僧侶のたくらみ

仏教とニューエイジの対話を推進するべく、 こっそりと活動中

自力と他力

仏教には、自力と他力がある、という風によく言われます。

またこの違いを、浄土教の方では、聖道門と浄土門に分けることもあります。

簡単に説明しますと、

自力である聖道門は、
内なる仏性を開発するべく、
自己修行によって悟りの境地に到ることを目指す道であります。

他力である浄土門は、
神仏に己の全存在を投げ捨て、
うちまかせていくことで、救われていくことを目指す道です。


しかし、現代の仏教界においては、どちらの道も中途半端に終わっています。

自力といっても、悟りなどあるのかどうか?
他力といっても、救いなどあるのかどうか?
仏性といっても、神仏といっても、そんなものがあるのかどうか?

こんなことをやっています。

それもそのはず、仏教を唯物論の立場で解釈しようとするからです。

真実の立場はこうです。

悟りの境地はある
霊的世界はある
神仏は存在する

そして、これはニューエイジの基本的立場でもあるのでした。




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キリスト教と浄土仏教

仏教の中でも、浄土教と呼ばれる宗派は、
キリスト教に似ているとよく言われます。

キリスト教伝道が、日本で上手くいかなかったのも、
浄土教が根づいていたからだ、とも言われます。

実際の教義上においても、

絶対者への帰依を勧める
罪の自覚を促す
神仏と一体となる境地を目指す
浄土や天国など来世での幸福を説く

という点に於いて瓜二つです。

その他にも、行があまり問題とされず、信仰によって救われていくという特徴があります。

この類似点の指摘は、
宗教学者などによって、多数なされています。


それも、そのはずなのです。
近年の、霊界情報によって、驚くべきことが判明しました。

なんと、日本浄土教には、
過去世でイエス=キリストと縁のあった方々が、関わっているのです。
キリスト教系の霊人は、
時代を経て、宗派を超えて、仏教僧として生まれ、日本で、愛の精神を説いたのです。

洗礼者ヨハネは、比叡山の源信僧都として生まれ、阿弥陀仏への帰依を説きました。

法然、一遍、唯円、蓮如はそれぞれ、
キリスト十二使徒の、
トマス、ヤコブ、マタイ、アンデレでした。

親鸞は、伝道者パウロでした。

東洋と西洋の文明の合流地点、
そして、それを昇華し、あらたな霊性文明を打ちたてるべく、
日本には、そのような宗教を超えた種が撒かれていたのです。

そもそも、
イエス自身が、青年時代のインドエジプト修行旅行において、
仏典を学んだこともあるそうなのです。

人間は、
時代、宗教、人種を超えて転生し、修行している存在なのです。

このように、神の計画は、壮大なのでした。



信じるものは救われる。




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マスコミの宗教嫌い

私は、見ていないのですが、

関西ローカル番組「たかじんのそこまで言って委員会」で、

新宗教批判があったようですね。

マスコミには、宗教アレルギーがあるので、気をつけないと毒されます。

見てみたいけど、たぶんイラッとくるのでやめておきます。




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神智学と仏教

ニューエイジの母体となっている神智学ですが、

神智学は、仏教に影響を受けています。

昔は、神智学者は、白い仏教徒(仏法を行じる西洋人)
と呼ばれていたのです。

今でこそ、まったく別物のように扱われていますが、
明治期に、神智学者のヘンリー・スティール・オルコット著
『仏教問答』の日本語版出版に奔走したのは、仏教僧でありました。

また、オルコット氏を日本に招聘して、
インド神智学協会と交流を深めようとしたのも、
日本仏教徒達だったのです。

その後の日本仏教僧はオカルティズムではなく、
マルクス主義の方に傾倒するようになります。

唯物論の魔力から、仏教僧はいまだ抜けきれていません。

しかし、
鈴木大拙氏や今東光氏は、神智学を日本に紹介していますし、
仏教学者の渡辺照宏氏は、
神智学協会で指導していたこともあるシュタイナーに影響を受けています。

元をたどれば、神智学はほとんど仏教であり、
ニューエイジと仏教は、大いに接点があるのです!




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光明荘厳

光明荘厳。 

あまり聞き慣れない言葉であります。

これは、現代の仏陀が、
仏教に古くからある、三法印に追加されたものなのです。

仏教の三法印とは何か?

それは、

諸行無常(この世の森羅万象は移り変わる)
諸法無我(宇宙の万物は仏に包括され、個別存在ではない)
涅槃寂静(霊的覚醒を伴う悟りの境地は精妙である)

の三つであります。

これは、どんな仏教でも基本に据えておかねばならないというものです。
逆にこれを外せば、仏教ではなくなるのです。

しかし、

この三法印だけでは、
仏教は、厭世的で、消極的な教えだと誤解されかねない。

そこで、

あの世の仏国土は素晴らしい世界なのですが、この世にも仏国土建設を実現させる、

この世の一切衆生には、仏の叡智が宿っているが、
その光を、悟りの力で増幅させ、よりこの世を荘厳していく、

この世は美しく、素晴らしい、

政治、経済、科学技術にも神の意志は働いており、

この世とあの世をつらぬく幸福を説いて、この世を良くしていく、

光明荘厳とは、そういったことの象徴的表現であり、
発展的で積極的な意味合いのある言葉なのです。

これを足して、仏教の四法印とする。

ニューエイジ時代にふさわしい仏法のあり方です。




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神智学光線

神智学光線を浴びてください。


第一宇宙線
決断、勇気、破壊・・・・・サナート・クメラ

第二宇宙線
智慧と愛・・・・ブッダ(クートフーミ、ジュアルクール [補佐])  

第三宇宙線
計画、謀略、政治的知能・・・・マハ・チョウハン(ヴェネチャン・チョウハン[担当])

第四宇宙線
調和美、統合、統一愛・・・・セラピス

第五宇宙線
科学的探求、発見発明力・・・・ヒラリオン

第六宇宙線
理想、憧憬・・・・イエス

第七宇宙線
魔力・・・・聖ジャーメイン



言葉の響きが面白いですね。




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ブログジャンキー

ブログは楽しいです。
しかも無料。
こんな楽しいものがこの世にあったとは。

こうやって書いていると、
自分の未熟さに気づかされます。

苦しくなっても、途中で止めずに、
誰も見なくなっても、こつこつと続けていこうと思います。

仏教もニューエイジも、
愛を説き、神の言葉を伝え、自他を救おうとするものです。

ここを見る人にとって、魂の糧になるような、
そんなブログにしていきたいです。

ランキングにも登録したし。
でも、うけ狙いではなく、マニアックにいこう。

もっと精進します。




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如来の再生

如来は通常の魂の形態を超えているので、その再生は思慮を絶しているのです。

お釈迦さまはこう説明されています。

ヴァッチャよ、あなたはわからなくなるに違いない、迷うに違いない。
ヴァッチャよ、この教えは意味が深く、洞察しがたく、さとりがたく、
寂静で優れており、思慮の領域を超え、微妙であり、
賢明な人によって知られるものである。
異なった見解を持ち、異なった修行をし、
異なった行いをするあなたには知りがたいのである。

物質・感受・想・形成力・意識として如来を認知する者は、
如来にはその物質・感受・想・形成力・意識は捨てられており、
根を断たれたターラ樹の幹のように消滅し、
未来に再び生じないものであることを認知するであろう。

しかし、ヴァッチャよ。
如来は物質・感受・想・形成力・意識という呼び名から解き放たれており、
大海のように深く、無量であり、底が知られない。
それゆえ再生するというのは適切ではなく、
再生しないというのは適切ではなく、
再生しつつしかも再生しないというのは適切ではなく、
再生するのでもなく、再生しないのでもないというのは適切ではない。


パーリ原始仏典中部第72経「火ヴァッチャ経」




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供養の意味

供養には意味があるのでしょうか?

お釈迦さまの時代から、先祖供養は行われていました。
それどころか、お釈迦さまは供養を勧めています。

何故なのでしょうか?

それは、供養は、利他行にあたるからです。

仏教には、回向(えこう)という言葉があります。
これは、悟りの功徳を、他に施し、ふりむけることによって、
いい影響を与えることが出来るというものなのです。

ですから、悟りの功徳によって、先祖も喜ぶし、
またそれが善行となり、自分にも益となるからなのです。

実際、原始仏典の「餓鬼事経」というお経には、
仏弟子達により行われる供養によって、救われる霊の話がたくさんでてきます。

悟りには、迷っている霊を救う力があるということなのです。

しかし、まず生きているものから救われていかなければいけません。
迷っているものが、迷っているものを救うことは出来ないのです。

一般的には、
特別に先祖供養をしなくても、
仏法に従って、明るく、健全に精進している姿を
故人に見てもらうことで、それが供養になります。




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六道輪廻

お釈迦様は、偉大な霊覚者でありました。

仏教以前の、ヴェーダ(古代インドの聖典)でも、
あの世や輪廻は説かれていたのですが、
お釈迦さまは、それをより詳細に、因果応報の法則に基づいて、体系づけられました。

これは、お釈迦さまの霊査によるものであって、
あらゆる生命の過去世や死後の転生を実際に確認し、
輪廻のしくみを知れるからこそ出来たことなのです。

お釈迦様は、

「私は、天眼によって、衆生が優れたものや劣ったものとして転生するのを、
業によって善趣や悪趣に牽かれていくのを、ありありと観察して知っている。」


こう言われています。

お釈迦様は、当時のインドにいた霊能力自慢の修行者を説き伏せて、
次ぎ次ぎと帰依者にしています。他にも霊能者はたくさんいたけれども、
そこまで見通せるほどの霊覚者は、歴史上においても稀なのです。


そこで説かれたのが、六道輪廻です。

私達は、生前につくったそれぞれのカルマにしたがって、 
地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天界という六道といわれる、
あの世の世界のいずれかに、帰っていくことになります。
そしてあの世での生活を終え、また地上に生まれてきます。
そのように私達は、流転輪廻を重ねて、魂修行をしている存在なのです。

仏陀は、「輪廻からの解脱」を説いたので、
悟りを開くともう二度と輪廻しない、という専門家がいますが、

それは間違いで、
悟りを完成し、六道から解脱して天界より上段の如来界、仏界に入ると、
カルマにもとづく自動的な転生をさせられるのではなく、
自分の意志で自由に生まれを決定することが出来るようになる、
ということなのです。

如来は、人類救済の為に何度も生まれてくる、というのが本当なのです。


「修行僧たちよ。過去の世に真人・正しくさとりを開いた人々がいた。
それらの尊師たちにも侍り仕えることに専念している従者たちがいて、
譬えば、わたしにとってのアーナンダのごとくであった。
修行僧らよ。
また、未来の世にも、真人・正しくさとりを開いた人々があらわれるであろう。」


「ブッダ最後の旅」




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祈りの詩

神智学やヨガの普及に尽力した竜王会の三浦関造氏の祈りの詩であります。




清くすみわわたる大霊の光に
御意識をかがやかして
智慧と慈愛の御振動にて
われ等を導き給う大救世主よ

正義おとろえて不義栄ゆるの時
悪を亡ぼし善を助けんが為
しばしば地上に帰り給いし大救世主よ

今また混沌たる闇の世に
至尊清浄の御神力のあらたに
帰り給いてわれ等を照らし
鉄鎖の束縛
熔炉の苦痛より
われ等を救い給う大救世主よ

われ等はみ教えに学び
みこころに一心を安定し
一切の行いを大前に捧げ
しずかにゆるぎなく
大霊の大法則に合し
一切の苦難を踏破せん

われ等は我欲を制して
自ら足るを知り
何ごとにも悲しまず
怒らず恨まず恐れず
何ものにも悪意をもたず
懇切に慈悲深く
常に太陽の如く光を分光し
苦楽何れに処するも坦々として
心調和し我執なく
正しき決意堅固に
勇猛精進して
汝より離れ去ることあらず

汝が大神の中にましまし
大神また汝の中にまします如く
我等もろ共汝の中に在れば
願わくば大救世主よ
汝も亦われ等の中に燃え輝き
至上至尊の大智慧力を
不滅なる大統一力を
万能の大神通力を
聖なる神眼力を
時空超越の大自在力を揮わせ給わんことを






凄い決意ですね。私も精進します。




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維摩という人物

聖徳太子が、尊奉していた維摩経という経典があります。

生長の家の谷口雅春氏が、
「 維摩経こそ、仏教の最高峰たる真理を述べたものである。」
と言っているように、
この経典を大乗仏典の最高傑作だとする人も多いのです。

維摩経では、「空」や「不二」という、とらわれのない境地、霊的概念が、
主人公の維摩を通して融通無碍に説かれています。

維摩は、在家信者でありながらも、釈迦十大弟子以上の悟りを示し、
在家信者や仏弟子をも導くことがありました。

経典にはこうあります。

「(維摩)は比類のないほど財産を持った資産家である。
俗衣をまとい、家庭生活を営み、飲食を享受し、賭事やばくちをする場所にも出入りし、
遊びに通じ、色街にも通い、酒場にも足をはこぶことも多いのである。
仏教以外の教えにも耳を傾け、それらの書籍を読み、政治・法律にも詳しく、
街の治安にも協力し、学校にも顔を出す。いろんな会合にも招かれれば喜んで出席する。
そのような彼を資産家たちも、在家信者たちも、バラモンや、王族や、町人なども、
さらに諸天でさえ尊敬するのである。なぜかというと、彼は自ら処するところにおいて、
彼の周りの人々をいつの間にか正しい道に導いているからである。
金持といっても金銭に執着していない、学識があるかと学者ぶるのでもない。
世間では悪の巣窟だといわれるところでも、そこを避けて通るわけでもない。
彼は人間それぞれ生きざまをさらけだしている生活する場にはすべて立ち寄り、
そこで人間の正しい生き方を教えているのである。」


この経典の中では、

その維摩に、
弥勒菩薩などの諸菩薩や釈迦弟子が次ぎ次ぎと、法問答でやり込められ、
その後には、お釈迦様とも、対等に受け答えをします。

その維摩の姿に驚いた釈迦十大弟子の智慧第一シャーリプトラが、
お釈迦さまに、「あの維摩は一体何者なのでしょうか。」と尋ねると、

お釈迦様は、「アクショービヤ如来である。」と告げられます。

その後、維摩が三昧に入って神通を見せて、このお経は終わります。


近代に入ってからは、人気がなくなってしまった維摩経ですが、
そこには、計り知れない真理が述べられているのです。

尚、
霊界情報では、この維摩は実在の人物であり、釈尊も一目置く存在であったそうです。
また、死後も霊界から大乗仏典編纂を指導した存在であるということです。

そして、釈尊が再誕している今、維摩もまた・・・。




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感動の仏教詩人

坂村真民さんの詩をいくつか紹介いたします。
素朴で純粋な詩魂に打たれます。

仏行

大宇宙には
無尽の大生命が
一分一秒の狂いもなく
電流電波のように
流れている
それを受けとめねばならぬ
そういう体にしてゆかねばならぬ
それが仏行である

まんまるいもの

宇宙の心を
だんだんだんだん
煮つめていったら
まんまるいものとなった
その時ああこれさえあれば
なにもかも良くなると思った
このまんまるいものを
うんと作って多くの人に
飲んで貰おうと思った
キラキラ光る
まんまるい宇宙の真実
すべてをまるく包んで
平和にしてゆく
輪廻の教え

愛と願い

人はどんな遠い処からでもやってくる
それは愛のためだ
鳥もどんな遠い処からでも飛んでくる
それは願いのためだ
この世でもっとも美しいのは
この愛と願い
そのために一心に生きよう





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永遠の西田哲学

西田幾多郎は日本人としては唯一人、「哲学学者」ではなく、哲学者でありました。
自らの思索と、理論で、純粋経験や絶対矛盾の自己同一を語りました。
西洋哲学を超越せんとして、東洋的思想をもって合一を計りました。

あまりにも宗教的すぎて、哲学ではない、という批判もあったようです。

その影響は、今でも京都学派といわれ、神秘主義的傾向を残しています。

彼は、また、神を自らの言葉で語れる人でもあったのです。

彼の言葉を見てみましょう。

神とはこの宇宙の根本をいうのである。
宇宙は神の所作物ではなく、神の表現である。外は日月星辰の運行より、
内は人心の機敏に至るまで悉く神の表現でないものはない。
我々はこれらの物の根底において一々神の霊光を拝することができるのである。

凡ての人が各自神より与えられた使命をもって生まれてきたというように、
我々の個人性は神性の分化せる者である、各自の発展は即ち神の発展を
完成するのである。この意味において我々の個人性は永久の生命を有し、
永遠の発展を成すということができるのである(ロイスの霊魂不滅論を看よ)。

学問も道徳も皆仏陀の光明であり、宗教というものはこの作用の極致である。
学問や道徳は個々の差別的現象の上にこの他力の光明に浴するのであるが、
宗教は宇宙全体の上において絶対無限の仏陀その者に接するのである。
インドのヴェーダ教や新プラトー学派や仏教の聖道門はこれを知るといい、
キリスト教や浄土宗はこれを愛すといいまたはこれに依るという。
各自その特色はないではないが、その本質においては同一である。


「善の研究」

西田幾多郎の過去世は、「万学の祖」といわれる哲学者アリストテレスであり、
その後は、禅の公案集「無門関」を記した無門慧開として生まれました。




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ジュピター

Everyday I listen to my heart

一人じゃない

深い胸の奥でつながってる

果てしない時を超えて輝く星が

出会えた奇跡教えてくれる

Everyday I listen to my heart

一人じゃない

この空の 御胸に抱かれて


私のこの両手で何ができるの

痛みに触れさせて、そっと目を閉じて

夢を失うよりも悲しいことは

自分を信じてあげられないこと

愛を学ぶために孤独があるなら

意味のないことなど起こりはしない


心のしじまに耳を澄まして

私を呼んだならどこへでも行くわ

あなたのその涙 私のものに


今は自分をだきしめて

命のぬくもり感じて

私たちは誰も一人じゃない

ありのままでずっと愛されてる

望むように生きて輝く未来を

いつまでも歌うわあなたのために






このヒット曲、「ジュピター」の詩を書いたのは、
作詞家、小説家の吉元由美さんです。

彼女は、このような神の愛のしくみを、ケイシーなどの精神世界に学んでいるようです。
この歌は、極めて、ニューエイジ的なのです。




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アセンション

仏教には、底力があります。

観光寺院化、形骸化、葬式仏教化、唯物論化

したと言われて久しいですが、仏教もアセンションしなければなりません。

仏教には、華厳、唯識、中観などの壮大な哲学があります。

二千五百年以上、守られてきた戒・定・慧の三学の修行システムが構築されています。

あとは、
形而上学、霊的世界との接点を取り戻すことが、何よりも必要なのです。




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精神世界ランキング

精神世界ランキングに登録しました。

まさか自分があそこに加わることになろうとは。

上位の方を見ると、日頃お世話になっているサイトも沢山あります。

尊敬すべき方々も、たくさんいっらしゃるので、

同じ土俵に上がれるだけでも喜ばしいことであります。

それにしても、精神世界に仏教僧は少ないですね。

微力ながら、日々精進します。

合掌




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六大神通力

仏教には六大神通力というものがあります。

これは、仏道修行者が悟りへ近づくにつれて、自然と備わる能力です。

現代でいえば、霊能力と言えるでしょう。

お釈迦様は、霊能力信仰は否定されましたが、
このような能力の全てを持たれていました。

原始仏典の「沙門果経」には、
修行者が得ることの出来る素晴らしい利益としてこれらが説かれています。

六神通

天眼通(てんげんつう) 
天の存在、霊人が見える霊視能力。

天耳通(てんにつう) 
天の声、霊人の声が聞こえる霊聴能力。

他心通(たしんつう)  
他人の心や憑依状態を知る読心能力。

宿命通(しゅくみょうつう) 
自分や他人の前世や来世を知るリーディング能力。

神足通(じんそくつう) 
この世にいながら、自由自在に、あの世へ参入できる能力。

漏尽通(ろじんつう) 
強大な霊力をコントロールし、煩悩から解脱できる能力。





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役の行者

役の行者は、
正式な仏教僧では無いのですが、

竜樹から、秘法を授かったという伝説が物語っているように、
日本仏教には影響力のある方です。

奈良見葛城山で、山岳修行を行い、六波羅蜜を修しました。
日本霊異記の中では、仏法を厚くうやまった優婆塞(在家の信者)
として記されています。

雲に乗ったり、孔雀王呪経の呪法を修め、霊を自在に操ったとも伝えられています。

藤原鎌足の病気を治癒した、という伝説もあり、
とにかく霊能力、呪術に優れていたそうです。

現在も、修験道の開祖として尊敬され、仙人の親玉として君臨しています。

そして、なんと、
この役の行者は、近代に高橋信次氏として生まれ、
GLAという新宗教を輿し、霊的世界の実在を世に広められたのです。




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高楠順次郎博士

高楠順次郎博士は、梵語(古代インド語)の権威でありました。
本願寺で学び、東大で梵語を教えました。

博士は、大蔵経という膨大な量の仏教経典を翻訳し、
出版するという事業に命をかけました。

そして、『大正新脩大蔵経』、『国訳南伝大蔵経』を全巻刊行しました。

その功績は、日本仏教界においては多大なものです。

その外にも、今の『中央公論』の前進となる『反省会雑誌』を発行したり、
欧米仏教通信会と称して、神智学や、オカルティズムを日本に紹介しました。

また、『現代仏教』を創刊するなど国民の教化活動や女子教育にも力をそそがれました。

晩年は、オカルト的古代文明論を提唱されました。

かくも偉大な、お方だったのです。




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ポジティブ・サイコロジー

アメリカでは、ポジティブ・サイコロジーという心理学が確立され、
ハーバード大学などでも、人気講義となっています。

このポジティブ・サイコロジーとは、
どのようにすれば、幸福になれるかを考え、
自由な発想と創造力をもって、今よりさらに幸福になっていこうと決意し、
行動することによって、実際に幸福を得ることが可能になるというものです。

この思想の底流にあるのは、
人間は幸福になるべくしてつくられている、という確固たる信念であります。

昔の心理学といえば、人間の病理ばかり、取り扱っていました。

しかし、人間の健康面、正常なあり方にスポットをあてたのは、

アメリカの心理学者アブラハム・H・マズローが最初でした。

マズローは、人間の欲求段階説を理論化しました。

それは、
人間の魂が向上するにつれて求めるものが、

   生理的欲求
 ↓安全の欲求
 ↓親和(所属愛)の欲求
 ↓自我(自尊)の欲求
   自己実現の欲求

と発展していくというものです。

そして、健康な人間は、最後の自己実現の欲求が満たされた時に、
最も強い幸福感(至高体験)を持つ、ということをあきらかにしました。

その幸福感とは、宗教体験にも似たものであります。

マズローは今日の、ポジティブサイコロジーの先駆者でもありました。

ちなみに、このマズローの前世は、
室町時代に浄土真宗を全国に発展させた、あの蓮如だったのです。




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カルマ

仏教思想を貫く中心となるものは、因果応報の法側です。

善因善果、悪因悪果ともいいますが、
善を行えば、善い結果が生じ、悪を行えば、悪い結果が生じるということです。

これは、悪を為せば地獄に堕ち、善をなせば天上界に帰れる、ということでもあり、
道徳的啓蒙にも貢献します。

身口意の三業といわれる、行為、言葉、思い、でなしたことは、
必ず私達の魂の想念帯に蓄積され、カルマとして残っていく。

そのカルマが、前世、今世、来世の三世を通じて、連続して存続し、
それぞれの世で影響を及ぼす為に、
私達の環境や性格、個性、才能などが特定され形成されていくのです。

よく、「因縁を切る」といいますが、
因果はくらますことは出来ないので、これは不可能です。

どのような人であっても、因果応報という厳密な法側のもとにあるということです。

「情けは人のためならず」というのは、
あまり人に情けをかけるとその人のためにはならない、ということではなく、
人の為にかけてあげた情けは、自分によい影響として返ってくる、ということなのです。

「人を呪わば穴二つ」ということも、
人を呪うという行為の影響が、自分にそのまま跳ね返ってくることになる、
という戒めなのです。

ところで、

それでは一度為した悪は、取り返しがつかないのでしょうか?

実は、これを取り消して、修正を入れる行為にあたるものが反省なのです。
キリスト教的には懺悔とも言います。

想念帯に記録された悪想念は反省によって、取り消すことが出来る、
過去に為した行為であっても、
反省して悔い改めることによって許されるということなのです。

常に、八正道に照らし合わして反省を行い、
善を心掛け、慈愛の精神を育むということは、
天の蔵に宝を積んでいる行為にあたり、後に必ず実を結ぶこととなるのです。




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ニューエイジ界の混沌

精神世界をいろいろ探求していると出会うキーワードがあります。

だいたい受け入れられる方なのですが、
どうしても拒絶反応を起こしてしまうものがあり、
その中でも、私が眉唾だと思うものを挙げてみます。

・2012年アセンション(次元上昇)
・悪魔、地獄不在論
・ワクワクして生きる
・大麻解禁論
・シャンバラ(地下桃源郷)
・性愛を推奨するチャネリング系
・UFOによる地球滅亡よりの救済論
・NESARA
・超文明アガルタ
・ユダヤ=日本人説
・地球空洞説
・キリスト不在論

などなど。
混乱するニューエイジ界であります。

電波情報か真実か、
疑似科学か科学か、
闇の勢力かホワイトブラザーフッドか、
この境界線を見分けるのは至難の業ですね。




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祈りの力

宗教の世界では、
「求めよ、さらば与えられん」
と言われるように、祈ったこと、願ったことが実現するということがあります。

実際、祈りには、必ず答えがあると言われています。

天に届いた祈りは、霊人が受け取り、
それに答えるために、めまぐるしく働いているのだそうです。

ただ、その答えが、本人の希望どおりになるかどうかは、わからないのです。

その本人にとって最良なことは、試練に耐えることかもわからないし、
苦しみを通しての学びもあるからです。

しかしながら、他人に対する祈りや、世界平和に対する祈りなども、
必ず聞き届けられていて実際に効果がある、ということを知っていると、
無力で何も出来ない、とは言わなくなるのです。




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仏教とヨガ

仏教には、様々な修法があります。
しかし何故か、近代に入ってからは、理屈や理論ばかりで、
瞑想やヨガ、呼吸法、といった身体行、実践行が軽視されてきました。

しかし、宗教の本質は体験であり、実際に修してみないことには理解できません。
瞑想や呼吸法をマスターするには、長い修練が必要です。

お釈迦様は、呼吸法の効能を説いています。

世尊は、ある時祇園精舎に於いて弟子達に語られた。
「弟子達よ、入息出息を念ずることを実習するがよい。かくするならば、
身体は疲れず、眼も患まず、観えるままに楽しみて住み、
あだなる楽しみに染まぬことを覚えるであろう。
かように入息出息法を修めるならば、大いなる果と、大いなる福利を得るであろう。
かくて深く禅定に進みて、慈悲の心を得、迷いを断ち、證りに入るであろう」と。


「雑阿含経第二十九第十経」

また、白陰禅師も、呼吸法の効能を説いてます。

おおよそ生を養い、長寿を保つ要は、形を練るにしかず。
形を練るの要、神気をして丹田気海の間に凝らさしむるにあり。


「夜船閑話」

お釈迦様は、ヨガ行を極めていました。
そして、瞑想の指導者でもありました。

宗教を選ばず、健康回復にも役立つ、ヨガ行を仏教のものに取りもどすべきです。




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UFO

ニューエイジでは、異星人のことを真面目に考えています。
この広い宇宙に、地球人しかいない、と考える方がおかしいのですが、
我々はなかなか、常識から逸脱することは難しいようです。

最近の科学者でも、地球以外にも生命は