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2010.06.23 生命の誕生
私たちは飛行機で空を飛ぶとき、眼下にはるか島々や大海原を見降ろしながら、
この地球上に一体どれだけの生命が息づいているのかと考えて、
不思議な感慨に打たれることがあります。
世界の人口は数十億人いますし、動物たちの生命、植物たちの生命、
そして海中に棲んでいる生物たちの生命の数を考えるとき、
億の上の単位である兆の単位でもつかみきれないだろうと思います。
こうしてみると、地球というのは、様々の生命たちを育む培養基だといえなくもありません。
地球という名のフラスコの中に、培養液を入れて、
その中で様々な生物を繁殖させているようなものです。
地球という惑星がいが太陽系に誕生したのが今から約四十五億前。
灼熱の溶岩と蒸気に包まれた最初の状態から、やがて、適度の水分と酸素と、
大地に恵まれるようになるのに、約十億年かかっています。
そして生命の最初ともいえる微生物が誕生したのが三十億年ぐらいの昔です。
オパーリンというソ連の生化学者は、
生命の起源は、偶然にできたアミノ酸の結合によってタンパク質が出現し、
アメーバーの如き運動を開始することに端を発するのだとして、
自分は実験によって生命を創造することに成功したと発表しております。
しかしオパーリンの実験には、一つの要素が看過されているのです。
確かに様々な化学反応の結果、大量のアミノ酸が偶然に発生することはありえるし、
アミノ酸同士が結合することにより、タンパク質の発生はありえるでしょう。
しかし実験によって発生したタンパク質が、
アメーバー状の運動を開始するにあたっては、一つの霊的な作用が働いているのです。
つまり、微生物にも小さいながら魂というものが宿っており、
住むべき細胞を失った微細な生命体が、地表にはかなりの数浮遊しているのです。
その浮遊している生命体が、実験で創造されたばかりのタンパク質を、
かつてのわが細胞、わが肉体だとばかり勘違いして霊的に働きかけ、
その結果、タンパク質がアメーバーのように動き始めるのです。
したがって、オパーリンが実験によって生命を創造したといえるためには、
何らの霊的作用が働かない状況下でその実験に成功してみせなければならないでしょう。
しかし、この地球上でその実験をする以上、
その条件設定はほぼ不可能に近いと思われます。
つまり私たちは、生命の誕生を考えるに際し、
物体としての生物の出現にばかり注目してはならないのです。
生物を生物として成り立たせているものは、
その生物らしくあらんとする目的意識と、常に活動せんとする動的意識なのです。
言いかえれば、海中なら海中に浮かぶタンパク質がアメーバーになるためには、
アメーバーたらんとする目的意識と、
生命活動を営もうとする動的意識の二つが必要なのです。
つまり、アメーバーのようなものであっても、
それを生命体として生かし続けるためには、目的意識と動的意識の二つが必要なのであり、
この二つの意識を総括しているものが実は霊的生命であり、霊的作用なのです。
結局のところ、地球上にアメーバーが誕生するためには、
何らかの霊的作用が働いているわけであり、
物質、あるいは物体としてのアメーバーが誕生するに先立って、
霊的生命としてのアメーバーが存在したということなのです。
この話をさらに進めてゆくとするならば、
地上にアメーバーという生物が誕生したとしても、
このアメーバーがさらに進化したミドリムシになるためには、
動的意識はそのまま使えても、目的意識はそのままではすまされないということなのです。
なぜなら、アメーバーは水中の様々な栄養素を摂取して、
それを排出するという単純作業を繰り返しているだけですが、
ミドリムシは動物と植物の両方の先祖といわれるように、
活発な活動もしながら、自らの体内に葉緑素をもっていて光合成、
つまり炭酸同化という植物的な生産活動をしているからなのです。       
アメーバーとミドリムシを比べてみると、
偶然に変化したとはとても思えないような目的意識の変化があります。
光合成というのは、緑色植物が、光のエネルギーを用いて、
吸収した炭酸ガスと水分から有機化合物を合成することをいい、
これを体内で行なうことのできるミドリムシは、
体長0・1ミリメートル以下の小さな体ながら、
その中に立派な工場施設をもっているのと同じなのです。
果たして偶然でこのような工場施設が体内にできるでしょうか。
ミドリムシは一本のべん毛を用いて水中を泳いでいますが、
この活動自体は、アメーバーが水中で活動しているうちに、
その活動に適した形に体型が変化した、
つまり活動を旨とする動的意識においては変化がないといえなくもありませんが、
体内で炭酸同化するという工場設備を持つということでは、
はっきりとその目的意識に変化があったといえます。
したがって、ミドリムシにアメーバーの霊生命が宿るためには、
その目的意識に変革がなければなりません。
これは、ミドリムシという新しい型の生物を創り出そうとする意志が必要だということです。
新しい生物を生み出すために、霊的生命体の中に意識変革が起きた時、
これを指して新たな霊的生命が創造されたと言ってもよいのです。
つまり、新たな生物が地上に出る前に、
既に霊的世界の中で新生命の創造が行なわれているということなのです。


大川隆法「生命と科学」




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2010.03.24 磁力の秘密
現在、軍産複合体によって隠蔽されている未知の科学技術はいろいろとあるようです。

宇宙開発や軍事において時代遅れとなったものが、
「スピンアウト」して民衆にリークされ、ジェット機やレーザー技術、
インターネットや携帯電話、GPSなどとして広まってきたというのは有名な話です。

しかし、もっと驚くべきことに、
科学技術の進歩は、異星人によってもたらされてきたのです。




もし地球に磁力の秘密が伝えられたら、
きっと人々の生活は一新されることでしょう。
想像してみて下さい。
もしエネルギーが無料で利用できるようになり、
磁力で推進する宇宙船を誰もが使えるようになったら、
どのような変化がもたらされるでしょうか。
けれども地球では、ネガティブな勢力が、強い支配力を持っています。
各個人にさらなる力と自由を与えかねないものは、
何でも彼らにとっては脅威となるのです。
それには至高なる神性の法則も含まれます。

テクノロジーの分野では、
大衆にとっては有益でも、権力者にとっては不利益となる発明は、
通常は非公開とされるか、もしくは壊されるか、少なくとも信用が貶められるのです。
(アダムスキーが金星人からもらった図形入りの金星文字をヒントに、
フリーエネルギーの磁気モーターを開発したバンデンバーグは、
アダムスキーの制止を無視してそれを公表しようとしたために、
その直後に行方不明となっている。)

地球は電気発明家のニコラ・テスラ(交流電流、無線、
蛍光灯などの装置の発明で知られる)に多大な恩があります。
彼がいなければ地球の文明は今日のようにはなっていなかったでしょう。
彼は一時期、トーマス・エジソンと共同で、
電気モーターと発電機を設計していたことがありました。
ナイアガラの滝の発電システムの開発を受け持っていたのはテスラでした。
70歳になるまでテスラは700以上もの発明を自ら成し遂げています。
しかしテスラは時代を先取りしすぎていました。
エジソンですら彼に背を向け、
自身のものよりも優れていたテスラのアイデアの評判を落とそうとしました。
テスラは地球そのものから得られる、
無尽蔵のエネルギーを利用することにおけるパイオニア(先駆者)で、
エネルギーは巨大な発電所で発生させる必要はないことが分かっていました。
当時テスラが何を言わんとしているかを知っていた者たちは、
彼とそのアイデアの信用を貶めることに成功し、
磁力の秘密が、世界中に恩恵を与えるのを防いだのです。
テスラの次の言葉から私たちは彼の目指していたことが分かります。
「電線のないエネルギーの応用として最も価値があるのは、
飛行機を推進させることであろう…」。
彼の死後、テスラの研究施設は長年にわたって閉鎖され、
彼の偉大さは、人々の記憶からほとんど消え去ってしまいました。
彼がかつてこの地球に存在したことを知っている人はごく少数です。
そして彼が地球を援助するために金星から来たことを知っている人はさらに少数です。


オムネク・オネク「私はアセンションした惑星から来た」




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唯物論にもとづく機械宇宙論は、過去の遺物となりつつあります。

すべてを偶然に帰するそのような悲愴なものの見方では、
宇宙の意味も目的も見出すことはできません。

いまや人類は、偶然教信仰から離れて、必然を探りはじめているのです。




今日、とくに物理学においては、
ほとんど全員がそう考えているような、幅広い同意がある。
それは、知識の流れが非機械的なリアリティに向かっているということである。
宇宙は大きな機械というより、大きな思考であるように見えはじめているのだ。
心はもはや、物質の領域への偶然の侵入者ではない。
われわれはそれを、むしろ物質領域の創造者、
支配者として歓迎すべきではないかと考えはじめている。
新しい知識に照らしてみれば、われわれは、生命に関心をもっていない、
あるいは生命に対して積極的に敵対する宇宙に、偶然足を踏み入れてしまった、
という性急な第一印象を、いまや改めざるをえない。
心と物質という古い二元論は、
そのような仮想の敵意をもたらした大きな原因だが、もうそれは消えるように思える。
ただしそれは、物質がこれまでより何がしか曖昧に、
何がしか非実在的になったからでも、心が物質の作用に溶け込んだからでもない。
実在する物質が、心の創造と顕現のなかに溶け込んだからである。
われわれにわかってきたことは、
宇宙がデザインの力、あるいは統制の力の証拠を示していることだ。
われわれは、最初に感じたほど宇宙の侵入者でも、宇宙の部外者でもないのだ。


ジェームス・ジーンズ「神秘な宇宙」




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主流科学にとっては、ダーウィニズム(偶然論)は、絶対であります。

しかし、その主張にはどこかペーソス(悲壮感)が漂っていると思うのは、愚僧だけでしょうか?




コピペ

091123-06-galaxy-too-perfect-intelligent-design_big.jpg
(画像はハッブル宇宙望遠鏡とチャンドラX線観測衛星による合成画像、
わし星雲の“創造の柱”)。
Image courtesy NASA

宇宙の摂理を支配する法則や数式は、
まるで人間の生命維持に適するように“デザイン”されているようにも思える。
例えば、質量を持つ物体間の引力を定義する万有引力定数だ。
この定数は、惑星が恒星を周回し、しかも生命の進化に十分な寿命がもたらされるよう、
都合よくできているように見える。
インテリジェント・デザイン論の提唱者はこの点を引き合いに出し、
「宇宙は、あらゆる生命のために、超自然的な知性によって作り出されたものだ」と主張している。
一方、
進化論支持者であるカリフォルニア州オクシデンタル大学の古生物学者ドン・プロザロ氏は、
「生命に都合よくデザインされた1つの宇宙が存在するという考え方は、
想像力の欠如としか言いようがない」と反論する。
「宇宙はわれわれ人間ではなく、
ほかの何かに合わせてデザインされている可能性も十分に考えられる」。
われわれが見ている宇宙は、
想像をはるかに超えるほど広大な“多世界宇宙(multiverse)”に存在する、
数多くの宇宙の1つにすぎないという考えもある。
人間の存在する宇宙が生存に適した環境であることは、
インテリジェント・デザイン論を持ち出すまでもなく説明可能だ。




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2009.11.01 仁義なき戦い
もともと宗教と科学は親戚関係にありました。
ところが近代に入ってからは、
唯物論科学者とその信奉者によって、
科学と宗教は対立するものだと思わされてきたのです。

科学はすべての神秘を解き明かしたでしょうか?
ニュートンやケプラーやコペルニクスは神の秘密の一部を発見したと言いました。
同じように現代にも、実は、神を信じる科学者はたくさんいるのです。

そしていよいよ、21世紀に入って、
無神論(唯物論・ダーウィニスト)科学者と有神論(スピリチュアル・ID論派)科学者、
という対立構造が鮮明になってまいりました。




いかなる科学理論も、宗教的伝統が問いかける神秘に触れることはない。
なぜ自分の人生が短いかを問う人は、答えを代数量子場理論に求めたりしない。
科学界の著名な人物たちがそれに対して答えを提供してきたが、
それらはすべて「浅薄」という特徴をもっている。
我々は宇宙の偶然の産物にすぎないという仮説は、
科学者共同体の間で広く受け入れられている。
バートランド・ラッセル、ジャック・モノー、スティーヴン・ワインバーグ、
リチャード・ドーキンズといった、多彩な人たちが皆そのように言っている。
それは彼らの信条の一か条で、他の者たちには見つめることのできない現実を、
自分たちだけは直視することができると碓信している人々の、
自信によって提唱された信仰である。
そのように考えねばならぬ露ほどの理由もない。


デイヴィッド・ベアリンスキー「悪魔の惑わし」



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理性の力を信仰して生きてきた科学者にとって、
物語は悪夢のように終わる。
彼は無知の山を征服しながら懸命によじ登ってきた。
彼が頂上を極めようとして、
最後の岩に足をかけたとき彼が目にしたのは、
そこに何世紀も昔から坐っていた一群の神学者たちであった。


ロバート・ジャストロウ「神と天文学者」




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現代科学では、唯物論はすでに理論的に破綻しています。

何故なら、意識や心が物理学に入ってきたからです。

どうやら意識の謎を解く鍵は、量子論にあるようです。

原子工学博士の奥健夫氏による解説です。




私たちの意識は、脳、からだ、行動、そして周りの環境まで変えていきます。
進化した量子論で、人間の心からからだへの影響が説明できるようになりました。
さらに、人間と宇宙を統合できる考え方になってきたのです。
私たちの世界は、単に変化する「物質の世界」ではありません。
意識が進化していく、「情報の世界」なのです。
私たちの意識が、宇宙全体を進化させているのです。
私たちの心のもちようがいかに大切か。
宇宙全体にとって、よい意識をもつこと、よい行動をとること。
これが、とても大切なことになってきます。
これは、私たちの行動をよい方向にみちびいてくれる新たなる「道徳」ともいえます。
人生の法則にもつながります。
私たちの意識のもちかた一つ一つが、宇宙を変えていくのです。

アインシュタインをはじめ、そうそうたる研究者たちが、
今まで量子論に取り組んできました。
そして数多くの優れた研究が、積み重ねられてきました。
ノーベル賞も多数でていますし、これからも多数でてくるでしよう。
しかし、いまだに解決されていない重要な問題があります。
そこではどうしても、人間の意識を考えなければならないようです。
今までの物理学にとって、意識は全くなじまないものでした。
しかし量子論の発展とともに、意識を入れることが必要になってきたのです。
究極の物理学においては、人間の意識が必要な時代になってきているのです。
さらに量子論は、非局在性という新しい考え方をもたらしました。
私たちの心と体は、全宇宙とつながっています。
それが物理法則から、明らかになってきたのです。
私たち一人一人の意識が、「意識のさざなみ」となって波紋のように広がり、
地球から全宇宙にまで影響を与えているのです。
物理法則は、意味のない冷たいものだと思われてきました。
しかし量子論が深まるにつれて、
むしろ人間と宇宙が密接に結びついていることがわかってきたのです。
これからの物理法則は、人間の生き方そのものにも、
指針を与えてくれるものになっていくのではないでしょうか。
地球や宇宙がよい方向に進化していくための考え方や行動のもとになる、
「量子意識法則」の時代が始まるのかもしれません・・・・。

「まじめなとんでもない世界」




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2009.06.07 超古代文明
あったのだから、しかたがない。






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どんな人も、謙虚に回りを見渡せば、驚異の自然を発見することでしょう。

その体験はまさに、悟りとも言われるものです。




われわれの知識と学問のすべてを尽くしても、この世はなお奇跡である。
絶妙にして不可解、そして魔術的かつ、それ以上のものだ・・・。


トーマス・カーライル


生物学者として言うならば、
時間を超え、空間にも私というアイデンティティにもとらわれない、
ある種の意識がときとして存在するのは、私も知っている。
そういう意識のもとでは、ものごとがきわめて鮮明に知覚され、
ほとんど浸透に近いプロセスで情報が入手される。
そんな意識状態にあるとき、人ははるかに大いなるもの、
グローバルな心の生態系といえるものの一員であることから直接もたらされる知識を、
自分に見いだすことがある。
この状態は、概念的には神秘的で言葉でとらえきれないところがあるが、
そのものは少しも現実離れしてはいない。
大地に深く根ざしたこの状態は、
何らかの自然のサイクルに浸りきったときにこそ訪れるものだ。
大きな潮のうねりや、春分や秋分のエネルギーの奔流に身をまかせている、そんなときである。
その体験は、文字どおり、驚異に満ちている。
そこで味わうのは、自然を超越するというよりは、
むしろそれとの強い一体感であり、自然のふところに暖かく迎え入れられる感覚だ。
ものごとの隠れた側面にひそむ神秘に、
ありとあらゆる可能なるものに、
正常であり超常的である万象に、
日常と非日常なるすべてのことがらに、
そして私が「超自然」と呼ぶあの類い稀れなる体験の総体に、私たちは帰りつくのである。


ライアル・ワトソン




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2009.05.11 宇宙の知性
科学界においても、
かつては「神」と呼ばれた宇宙の「知性」ともいうべき、
未知なる力や法則を示す発見が相次いでいます。

21世紀は、暗い唯物論の居場所はありません。




宇宙には、われわれが、
「数学的」としか形容できない思考法をとりがちな計画する力、
支配する力の介在をうかがわせるところがある。
それは、大いなる機構というよりは、大いなる想念である。


ジェームズ・ホップウッド・ジーンズ




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