またこの違いを、浄土教の方では、聖道門と浄土門に分けることもあります。
簡単に説明しますと、
自力である聖道門は、
内なる仏性を開発するべく、
自己修行によって悟りの境地に到ることを目指す道であります。
他力である浄土門は、
神仏に己の全存在を投げ捨て、
うちまかせていくことで、救われていくことを目指す道です。
しかし、現代の仏教界においては、どちらの道も中途半端に終わっています。
自力といっても、悟りなどあるのかどうか?
他力といっても、救いなどあるのかどうか?
仏性といっても、神仏といっても、そんなものがあるのかどうか?
こんなことをやっています。
それもそのはず、仏教を唯物論の立場で解釈しようとするからです。
真実の立場はこうです。
悟りの境地はある。
霊的世界はある。
神仏は存在する。
そして、これはニューエイジの基本的立場でもあるのでした。
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