僧侶のたくらみ

仏教とニューエイジの対話を推進するべく、 こっそりと活動中

新たなる神仏習合

敗戦により消沈した日本の神々も、
戦後の奇跡的な復興に積極的な関与をされています。

戦後出てきた、
神道系の新宗教の数の多さがそれを物語っています。

日本の神々は、
もともとはムー帝国時代に、仏陀の前世の弟子でありました。

仏陀が再誕している現在、
日本の神々は、あの世から仏陀の救世運動を援助しています。

そのため地上においても、新たなる神仏習合が求められます。

神も仏もある神国日本の復活です。

これはナショナリズムを超えた、霊界の真実なのです。




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宗教と死後生

英語圏で最も影響力を持つ宗教哲学者といわれるジョン・ヒックは、
多くの大学で、キリスト教神学・哲学・宗教学の教鞭をとりました。

彼は、
宗教の宇宙というのはキリスト教中心でも、
これに代わるどの宗教を中心にしたものでもない。
それはただ「神」を、あるいは「神的実在者」を中心にまわっている。
「神」あるいは、「神的実在者」が、いわば太陽であって、
すべての宗教はそれぞれのしかたでそれを反射しているにすぎない。

自我中心から神的実在中心への人間存在の変革を通して、
人間は神の国に参入し、あるいは涅槃に到達することができる。
世界は本性上、慈愛に富み、恵みに満ちているのだ。

と主張しました。

そして、
救いの道、開放の道はただ一つではなくその道は多数あることを認めるべきだ。
ということを提唱したのです。

実際、彼は、クリスチャンであるにもかかわらず、
毎朝、仏教的瞑想を行うなど、その実践的な人生観は、
親密な家庭生活に支えられて、常に積極的で楽天的なものだったそうです。

彼は、
死後の生命の問題についても、このような意見を述べています。

死後の生命という考えに対して、世俗の関心は高まっているのに、
その可能性に対する神学的関心は逆に後退しているように思われるのは、
現代の珍しい特徴の一つである。
今日、死に対する、また死後の存在に対する非宗教的な関心が、
世間一般に広まっており、これが超心理学、神秘学、死学、霊媒の話、再生、
体外遊離の体験、臨床医学上では死んだはずだが蘇ったという人の体験談、
などのなかで表出されている。ところが、今日、最良のキリスト教的思考のなかにも、
死後の生命という考えには重きを置かないものがあらわれ、事実上、
この考えをキリスト教のメッセージのなかから排除しようとするところにまでおよんでいる。



仏教界も、
死後の生命に関する世間の感心や、ニューエイジ思想の潮流は、
どこか別世界の出来事であるかのように無視していますが、
今後は、真摯に取り組んでいかざるを得なくなるでしょう。




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違いを超えて

宗教が、争いや分裂の原因を生んでいるのならば、
宗教によってこそ、それらは解消されていかなければなりません。

宗教は本来、素晴らしいものです。

既存宗教は、形骸化しセクト化してしまい、本来の輝きを失ってしまいました。
ニューエイジやスピリチュアルの勃興が、それを証明しています。

もはや、宗教や宗派の違いにこだわっている時代ではありません。


生前、世界最大のニューソート団体である生長の家を率いて、
万教帰一を唱え続けた、谷口雅春氏の言葉です。




すべていろいろの宗教が、分かれて、宗派別のようになっているのは、
それは、その時代の背景、その宗教が発生した民族、人種、
あるいは、その住民の理解の程度、常識の程度というものが背景となり、
当時のその地の人々に解り易いように、
教祖は説かなければならなかったのであります。
だから、およそ宗教はその発生した土地とか時代とかによって、
説き方が変っているのです。説き方や比喩の立て方が変っているけれども、
人類の魂を救う真理の根本は同じなのです。
そこに万教帰一の所以があるのであります。
『人間の生命』は佛教的にいえば『如来の生命』である。
キリスト教的にいうならば、神の生命がここに分かれて宿っているんだから、
『神の子』であるということなんであります。
古神道によれば、すべての人間は皆、日子(ひこ)であり、
日女(ひめ)であり命(みこと)である。
換言すれば天照大御神の御子であります。
それが、あらゆる宗教の共通の真理であるわけなんであります。


「真佛教の把握」




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神仏習合

かつて、明治政府によって神仏分離政策がとられる以前は、
日本神道と仏教は共存していました。

平安末期から流行した、本地垂迹説では、
日本の神々は、衆生救済のために、この世に顕現した仮の姿であって、
あの世での本来の姿は、如来や菩薩である、とされていました。

鎌倉期の僧、西行法師は、このような歌を残しています。

「さかきばに 心をかけむ ゆうしでを 思えば神も 仏なりけり」(山家集)

西行は、
榊の葉に木綿紙垂を掛けながら、ふと、
神も仏であることが分かったと言っているのです。

南北朝時代の
浄土真宗の学僧、存覚は、このように記しています。

それ仏陀は神明の本地、
神明は仏陀の垂迹なり。

「諸神本懐集」

このように昔は、
日本の神々も、インドの神々と同じように、
仏法守護の護法善神として認められていたのです。


間違っても、現代の僧侶は、
「神も仏もあるものか」などとは言ってはいけません。




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あの世からのメッセージ2

150年前に、高級霊は予言しています。
しかし、物質主義との戦いはいまだに続いています。

僧侶はどちらの側につくべきなのでしょうか?




心霊主義は間違いなく一般の信仰となり、人類史に一新紀元を画すことになろう。
と申すのは、心霊主義は大自然の秩序であって、それゆえに今、
人類の知識の分野に格付けされる時が来ている、この故である。
しかしながら、心霊主義は今後かなり多くの攻撃に耐えねばならないだろう―
それは信念よりむしろ利害から出た攻撃、と言うのは、うぬぼれとか世間体から、
心霊を叩くことに関心をもつ連中が存在するということである。
しかし、このような反対は勢力を失っていき、ばかばかしくなって、
遂には大方の意見の下に集まらざるを得なくなろう。

社会の傷である唯物主義の打破、こうして、人々の真実の利益がどこにあるのかが、
人々にも理解されるようになろう。
人間の未来生活のヴェールがはがれて見えて来よう。
人々が現在の生活さえしっかりやれば、
未来の幸福は保証されるということが、よく分かるようになって。
宗派とか階層や皮膚の上の特権が打破されて、
人間がやがて兄弟として一つに結ばれる大きな連帯が見えて来よう。

何かの原因があれば、人類が魔法をかけたように変わると思うことは、
人間性に関する随分と浅薄な知識を示すものだろう。
観念というものは、個々の人間性の変化に応じて、
徐々に変化するもので、古い習慣の根絶には数世代を要する。
それ故人類の変革は時間をかけて、一歩一歩、
事実をもってする影響感化によってのみ進展する。 
一つ一つの世代を経て、ヴェールの一部づつが融けていく。
心霊主義は今このヴェールを消散させようとしている。
さて、もしここに心霊主義が、
一人の人のせめて一つの欠陥を癒すとすれば、この人を一歩前進させたこととなる。
そしてこの事はこの人に多大の善を為したことになる。
と言うのは、人は第一歩が肝心なのであって、
これによりその人の以後の進歩は、容易となるからである。


「霊の書」




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あの世からのメッセージ1

あの世の霊人から見れば、
この世の宗教の違いなど問題になりません。

真実を知れば、
私達がいかに無意味なことにこだわりつづけているのかが分かります。

二十世紀の初頭に、
霊界の仏陀やイエスの指導のもとで、地上での霊界思想の普及運動が計画されました。

そして、匿名の高級霊が、自動書記や霊言現象という形で、
地上の霊媒に様々な霊的知識を伝える、ということが行われたのです。

霊界側は常に、私達に真実を知らせるために働きかけているのです。




私はそれぞれの宗教界において、
真面目に勤しんでいる人たちを非難しようとは思いません。
が、その人たちは、苦しんでいる世の中の人のために役立つことは何もしておりません。
教義は無味乾燥です。ドグマは不毛です。視野は旧態依然としており、
新しい流れがどんどん通り過ぎていきつつあることに気づきません。
われわれは地上の多くの場所で悪性のガンを生み出している貪欲、強欲、私利私欲が、
一掃された新しい世界の到来を告げる使者なのです。
あらゆる宗教的行為の中の最高の行為として「人のために自分を役立てること」を掲げ、
互いに扶助し合い、寛容し合い、
人間と動物の区別なしにすべてに哀れみの心をもつべきであると説きます。
本当にその気になれば地上天国は叶えられるのです。
それが今私たちが皆さんの協力のもとにたずさわっている仕事です。
俗世の悩みに襲われ、暗闇に閉ざされて気が滅入り、
疲れ果てあるいは塞ぎ込みそうになった時は、
霊的知識を手にした皆さんは、
このまま野放しにしたら地上を破滅状態に陥れかねない物質第一主義の風潮に挑む、
戦いの中の戦いに選ばれた霊の大軍の一員であることを思い出して、
奮い立たないといけません。いつまでも絶望感に浸っていてはいけません。
私たちは決して見殺しにはしません。
援助を届ける通路さえあれば、奇特な心がけを無為に終わらせることはいたしません。
必要とあらば、いかなる援助でもいたします。


「シルバー・バーチの霊訓」




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ダスカロスの教え

キプロスの賢者、
20世紀最高のヒーラーと言われるダスカロス(スティリアノス・アテシュリス)は、
尋ねてくる人々に、奇跡的な種々の霊的治療を無償で施し、
キリスト弟子の福音書ヨハネからの霊指導を受けて、
秘教サークルを開き、ひっそりと生徒達に教えを伝えました。

彼は、全ての過去世を覚えていて、数多くの言語にも通じていたのですが、
その過去世の一つでは、輪廻転生を唱えた神学者オリゲネスであったとも述べています。

ダスカロスの教えは、
あらゆる宗教の本質である霊的真実を熟知したものであったのです。

現在でも、彼の教えを学ぶサークルは、欧米を中心に世界に広がっています。

彼の言葉を紹介します。




輪廻転生には、まず第一に、歴史上、そして宗教上の議論がある。
これら自体は証明にならないが、輪廻の考えをサポートしている。
二番目には、輪廻が想像ではなく、現実だと証明するいくつもの例がある。
三番目に、最も良い証明は、個人が自分の過去世に目覚めることだ。
これらの議論を一つずつ辿ってみよう。
私たちの世界では、それが多数派でなくても、
大勢の人が輪廻を事実として受け入れている。
この惑星のほとんどの宗教では、
輪廻転生がはっきりと定められているか、示唆されている。
仏教、タオ、ヒンズー教などの密教的な伝統では、輸廻転生は当然とされている。
イスラム教を理解する者たち、つまリスーフィー教のことだが、
彼らにとっても輪廻転生は現実だ。キリスト教でも、示唆されている。
東洋の宗教では、輪廻などの概念はもっとずっと受け入れやすいといえる。
というのは、これらの宗教はサイキック界ともっと直接に関わり合っているからだ。
西洋の社会と異なって、
東洋では他の次元に移行した魂たちとずっと持続した触れ合いがある。
だから、彼らはそれらの次元が本当にあるという意識が強い。
キリスト教でも、教会の聖職者たちが聖書からその事実を取り去ってしまうまでは、
輪廻転生は幅広く受け入れられていた。

地獄は永遠に燃えているところだという教義は愚かであり、
教会で聖職者たちが誉め称える最も慈悲深い神への冒瀆である。
正統派のキリスト教徒でさえ、輸廻転生を受け入れていたということが分かっている。
オリゲネスや他の人びとの著作にも、この見方が表われている。
新約聖書の中でも、聖職者たちの検閲を免れた文に、
キリストが弟子たちに「人が人の子と呼ぶのは誰であろう?」と質問して、
弟子たちが「死者から来た預言者エライアス」と言う。これは輪廻転生を指している。
キリストは弟子たちに、彼らの話していることはナンセンスだと言うこともできたはずだ。
しかしキリストは、確かにエライアスだが弟子たちには見つけられない、と言った。
弟子たちはパプテスマのヨハネに、彼がエライアスか、と聞く。
ヨハネは「私はエライアスではない。今はヨハネです」と正しく答えたのだ。
「そして、あなたは誰ですか」と彼らは聞いた。
すると、「荒野で叫ぶ声です」と彼は答えた。
それはエライアスが砂漠で遭遇した状況と同じだ。
バプテスマのヨハネに、エライアスと同じ性格を見て取ることができる。
同じ美徳と、同じ弱点をね。それから、パウロのコリント人への手紙ではどうだろう。
彼は「あなた方の息子たちは、あなたの先に来ました」と述べている。
これは輸廻転生を意味するのではないだろうか。
しかし、聖書に頼らなくても、輪廻の証拠はある。
たとえば、それ以前にその言語を習ったことのない子供が、
その言葉を流暢に話しはじめたりする時だ。
それから、親戚が誰々で、自分はこういう人間だった、と言いはじめた時などだ。
証拠書類のあるケースがたくさんある。真理の探究者にとって、
強力な証拠は自分の潜在意識に入り、自分の過去世を知る時だ。
これ以上の証拠はないということを信じてもらいたい。


「メッセンジャー」

オリゲンとしての私はインテリであり、正教会の保護のために戦った。
正教会と言った時、私は一時的な聖職者の、教義を指しているのではない。
私はキリスト教の本質を指していて、
これは世界の偉大な宗教の本質とほとんど同一のものなんだ。
私が正教会に心が引かれている理由が分かるだろう。

キリストについて、ある特定の見方をする者と、違ったように見る者がいるとする。
両方とも、聖パウロが言ったような内なる光を通してキリストを見ていない。
神秘家は神を自分の中に探す。
キリストは愛である。で、もうそれ以上、言う必要はないのだ。
禅宗の仏教徒には彼らが、八正道と呼ぶものがあり、祈りや修行を通して、
邪悪を乗り越え、忍耐力を養い、執着を断つ訓練をして、
これらの性質を意識の一部分にする努力を続けることで、
彼らはドグマ的な神父や神学者たちよりずっとキリスト的な道を歩んでいるのだ。


「太陽の秘儀」




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クリシュナの教え

クリシュナ(聖バガヴァッド)の教えは、
ヒンドゥー教の聖典「バガヴァッド・ギーター」に記されています。
紀元前4700年ごろ、インドに生れた大如来クリシュナは、イエス=キリストの前世なのです。
その教えからは、その片鱗がうかがえます。
宗教の根は一つなのです。




「私は不生であり、その本性は不変、万物の主である。
実に美徳が衰え、不徳が栄える時、
私は自身を現わすのである。善人を救うため、悪人を滅ぼすため、
美徳を確立するために、私は世期ごとに出現する。」


「主は万物の心の中にある。全身全霊で主にのみ庇護を求めよ。
その恩寵により、あなたは最高の寂静、永遠の境地に達するであろう。」


「人々がいかなる方法で私に帰依しても、
私はそれに応じて彼らを愛する。人々はすべて私の道に従う。」


「ブラフマン(神)と一体になり、
その自己が平安になった人は、悲しまず、期待することもない。
彼は万物に対して平等であり、私への最高の信愛を得る。
愛により彼は真に私を知る。私がいかに広大であるか、私が何者であるかを。
かくて真に私を知って、その直後に彼は私に入る。
私に帰依する人は、常に一切に行為をなしつつも、
私の恩寵により、永遠で不変の境地に達する。」


「私は万物に対して平等である。私には恨むものも好きなものもない。
しかし、信愛をこめて、私を愛する人々は私のうちにあり、私もまた彼らのうちにある。
たとえ極悪人であっても、ひたすら私を信愛するならば、
彼はまさしく善人であるとみなされるべきである。彼は正しく決意した人であるから。
速やかに彼は敬虔な人となり、永遠の寂静に達する。
確信せよ。私を信ずるものは、滅びることはない。」


「バガヴァッド・ギーター」




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反骨の新聞人

超宗派の宗教新聞、「中外日報」の創刊者である真渓涙骨氏は、
明治、大正、昭和をまたにかけて活躍したジャーナリストです。

彼は、宗教界全般に絶大な影響力を持っていました。
大変、交際の幅が広く、
大本教の出口王仁三郎氏とも友好関係にあったほどです。

彼自身も、仏門に入門していましたが、
終生、仏教の覚醒と、宗教界の革新のために尽力した宗教者でもありました。

彼の力強い言葉を紹介します。




人生の要諦は自己反省にある。自己反省とは徹底的な自己発見だ。
深夜独り自己反省に耽る瞬間を持つものは、大悟の人生に触れる。

今を生活する、今を呼吸する、今を行楽する、一瞬の今、永遠の今、
今を外にして全生涯はあり得ない。

土から生れて土に還る肉の人間と、天から生れて天に還る霊の人間とがある。
その二にして不二の一体が永遠の歴史を造って行くのだ。

汝は正しく人間なり。果たして自ら天地の眼なりと信じ得るや。
果たして自ら宇宙の魂なりと悟り得るや。
この自信この自覚なくして人間は終に何処へ往かんとするか。

神の愛は隣人の愛を通して我等に交流し、
隣人の愛は神の愛を招いて我等に転入する。
神と我、我と隣人、常に三位一体の関係にあるが如し。

不可能を可能とする、それが即ち、人間の上に神力の加わった現象だ。
神の照覧にかなわねば可能すら悉く不可能となる、
恐るべくいましむべし。

宗派の垣を除け、教団の塀を崩せよ、異教徒と手を握れ!
異信者と交わりを結べ!各地各様形式にこだわらず、
魂と魂の融合に直結せよ!





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ヨガナンダの説法

パラマハンサ・ヨガナンダは、20世紀の偉大なインドのヨガ行者です。
アメリカに渡り、クリヤ・ヨガの伝道に一生を捧げました。

ヨガナンダは、
ヨガ行の論理的で具体的な方法は、宗教や人種を超えて、
神との合一に至る道として、助けになるという確信を持っていました。

東洋と西洋の霊性文化の架け橋となるべく、世界各地で講演活動をし、
ヨガ指導のためのセルフ・リアリゼーション・フェローシップ(SRF)を設立しました。

彼もまた、神を知り、宗教の本質を知っていたのです。

ヨガナンダのアメリカでの素晴らしい説法です。




「神は、一人の血からすべての民族をつくられた」という聖書の言葉を、
全人類はあらためて思い起こすべきです。
私は、キリストの精神を鼓吹するこの言葉が大好きです。
私は、この言葉が文字どおり実感されるような世の中になることを願っています。
肌の色の偏見は、さまざまな人間の無知の中でも最も愚かしいものです。
肌の色は、単なる外観上の特性です。神は、全く実用的な目的から、
気候的に太陽光線からの保護を必要とする地方に住む人種に、
濃い皮膚の色素を与えられたのです。
ですから、肌の色の違いには、自慢したり差別したりする根拠は何もありません。
魂は、この一生で特定の色の肉体コートを着ていても、
生まれ変われば、また別の色のコートを着るかもしれません。
このように、肌の色は、全く表面だけの問題です。
肌の色に偏見をもつことは、いろいろな色の肌をもつすべての人々の心に、
一様に宿っておられる神を差別視することです。
そういう人は、次に生まれ変わるとき、
自分が軽蔑した肌の色に生まれ変わることを知るべきです。
カルマの法則は、こうして魂を窒息させる偏見を打ち砕いてゆくのです。
ですから、自分の心を訓練して、人はみな兄弟であると感じるようになりなさい。
これは最も大事なことです。
イエスの教えは、西洋に最大の基盤を築くことが初めから定められていましたが、
イエスは、東洋人でしかも長い迫害の歴史をもつ、
ユダヤ人として生まれることを選びました。
それは彼が、人種や肌の色で人を判断することの愚かさを証明したかったからです。
われわれは、人種的差別観を捨てて、このキリストの精神を生きるべきです。
本来神の子どうしである人間の間に戦争や対立を生み出しているものは、
偏見による、真の同胞愛の欠如です。
われわれは、こうした戦争の根本原因を根絶しなければなりません。
憎しみや偏見の中に、爆弾や悲劇があるのです。
イエスは、「剣を取る者はみな剣で滅びる」と警告しています。
世界に真の平和をもたらすものは剣ではなく、結局はキリスト精神の実行です。
究極的な意味で、あなたがたを守ってくれるのは神だけです。
イエスや、そのほかの大師たちが説いた理想的な生き方を実践することが、
世界の平和と幸福に最も責献することになるのです。
それには、何よりもまず神を愛することです。
あらゆる問題の答えは神のみ手の中にあります。
神が神秘のヴェールを上げられたとき、
それまで見えなかったすべての答えが見えてきます。





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仏教は宗教です

仏教僧侶は、とかくヒンドゥー教を外道といったり、
キリスト教やイスラム教を非科学的だといったり、神秘思想をオカルトだといったり、
孔孟老壮思想を訓詁学だといったりして、自らの宗教を上に置こうとします。

これは大いなる誤りです。
仏教僧でなくても、覚者は世界中にたくさん存在します。

釈尊当時にも、維摩居士のような人物もいたのです。

六師外道といっても、邪教だという意味ではありません。
その中では、部分的には真実が説かれていたのです。

ヒンドゥー教では、釈尊も聖者の一人です。
マホメットはキリストを預言者として尊敬していました。

そして、過去にも末来にも仏陀は地上に降りて、法を説くのです。

何故、仏教のみが真実なのでしょうか?
そのようなことがあり得るのでしょうか?

きっと、そのような人は、仏教を合理主義の哲学のようなものにしたいのでしょう。

しかし、仏教は宗教であり、
宗教は霊界からの啓示や指導を受けて説かれる教えであります。

いくら教義や専門用語を勉強したところで、知識と心の状態は一致しません。

霊的修行なくして、宗教的真理には到達できないのです。




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日本宗教学の祖

姉崎正治は、
東京帝国大学宗教学の初代教授であり、日本宗教学の祖ともいわれます。
 
姉崎氏は、宗教学者というだけではなく、
貴族院議員、国際連盟委員等でも活躍しました。

また、
明治維新を支えた国民精神の衰退を危惧して結成された、
「帰一協会」の中心的存在として、国民教化にあたります。

この協会は、実業家渋沢栄一氏の支援を受けて、
国民道徳を養う何らかの新宗教を模索するために、
指導的な知識人、宗教家、財界人などを集めて結成された研究団体でありました。

ここで彼は、人間を超越する偉大なものの存在を信じ、
それに対する畏敬の念に、万教の帰一を探ろうとしました。

彼の主張は、

人間心霊の無盡なる価値を発揮する、

人類生活の感応結合に依って、人性の醇化を成就する、

一切生存の根底に神霊あるを信じ、人心人生に於ける神霊の開発を人生の帰趣とする、

個人各自の心霊が、不朽の生命を存し、無盡の価値を蓄へて居る事を信ずる、


というものです。

彼はまた、仏教徒でもありました。
弟子には、増谷文雄、岸本英夫らがいます。


現代の宗教学者は、宗教を信じない立場で宗教を分析するのに対し、
宗教学の祖は、確固たる信仰を持ち、そして国民教化に尽力したのです。




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日本のニューソート

近代日本にも偉大な宗教家が生れています。

それは、「生長の家」の総裁、谷口雅春氏です。

彼は、どの宗教も実相世界(霊界)の表現であり、
その根は一つであるという万教帰一を唱えました。

そして、
全ては完全なる神の現れであるので、
本来、「悪なし、病気なし、死なし、肉体なし」である


本来の心は完全で、神そのもの、光明そのものであることを悟れば、
それが現象世界にも顕現してくるのだ

という実相哲学を唱えました。


著書には、「生命の実相」という大部の哲学書があり、
また、仏教にも言及した、「涅槃経」、「維摩経」、「般若心経」などの解釈書もあります。

「生長の家」では、観法、行法として、
神の光を引き入れるための祈りである「神想観」を行うのが特徴です。

彼は、
ニューソート思想、光明思想を日本に根づかせ、
人類光明化運動を起こすべく、55年の長い期間「生長の家」を指導しました。
世界最大のニューソート団体だとも言われています。

生前彼を指導していた霊人こそ、
日本神道の主宰神、天御中主神でありました。

また、彼の前世は、伊邪那岐命であり、
新プラトン主義の創始者プロティノスでもある、というのは驚きです。


「生長の家」は、日本神道の一大革新運動でもあったのです。




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日本心霊界の巨人

出口王仁三郎氏は、
大本教の開祖出口直氏と共に、教えを広めた方です。

彼は、巨大な霊能力者でした。

幼少のころから不思議な能力を持ち、
宗教修行を重ね、その能力に磨きをかけました。

全81巻にもなる膨大な「霊界物語」を短期間で口述筆記していますが、
これは、国常立之神からの霊指導でなされたものだそうです。

その中では、
仏教やキリスト教の教義も引用され、
「神儒仏耶同根」、「諸教同根」という理念で、
大本霊学が説かれています。

彼は、日本の敗戦、核爆弾の投下を予言するなどして、
政府に睨まれ、二度の大弾圧を受けています。

その功績として、
国際語のエスペラントを導入したり、
世界宗教連合会を発足するなどして、宗教間対話の礎を築いています。

また、文筆、書画、陶芸、詩などの、
膨大な数の芸術作品を残しています。

彼の弟子には、
日本心霊科学協会の浅野和三郎氏、生長の家の谷口雅春氏、
世界救世教の岡田茂吉氏、合気道の開祖植芝盛平氏などがいます。


この王仁三郎氏の前世は、
古事記を暗誦したといわれる稗田阿礼なのだそうです。




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日本の神々

日本神道は、日本古来の宗教です。

わが国の主宰神は、天之御中主神です。
その他にも、神御産巣日神、高御産巣日神、天照大神と鎮座されています。

実は、この方々は、究極的な神ではなく、
紀元前800年頃に、人間として日本の地に生まれた霊人なのです。

この霊人達が、日本文化の土台をつくり、神話となっていったのです。

日本の神々はまた、戦後の、神道系新宗教の指導もしています。

例えば、
万教帰一を説いた「生長の家」の谷口雅春氏は、伊邪那岐大神の生まれ変わりであり、
その教団を指導したのが、天之御中主神であったようなのです。

日本もまた神の国なのです。


日本民族は、ムーで活躍した霊団が母体となっています。
ムー大陸の沈没後、日本列島に流れてきて新しい文明を建設しました。

日本の神々も、かつてのムー大陸で、
仏陀の過去世ラ・ムーの説く法に帰依していたのです。

この事実からも、宗教の淵源は一つであることがわかります。




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キリスト教と浄土仏教

仏教の中でも、浄土教と呼ばれる宗派は、
キリスト教に似ているとよく言われます。

キリスト教伝道が、日本で上手くいかなかったのも、
浄土教が根づいていたからだ、とも言われます。

実際の教義上においても、

絶対者への帰依を勧める
罪の自覚を促す
神仏と一体となる境地を目指す
浄土や天国など来世での幸福を説く

という点に於いて瓜二つです。

その他にも、行があまり問題とされず、信仰によって救われていくという特徴があります。

この類似点の指摘は、
宗教学者などによって、多数なされています。


それも、そのはずなのです。
近年の、霊界情報によって、驚くべきことが判明しました。

なんと、日本浄土教には、
過去世でイエス=キリストと縁のあった方々が、関わっているのです。
キリスト教系の霊人は、
時代を経て、宗派を超えて、仏教僧として生まれ、日本で、愛の精神を説いたのです。

洗礼者ヨハネは、比叡山の源信僧都として生まれ、阿弥陀仏への帰依を説きました。

法然、一遍、唯円、蓮如はそれぞれ、
キリスト十二使徒の、
トマス、ヤコブ、マタイ、アンデレでした。

親鸞は、伝道者パウロでした。

東洋と西洋の文明の合流地点、
そして、それを昇華し、あらたな霊性文明を打ちたてるべく、
日本には、そのような宗教を超えた種が撒かれていたのです。

そもそも、
イエス自身が、青年時代のインドエジプト修行旅行において、
仏典を学んだこともあるそうなのです。

人間は、
時代、宗教、人種を超えて転生し、修行している存在なのです。

このように、神の計画は、壮大なのでした。



信じるものは救われる。




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宗教多元主義

元福音派のジョン・ヒック教授は、宗教思想に新分野を開拓しました。

諸宗教には、それぞれ同一の超越の次元があり、
それらは、神と呼ばれたり、法(ダルマ)と呼ばれたりする。

それは、「究極の存在」であり、どの宗教でもそれとの接点に人を導き、
魂を完全性に向けて動かす伝統があると主張しました。

敬虔なヒンドゥー教徒のガンジーもまた、言いました。

「宗教は同一地点で交わる異なる道である。同一のゴールを目指しているのなら、
とる道が問題となろうか。私が信じるのは、世界の大宗教すべての基本真理である。
そのどれもが神によって与えられたものと信じる。
啓示された人々にとってそのどれもが必要であると信じる。」

ガンジーの過去世は、カノッサの屈辱時のローマ教皇グレゴリウス七世であり、
その前は、ローマ帝国の五賢帝トラヤヌスだそうです。




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二宮尊徳の宗教観

この例え話は、有名でありますが、
銅像で有名な、二宮尊徳が話したそうです。

世の中に本当の真理はただ一つしかないが、その真理に近づく入り口はいくつもある。
神道、仏教、あるいは仏教でも天台宗、浄土宗、真言宗などいろいろあるが、
これらは何れも、いくつもある真理への入り口に付いている小道の名前に過ぎない。
例えば富士山に登るのに、吉田から、須走りから、須山から、それぞれ登れるが、
最終的に頂上に至れば同じ所である。
これを、違う目的に到達できる別々の道がある、と考えるのは誤りである。
入り口が幾つもあっても、最終的に到達する場所は、一つである。
それは、誠である。 ところが世の中では、これらを別々な道であると言い、
真理が幾つもあるように言っている。


「二宮翁夜話」

どのような宗教も、目指すところはワンネス(神)である。
まさにこれこそ、ニューエイジ的なものなのです。

二宮尊徳の過去世は、奈良時代の行基菩薩であり、
その後は、現代に名コンサルタントの一倉定氏として転生されたのです。




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全ては繋がっている

昨今は、希望実現、自己啓発ブームです。
本屋に行けば、引き寄せの法側、ザ・シークレットなどが並んでいます。

思いは実現するということは、心理学者達が一様に認めています。

思考には力があり、意識は物質に作用するということは、
量子力学の世界でもとなえられはじめました。

アメリカにおいて、成功哲学やニューソート思想を説いた多くが、
牧師さんや宗教家であり、ニューエイジの源流の一つにもなっているのです。

人間の意識は宇宙と繋がっていて、人間には、内なる神を顕現するべく、
無限の成長と発展と幸福の機会が与えられている。


アメリカ精神に多大な影響を与えた超絶主義者のエマソンは、
自己の内なる神を信頼し、真善美のみを見つめる光明思想を説きました。
彼の思想は、東洋哲学からも影響を受けていました。

そして、東洋の光といわれる仏陀もまた、自己信頼、繁栄の法側を説いています。

尚、霊界情報では、エマソンは、なんとあのソクラテスの生まれ変わりだそうです。




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