2011.06.30
魂の不滅
「死」は、生の一プロセスとしての限りでしか、
リアリティーをもたない。
質料の解体と再生こそが、
形態の維持と変更こそが、
生の恒常的プロセスなのだ。
死とは、単に、形態上の経験そのものの変化と、
変容を求める生のその必然に仕える、
一つの急速な解体のことでしかない。
肉体の死のうちにさえ、
「生」の止滅は存在せず、
ただ生の一形態を支える素材がばらばらになって、
それらが生の別の形態に素材として奉仕しているだけである。
同様に、ある種の心的もしくは霊的エネルギーが、
身体という形をとって存在するのだとしたら、
そのエネルギーもまた、破壊されるのではなく、
ある種の輪廻転生のプロセスや、
肉体への魂の移入のプロセスなどによって、
ある形態を脱け出して、別の形態を採るだけのことであるのは、
「自然」の斉一性の法則から言っても、間違いないだろう。
一切は、自ら自己を更新しているだけなのであって、
消滅するものは一つとしてないのである。
シュリー・オーロビンド「神の生命」
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リアリティーをもたない。
質料の解体と再生こそが、
形態の維持と変更こそが、
生の恒常的プロセスなのだ。
死とは、単に、形態上の経験そのものの変化と、
変容を求める生のその必然に仕える、
一つの急速な解体のことでしかない。
肉体の死のうちにさえ、
「生」の止滅は存在せず、
ただ生の一形態を支える素材がばらばらになって、
それらが生の別の形態に素材として奉仕しているだけである。
同様に、ある種の心的もしくは霊的エネルギーが、
身体という形をとって存在するのだとしたら、
そのエネルギーもまた、破壊されるのではなく、
ある種の輪廻転生のプロセスや、
肉体への魂の移入のプロセスなどによって、
ある形態を脱け出して、別の形態を採るだけのことであるのは、
「自然」の斉一性の法則から言っても、間違いないだろう。
一切は、自ら自己を更新しているだけなのであって、
消滅するものは一つとしてないのである。
シュリー・オーロビンド「神の生命」



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2010.08.01
霊とは何であるのか
人間の本質は霊である。
自己の有限性をとりさり、
純粋な自意識に身をまかせることだけで、
真理に到達することができる。
神と人間との統一が現れた、
人としてのイエス・キリストは、
自己の死と自分の全生涯に、
霊の永遠の歴史を表した。
その歴史とは、
すべての人が、
霊として存在するために、
自分で生きなければならぬ歴史である。
ヘーゲル「歴史哲学講義」
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自己の有限性をとりさり、
純粋な自意識に身をまかせることだけで、
真理に到達することができる。
神と人間との統一が現れた、
人としてのイエス・キリストは、
自己の死と自分の全生涯に、
霊の永遠の歴史を表した。
その歴史とは、
すべての人が、
霊として存在するために、
自分で生きなければならぬ歴史である。
ヘーゲル「歴史哲学講義」



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2010.01.23
二つに一つ
所詮あらゆる哲学は、
「唯物論」か「プラトニズム」か、このどちらかに大別できます。
そして、真実は、どちらかのうち一つ。
その答えは、自明であります。
レウキッポスとデモクリトスが物質の構造に思いを巡らせたのは、
世界のこの場所、エーゲ海の岸辺であり、
ソクラテスがわれわれの表現様式の基本的問題を論じ、
プラトンがイデアとは現象の背後にある真に根源的な形態であると説いたのは、
いままさに夕陽が落ちていくあの市場でした。
2500年前にこの国で最初に系統だてて論じられた問題は、
以来片時も人の心を捉えて離さず、
新しい発展によって古い思考方法に変化がもたらされるとかならず、
繰り返し議論されてきました。
きょう、もしわたしが物質の構造と自然法則という概念に関して、
古い問題をいくつか取り上げるとするなら、
それは、今日この時代の原子物理学の発展がわれわれの自然観、
物質の構造観を根本的に変革させたからです。
古い問題のいくつかは、
ごく最近、明確で最終的な解答を手にしたと言っても、おそらく誇張ではありません。
したがって、数千年前にこの地で論じられた問題に対して、
そういった新しい、結論的な解答について話すことも許されるでしょう。
しかし、こういった問題を再考する別な理由があります。
大昔にレウキッポスとデモクリトスが発展させた唯物主義的哲学は、
17世紀における近代科学の出現以来、多くの議論の中心的テーマになってきましたし、
それはまた弁証法的唯物論という形で、
19世紀と20世紀の政治的変化の動因の一つにもなってきました。
もし物質構造に関する哲学的概念が、
人間生活においてそれほどの役割を演ずることができたのだとすれば、
また、もしそういった概念がヨーロッパ社会において爆薬のように機能し、
ヨーロッパ以外の世界でもそのように機能するというのであれば、
今日の科学的知識にてらして、
この哲学がどうなのかを知ることは、いっそう重要なことです。
それをもっと一般的な言葉で表現するなら、
最近の科学の発展を哲学的に分析すれば、われわれがこれまで直面してきた、
基本的な問題についての相反する独断的見解が取り除かれ、
いまやこの地球上の人間生活の革命とみなしうる新しい情況に、
われわれが冷静に順応していけるだろうとわたしは考えています。
しかし、今日この時代への科学の影響という問題を抜きにしても、
古代ギリシアの哲学的議論を実験科学と現代原子物理学の発見と比較するのは、
興味深いことかもしれません。
その比較結果をここで先ばしって述べるのもなんですが、
原子という概念が現代科学においてなしとげた驚くべき成果にもかかわらず、
レウキッポスやデモクリトスよリプラトンのほうが、
物質構造の真理にずっと近づいていたようにわたしには思えます。
ケン・ウィルバー「量子の考案」
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「唯物論」か「プラトニズム」か、このどちらかに大別できます。
そして、真実は、どちらかのうち一つ。
その答えは、自明であります。
レウキッポスとデモクリトスが物質の構造に思いを巡らせたのは、
世界のこの場所、エーゲ海の岸辺であり、
ソクラテスがわれわれの表現様式の基本的問題を論じ、
プラトンがイデアとは現象の背後にある真に根源的な形態であると説いたのは、
いままさに夕陽が落ちていくあの市場でした。
2500年前にこの国で最初に系統だてて論じられた問題は、
以来片時も人の心を捉えて離さず、
新しい発展によって古い思考方法に変化がもたらされるとかならず、
繰り返し議論されてきました。
きょう、もしわたしが物質の構造と自然法則という概念に関して、
古い問題をいくつか取り上げるとするなら、
それは、今日この時代の原子物理学の発展がわれわれの自然観、
物質の構造観を根本的に変革させたからです。
古い問題のいくつかは、
ごく最近、明確で最終的な解答を手にしたと言っても、おそらく誇張ではありません。
したがって、数千年前にこの地で論じられた問題に対して、
そういった新しい、結論的な解答について話すことも許されるでしょう。
しかし、こういった問題を再考する別な理由があります。
大昔にレウキッポスとデモクリトスが発展させた唯物主義的哲学は、
17世紀における近代科学の出現以来、多くの議論の中心的テーマになってきましたし、
それはまた弁証法的唯物論という形で、
19世紀と20世紀の政治的変化の動因の一つにもなってきました。
もし物質構造に関する哲学的概念が、
人間生活においてそれほどの役割を演ずることができたのだとすれば、
また、もしそういった概念がヨーロッパ社会において爆薬のように機能し、
ヨーロッパ以外の世界でもそのように機能するというのであれば、
今日の科学的知識にてらして、
この哲学がどうなのかを知ることは、いっそう重要なことです。
それをもっと一般的な言葉で表現するなら、
最近の科学の発展を哲学的に分析すれば、われわれがこれまで直面してきた、
基本的な問題についての相反する独断的見解が取り除かれ、
いまやこの地球上の人間生活の革命とみなしうる新しい情況に、
われわれが冷静に順応していけるだろうとわたしは考えています。
しかし、今日この時代への科学の影響という問題を抜きにしても、
古代ギリシアの哲学的議論を実験科学と現代原子物理学の発見と比較するのは、
興味深いことかもしれません。
その比較結果をここで先ばしって述べるのもなんですが、
原子という概念が現代科学においてなしとげた驚くべき成果にもかかわらず、
レウキッポスやデモクリトスよリプラトンのほうが、
物質構造の真理にずっと近づいていたようにわたしには思えます。
ケン・ウィルバー「量子の考案」



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2010.01.08
形而上学のパラドックス
形而上学は永遠の議論のテーマ。
霊的な事象は科学的証明には馴染まないところが混乱の原因であるのかもしれません。
物理学と神秘主義、物理学と神秘主義、物理学と神秘主義・・・過去10年の間に、
科学のなかでもっとも堅固な現代物理学と宗教のなかでもっともたおやかな神秘主義との、
驚くべき関係性を描写、説明せんとする書物が、
物理学者、哲学者、心理学者、神学者によって十数冊著されてきた。
物理学と神秘主義は急速に驚くべき共通の世界観へ接近している、という人もいる。
あるいは、それらは同一のリアリティヘの相補的アプローチであると報告する者もいる。
いや、それらに共通点はまったくなく、
両者の方法、目的、結果は正反対である、と懐疑派は断言する。
事実、現代物理学は決定論、自由意志、神、精神、不死性、因果論、宿命論、仏教、
ヒンドゥー教、キリスト教、道教を支持するためにも、否定するためにも使われてきた。
事実、あらゆる世代が「精神」の立証と反証の双方に、
物理学を使わんとしてきた―そこには何か意味があるはずである。
プラトンは物理学は総体として、彼の言葉を使えば、
「それらしき物語」以外の何者でもない、と言明した。
真理は物理学を超えた超越的「形」、
(だからこそ形而上学と呼ばれる)のなかに宿っているのに対し、
物理学は究極的にうつろいやすい影のような感覚的証拠に左右されるからである。
一方、デモクリトスは「アトムと真空」にその信念をおいた。
そのほかには何も存在しないと感じたからである―プラトンはこの考えを極度に嫌い、
デモクリトスの著作すべてをその場で燃やしたいと表現した。
ニュートン物理学が支配していた時代、
物質主義者は物理学を使って宇宙は明らかに決定論的な一つの機械であり、
そこには自由意志、神、恩寵、神による介入はおろか、
かすかに精神を思わせるものすら入りこむ余地がないことを立証しようとした。
だが、この一見無敵な議論も、
理想主義的、霊的哲学者たちには何の影響も与えることができなかった。
事実、彼らは熱力学の第二法則―この法則は、
宇宙がゆるんでいることをはっきりと告げている―が、
意味しているのは、ただ一つのことにすぎないと指摘した。
もし宇宙がゆるみつつあるのならば、
かつて何者かがそれを巻き固めたにちがいないというのである。
ニュートン物理学は神を反証したわけではなく、
逆に、聖なる創造者が絶対必要であることを立証していると彼らは主張したのである。
相対性理論が舞台に登場したとき、同じドラマが繰り返された。
ボストンのオコーネル枢機卿は、すべての善良なカソリック教徒に相対性が、
「神とその創造に関して一般に懐疑心を生み出す曖昧な考察であり」、
その理論は「無神論の亡霊にすぎない」と警告した。
一方、ユダヤ教の神父ゴールドシュタインは、
アインシュタインは「一神教の科学的公式」を生み出したにすぎない、と厳粛に宣言した。
同様にジェームズ・ジーンズとアーサー・エディントンの業績は、英国の聖職者たちから、
双手をあげて歓迎された―現代物理学はあらゆる本質的側面において、
キリスト教を支持している。
問題は、ジーンズとエディントンがいかなる意味でもそうした受け止められ方に同意しておらず、
たがいにも意見を一にしていないところにあった。
この事実はバートランド・ラッセルをして、つぎのような名言を吐かせた。
「アーサー・エディントン卿は、原子が数学的法則に従わないという事実から宗教を引き出し、
ジェームズ・ジーンズ卿は原子が数学的法則に従うという事実から宗教を引き出した」。
今日、現代物理学と東洋神秘主義の結びつきに関する推察をよく耳にする。
ブーツストラップ理論、ベルの定理、織り込まれた秩序、ホログラフィック・パラダイム、
―これらはすべて、東洋神秘主義を立証(あるいは反証)するはずのものであり、
特質こそ違え、本質的にはすべて同一の物語である。
賛否双方とも、同様にその売り物を見せびらかしはする。
だが、問題自体がきわめて複雑であるというのが、
すべてに通じる変わることのない事実であろう。
ケン・ウィルバー「量子の公案」
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霊的な事象は科学的証明には馴染まないところが混乱の原因であるのかもしれません。
物理学と神秘主義、物理学と神秘主義、物理学と神秘主義・・・過去10年の間に、
科学のなかでもっとも堅固な現代物理学と宗教のなかでもっともたおやかな神秘主義との、
驚くべき関係性を描写、説明せんとする書物が、
物理学者、哲学者、心理学者、神学者によって十数冊著されてきた。
物理学と神秘主義は急速に驚くべき共通の世界観へ接近している、という人もいる。
あるいは、それらは同一のリアリティヘの相補的アプローチであると報告する者もいる。
いや、それらに共通点はまったくなく、
両者の方法、目的、結果は正反対である、と懐疑派は断言する。
事実、現代物理学は決定論、自由意志、神、精神、不死性、因果論、宿命論、仏教、
ヒンドゥー教、キリスト教、道教を支持するためにも、否定するためにも使われてきた。
事実、あらゆる世代が「精神」の立証と反証の双方に、
物理学を使わんとしてきた―そこには何か意味があるはずである。
プラトンは物理学は総体として、彼の言葉を使えば、
「それらしき物語」以外の何者でもない、と言明した。
真理は物理学を超えた超越的「形」、
(だからこそ形而上学と呼ばれる)のなかに宿っているのに対し、
物理学は究極的にうつろいやすい影のような感覚的証拠に左右されるからである。
一方、デモクリトスは「アトムと真空」にその信念をおいた。
そのほかには何も存在しないと感じたからである―プラトンはこの考えを極度に嫌い、
デモクリトスの著作すべてをその場で燃やしたいと表現した。
ニュートン物理学が支配していた時代、
物質主義者は物理学を使って宇宙は明らかに決定論的な一つの機械であり、
そこには自由意志、神、恩寵、神による介入はおろか、
かすかに精神を思わせるものすら入りこむ余地がないことを立証しようとした。
だが、この一見無敵な議論も、
理想主義的、霊的哲学者たちには何の影響も与えることができなかった。
事実、彼らは熱力学の第二法則―この法則は、
宇宙がゆるんでいることをはっきりと告げている―が、
意味しているのは、ただ一つのことにすぎないと指摘した。
もし宇宙がゆるみつつあるのならば、
かつて何者かがそれを巻き固めたにちがいないというのである。
ニュートン物理学は神を反証したわけではなく、
逆に、聖なる創造者が絶対必要であることを立証していると彼らは主張したのである。
相対性理論が舞台に登場したとき、同じドラマが繰り返された。
ボストンのオコーネル枢機卿は、すべての善良なカソリック教徒に相対性が、
「神とその創造に関して一般に懐疑心を生み出す曖昧な考察であり」、
その理論は「無神論の亡霊にすぎない」と警告した。
一方、ユダヤ教の神父ゴールドシュタインは、
アインシュタインは「一神教の科学的公式」を生み出したにすぎない、と厳粛に宣言した。
同様にジェームズ・ジーンズとアーサー・エディントンの業績は、英国の聖職者たちから、
双手をあげて歓迎された―現代物理学はあらゆる本質的側面において、
キリスト教を支持している。
問題は、ジーンズとエディントンがいかなる意味でもそうした受け止められ方に同意しておらず、
たがいにも意見を一にしていないところにあった。
この事実はバートランド・ラッセルをして、つぎのような名言を吐かせた。
「アーサー・エディントン卿は、原子が数学的法則に従わないという事実から宗教を引き出し、
ジェームズ・ジーンズ卿は原子が数学的法則に従うという事実から宗教を引き出した」。
今日、現代物理学と東洋神秘主義の結びつきに関する推察をよく耳にする。
ブーツストラップ理論、ベルの定理、織り込まれた秩序、ホログラフィック・パラダイム、
―これらはすべて、東洋神秘主義を立証(あるいは反証)するはずのものであり、
特質こそ違え、本質的にはすべて同一の物語である。
賛否双方とも、同様にその売り物を見せびらかしはする。
だが、問題自体がきわめて複雑であるというのが、
すべてに通じる変わることのない事実であろう。
ケン・ウィルバー「量子の公案」



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2009.04.16
魂の不滅
「人間の専心する対象は、肉体にはなく、
できるかぎり肉体から離れて、魂のほうに向けられていると思えないかね?」
「そう思われます。」
「そうすると、まず第一に、いまあげたような事柄において、
哲学者とは、とくに他の人間たちとちがって、
自分の魂をできるだけ肉体との結びつきから解放しようとするものだということが、
明らかではないだろうか?」
「明らかにそうです。」
「何かを考察するにあたって、
そこに肉体がいっしょに加わるときは、明らかに魂は、肉体にあざむかれるわけだね?」
「おっしゃるとおりです。」
「それならば、事物の真相がすこしでも魂に啓示されうるような場合をもとめるとすれば、
それは、思惟のはたらきのうちにおいてではないだろうか?」
「ええ。」
「しかるに、その思惟のはたらきが最もよく行われるのはいかなるときかというと、
それは、魂がそういった肉体的な何ものにも―聴覚にも、視覚にも、苦痛にも、快楽にも―、
わずらわされることなく、肉体をふりきって、できるだけ純粋に魂そのものだけとなり、
そして、可能なかぎりは肉体との共同も接触もしりぞけながら、
ひたすらものの実相をめざしてあこがれ努力するときなのだ。」
プラトン「パイドン」
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できるかぎり肉体から離れて、魂のほうに向けられていると思えないかね?」
「そう思われます。」
「そうすると、まず第一に、いまあげたような事柄において、
哲学者とは、とくに他の人間たちとちがって、
自分の魂をできるだけ肉体との結びつきから解放しようとするものだということが、
明らかではないだろうか?」
「明らかにそうです。」
「何かを考察するにあたって、
そこに肉体がいっしょに加わるときは、明らかに魂は、肉体にあざむかれるわけだね?」
「おっしゃるとおりです。」
「それならば、事物の真相がすこしでも魂に啓示されうるような場合をもとめるとすれば、
それは、思惟のはたらきのうちにおいてではないだろうか?」
「ええ。」
「しかるに、その思惟のはたらきが最もよく行われるのはいかなるときかというと、
それは、魂がそういった肉体的な何ものにも―聴覚にも、視覚にも、苦痛にも、快楽にも―、
わずらわされることなく、肉体をふりきって、できるだけ純粋に魂そのものだけとなり、
そして、可能なかぎりは肉体との共同も接触もしりぞけながら、
ひたすらものの実相をめざしてあこがれ努力するときなのだ。」
プラトン「パイドン」



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2009.02.16
哲学の不振
哲学という学問分野は、科学に併合されてしまった。
そのおかげで、すっかり砂漠化している。
哲学など職業にしていると変人扱いされてしまう。
現代の哲学者は、残されたニッチを探して、言葉遊びに終始している印象がある。
哲学者は、科学から独立せよ。
どうどうと神を語れ。
ものごとの本質をを鋭く抉れ。
森羅万象の意味や目的を示せ。
霊感を言葉にして紡げ。
本来の哲学者は、科学者以上の仕事をしてきたのだ。
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そのおかげで、すっかり砂漠化している。
哲学など職業にしていると変人扱いされてしまう。
現代の哲学者は、残されたニッチを探して、言葉遊びに終始している印象がある。
哲学者は、科学から独立せよ。
どうどうと神を語れ。
ものごとの本質をを鋭く抉れ。
森羅万象の意味や目的を示せ。
霊感を言葉にして紡げ。
本来の哲学者は、科学者以上の仕事をしてきたのだ。



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2008.12.27
啓蒙主義の時代
日本においては、
フォイエルバッハ、マルクス、ダーウィン、ニーチェ、フロイトらの支持者は多く存在しています。
彼らのような神殺しの哲学者が生まれてきた土壌は、
それ以前の啓蒙主義の時代にすでに醸成されていました。
この啓蒙主義時代の影響が、近代人特有の合理崇拝となって根強く残っているのです。
1729年に、模範的な生活を送っていた田舎の司祭、
ジャン・メスリエが無神論者として死んだ。
彼はメモワールを遺したが、ヴォルテールがそれを広めた。
これは人間に対する彼の嫌悪、
および神を信じることのできなさに対する彼の苛立ちを示していた。
メスリエはニュートンの無限の空間こそが唯一永遠のリアリティーであると信じた。
物質以外には何も存在しない。
宗教は富者が貧者を抑圧し、
彼らを無力な者にすることに利用しようと考案されたものであった。
キリスト教は特に、三位一体や受肉のような馬鹿げた教理によって際立っている。
彼のこのような神の否定は、哲学者にとってはあまりにもむずかしい教義であった。
ヴォルテールは特に無神論的な章句を取り除き、この神父を理神論者に仕立て上げた。
しかしながら、その世紀の終わりまでには、
自らを無神論者と呼ぶことに誇りを感じるような若干の哲学者たちが現われてきた。
もっとも彼らは、ごく僅かな少数者に留まったのだが。
これはまったく新しい発展であった。
それまでは「無神論者」という言葉は侮蔑語であり、
特に敵に投げつけるための汚い中傷の言葉であった。
スコットランドの哲学者、デイヴィッド・ヒュームは、
その新しい実証主義をその論理的帰結にまで一貫させた。
リアリティーに関する科学的説明を超えていく必要はなく、
我々の感覚経験の彼方に存在するような何ものかを信じる哲学的理由などない、
と言うのであった。
ヒュームは『自然宗教に関する対話』において、
宇宙のデザインから神の存在を証明しようとする議論を始末してしまい、
それが説得的ではない比喩的議論に基づいていると論じた。
人は、自然世界のなかに見られる秩序が知的な「監督」を指示している、
と論じうるかもしれないが、そうだとすれば、
悪や明らかな無秩序をどのように説明できるであろうか。
これには論理的答えなど存在しないのだ。
そして、この『対話』を1750年に書いたヒュームは、賢明にもそれを未刊のままに遺した。
ほぼその12ヶ月前に、フランスの哲学者、デニス・ディドローは、
『見える者たちの役に立つ見えない者の手紙』のなかで、
同じ質問をしたかどで投獄されていた。
この書は一般大衆に「成熟しきった無神論」を紹介していたのだ。
ディドロー自身は、無神論者であることを否定していた。
彼は単に神が存在しようがしまいがどうでもよいと言っていたのである。
この手紙の出版の三年前、
ディドローは、科学が、そして科学だけが無神論を論駁できると信じていた。
彼はデザインからの証明の印象的な新しい解釈を発展させた。
人々が宇宙の広大な運動を吟味する代わりに、
自然の底に横たわっている構造を調べてみるように彼は促した。
一粒の種や一匹の蝶や昆虫の組織は、あまりにも繊細であり、
とても偶然に起こったとは思えない。
デイドローは、理性が神の存在を証明できると、まだ信じていた。
ニュートンが宗教のすべての迷信や馬鹿らしさを取り除いてしまった、
奇跡を行なう神などは、我々が子供を怖がらせるのに使う怪物と同じなのである、と。
しかしながら、三年後には、ディドローは、ニュートンを疑うようになり、
外的な世界が神のために何かの証明を提供するということに、
もはや確信を持てなくなっていた。
神が新しい科学とはおよそまったく関係ないということを彼は明瞭に悟ったのだ。
ディドローの見解では、創造主の必要などなかった。
物質はニュートンやプロテスタントが想像したような受動的な卑しいものではなく、
それ自身の力学を持ち、それ自身の法則に従っているものであった。
我々が見えると思っている明らかなデザインに責任があるのは、
この物質の法則であって、「神という機械工」ではないのである。
物質以外には何も存在してはいないのだ。
ディドローはスピノザをさらに一歩先へ進めた。
自然以外に神はいないと言う代わりに、ディドローは、自然が存在するだけであり、
神などまったく存在しないのだと宣言した。
こういう信仰において彼は孤立してはいなかった。
エイブラハム・トレンブリー、ジョン・ターブヴィル・ニーダムのような科学者も、
創出的物質という原理を発見し、それが今や生物学、順微鏡検査、動物学、
博物学、地理学において一つの仮説として台頭しつつあった。
だが、神からの最終的な離反をしようとする者は僅かであった。
ポール・アンリやオルバック伯爵のサロンをしばしば訪れていた哲学者たちでさえ、
開放的で率直な議論を楽しみはしたが、無神論を公然とは支持しなかった。
これらの討論から、オルバックの著作、
『自然の体系、あるいは道徳的および物理的世界の諸法則』が生まれ、
無神論的唯物論の聖書として知られるようになった。
自然に取って替わるようなものは存在しない。
それは「不断に相互から流れ出る原因と結果の膨大な連鎖に他ならない」、
とオルバックは論じていた。
神を信じることは不正直であり、我々の真の経験の否定である。
それはまた絶望の行為である。
宗教は、人々が現世の生活の悲劇に対して慰めを与えるための他の説明を、
見出すことができなかったがゆえに、神々を想像したのだ。
彼らは宗教や哲学という想像上の慰めを欲し、恐怖や災害を払い除けようと、
劇の諸幕の背後に潜んでいると自ら想像した「作用主」を宥めようとしていたのだ。
アリストテレスは間違っていた。
哲学は知識を求める高貴な欲望の結果ではなく、
苦痛を避けようと渇望された憧れの結果だったのだ。
それゆえ、宗教の揺り篭は、無知と恐怖であり、
成熟し啓蒙された人間はそれを乗り越えねばならないのであった。
幸いにも、啓蒙主義は人類がこの幼児性から脱却するのを可能にしてくれる。
科学は宗教に取って代わるであろう。
「もし自然についての無知が神々を誕生させたのであれば、
自然の知識はそれらを破壊するように計画されているのだ。」
より高い真理だとか、根底に宿るパターンだとか、基本計画などは存在しないのだ。
自然それ自体が存在するだけなのである。
神は単に不必要であるばかりか、はっきりと有害である。
その世紀の終わりまでには、
ポール・シモン・ドゥ・ラプラスは物理学から神を追い出してしまった。
惑星の体系は大陽から発散させられ、次第に冷却しつつある光輝となった。
ナポレオンが彼に、「これを作り出した者は誰なのか」と質問したとき、
ラプラスは単にこう答えたのだった。「そういう仮説は必要ありませんでした」と。
キリスト教の神学者たちは、
神があたかも他のすべての物と同じように試験され分析されうるかのように、
神の客観的存在を証明しようと新しい科学に飛びついた。
ディドロー、オルバック、ラプラスはこういう試みを逆転させ、
より極端な神秘家たちと同じ結論に到達した。
「彼方には」何も存在しないのだ、と。
間もなく、他の科学者や哲学者が、神は死んだと勝利の宣言をしたのだった。
カレン・アームストロング「神の歴史」
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フォイエルバッハ、マルクス、ダーウィン、ニーチェ、フロイトらの支持者は多く存在しています。
彼らのような神殺しの哲学者が生まれてきた土壌は、
それ以前の啓蒙主義の時代にすでに醸成されていました。
この啓蒙主義時代の影響が、近代人特有の合理崇拝となって根強く残っているのです。
1729年に、模範的な生活を送っていた田舎の司祭、
ジャン・メスリエが無神論者として死んだ。
彼はメモワールを遺したが、ヴォルテールがそれを広めた。
これは人間に対する彼の嫌悪、
および神を信じることのできなさに対する彼の苛立ちを示していた。
メスリエはニュートンの無限の空間こそが唯一永遠のリアリティーであると信じた。
物質以外には何も存在しない。
宗教は富者が貧者を抑圧し、
彼らを無力な者にすることに利用しようと考案されたものであった。
キリスト教は特に、三位一体や受肉のような馬鹿げた教理によって際立っている。
彼のこのような神の否定は、哲学者にとってはあまりにもむずかしい教義であった。
ヴォルテールは特に無神論的な章句を取り除き、この神父を理神論者に仕立て上げた。
しかしながら、その世紀の終わりまでには、
自らを無神論者と呼ぶことに誇りを感じるような若干の哲学者たちが現われてきた。
もっとも彼らは、ごく僅かな少数者に留まったのだが。
これはまったく新しい発展であった。
それまでは「無神論者」という言葉は侮蔑語であり、
特に敵に投げつけるための汚い中傷の言葉であった。
スコットランドの哲学者、デイヴィッド・ヒュームは、
その新しい実証主義をその論理的帰結にまで一貫させた。
リアリティーに関する科学的説明を超えていく必要はなく、
我々の感覚経験の彼方に存在するような何ものかを信じる哲学的理由などない、
と言うのであった。
ヒュームは『自然宗教に関する対話』において、
宇宙のデザインから神の存在を証明しようとする議論を始末してしまい、
それが説得的ではない比喩的議論に基づいていると論じた。
人は、自然世界のなかに見られる秩序が知的な「監督」を指示している、
と論じうるかもしれないが、そうだとすれば、
悪や明らかな無秩序をどのように説明できるであろうか。
これには論理的答えなど存在しないのだ。
そして、この『対話』を1750年に書いたヒュームは、賢明にもそれを未刊のままに遺した。
ほぼその12ヶ月前に、フランスの哲学者、デニス・ディドローは、
『見える者たちの役に立つ見えない者の手紙』のなかで、
同じ質問をしたかどで投獄されていた。
この書は一般大衆に「成熟しきった無神論」を紹介していたのだ。
ディドロー自身は、無神論者であることを否定していた。
彼は単に神が存在しようがしまいがどうでもよいと言っていたのである。
この手紙の出版の三年前、
ディドローは、科学が、そして科学だけが無神論を論駁できると信じていた。
彼はデザインからの証明の印象的な新しい解釈を発展させた。
人々が宇宙の広大な運動を吟味する代わりに、
自然の底に横たわっている構造を調べてみるように彼は促した。
一粒の種や一匹の蝶や昆虫の組織は、あまりにも繊細であり、
とても偶然に起こったとは思えない。
デイドローは、理性が神の存在を証明できると、まだ信じていた。
ニュートンが宗教のすべての迷信や馬鹿らしさを取り除いてしまった、
奇跡を行なう神などは、我々が子供を怖がらせるのに使う怪物と同じなのである、と。
しかしながら、三年後には、ディドローは、ニュートンを疑うようになり、
外的な世界が神のために何かの証明を提供するということに、
もはや確信を持てなくなっていた。
神が新しい科学とはおよそまったく関係ないということを彼は明瞭に悟ったのだ。
ディドローの見解では、創造主の必要などなかった。
物質はニュートンやプロテスタントが想像したような受動的な卑しいものではなく、
それ自身の力学を持ち、それ自身の法則に従っているものであった。
我々が見えると思っている明らかなデザインに責任があるのは、
この物質の法則であって、「神という機械工」ではないのである。
物質以外には何も存在してはいないのだ。
ディドローはスピノザをさらに一歩先へ進めた。
自然以外に神はいないと言う代わりに、ディドローは、自然が存在するだけであり、
神などまったく存在しないのだと宣言した。
こういう信仰において彼は孤立してはいなかった。
エイブラハム・トレンブリー、ジョン・ターブヴィル・ニーダムのような科学者も、
創出的物質という原理を発見し、それが今や生物学、順微鏡検査、動物学、
博物学、地理学において一つの仮説として台頭しつつあった。
だが、神からの最終的な離反をしようとする者は僅かであった。
ポール・アンリやオルバック伯爵のサロンをしばしば訪れていた哲学者たちでさえ、
開放的で率直な議論を楽しみはしたが、無神論を公然とは支持しなかった。
これらの討論から、オルバックの著作、
『自然の体系、あるいは道徳的および物理的世界の諸法則』が生まれ、
無神論的唯物論の聖書として知られるようになった。
自然に取って替わるようなものは存在しない。
それは「不断に相互から流れ出る原因と結果の膨大な連鎖に他ならない」、
とオルバックは論じていた。
神を信じることは不正直であり、我々の真の経験の否定である。
それはまた絶望の行為である。
宗教は、人々が現世の生活の悲劇に対して慰めを与えるための他の説明を、
見出すことができなかったがゆえに、神々を想像したのだ。
彼らは宗教や哲学という想像上の慰めを欲し、恐怖や災害を払い除けようと、
劇の諸幕の背後に潜んでいると自ら想像した「作用主」を宥めようとしていたのだ。
アリストテレスは間違っていた。
哲学は知識を求める高貴な欲望の結果ではなく、
苦痛を避けようと渇望された憧れの結果だったのだ。
それゆえ、宗教の揺り篭は、無知と恐怖であり、
成熟し啓蒙された人間はそれを乗り越えねばならないのであった。
幸いにも、啓蒙主義は人類がこの幼児性から脱却するのを可能にしてくれる。
科学は宗教に取って代わるであろう。
「もし自然についての無知が神々を誕生させたのであれば、
自然の知識はそれらを破壊するように計画されているのだ。」
より高い真理だとか、根底に宿るパターンだとか、基本計画などは存在しないのだ。
自然それ自体が存在するだけなのである。
神は単に不必要であるばかりか、はっきりと有害である。
その世紀の終わりまでには、
ポール・シモン・ドゥ・ラプラスは物理学から神を追い出してしまった。
惑星の体系は大陽から発散させられ、次第に冷却しつつある光輝となった。
ナポレオンが彼に、「これを作り出した者は誰なのか」と質問したとき、
ラプラスは単にこう答えたのだった。「そういう仮説は必要ありませんでした」と。
キリスト教の神学者たちは、
神があたかも他のすべての物と同じように試験され分析されうるかのように、
神の客観的存在を証明しようと新しい科学に飛びついた。
ディドロー、オルバック、ラプラスはこういう試みを逆転させ、
より極端な神秘家たちと同じ結論に到達した。
「彼方には」何も存在しないのだ、と。
間もなく、他の科学者や哲学者が、神は死んだと勝利の宣言をしたのだった。
カレン・アームストロング「神の歴史」



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2008.12.15
形而上学
形而上学は、魅惑の学問です。
古代から現代にかけても尚、普遍のテーマであり続けてきました。
形而上についての人類のあくなき探求心は止むことはありません。
アリストテレスの再来、西田幾多郎博士はこう言われています。
形而上学がまとまった一つの体系として出来たのは、アリストテレスが始である。
もっとも形而上学の問題は、アリストテレス以前からあり、それは真実在を求めることであった。
形而上学とは真実在の学問である。
従って、形而上学とは狭義に解せば、存在そのものの学、即ち存在論であると言ってよい。
アリストテレスが、哲学者が問題とするのは存在そのものであるといったのはそれである。
アリストテレスは、普通に存在と呼ばれているものは、物質にせよ、魂にせよ、
皆特殊な存在であるのに反し、存在そのものを明かにしようとしたのである。
しかしアリストテレス自身は形而上学という言葉は使っていない。
アリストテレスはその代りに「第一哲学」という言葉を使っている。
ところが紀元前一世紀の頃、アンドロニコスがアリストテレスの著作を編纂した場合、
第一哲学にあたる部分を物理学の後に置いたところから、
第一哲学のことを「物理学の後なるもの」と呼び、
それからして単に物理学の後のもの、という以上に物理学以上のものということになり、
経験以上のもの、超感性的なものを対象とする学問を、広く形而上学と呼ぶに到ったのである。
従って形而上学とは、狭義には存在そのものの学、即ち存在論であるが、
広義では宇宙論や神学をも含み、超感性的なものの学を意味するのである。
そして形而上学とはかかるものとして哲学の中心をなすと考えられ、カントにまで来たのである。
ところがカントに到って、
形而上学がはたして学として可能であるかどうかということが問題とされた。
カントはこう考えた。
我々の認識はすべて先験的形式によって感覚的内容を統一したものである。
従って経験的認識を構成する先験的形式即ち範畴を、
経験以上のものについて、当てはめることはできまい。
ところが形而上学が明かにしようとするところは、『実在は一であるか多であるか』、
『神は存在するかしないか』、というような経験以上の事柄であるから、
かかる経験以上の問題について経験の範畴を引伸して論ずることは不可能である。
そのようなことをすれば、例えば世界には始があるともいえ、
また始がないともいうような二律背反に陥る。
つまり形而上学は、二律背反に陥るから形而上学は学としては不可能である。
これがカントが彼の「先験的弁証論」で主張するところなのである。
かくて近代の哲学は、形而上学は不可能であるという傾向に傾いてきている。
しかし、私は必らずしもそうとは考えない。
なるほどカント以前の形而上学はカントによって壊されたかも知れぬが、
実在ということの考え方如何によっては、形而上学はやはり可能だと思う。
カントにも物自体という考は残っているのであり、
我々が何ものかを知るという時に、知られる何ものかがなければならない。
認識論よりも形而上学が先決問題だといってよい。
スピリチュアリズムのロッチェなぞも、そのように考えている。
古い形而上学は成立しないかも知れないが、
存在そのものの学としての形而上学は成立し得ると思う。
私は究極の実在は、単に動的なものとも、単に静的なものとも考えない。
哲学の最後の立場は、動的モニズムと静的モニズムが結びつくところにあると考える。
真の実在は、どこまでも動的に発展すると共に、
またどこまでも静的に不変不動のものである。
真の生命は、単にベルグソンのいう如く無限に流れるだけのものではなく、
同時にあくまでも流れないものである。
ヘーゲルは余程そうした趣を示しているが、観念的に終っている。
では、それはどのように考えたらよいか。
それは非常に難しいことであるが、
私はアリストテレスの形而上学がよい手引になると考える。
「哲学概論」
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古代から現代にかけても尚、普遍のテーマであり続けてきました。
形而上についての人類のあくなき探求心は止むことはありません。
アリストテレスの再来、西田幾多郎博士はこう言われています。
形而上学がまとまった一つの体系として出来たのは、アリストテレスが始である。
もっとも形而上学の問題は、アリストテレス以前からあり、それは真実在を求めることであった。
形而上学とは真実在の学問である。
従って、形而上学とは狭義に解せば、存在そのものの学、即ち存在論であると言ってよい。
アリストテレスが、哲学者が問題とするのは存在そのものであるといったのはそれである。
アリストテレスは、普通に存在と呼ばれているものは、物質にせよ、魂にせよ、
皆特殊な存在であるのに反し、存在そのものを明かにしようとしたのである。
しかしアリストテレス自身は形而上学という言葉は使っていない。
アリストテレスはその代りに「第一哲学」という言葉を使っている。
ところが紀元前一世紀の頃、アンドロニコスがアリストテレスの著作を編纂した場合、
第一哲学にあたる部分を物理学の後に置いたところから、
第一哲学のことを「物理学の後なるもの」と呼び、
それからして単に物理学の後のもの、という以上に物理学以上のものということになり、
経験以上のもの、超感性的なものを対象とする学問を、広く形而上学と呼ぶに到ったのである。
従って形而上学とは、狭義には存在そのものの学、即ち存在論であるが、
広義では宇宙論や神学をも含み、超感性的なものの学を意味するのである。
そして形而上学とはかかるものとして哲学の中心をなすと考えられ、カントにまで来たのである。
ところがカントに到って、
形而上学がはたして学として可能であるかどうかということが問題とされた。
カントはこう考えた。
我々の認識はすべて先験的形式によって感覚的内容を統一したものである。
従って経験的認識を構成する先験的形式即ち範畴を、
経験以上のものについて、当てはめることはできまい。
ところが形而上学が明かにしようとするところは、『実在は一であるか多であるか』、
『神は存在するかしないか』、というような経験以上の事柄であるから、
かかる経験以上の問題について経験の範畴を引伸して論ずることは不可能である。
そのようなことをすれば、例えば世界には始があるともいえ、
また始がないともいうような二律背反に陥る。
つまり形而上学は、二律背反に陥るから形而上学は学としては不可能である。
これがカントが彼の「先験的弁証論」で主張するところなのである。
かくて近代の哲学は、形而上学は不可能であるという傾向に傾いてきている。
しかし、私は必らずしもそうとは考えない。
なるほどカント以前の形而上学はカントによって壊されたかも知れぬが、
実在ということの考え方如何によっては、形而上学はやはり可能だと思う。
カントにも物自体という考は残っているのであり、
我々が何ものかを知るという時に、知られる何ものかがなければならない。
認識論よりも形而上学が先決問題だといってよい。
スピリチュアリズムのロッチェなぞも、そのように考えている。
古い形而上学は成立しないかも知れないが、
存在そのものの学としての形而上学は成立し得ると思う。
私は究極の実在は、単に動的なものとも、単に静的なものとも考えない。
哲学の最後の立場は、動的モニズムと静的モニズムが結びつくところにあると考える。
真の実在は、どこまでも動的に発展すると共に、
またどこまでも静的に不変不動のものである。
真の生命は、単にベルグソンのいう如く無限に流れるだけのものではなく、
同時にあくまでも流れないものである。
ヘーゲルは余程そうした趣を示しているが、観念的に終っている。
では、それはどのように考えたらよいか。
それは非常に難しいことであるが、
私はアリストテレスの形而上学がよい手引になると考える。
「哲学概論」



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2008.12.12
根本問題
古来より、人間の「霊魂」に関する論議は、哲学の根本問題でありました。
それは、今においても、変わりありません。
その探求をタブーとするのは、死という厳粛な事実から逃げているだけです。
逆に、死に解答を与えない哲学などは、不完全なものだと言えるのです。
この問題について、明治期の仏教哲学者はこう論じています。
人もし、宗教とは有限と無限との交渉なり、
哲学とは科学以上の科学なり、なんどいう説明を聞くならば、
非常にいかめしく、難しきことの様に思うなるべし。
されど、西洋思想界の源泉たるギリシアの賢哲アリストテレスは、
「哲学の起りは驚きに在る」と言い、東洋思想界の根拠たる印度の論師、
世親は、その著『倶舎論』において、「恐怖、神を生ず」と称す。
げに人間の知識は、もとより限りあるものにて、今日二十世紀の世にても、
分らぬことは尚、依然として分からぬものにて、或る哲学者が言いし如くに、
未知の標木たるXは、追々に遠くまで払い除けらるべけれど、Xは依然としてXとして存在す。
まして原始の人類には、地震も不思議なり、雷の轟くも不思議なり、電光の閃くも不思議なり。
日輪の光り、星月の耀き、河の流れ、海の広き、草木の生長、猛獣のさまよい、
一として不思議の感を惹かざるはなし。
されど一たび外界に放てる眼を転じて、これを内面、自個六尺の身中に反映し自省し来るとき、
不思議以上の不思議として円転捕捉すべからざる心を認め来る。
古歌に「心より妙なるものは何かあると、心に問へば心なりけり」と詠じける如く、俄然として、
心の主人を認め、これの主人は、死に依りて如何になるべきかの恐怖の思いに襲わる。
ショウペンハウエルは言う、「霊魂の考究は哲学の基礎なり」と。
仏陀は言う、「愚痴の凡夫は、畏るべきこと無きの処に於いて、しかも恐怖を生ず」と。
哲学と言い、宗教と言う、全く霊魂問題の討究より起りて、
満足なる答弁を与えんと苦心するに過ぎずというべし。
妻木直良「霊魂論」
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それは、今においても、変わりありません。
その探求をタブーとするのは、死という厳粛な事実から逃げているだけです。
逆に、死に解答を与えない哲学などは、不完全なものだと言えるのです。
この問題について、明治期の仏教哲学者はこう論じています。
人もし、宗教とは有限と無限との交渉なり、
哲学とは科学以上の科学なり、なんどいう説明を聞くならば、
非常にいかめしく、難しきことの様に思うなるべし。
されど、西洋思想界の源泉たるギリシアの賢哲アリストテレスは、
「哲学の起りは驚きに在る」と言い、東洋思想界の根拠たる印度の論師、
世親は、その著『倶舎論』において、「恐怖、神を生ず」と称す。
げに人間の知識は、もとより限りあるものにて、今日二十世紀の世にても、
分らぬことは尚、依然として分からぬものにて、或る哲学者が言いし如くに、
未知の標木たるXは、追々に遠くまで払い除けらるべけれど、Xは依然としてXとして存在す。
まして原始の人類には、地震も不思議なり、雷の轟くも不思議なり、電光の閃くも不思議なり。
日輪の光り、星月の耀き、河の流れ、海の広き、草木の生長、猛獣のさまよい、
一として不思議の感を惹かざるはなし。
されど一たび外界に放てる眼を転じて、これを内面、自個六尺の身中に反映し自省し来るとき、
不思議以上の不思議として円転捕捉すべからざる心を認め来る。
古歌に「心より妙なるものは何かあると、心に問へば心なりけり」と詠じける如く、俄然として、
心の主人を認め、これの主人は、死に依りて如何になるべきかの恐怖の思いに襲わる。
ショウペンハウエルは言う、「霊魂の考究は哲学の基礎なり」と。
仏陀は言う、「愚痴の凡夫は、畏るべきこと無きの処に於いて、しかも恐怖を生ず」と。
哲学と言い、宗教と言う、全く霊魂問題の討究より起りて、
満足なる答弁を与えんと苦心するに過ぎずというべし。
妻木直良「霊魂論」



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2008.12.01
観念論の勝利
およそ哲学は、
観念論と唯物論の二つに分けられるといわれています。
しかし、唯物論は量子論の発見によって成り立たなくなってしまいました。
物理学者ハイゼンベルク博士はこう言っています。
「唯物論的存在論は、われわれを取り巻く世界の直接的現実性といった種類の存在が、
原子領域にも延長できるという幻想の上に立っている。原子は物ではない。」
観念論は勝利したのです。
十八世紀には、ニュートンの時計仕掛けの力学が成果を広げるにつれて、
多くの哲学者は生命、心、精神を含めたすべての現象は究極的には、
複雑な機械の型として説明されると信じがちだった。
アイルランド南部のクロインの僧正ジョージ・バークリーは科学的唯物論に激怒し、
独自の強力な哲学的見解でそれに反論した。
バークリーは、心は物質の一形態ではなく、その逆だと論じた。
物質は誰かの知覚として以外には、存在さえしていないのである。
絶対的存在は心―神の心、人間および他の霊的存在の心―だけに属する。
あらゆる形態の物質は物質、光、地球、および星を含めて、
誰かの心がそれを意識していることによってのみ存在する。
バークリーの哲学―事物に対する観念の一次性を強調しているために、
「観念論」と名づけられた。―では、心それ自体か、
あるいは心に知覚されているもの以外には、何も存在しない。
「存在するとは知覚されることである」というのが、
この物質に関するアイルランドの僧正のモットーだった。
「世界の壮大な枠組みを構成しているあの物体のすべては、心なしには存在をもたない。」
ニック・ハーバート「量子と実在」
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観念論と唯物論の二つに分けられるといわれています。
しかし、唯物論は量子論の発見によって成り立たなくなってしまいました。
物理学者ハイゼンベルク博士はこう言っています。
「唯物論的存在論は、われわれを取り巻く世界の直接的現実性といった種類の存在が、
原子領域にも延長できるという幻想の上に立っている。原子は物ではない。」
観念論は勝利したのです。
十八世紀には、ニュートンの時計仕掛けの力学が成果を広げるにつれて、
多くの哲学者は生命、心、精神を含めたすべての現象は究極的には、
複雑な機械の型として説明されると信じがちだった。
アイルランド南部のクロインの僧正ジョージ・バークリーは科学的唯物論に激怒し、
独自の強力な哲学的見解でそれに反論した。
バークリーは、心は物質の一形態ではなく、その逆だと論じた。
物質は誰かの知覚として以外には、存在さえしていないのである。
絶対的存在は心―神の心、人間および他の霊的存在の心―だけに属する。
あらゆる形態の物質は物質、光、地球、および星を含めて、
誰かの心がそれを意識していることによってのみ存在する。
バークリーの哲学―事物に対する観念の一次性を強調しているために、
「観念論」と名づけられた。―では、心それ自体か、
あるいは心に知覚されているもの以外には、何も存在しない。
「存在するとは知覚されることである」というのが、
この物質に関するアイルランドの僧正のモットーだった。
「世界の壮大な枠組みを構成しているあの物体のすべては、心なしには存在をもたない。」
ニック・ハーバート「量子と実在」



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