストテレスの再来だとおっしゃているのですよ。(ご存知でしたらすいません)
氏の影響は今でも、京都学派(神秘主義)として生きています!
老荘凡夫さまの慧眼には敬服いたします。
日本においては、科学者が神(創造主)を語ることはタブーですよね。(根本問題なのに)
欧米では、科学者といえども、神を信じているか、いないかを表明しなければならないそうですね。
この違いは、日本人の信仰する「仏」というのは、大自然(山川草木悉有仏性)みたいな雰囲気があって表明し易いからだと思います。
愚僧も神を信じていますが、宇宙を統べる存在(もちろん創造主)だと思っています。
しかし、神を信じることとダーウィニズム(教科書レベルの常識)は両立できません。これが難しいのですね!
愚僧は西田幾多郎氏を「神」を語ることの出来る日本で唯一の哲学者だと思っております。
老荘凡夫はさすがです。
愚僧の師は、西田氏のことをギリシャのアリストテレスの再来だとおっしゃているのですよ。(ご存知でしたらすいません)
氏の影響は今でも、京都学派(神秘主義)として生きています!
老荘凡夫さまの慧眼には敬服いたします。
2009/11/04 Wed 21:58 URL [ Edit ]
老荘凡夫
無碍の一道さん、回答、ありがとうございます。
アリストテレスですか。なんとなく、わかるような気がします。そういうこともあるのかもしれません。
それと、神観についてですが、僕は、子供のころ、教会に通った経験があって、そこで出てくる神の、あまりにも人間的な部分に、どうしても納得ができずにいました。
キリスト教も、今では、イエスに対しても、神のような扱いをしていますが、僕は、彼はあくまでも、人間であったと思っています。ただ、人間としてはずば抜けて悟性が高く、神のような人間だったのでしょう。イエス自身、「私を見る者は神を見るのである」と言っています。
しかし、たとえ神のような人格を持っていようと、やはり、神ではないわけで、人間を神のように奉ってはいけないと思っています。もっとも、イエス自身は、神のことを父と呼び、自分が神だとは言っていません。後世の人が、神にまで、祭り上げてしまったのでしょう。
究極の神は、僕は、「揺らぐことのない宇宙法則」だと思っています。そしてこの法則を知ることが、悟りなのかもしれません。
科学者は、科学的アプローチで、宗教家や、無碍の一道さんのような、道を求める人は、内的覚醒や瞑想などを通して、真実に穿ち入ろうとしているのではないでしょうか。登っている山の側面が違うだけで、だから、科学者であろうと宗教家であろうと、偏見のない、真摯な者は、互いを否定しないし、唯物論などは、出る幕がなくなるはずです。
無碍の一道さんのブログは、精神文明といいますか、今後訪れるであろう、悟性の時代に橋渡しをする、尊い働きをしているように思えてなりません。
これからも、ずっと応援します。
アリストテレスですか。なんとなく、わかるような気がします。そういうこともあるのかもしれません。
それと、神観についてですが、僕は、子供のころ、教会に通った経験があって、そこで出てくる神の、あまりにも人間的な部分に、どうしても納得ができずにいました。
キリスト教も、今では、イエスに対しても、神のような扱いをしていますが、僕は、彼はあくまでも、人間であったと思っています。ただ、人間としてはずば抜けて悟性が高く、神のような人間だったのでしょう。イエス自身、「私を見る者は神を見るのである」と言っています。
しかし、たとえ神のような人格を持っていようと、やはり、神ではないわけで、人間を神のように奉ってはいけないと思っています。もっとも、イエス自身は、神のことを父と呼び、自分が神だとは言っていません。後世の人が、神にまで、祭り上げてしまったのでしょう。
究極の神は、僕は、「揺らぐことのない宇宙法則」だと思っています。そしてこの法則を知ることが、悟りなのかもしれません。
科学者は、科学的アプローチで、宗教家や、無碍の一道さんのような、道を求める人は、内的覚醒や瞑想などを通して、真実に穿ち入ろうとしているのではないでしょうか。登っている山の側面が違うだけで、だから、科学者であろうと宗教家であろうと、偏見のない、真摯な者は、互いを否定しないし、唯物論などは、出る幕がなくなるはずです。
無碍の一道さんのブログは、精神文明といいますか、今後訪れるであろう、悟性の時代に橋渡しをする、尊い働きをしているように思えてなりません。
これからも、ずっと応援します。
2009/11/05 Thu 07:41 URL [ Edit ]
無碍の一道
老荘凡夫さま、コメントありがとうございます。
恐れ入りました。
やはり老荘凡夫さまはとても宗教的なお方なのですね。
「究極の神」「揺らぐことのない宇宙の法則」という概念を子供のころより思索されていたとは!
すでに既存宗教の枠組みから超越されています。
科学と宗教の関係についても、素晴らしい見解をお持ちなのですね。
きたるべき精神文明へのご予見にも感服いたしました。
愚僧などは、「幸福の科学」の教えに出遭うことがなければ、一宗派の教義体系のなかで彷徨っていただろうと思われます。
老荘凡夫さまのような見識ある優れたお方に、応援していただけて光栄であります。
また、ご教授くださいませ。
恐れ入りました。
やはり老荘凡夫さまはとても宗教的なお方なのですね。
「究極の神」「揺らぐことのない宇宙の法則」という概念を子供のころより思索されていたとは!
すでに既存宗教の枠組みから超越されています。
科学と宗教の関係についても、素晴らしい見解をお持ちなのですね。
きたるべき精神文明へのご予見にも感服いたしました。
愚僧などは、「幸福の科学」の教えに出遭うことがなければ、一宗派の教義体系のなかで彷徨っていただろうと思われます。
老荘凡夫さまのような見識ある優れたお方に、応援していただけて光栄であります。
また、ご教授くださいませ。
2009/11/05 Thu 11:12 URL [ Edit ]
| Home |