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2010.12.26 人類の進歩
まだ知られていない事情(カルマ的規定)のために、
自分の人生をたった一つの目的に捧げる、
偉大な思想家が時たま現れる。
その人達は人類の進歩を予期することができ、
重要な結果をもたらす宗教や哲学をつくることができる。
しかし、歴史をひもとけば、
新しい意見の源は、一人の人間にあるかもしれないが、
その新しい意見をつくり出したあとの結果は、
それが広められている国民の状態によることは明白だろう。
もしある宗教と哲学とが、
ある国で国民の意識と比べてあまりにも先んじていると、
人々の心がそれを受けとれるほどに熟すまでは、
それらは当面の役に立つことはできず、
時を待たなければならない。
どの科学にも、どの宗教にも殉教者がいた。
歴史の普通の成り行きによれば、
ニ、三世代が過ぎて行くと、
次にこうした真理が当たり前な事実と見なされる時が来る。
それから少したつと、別の時代が来て、
そうした真理は必然的であると宣言され、
最も頭の悪い人達でさえも、
どうして昔の人々はそれを否定したのか、
いぶかることになる。


H・J・バックル「英国文明史」




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霊的な力を、完全に無視してなりたっているのが、現代人の世界観であります。

「テクノロジーでもって観測できないものは、存在しないのである」と・・・

霊的な思想を打ち立てたシュタイナーが、

もし、現代日本の状況をみたならば、

「国民全体が精神病院で教育されている」と思うことでしょう。




現代では、科学は宗教からまったく独立しており、
科学的探究について語られるときは、
人々は宗教生活に目もくれません。
昔は、そうではありませんでした。
キリスト教の初期のころも、そうではありませんでした。
人々は宗教と科学を、一緒に受け取りました。
祭司と教師がいたのではなく、祭司が同時に教師でした。 
特に密儀において、そうでした。
まず、人間は自然の存在である、と見られました。
物質的な人間は、自然の力に助けられて、
母体から生まれることによって、自然存在なのです。
自然の力が人間のなかで活動している、と人々は思いました。
私が物質的な人間が、
どのように発生するかを観察するときに見出す力は、
外で木が生長するのを見るときに見出される力でもあり、
水が蒸発するときに存在する力、
雨が降るときに存在する力でもあります。
自然の力です。
古代の人々は、この自然の力の背後に霊的な力を見ました。
自然のいたるところに、霊的な力が活動しています。
山のなかで水晶が発生し、石ができるとき、
霊的な力が活動しています。
春に植物が芽生えるとき、
霊的な力が活動しています。
水が蒸発して雲ができ、雨が降るとき、
霊的な力が活動しています。
それと同じ霊的な力が、
胎児が母体のなかで成長するときに活動しています。
血液が血管を流れ、人間が息を吸ったり吐いたりするときも、
同じ霊的な力が活動しています。
自然のなかに見られる霊、人体のなかにも見られる霊のなかに、
人々は「父原則」を見ました。
自然科学が同時に宗教だったからです。
「密儀において最高の霊光を体験した者は、父なる霊の模像である。
その人は自然のなかに存在するものすべてについて詳しく知っている」と、
人々は言いました。


ルドルフ・シュタイナー「神仏と人間」




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2010.09.28 唯物論の限界
霊界は非物質の世界です。

この世の物質世界とは、次元が違うとも言えます。

この霊界は、ピラミッド構造になっており、
上の世界にいくほど、霊人口が少なくなっていきます。

このことは、仏教の十界思想でも説かれています。

近代では、神智学などでも説明されています。

物質科学の観点から、霊界を推し量ろうとしても、無理なのです。

哀れな科学者は、この世を包む広大無辺な霊界を、いまだに証明できていません。

まるで、仏教の「群盲象を撫ず」です。




リピカ(記録天使)と言われる霊は、
私達が大ざっぱに「天上界に生きる者」である。
しかし、実際は、彼等は単なる「天上界に生きる者」ではない。
存在のヒエラルキアの高級世界の実在であり、
私達より測り知れないほど高いので、
私達には神々、あるいは集団的に神のように見えるのである。

しかし、独自の能力によって、物事を推理する蟻にとっては、
私達、死すべき人間も神のように見えるであろう。
数週間―それは昆虫の生涯には人生の数年のような長い期間だが―、
数週間の労力の結果である自分の蟻塚が、
全くのいたずらから、一瞬に、ある腕白小僧に破壊されると、
蟻はことによったら、それが人格神の報復の手と思うかもしれない。
激しく心を痛め、その受けるはずのない不幸を天意と罪悪のせいにして、
人間と同様に、それを最初の蟻の原罪の結果だと考えるかもしれない。
誰にそれが分かるだろうか?
誰が断言したり、否定することができるだろう。

全太陽系には、人間レベルの理性と知性の持ち主は、
私達以外にはあり得ないという主張は、この時代の慢心の最大の現れである。
科学が断言できるのは、
私達と同じ条件の下に生きている目に見えぬ知性ある存在はない、ということだけである。
私達の世界の諸状態と全く違う状態の下で、
世界の中に世界がある可能性をきっぱり否定することはできず、
そうした世界のあるものと私達の世界との間の限られた接触の可能性も否定できないであろう。

最高の世界には、純粋に神聖な霊達があると、私達は教えられる。
より低い世界は、たまに人間には見えたり、
聞こえたりすることのあるヒエラルキアに属している。
彼等は実際に、地球上にいるその子孫(人間)と連絡することもある。
人間の各本質の直接の起源は、それらの大実在の性質の中にあり、
彼等は、私達の中の目に見えない要素それぞれを私達に与えるので、
私達と切り離せないように結びついている。

生きものの生理的な働きについて推測し、
私達の精神的及び霊的な感情と感覚が、その無機媒体の機能によるにすぎない、
と証明しようとする無駄な試みを続けるのは、物理科学の勝手である。
だが、その方向で成就できるものは、すでに成就されてしまっており、
科学は、その先には進まないであろう。
科学は乗り越えられない障壁に面し、
そこで偉大な生理学的、心理学的な発見をしているように思っているが、
時がたつと、それはみな科学的な夢想や幻想にかけられた蜘蛛の巣にすぎないことが分かる。
生理学の分析と研究の役に立つのは、私達の客観的な体の組織だけである。


H・P・ブラヴァツキー「シークレット・ドクトリン」




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〈第一条〉 
人は人としての品位を高め、知識と人格をみがき、
ますますその光輝をあらわすことを本分としなければならない。
私たち同志の男女は、独立自尊の主義ということを、身を修める方法、生きてゆく手段とし、
このことを常に心にとどめ、人としての本分を成しとげるべきものである。
〈第二条〉 
心身の独立を成しとげ、自分自身を尊重して、
人としての品位を汚さないもの、これを独立自尊の人という。
〈第三条〉 
自分で労働し、自分で食べていくということは、人生独立の根源である。
独立自尊の人は、自労自活の人でなくてはならない。
〈第四条〉 
身体を大切にして健康を保つことは、
人間が活動を続けるために欠くことのできない重要なつとめである。
常に心身を快活にし、けっして健康を害する不養生があってはならない。
〈第五条〉 
天寿を全うすることは人の本分をつくすことである。
原因や事情がどうであるかを問わず、自ら生命を絶つことは、
独立自尊の主旨に反する、道理にそむいた卑怯な行為であって、最も見下すべきことである。
〈第六条〉 
物事を思い切って行なう、活発で我慢強い不屈の精神でもって行なうのでなければ、
独立自尊の主義を実現できない。
人は進取の心をしっかりと守る勇気を欠いてはならない。
〈第七条〉 
独立自尊の人は、自分自身の行動・進路を他に依頼しないで、
自分で思慮し判断する知力を持たなければならない。
〈第八条〉 
男尊女卑は野蛮で悪い風習である。
文明の男女は同等同位、互いに敬愛しあって、
各人その独立自尊を完全なものにさせるべきだ。
〈第九条〉 
結婚は人生の重大事であるから、配偶者の選択は最も慎重でなくてはならない。 
一夫一婦が終生ともに住み、敬愛しあって、
互いに独立自尊を犯さないのは、道徳のはじめである。
〈第十条〉 
一夫一婦の間に生まれた子供は、
その父母のほかに父母はなく、その子供のほかに子供はない。
親子の愛は真に純粋な親愛であって、これを傷つけないのは一家の幸福の基礎である。
〈第十一条〉 
子供もまた独立自尊の人であるが、
幼いころには、父母は子供の教育と養育の責任を負わなければならない。
子供は、父母の訓戒にしたがって熱心に勉学にはげみ、
成長の後、独立自尊の男女として世に立つ素養をつくるべきものである。
〈第十二条〉 
独立自尊の人であることを決意するなら、男女共に、成入した後も、
みずから学問につとめ、知識を開発し、徳性をみがく心がけを怠ってはならない。
〈第十三条〉
一家から、いくつかの家へと、しだいに集まって社会の組織を形成する。
健全な社会の基礎は、一人一家の独立自尊にあると知るべきである。
〈第十四条〉
社会共存の道は、各人がみずから権利を護り幸福を求めると同時に、
他人の権利や幸福を尊重して、けっしてこれを犯すことなく、
自他の独立自尊を傷つけないことにある。
〈第十五条〉
うらみをいだき、仕返しをするのは、野蛮で悪い風習であり、卑劣な行為である。
恥辱をはらし、名誉をまっとうするには、私心のない手段を選ぶべきである。
〈第十六条〉 
人は自分が従事する業務に忠実でなければならない。
業務の大小軽重を問わず、少しでも責任を怠るものは、独立自尊の人ではない。
〈第十七条〉 
人と交際するには信をもってすべきだ。
自分が人を信じて、人もまた自分を信じる。
各人がお互いに信じてはじめて、自他の独立自尊を本当のものにできるのだ。
〈第十八条〉 
礼儀作法は、敬愛の気持ちを表す人間交際上の必要品であるから、
けっして、なおざりにしてはならない。
ただ、過不足のないことが求められるだけだ。
〈第十九条〉 
自己を愛する心をおしひろめて他人に及ぼし、他の人の悩みと苦しみを軽減し、
幸福と利益を増進する努力をするのは、博愛の行為であって、人間の美徳である。
〈第二十条〉 
博愛の心は、同類の人間に対する場合にとどまるべきではない。
鳥獣を虐待し、または無益の穀生をするようなことは、いましめるべきことである。
〈第二十一条〉 
文芸の心得は、人の品性を高め、精神をたのしませ、大きくするため、
社会の平和を助け、人生の幸福を増すものである。
これまた人間の重要な仕事の一つだと知るべきだ。
〈第二十二条〉 
国があれば必ず政府がある。
政府は政令を行い、軍備を設け、一国の男女を保護して、
その身体、生命、財産、名誉、自由を侵害させないことを任務とする。
こういうわけで、国民は軍事にしたがい、国費を負担する義務がある。
〈第二十三条〉 
軍事にしたがい国費を負担するのだから、国の立法に参与し国費の用途を監督するのは、
国民の権利であって、また義務でもある。
〈第二十四条〉 
日本国民は男女を問わず、国の独立自尊を維持するためには、
生命・財産をかけて敵国と戦う義務があることを忘れてはならない。
〈第二十五条〉 
国法にしたがうことは国民たるものの義務である。
単に国法にしたがうだけでなく、進んでその執行を助け、
社会の秩序安寧を維持する義務があるのだ。
〈第二十六条〉 
地球上に国家の数は少なくないが、それぞれ、宗教、言語、習俗が違う。
とはいえ、それらの国の人々は、ともに同類の人間であるから、
これと交際するには、少しも軽重・厚薄の別があってはならない。
自分だけ尊大な態度をとって他国人を蔑視することは、独立自尊の趣旨に反するものである。
〈第二十七条〉 
我々現代の人間は、前代の先人から受け継いだ社会の文明と幸福と利益を増進し、
後世の子孫に伝えるという義務を尽くさなければならない。
〈第二十八条〉 
人が世に生まれると、賢愚、強弱の差が出ないわけにはいかない。
強く賢い者の数を増やし、弱くおろかな者の数を減らすのは教育の力である。
教育は人に独立自尊の道を教えて、自らこれを実践する方法を啓発するものである。
〈第二十九条〉 
私たち同志の男女は、自分でこの要領を心にとどめるだけでなく、
これを広く社会全般に及ぼし、天下万民をともに引き連れて、
最大幸福の域に進むことを決意するものである


福沢諭吉「修身要領」




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日本人には好戦的な西洋人のことが理解できません。

その理解への鍵は、どうやら、このあたりにありそうです。




イギリス王室関係者によると、
「ロスチャイルド家、ブッシュ家、ロックフェラー家などの人たちは混乱して、
最近まで、今の世の中の状況をわかっていなかった」そうだ。
こういう状態だから、彼らの考えていることを暴露する内部告発がどんどん出てくる。
その考え方は、一般人と非常にかけ離れていて、
さらに洗脳された一般の欧米人とも全然違う。
アジア人や他の人種の観点からすると、
彼らの考え方は馬鹿らしく思えるかもしれないが、
彼ら自身にとっては真実そのものなのだ。
彼らの信じている歴史は、我々が教えられてきた内容とはかなり違う。
しかし、CIAの幹部や、ロックフェラーの「Ninjya」と名乗る人物や、
インターネットに情報を書き込んでいる人たちは、その歴史は真実だという。
彼らの歴史物語が真実かどうかは別にして、
欧米を支配してきた「ファミリー」の精神状態を理解することが鍵となる。

この人たちの歴史観では、
文明は少なくとも7万年前から存在し、
地球人は、もともと動物に近い生き物だった。
人間に近い宇宙人が、その遺伝子を変えて、
人類を自分たちの奴隷(家畜)にしてしまったというのだ。

この「ファミリー」は、アトランティス大陸が崩壊する前から、人類を支配しているという。
ファミリーのメンバーが各分野(軍、学術、精神世界、科学、政府)を指導しており、
もちろん、金融とマスコミの支配も「ファミリー」のものという考え方で、
彼らの権力は絶対的であるという。
その「ファミリー」の頂点は、イギリス王室や他の国家の王室ではなく、
本当の頂点に立つ者が誰であるかは秘密になっているという。
ただし、「ファミリー」の中には、よい神様を信仰している人たちと、
悪い神様(悪魔・ルシファー)を信仰している人たちがいる。

ベンジャミン・フルフォード「日本を貶めた闇の支配者が終焉を迎える日」




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人間として前途への希望がなくてはならない。
希望がなければ世の中に努力する者はいない。
明日の幸福を望むことで今日の不幸を慰めることができる。
来年の楽しみを望むことで今年の苦しさを忍ぶことができる。
昔は、世の物事はすべて古いしきたりに支配されて、
志ある人でも、希望を持てる目標がなかったが、
今はそうではなく、この制限を一掃して後は、
まるで学生のために新世界を開いたかのように、
天下のいたるところに仕事をなす場がある。
農民となり、商人となり、学者となり、役人となり、
書物を著し、新聞紙を書き、法律を講義し、芸術を学び、
工業も起こすことができ、議会を開くこともでき、
種々の方面の事業について、してはいけないものはない。
しかも、この事業を行って、
国中の仲間どうしが喧嘩をするというわけではない。
その知恵を争う相手は外国人である。
この知恵の戦いで優位に立てば、
我が国の地位は高まるだろうし、
負ければ落ちるだろう。
希望は大きく、期待することは明らかであると言えよう。
もちろん天下の事業を現実に実行するには早い遅いがあるだろう。
とはいえ、どうしてもこの国に不可欠の事業については、
人々はそれぞれの長所を生かして今から研究しなくてはならない。
かりにもこの世に生きていく者としての義務を知る者は、
この時に臨んで傍観していてよいはずがない。
学生は努力しなければならない。
このことによって考えると、
今の学問する者は決して普通の学校教育で満足してはならない。
志を高く遠く持って学術の本来の姿に達し、
不羈独立、他人に頼らず、
もし、同じ志の友人がいなければ、 
一人でこの日本国を維持するのだという気力を養い、
世のために尽くさなければならない。


福沢諭吉「学問のすすめ」




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2010.03.28 造化の妙工
天地の万物で、一つとして人間の役に立たないものはない。 
一粒の種をまくと二、三百倍の実を生じ、
深山の樹木は育てないのによく成長し、
風によって風車を動かすことができ、
海は運送に役立てることができ、
川や海の水を汲んで火をつけて蒸気をつくると、
重くて大きな汽船や汽車を自由に進退させることができる。
このほか、
造化の妙工(神がつくった自然のすぐれた仕組み)を数えると、
枚挙にいとまがない。
人はただこの造化の妙工のおかげをこうむって、
わずかにその様子を変化させて利益を得ているのだ。
だから人間が衣食住を得るのは、
すでに造化の手で九十九パーセントの調理をしたものに、
人力で一パーセントを加えるだけのことなので、
人はこの衣食住をつくると言うことはできず、
実際は道端に捨てられているものを、
拾い取るようなものであるにすぎない。


福沢諭吉「学問のすすめ」




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2010.03.26 教育者は語る
人生は一年のように過ぎ、
一年は一時間の如く過ぎる。
すべては変化し、すべては亡びる。
神のみが、また神の姿に似せて作られた人間のみが、
永遠に存する。
人間は彼がその中にもっている神性、
即ち神の愛と人の愛によってのみ人間であり不死である。
人間がこの自己の中にある神的なるもののために生きる時、
凡ゆる彼の能力、凡ゆる彼の感情が、
神への愛によって生命を与えられる時、その時にこそ、
彼は時と年とが永遠の一部として過ぎ行くと観ずる。

あらかじめ建てられた、
確実な神の調和の中に活動する木の基本的な部分が、
すべて協力して、その力の最後の産物、
果実を形作るために働くと同様、
人間にあっても明白ではあるが、
人間の有機体の見えざる精神によって結合され、
信と愛との神的調和の中に活動する知識、
能力、意欲の全機能がすべて協力して、
肉と血から区別される内的存在、
正義と神聖の永遠の存在、
天なる父が完全なる如くに完全になるために、
神の姿に似せて創られたる人間を形作ろうとして働くのである。

生命を作るのは精神であり、肉は何の役にも立たぬ。
人間の精神は、特別なある力に存するのではない。
それは人の手の中に存するのではなく、脳の中に存するのでもない。
そのあらゆる力、現実の有能な力の結合する点は、
人の信と愛との中にある。
心のこの力、信と愛とは、不死の人間を作り上げるために、
根が木を作り上げるためになすことをなすのである。

ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチ




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2010.03.23 独立の気力
国の文明は形では評価できない。
学校といい、工業といい、陸軍といい、海軍というのも、
すべて文明の形にすぎない。
この形を作るのは難しくなく、単にお金で買える。
だが、ここにまた別の、無形のものがある。
このものは、目に見えず、耳で聞けず、
売り買いも貸し借りもできないが、
国民の間にすみずみまで存在し、その作用はとても強い。
これがなければ、
そうした学校などの文明の形も実際の役に立たない。
まことに、これは文明の精神というべき、この上なく大事なものだ。
そのものとは何か。
国民の「独立の気力」である。

総じて世間の事物は、
進歩しないものは必ず退歩し、退歩しないものは必ず進歩する。
進歩も退歩もせずに停滞するものはあるはずがない。
今の日本の状態を見ると、文明の形は進歩しているように見えるが、
文明の精神である国民の気力は日々に退歩に向かっている。

文明の事業を行うのは民間人であり、
文明を守る者は政府である。
そうであってこそ、一国の民は文明を自分のものとして持ち、
文明を競争し、他をうらやんだり自ら誇ったりし、
国に一つ良いことがあると、
全国の人々は手を打って快哉を叫び、
ただ外国に先を越されることを恐れるだけという状態になる。
このため、文明の事物はすべて国民の気力を増す道具となり、
何事も国家の独立の助けとなる。

商売に励め。
法律を論議せよ。
工業を起こせ。
農業を促進せよ。
著述し、翻訳し、新聞を刊行せよ。
およそ文明の事業はすべて自分の役割と考え、
国民の先頭に立って政府と助け合うべきだ。
政府の力と民間の力とが釣り合って、国全体の力を増し、
現在の弱々しい独立を、ゆるぎない基礎の上に置き、
外国と競争して一歩も譲ることのない状態にしよう。


福沢諭吉「学問のすすめ」




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2010.03.18 左翼の嘘
左翼は、何かと福祉国家モデルとしてスウェーデンを挙げますが、その負の部分は隠しています。

気をつけましょう。

コピペ
Happiness Letter99

皆さま、おはようございます!
子ども手当と高校無償化の両法案は衆院本会議で、
与党3党と公明、共産両党などの賛成多数で可決しました。
この件について、黒川白雲政調会長よりメッセージをお届け致します。
☆゜・:.。. .。.:・゜

【黒川白雲政調会長寄稿】
『福祉国家の闘い』(武田龍夫著、中公新書刊) に「福祉国家」スウエーデンの影について、
次のようなエピソードが述べられています。
------
一世紀を生きてきた老人に大学生が尋ねた。
「お爺さんの一生で何がもっとも重要な変化でした?」と。
彼は二度の世界大戦か原子力発電か、あるいはテレビ、携帯電話、
パソコンなどの情報革命か、それとも宇宙衛星かなどの回答を予測した。

しかし老人の回答は彼の予想もしないものだった。

「それはね──家族の崩壊だよ」。
------
民主党が目指しているスウェーデン型「福祉国家」は、
果たして人間にとって「理想的な社会」なのでしょうか?

スウェーデンは犯罪の増加に悩んでおります。
日本とスウェーデンの犯罪発生率を比較すると、刑法犯は日本の17倍、
強盗は100倍、未成年の服役率は10倍を上回っています。
こうした国民道徳の崩壊の原因として「家族の崩壊」による教育の荒廃が指摘されています。

「子どもは社会全体で育てるものだ」と宣言し、実践に移した国家指導者が過去4人います。
レーニン、ヒトラー、金正日、鳩山由紀夫の4人です。
レーニンは親の介入を排除した共産党管理の育児の社会化実験、
ヒトラーはナチス党完全管理の(親にも合わせない)子供教育実験を行っています。

「子どもは社会全体で育てる」という思想は「国家社会主義」(全体主義)の理想型なのです。

今、外国人参政権法案、人権擁護法案等の「国家解体法案」に対して、
保守系から強い反対の声が上がっていますが、
子ども手当、高校無償化、扶養控除廃止、
夫婦別姓等は「家族解体法案」とも言うべき法案です。

消費税増税による「スウェーデン方式」の年金制度改革は、
家族や地域、宗教が高齢者の面倒を見るのではなく、
「国家」が高齢者の面倒を見る社会へと完全転換しようとしています。

全体主義の特徴は家族、企業、宗教、地域、国家等の共同体を解体し、
「一党独裁体制」を敷くことにあります。
そして、個人をバラバラで無力な「原子」へと解体することを「解放」と呼んでいるのです。

福島瑞穂社民党党首は、自身が婚姻届を出さない「事実婚」を実践し、
著書で次のように述べています。
「私は、子供が18歳になったら『家族解散式』というのをやろうと思っていて、
それ以降は…名実共に個人単位で暮らしていきたい…
家族も個人のネットワークなんだ。」

今、子ども手当、高校無償化を突破口に「家族の解体」、
個人の「国家依存体質の強化」という「全体主義」が鎌首をもたげんとしています。

保守思想の根底には「家族の重視」があります。
サッチャー元首相やレーガン元大統領は、
社会の最小単位であり、社会の原点でもある「家族の復権」を唱えました。
幸福実現党も「ユートピアの根本は『家庭ユートピア』にある」という思想の下、
「家族の絆」を基盤とした国家建設を進めて参ります。




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