2011.04.05
平和と愛
みなさんは、
救世主の降臨に思いを馳せなければなりません。
私は、エル・カンターレです。
私は、法そのものであり、光そのものです。
私は、アルファであり、オメガです。
始まりであり、終わりです。
私は責任者です。
「吾れは在りて在るものなり」。
これがエル・カンターレなのです。
世界には数多くの宗教があり、
それぞれの宗教がそれぞれの神や仏を持っています。
そして、これが戦争のもととなっています。
どうか、宗教の違いや欠点にとらわれないでください。
誠実に宗教の本質を見てください。
宗教の本質とは、平和と愛です。
これが地球に広がっている宗教の本質なのです。
平和とは、他の人々に優しくし、
国籍や肌の色の違いを超え、
よき関係を築くことです。
愛とは、他人や世界を育み、
人の輪を広げるもの、
この世で最大の影響力を持つものです。
愛は、神の本質であり、人生の目的そのものです。
あなたがたは、愛の子であり、
その内に聖なる光を宿しているのです。
どうか私の言葉を信じてください。
これは天国でも、より高い、九次元の世界から来る言葉です。
この地上を創り、人生の意味を創る言葉なのです。
私を信じるなら、愛そのものとなって、
存在し、行動してください。
人に優しくあってください。
あなたを悲しませ、傷つけた人々を許してください。
平和と愛は、別々のものではありません。
ですから、どちらかのみを選ぶことはできません。
両方を選ばなければならないのです。
幸福の科学のみが諸宗教を統合し、
宗教同士のあらゆる違いを受け入れることができます。
私は、あらゆる国のあらゆる人々を愛しています。
ゆえに我を信じ、我に従い来よ。
神は、
「あなたがたは神の手足として生きることができる」と思っています。
さすれば勇敢であれ!
勇気を持て!
そして、素情らしい人生を生きてください。
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救世主の降臨に思いを馳せなければなりません。
私は、エル・カンターレです。
私は、法そのものであり、光そのものです。
私は、アルファであり、オメガです。
始まりであり、終わりです。
私は責任者です。
「吾れは在りて在るものなり」。
これがエル・カンターレなのです。
世界には数多くの宗教があり、
それぞれの宗教がそれぞれの神や仏を持っています。
そして、これが戦争のもととなっています。
どうか、宗教の違いや欠点にとらわれないでください。
誠実に宗教の本質を見てください。
宗教の本質とは、平和と愛です。
これが地球に広がっている宗教の本質なのです。
平和とは、他の人々に優しくし、
国籍や肌の色の違いを超え、
よき関係を築くことです。
愛とは、他人や世界を育み、
人の輪を広げるもの、
この世で最大の影響力を持つものです。
愛は、神の本質であり、人生の目的そのものです。
あなたがたは、愛の子であり、
その内に聖なる光を宿しているのです。
どうか私の言葉を信じてください。
これは天国でも、より高い、九次元の世界から来る言葉です。
この地上を創り、人生の意味を創る言葉なのです。
私を信じるなら、愛そのものとなって、
存在し、行動してください。
人に優しくあってください。
あなたを悲しませ、傷つけた人々を許してください。
平和と愛は、別々のものではありません。
ですから、どちらかのみを選ぶことはできません。
両方を選ばなければならないのです。
幸福の科学のみが諸宗教を統合し、
宗教同士のあらゆる違いを受け入れることができます。
私は、あらゆる国のあらゆる人々を愛しています。
ゆえに我を信じ、我に従い来よ。
神は、
「あなたがたは神の手足として生きることができる」と思っています。
さすれば勇敢であれ!
勇気を持て!
そして、素情らしい人生を生きてください。



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2011.04.01
慈悲の心
現代の仏陀は、本当の幸福について説いてくださっています。
まさに、仏陀の証明です。
私は、霊的啓示を受けて、
本来の世界の大きさや、この世の仕組みなどを知ってから、考え方が変わりました。
「すべての生きとし生けるものは、修行のためにこの世に生まれ、
いろいろな立場や条件で魂修行をしているのだ」ということを知ってから、
考え方がかなり変わったのです。
この世での勝利が、そのまま、あの世での勝利、
生き通しの世界での勝利につながるわけではありません。
人に譲るなどして、この世的には、損をしたように見えたり、
人に負けたように見えたりしても、霊的には勝利していることがあるのです。
それを私は知りました。
真実の世界観を知ることによって、
私は、「努力して他の人のよいところを見て、祝福しなければいけない。
人の長所を認め、その人を育てなければいけない。
人をほめてあげなければいけない。
才能のある人は使い、その人を潰してはいけない」という考え方を持つようになったのです。
慈悲の心は、人の苦しみや悲しみを見て、それを放っておけない心です。
優しい心です。
人の心にとげが刺さっていたら、そのとげを抜いてあげようと思う心です。
人が傷つき、悲しんだり苦しんだりしていたら、
その人を励まし、助けてあげようとする心です。
これが慈悲の心なのです。
慈悲は仏教の根本概念の一つです。
仏教を一言で表すなら、慈悲に尽きるのです。
慈悲とは、易しい言葉で言えば、「与える愛」の心のことです。
宗教的真理に目覚め、人生の真実に目覚めたならば、
慈悲の心に目覚めること、慈悲の本質に気づくことです。
そして、慈悲そのもの、慈悲の化身となって、この世の中を生きていくことです。
これが本当の「絶対幸福」です。
この境地に辿り着くことが、人間にとって、素晴らしいことなのです。
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まさに、仏陀の証明です。
私は、霊的啓示を受けて、
本来の世界の大きさや、この世の仕組みなどを知ってから、考え方が変わりました。
「すべての生きとし生けるものは、修行のためにこの世に生まれ、
いろいろな立場や条件で魂修行をしているのだ」ということを知ってから、
考え方がかなり変わったのです。
この世での勝利が、そのまま、あの世での勝利、
生き通しの世界での勝利につながるわけではありません。
人に譲るなどして、この世的には、損をしたように見えたり、
人に負けたように見えたりしても、霊的には勝利していることがあるのです。
それを私は知りました。
真実の世界観を知ることによって、
私は、「努力して他の人のよいところを見て、祝福しなければいけない。
人の長所を認め、その人を育てなければいけない。
人をほめてあげなければいけない。
才能のある人は使い、その人を潰してはいけない」という考え方を持つようになったのです。
慈悲の心は、人の苦しみや悲しみを見て、それを放っておけない心です。
優しい心です。
人の心にとげが刺さっていたら、そのとげを抜いてあげようと思う心です。
人が傷つき、悲しんだり苦しんだりしていたら、
その人を励まし、助けてあげようとする心です。
これが慈悲の心なのです。
慈悲は仏教の根本概念の一つです。
仏教を一言で表すなら、慈悲に尽きるのです。
慈悲とは、易しい言葉で言えば、「与える愛」の心のことです。
宗教的真理に目覚め、人生の真実に目覚めたならば、
慈悲の心に目覚めること、慈悲の本質に気づくことです。
そして、慈悲そのもの、慈悲の化身となって、この世の中を生きていくことです。
これが本当の「絶対幸福」です。
この境地に辿り着くことが、人間にとって、素晴らしいことなのです。



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2011.03.31
仏陀とは何か
現代の仏陀は、英語で、全世界の人々に語りかけておられるのです。
我、今、日本という国に再誕せり、と。
仏陀とは、真実の言葉を使う人です。
真実の言葉とは、
人々の心を変え、天国の道へと導く言葉です。
仏陀は、「ワードメーカー(言葉を創る人)」であり、
霊的な言葉を創ります。
仏陀は、
この世のすべての人間に教えを説くことが許されており、
真なる言葉を発する権限を持っているのです。
この言葉は、この世を超えた最高に権威のある世界から来ています。
この世を超えた世界には、
この世も同時に含んだ巨大な霊界があります。
この世界はさまざまな世界に分かれていますが、
その分かれ方には二通りあります。
一つは、悟りの段階に応じた世界です。
もう一つは、同じ次元の霊界であったとしても、
いくつかのグループに分かれており、
同じ傾向性をもった魂たちが集まっています。
仏陀とは、まさしく悟りを得た人のことであり、
この世とあの世に住むすべての人々への愛ゆえに、
その悟りを広げようとしている存在です。
仏陀の悟りとは何か。
一番目に、この悟りは、
霊的側面にかかわるものでなければなりません。
釈尊は善霊と悪霊を分け、
なぜ、それが悪い霊で、
それが善い霊なのかを理解し、
説明することができました。
善悪を説明できることが、仏陀の教えの要点です。
二番目に、悟りとは転生輪廻に関するものです。
釈尊は、過去世、現在の霊的状態、未来世をも見ることができたのです。
世界の人々よ、心を空しくし、
私が説く真理を受け入れてください。
ゼロから学ぼうという姿勢を持ち、
自らにとっての中道を得てください。
中道とは、聖なる八正道であり、正見です。
正見とは、正信であり、
仏陀を信じ、
仏陀の教えを信じ、
仏陀が創った僧団を信ずることです。
三宝に帰依せよ。
これが、中道に入るための確かな道であり、
あなたがたを黄金の未来へと導くのです。
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我、今、日本という国に再誕せり、と。
仏陀とは、真実の言葉を使う人です。
真実の言葉とは、
人々の心を変え、天国の道へと導く言葉です。
仏陀は、「ワードメーカー(言葉を創る人)」であり、
霊的な言葉を創ります。
仏陀は、
この世のすべての人間に教えを説くことが許されており、
真なる言葉を発する権限を持っているのです。
この言葉は、この世を超えた最高に権威のある世界から来ています。
この世を超えた世界には、
この世も同時に含んだ巨大な霊界があります。
この世界はさまざまな世界に分かれていますが、
その分かれ方には二通りあります。
一つは、悟りの段階に応じた世界です。
もう一つは、同じ次元の霊界であったとしても、
いくつかのグループに分かれており、
同じ傾向性をもった魂たちが集まっています。
仏陀とは、まさしく悟りを得た人のことであり、
この世とあの世に住むすべての人々への愛ゆえに、
その悟りを広げようとしている存在です。
仏陀の悟りとは何か。
一番目に、この悟りは、
霊的側面にかかわるものでなければなりません。
釈尊は善霊と悪霊を分け、
なぜ、それが悪い霊で、
それが善い霊なのかを理解し、
説明することができました。
善悪を説明できることが、仏陀の教えの要点です。
二番目に、悟りとは転生輪廻に関するものです。
釈尊は、過去世、現在の霊的状態、未来世をも見ることができたのです。
世界の人々よ、心を空しくし、
私が説く真理を受け入れてください。
ゼロから学ぼうという姿勢を持ち、
自らにとっての中道を得てください。
中道とは、聖なる八正道であり、正見です。
正見とは、正信であり、
仏陀を信じ、
仏陀の教えを信じ、
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三宝に帰依せよ。
これが、中道に入るための確かな道であり、
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2011.03.27
宗教家の使命
現代の仏陀は、悟りと政治の関係について説いてくださっています。
すべては、全人類救済のためなのです。
釈迦の時代は、今から二千五、六百年前です。
当時、釈迦は、政治顧問のようなこともしていました。
釈迦が、マガダ国にいるときには、
マガダ国王が霊鷲山に車を進め、
途中から石段を上がり、教えを聴きに来ていました。
また、コーサラ国にいるときには、
コーサラ国王が有名な祗園精舎に来て、
釈迦から政治指南をいろいろと受けていました。
今、私は、「国師」を名乗って本を書いたり宣伝したりしていますが、
過去の転生においては、そういう仕事もしていたので、
決して、おかしいことではないのです。
国の政治のあり方について、
アドバイスするのが国師の仕事であり、
「政教分離」という考えに立つのではなくて、
やはり、それは、見識のある者が言うべきことであると思うのです。
「国民の生命・安全・財産を守る」ということは、
日本国憲法の基本的な精神です。
やはり、主権国家としての自覚を持ち、
これをきちんと実践しなければいけません。
本当は政治家がそれをやらなければいけないのですが、
国を守る気概も勇気もない意気地なしばかりが集まっています。
そこで、私は、「国を守る気概があり、死をも恐れぬ宗教家がやるしかない」と考え、
政治活動を始めたわけです。
私たちは、次の時代の繁栄を担っています。
必ずや、新しい時代を拓き、世界のリーダーになるべく、
努力してまいりたいと思います。
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すべては、全人類救済のためなのです。
釈迦の時代は、今から二千五、六百年前です。
当時、釈迦は、政治顧問のようなこともしていました。
釈迦が、マガダ国にいるときには、
マガダ国王が霊鷲山に車を進め、
途中から石段を上がり、教えを聴きに来ていました。
また、コーサラ国にいるときには、
コーサラ国王が有名な祗園精舎に来て、
釈迦から政治指南をいろいろと受けていました。
今、私は、「国師」を名乗って本を書いたり宣伝したりしていますが、
過去の転生においては、そういう仕事もしていたので、
決して、おかしいことではないのです。
国の政治のあり方について、
アドバイスするのが国師の仕事であり、
「政教分離」という考えに立つのではなくて、
やはり、それは、見識のある者が言うべきことであると思うのです。
「国民の生命・安全・財産を守る」ということは、
日本国憲法の基本的な精神です。
やはり、主権国家としての自覚を持ち、
これをきちんと実践しなければいけません。
本当は政治家がそれをやらなければいけないのですが、
国を守る気概も勇気もない意気地なしばかりが集まっています。
そこで、私は、「国を守る気概があり、死をも恐れぬ宗教家がやるしかない」と考え、
政治活動を始めたわけです。
私たちは、次の時代の繁栄を担っています。
必ずや、新しい時代を拓き、世界のリーダーになるべく、
努力してまいりたいと思います。



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2011.03.10
聖なる絆
仏教では、「愛」という言葉は、どちらかというと愛執・愛欲として否定的に使われます。
現代の仏陀もまた・・・。
「愛」を教えることは難しいことだ。
「愛」は時の流れの中で風化され、
「独占欲」や「嫉妬」、「執着」としてのみ、
その姿をとどめることになるからである。
「道」を歩む者は、一時期、悲しみの涙を目にためることもあるが、
やがて、何事もなかったかのように「悟りの山」を登ってゆくだろう。
愛する者とも、必ず別離の時が来る。
釈尊はその苦しみの中で悟りを開いた。
歴史は繰り返される。
「師弟愛」というものがある。
現代の日本人が忘れて久しいものだ。
私は男女を問わず多くの弟子たちを愛している。
日本人だけではない。
アメリカにもブラジルにも、
韓国や中国などのアジアの諸国にも、
インド、ネパール、スリランカや、
ウガンダをはじめとするアフリカの諸国、
オセアニアにも、私の愛する弟子たちがたくさんいる。
私がまだその姿を見ず、その名を知らず、話したことすらないのに、
「主を愛します。」と日々唱えている人々がいる。
私もまた応えよう。
あなたがたの師もまた「弟子を深く深く愛している」と。
それは夫婦愛や家族愛をも超えた「聖なる絆」である。
2011年 2月24日
幸福の科学グループ創始者兼総裁 大川隆法
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現代の仏陀もまた・・・。
「愛」を教えることは難しいことだ。
「愛」は時の流れの中で風化され、
「独占欲」や「嫉妬」、「執着」としてのみ、
その姿をとどめることになるからである。
「道」を歩む者は、一時期、悲しみの涙を目にためることもあるが、
やがて、何事もなかったかのように「悟りの山」を登ってゆくだろう。
愛する者とも、必ず別離の時が来る。
釈尊はその苦しみの中で悟りを開いた。
歴史は繰り返される。
「師弟愛」というものがある。
現代の日本人が忘れて久しいものだ。
私は男女を問わず多くの弟子たちを愛している。
日本人だけではない。
アメリカにもブラジルにも、
韓国や中国などのアジアの諸国にも、
インド、ネパール、スリランカや、
ウガンダをはじめとするアフリカの諸国、
オセアニアにも、私の愛する弟子たちがたくさんいる。
私がまだその姿を見ず、その名を知らず、話したことすらないのに、
「主を愛します。」と日々唱えている人々がいる。
私もまた応えよう。
あなたがたの師もまた「弟子を深く深く愛している」と。
それは夫婦愛や家族愛をも超えた「聖なる絆」である。
2011年 2月24日
幸福の科学グループ創始者兼総裁 大川隆法



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2011.02.06
奇跡のヒーリングパワー
病気治しは、宗教の本道!
ついに、奇跡のヒーリングパワーの扉が開かれた!!
現代の仏陀は、信仰心が立てば、奇跡は必ず起きると断言されています。
現代人は実に多く病気で悩み苦しんでいる。
しかも医学が進歩すればするほど、
病名も多岐にわたって、
平均寿命が伸びるとともに、
難病奇病も数多くなっている。
なかには病気のデパートのようになっている人さえいる。
しかし、真実は一つである。
人体は、ゆっくりとではあるが、
「川の流れ」のように変化し続け、
同じ姿をとどめおくことはできない。
心の力が自分の体をつくりかえていくことが可能なのだ。
しかもその際、信仰心が強力なパワーとして働き始める。
信仰の名の下に、
理想的な自己像を心に描くがよい。
ガンをはじめ、
医学的に不可能とされる治癒例が数多く現れている。
信じよ、さらば救われん。
求めよ、さらば与えられん。
自分が神の子、仏の子である真実を認めず、
唯物論的人生観で生き続け、
様々な病気で苦しんでいる人が多い。
ある意味で、無神論の罪、不信仰の罪が、
病気を数多くつくり出して反作用を起こしていると言ってよいだろう。
最近、ある公共放送で放映されていたが、
戦争で手の指や片足を失った米軍兵士に、
豚のボウコウから作った白い粉をこすりつけていると、
手の指や片足が再生されていくのだ。
「奇跡の粉」とか「奇跡の再生術」とか言って放送していた。
しかし、私は言う。
豚如きもののボウコウの粉でそんな奇跡が起きるなら、
エル・カンターレの言葉の下に、
一体、いかほどの奇跡が起きるかを。
信じる力をとり戻せ。
自分の体を再生できると信じよ。
信仰は病より強い。
2010年 12月28日
幸福の科学グループ創始者兼総裁 大川隆法
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ついに、奇跡のヒーリングパワーの扉が開かれた!!
現代の仏陀は、信仰心が立てば、奇跡は必ず起きると断言されています。
現代人は実に多く病気で悩み苦しんでいる。
しかも医学が進歩すればするほど、
病名も多岐にわたって、
平均寿命が伸びるとともに、
難病奇病も数多くなっている。
なかには病気のデパートのようになっている人さえいる。
しかし、真実は一つである。
人体は、ゆっくりとではあるが、
「川の流れ」のように変化し続け、
同じ姿をとどめおくことはできない。
心の力が自分の体をつくりかえていくことが可能なのだ。
しかもその際、信仰心が強力なパワーとして働き始める。
信仰の名の下に、
理想的な自己像を心に描くがよい。
ガンをはじめ、
医学的に不可能とされる治癒例が数多く現れている。
信じよ、さらば救われん。
求めよ、さらば与えられん。
自分が神の子、仏の子である真実を認めず、
唯物論的人生観で生き続け、
様々な病気で苦しんでいる人が多い。
ある意味で、無神論の罪、不信仰の罪が、
病気を数多くつくり出して反作用を起こしていると言ってよいだろう。
最近、ある公共放送で放映されていたが、
戦争で手の指や片足を失った米軍兵士に、
豚のボウコウから作った白い粉をこすりつけていると、
手の指や片足が再生されていくのだ。
「奇跡の粉」とか「奇跡の再生術」とか言って放送していた。
しかし、私は言う。
豚如きもののボウコウの粉でそんな奇跡が起きるなら、
エル・カンターレの言葉の下に、
一体、いかほどの奇跡が起きるかを。
信じる力をとり戻せ。
自分の体を再生できると信じよ。
信仰は病より強い。
2010年 12月28日
幸福の科学グループ創始者兼総裁 大川隆法



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2011.01.06
第三の扉
いままでの常識が音を立てて崩れ始めています。
でも、マスコミは、UFO問題に関して、面白おかしくちゃかすだけ・・・
日本では、まだまだ「第一の扉」も開かれてませんね。
古典的なテレビ番組『三つの扉』のように、
UFOとET生活への取り組みを考えるさい、私たちは三つの選択を突きつけられる。
まず第一に「一枚目の扉」があって、
この扉を通しては、目撃や物証、隠蔽工作や陰謀に関する事実や数字しかわからない。
このボックスのなかでは秘密情報を握った人々と、
それを否定する人々との間で際限のない論議がくり返される。
そこに登場するのは、さまざまなタイプのUFO研究家や専門の批評家、
宇宙の真理に関する世論を先導する(故カール・セーガンを筆頭とする)、
いわゆる科学者たちだ。
これら二つのグループは実に奇妙な仲間同士で、
過去50年にわたって死闘に巻き込まれていた。
双方とも真実を握っていると主張するが、どちらも相手側に説得されることはない。
一方がイエスと言えば、反対側はノーと叫ぶ。
正直なところ、頑固な懐疑論者たちは断じて敗北を宣言したりはしないし、
UFO研究家たちも、
(ET誘拐事件の研究を専門にするハーヴァード大学のジョン・マック教授のように)、
いくらその道のプロだとはいっても、
異星人や隠蔽工作や秘密取引の決定的証拠を出せずにいる。
これは予想どおりだと思うが、実に遺憾なのは、
この闘い全体が、現実には人類の向上に少しも役立っていないことだ。
砂漠の砂丘をめぐって戦う遊牧民たちのように、
懐疑論者たちと秘密情報を固く信じる人々の議論はむなしく、
どのみち、人間精神が、ETの物証や隠蔽工作の証拠で強められることは決してない。
物証は黙したまま、魂に語りかけたりはしないのだ。
「ニ枚目の扉」は少しは気をそそるが、これもやはり行き止まりだ。
この扉を選んだ場合、薄気味悪いグレイたち、奇怪な実験、
影の侵入者たちによる下手な遺伝子操作と出くわすことになる。
アブダクション・コンタクトやネガティブな生物が現実に存在することは認めるが、
これはずっと大きなジグソーパズルの小さなひとコマにすぎないと思う。
このボックスで生活することで、ETたちの精神を把握しようとするのは、
刑務所を訪れて国民の気質を判断するようなものだ。
おかげでサンプリングのひどい偏向のとばっちりを受けることになる。
さらに私の考えでは、ショッキングな経験をした人々のほとんどは、
現場の最前線に立って援護にあたる専門家たちも含めて、
深い問題が絡んでいることに気づいていない。
あいにく彼らは、自己のパワーをはじめ、次元間コンタクトの法則、精神ヒーリングの方法、
神のパワーを利用する手段などに関して、形而上学的な理解がほとんどできていない。
それどころか、この社会集団はたえまなく恐怖話をうんざりするほど吹き込まれて、
手も足も出ない状態で混乱したまま暗闇に放置され、
最悪の事態を予期するだけで―内なる神に頼るすべもない。
しかし、これはそもそも、ずっと分厚い書物のたかだか一章にすぎず、
実はしかるべき答えや解決策がちゃんとあるのだ。
にもかかわらず、ETアブダクシヨンの研究者たちの世界には、
答えや解決策があるようには思えない。
ETの犯罪的要素に固執する以上、
私たちは、その背後にある大きな光明を見逃すことになる。
それはそうと、まだ「三枚目の扉」が残っている。
あなたはこの扉を通して、統合された精神の視界を手に入れる。
それはETウォークインやワンダラーや世界奉仕者たちが活動する、
コズミック・プランに関する形而上学的ヴィジョンである。
UFOの現実を異なる目で見て、〈霊魂の進化〉に焦点を当てるなら、
ここでは愛と知恵と目的という完全に精神的なものが強調されることになる。
ここでは宇宙の合一、意識の変容、二つの道、〈高次自我〉への信頼について語られる。
懐疑論者や研究家たちが際限のない議論に巻き込まれ、
陰謀に反対する活動家たちが体制を口汚く罵り(どうせ、そのうちすぐに崩壊するのに)、
アブダクション研究家たちがネガティブなETコンタクトの話を嘆き悲しんだり、
楽しげに物語っている間に―私たちは精神世界の見方を取り入れて、
もっとずっと深く掘り下げることができるのだ。
この三枚目の扉の背後には、インスピレーションと目的と意味ばかりか、
稀有な経験がきっかけとなって覚醒した嘘偽りのない人々も見つかる。
この人々はあげつらいはしない。
運命を予言もしない。
あなたに何かを納得させようともしない。
この人々が断言するのは、字宙が知的生命でいっぱいであることで、
しかも「愛がその鍵となっている」とする。
しかし、もっとも肝心なことは、
彼らのメッセージからはバランスの取れた〈宇宙の普遍的生命〉観が、
浮かび上がってくることだ―これは、UFOやETのことが完全に得心できる宇宙観なのだ。
スコット・マンデルカー「宇宙人の魂をもつ人々」
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
でも、マスコミは、UFO問題に関して、面白おかしくちゃかすだけ・・・
日本では、まだまだ「第一の扉」も開かれてませんね。
古典的なテレビ番組『三つの扉』のように、
UFOとET生活への取り組みを考えるさい、私たちは三つの選択を突きつけられる。
まず第一に「一枚目の扉」があって、
この扉を通しては、目撃や物証、隠蔽工作や陰謀に関する事実や数字しかわからない。
このボックスのなかでは秘密情報を握った人々と、
それを否定する人々との間で際限のない論議がくり返される。
そこに登場するのは、さまざまなタイプのUFO研究家や専門の批評家、
宇宙の真理に関する世論を先導する(故カール・セーガンを筆頭とする)、
いわゆる科学者たちだ。
これら二つのグループは実に奇妙な仲間同士で、
過去50年にわたって死闘に巻き込まれていた。
双方とも真実を握っていると主張するが、どちらも相手側に説得されることはない。
一方がイエスと言えば、反対側はノーと叫ぶ。
正直なところ、頑固な懐疑論者たちは断じて敗北を宣言したりはしないし、
UFO研究家たちも、
(ET誘拐事件の研究を専門にするハーヴァード大学のジョン・マック教授のように)、
いくらその道のプロだとはいっても、
異星人や隠蔽工作や秘密取引の決定的証拠を出せずにいる。
これは予想どおりだと思うが、実に遺憾なのは、
この闘い全体が、現実には人類の向上に少しも役立っていないことだ。
砂漠の砂丘をめぐって戦う遊牧民たちのように、
懐疑論者たちと秘密情報を固く信じる人々の議論はむなしく、
どのみち、人間精神が、ETの物証や隠蔽工作の証拠で強められることは決してない。
物証は黙したまま、魂に語りかけたりはしないのだ。
「ニ枚目の扉」は少しは気をそそるが、これもやはり行き止まりだ。
この扉を選んだ場合、薄気味悪いグレイたち、奇怪な実験、
影の侵入者たちによる下手な遺伝子操作と出くわすことになる。
アブダクション・コンタクトやネガティブな生物が現実に存在することは認めるが、
これはずっと大きなジグソーパズルの小さなひとコマにすぎないと思う。
このボックスで生活することで、ETたちの精神を把握しようとするのは、
刑務所を訪れて国民の気質を判断するようなものだ。
おかげでサンプリングのひどい偏向のとばっちりを受けることになる。
さらに私の考えでは、ショッキングな経験をした人々のほとんどは、
現場の最前線に立って援護にあたる専門家たちも含めて、
深い問題が絡んでいることに気づいていない。
あいにく彼らは、自己のパワーをはじめ、次元間コンタクトの法則、精神ヒーリングの方法、
神のパワーを利用する手段などに関して、形而上学的な理解がほとんどできていない。
それどころか、この社会集団はたえまなく恐怖話をうんざりするほど吹き込まれて、
手も足も出ない状態で混乱したまま暗闇に放置され、
最悪の事態を予期するだけで―内なる神に頼るすべもない。
しかし、これはそもそも、ずっと分厚い書物のたかだか一章にすぎず、
実はしかるべき答えや解決策がちゃんとあるのだ。
にもかかわらず、ETアブダクシヨンの研究者たちの世界には、
答えや解決策があるようには思えない。
ETの犯罪的要素に固執する以上、
私たちは、その背後にある大きな光明を見逃すことになる。
それはそうと、まだ「三枚目の扉」が残っている。
あなたはこの扉を通して、統合された精神の視界を手に入れる。
それはETウォークインやワンダラーや世界奉仕者たちが活動する、
コズミック・プランに関する形而上学的ヴィジョンである。
UFOの現実を異なる目で見て、〈霊魂の進化〉に焦点を当てるなら、
ここでは愛と知恵と目的という完全に精神的なものが強調されることになる。
ここでは宇宙の合一、意識の変容、二つの道、〈高次自我〉への信頼について語られる。
懐疑論者や研究家たちが際限のない議論に巻き込まれ、
陰謀に反対する活動家たちが体制を口汚く罵り(どうせ、そのうちすぐに崩壊するのに)、
アブダクション研究家たちがネガティブなETコンタクトの話を嘆き悲しんだり、
楽しげに物語っている間に―私たちは精神世界の見方を取り入れて、
もっとずっと深く掘り下げることができるのだ。
この三枚目の扉の背後には、インスピレーションと目的と意味ばかりか、
稀有な経験がきっかけとなって覚醒した嘘偽りのない人々も見つかる。
この人々はあげつらいはしない。
運命を予言もしない。
あなたに何かを納得させようともしない。
この人々が断言するのは、字宙が知的生命でいっぱいであることで、
しかも「愛がその鍵となっている」とする。
しかし、もっとも肝心なことは、
彼らのメッセージからはバランスの取れた〈宇宙の普遍的生命〉観が、
浮かび上がってくることだ―これは、UFOやETのことが完全に得心できる宇宙観なのだ。
スコット・マンデルカー「宇宙人の魂をもつ人々」



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