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お釈迦さまは、このように修行論を説かれました。

皮相なレベルで仏法を解釈するべきではありません。



「修行僧のみなさん、みずからを島とし、みずからをたよりとして、
他人をたよりとせず、法を島とし、法をたよりとして、
他のものをたよりとしてはなりません。
では修行僧は、どのようにすれば、みずからを島とし、みずからをたよりとして、
他人をたよりとせず、法を島とし、法をたよりとして、
他のものをたよりとしないでいられるのでしょうか。

みなさん、この世で修行僧は、身体について身体を観じ、
感受について感受を観じ、心について心を観じ、
もろもろの事象についてもろもろの事象を観じ、
熱心によく気をつけて念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきです。
修行僧のみなさん、このように修行僧は、みずからを島とし、みずからをたよりとして、
他人をたよりとせず、法を島とし、法をたよりとして、他のものをたよりとしないのです。

修行僧のみなさん、自分の父祖の地を活動範囲とし(四念住の修習をし)なさい。
自分の父祖の地で活動(四念住を修習)すれば、寿命が伸びるでしょう。
容色が好くなるでしょう。安楽が増すでしょう。財産が増すでしょう。力が増すでしょう。

修行僧のみなさん、修行僧にとって寿命とはなんでしょうか。
修行僧のみなさん、ここで修行僧は、
意欲、勤勉、心、思惟観察による精神統一を重点的に行なう神通力を修習するでしょう。
これらの四種の神通力を修習し、反復して行なえば、一つの世界の時代の期間、
あるいは一つの世界が終わるまで生き続けることができます。
修行僧のみなさん、これが修行僧の寿命であると説くのです。

修行僧のみなさん、修行僧にとって容色とはなんでしょうか。
修行僧のみなさん、ここで修行僧は、正しい生活習慣をたもち、戒律規定を厳守し、
品行方正でごくわずかな過失にも危機感をもち、学ぶべきことがらを学習します。
修行僧のみなさん、じつにこれが修行僧にとっての容色です。

修行僧のみなさん、修行僧にとって安楽とはなんでしょうか。
修行僧のみなさん、ここで修行僧は、さまざまな欲望を離れ、さまざまな悪事を離れ、
思慮・考察がはたらいており、
遠ざかり離れることより生じる喜びと安らぎのある第一の瞑想に入って過ごします。
思慮・考察を静止し、落ち着いて、心を一点に集中し、思慮・考察が皆無で、
精神統一より生じる喜びと安らぎのある第二の瞑想に入って過ごします。
喜びを離脱し、心の平静を保ち、正念と落ち着きがあって、身体で安らぎを感得し、
聖人達が、『心が平静で正念を保ち、安らかな状態である』と宣言している、
第三の瞑想に入って過ごします。
安らぎを捨て、苦しみを捨てて、以前からの喜悦・憂悩を滅し、苦しみも安らぎもなく、
心の平静と正念を完全に浄化した第四の瞑想に入って過ごします。
修行僧のみなさん、じつにこれが修行僧にとっての安楽です。

修行僧のみなさん、修行僧にとって財産とはなんでしょうか。
修行僧のみなさん、ここで修行僧は、
慈しみの心、あわれみの心、よろこびの心、平静な心で、
一方を満たして過ごします、同じく二方、三方、四方を満たします。
このようにして、上方にも、下方にも、斜方にも、全てに、
あらゆる所・一切の世界を、広大・雄大で、無量であり、
妨げなく障害のない慈しみの心、あわれみの心、よろこびの心、
平静な心によって満たして過ごします。
修行僧のみなさん、じつにこれが修行僧にとっての財産です。

修行僧のみなさん、修行僧にとって力とはなんでしょうか。
修行僧のみなさん、ここで修行僧は、煩悩の汚れを断除して、
汚れなく、現世で、心の解脱、智慧の解脱をみずから十分に理解し、
まのあたりに見て円満に過ごすのです。
修行僧のみなさん、じつにこれが修行僧にとっての力です。

修行僧のみなさん、
わたしは悪魔の力ほど打ち勝ち難い力を他に一つとして見たことはありません。
修行僧のみなさん、さまざまな善い法を保持することによってのみ、
この福徳は増大するのです。」

世尊はこのように説かれた。
修行僧たちはうれしくなって、世尊の説かれたことを喜んだ。


パーリ原始仏典長部第26経「転輪聖王修行経」




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