2008.03.26
迫害の歴史
現代でこそ、スピリチュアルの社会的地位はあがってきました。(?)
しかし昔は、信仰や霊に関しては、命がけだったのです。
洗礼者ヨハネは首をはねられ、ステファノは石打ちに、何よりイエスが桀にされました。
ヤコブ、パウロも殉教し、ブルーノ、サボナローラ、フスは火あぶりになりました。
中世の魔女狩りは、霊能者に対するものであったようです。
また、スウェーデンボルグは祖国を追われ、
心霊学の宣教師コナンドイルは晩年、有名作家の地位を失い孤独であったそうです。
福来友吉教授は、心霊研究の為、東大を追われました。
先人達の大変な苦労の上に現代のスピリチュアルブームも成り立っているのです。
一方で仏教はどうでしょうか?
仏教は寛容で、包容力をもっていて、迫害したり異端をつくったりすることはありません。
だから、仏教僧には、霊を認める人も認めない人も、どちらもいるのです。
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
しかし昔は、信仰や霊に関しては、命がけだったのです。
洗礼者ヨハネは首をはねられ、ステファノは石打ちに、何よりイエスが桀にされました。
ヤコブ、パウロも殉教し、ブルーノ、サボナローラ、フスは火あぶりになりました。
中世の魔女狩りは、霊能者に対するものであったようです。
また、スウェーデンボルグは祖国を追われ、
心霊学の宣教師コナンドイルは晩年、有名作家の地位を失い孤独であったそうです。
福来友吉教授は、心霊研究の為、東大を追われました。
先人達の大変な苦労の上に現代のスピリチュアルブームも成り立っているのです。
一方で仏教はどうでしょうか?
仏教は寛容で、包容力をもっていて、迫害したり異端をつくったりすることはありません。
だから、仏教僧には、霊を認める人も認めない人も、どちらもいるのです。



クリックして愚僧の活動に御協力ください。
スポンサーサイト
2008.03.26
スピリチュアリズム
スピリチュアリズムは、
1848年のハイズビルのフォックス家事件をきっかけに始まります。
フォックス姉妹におきたポルターガイスト現象が、大騒動を巻き起こし、
それ以降、霊に対する研究が進められていくことになります。
そのスピリチュアリズムの勃興を予言していた
アンドリュー・ジャクソン・デービスという霊能者がいます。
デービスは、霊能者でありましたが、
入神状態で講演活動することをライフワークとしていました。
その、講演記録が「大自然の摂理」「大自然の啓示」「人類に告ぐ」
の三部作の哲学書として、出版されています。
なんと、そのデービスに入神して講演していたのが、
あのスウェーデンボルグだと言われているのです。
デービスの言葉を紹介しましょう。
私が読者に訴えたいのは、
老化による純粋な自然現象による死には何一つ恐れるものはなく、
むしろ素晴らしいことばかりだということである。
言ってみれば、死は、地上よりはるかに素晴らしい景色と調和のとれた社会へ
案内してくれる素晴らしい案内者である。
地上から一個人の人間が去ったからといって、ただそれだけで嘆き悲しむのはやめよう。
見た目(肉眼)には冷たく陰気でも、霊眼で見れば、
肉体を離れた霊はバラ色の輝きに包まれながら旅立つのである。
悟れる者、常に永遠の真理と共に生きる者には、
死もなく、悲しみもなく、泣くこともないのである。
死期を迎えた者が横たわる部屋を静寂が支配するのは致し方あるまい。
が、ついに霊魂が去り肉体が屍となったならば、その時こそ静かに喜び、
やさしく歌い、心から祝福しよう。
何となれば、地上で肉体が滅びる時は、天国に霊魂が誕生する時だからである。
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
1848年のハイズビルのフォックス家事件をきっかけに始まります。
フォックス姉妹におきたポルターガイスト現象が、大騒動を巻き起こし、
それ以降、霊に対する研究が進められていくことになります。
そのスピリチュアリズムの勃興を予言していた
アンドリュー・ジャクソン・デービスという霊能者がいます。
デービスは、霊能者でありましたが、
入神状態で講演活動することをライフワークとしていました。
その、講演記録が「大自然の摂理」「大自然の啓示」「人類に告ぐ」
の三部作の哲学書として、出版されています。
なんと、そのデービスに入神して講演していたのが、
あのスウェーデンボルグだと言われているのです。
デービスの言葉を紹介しましょう。
私が読者に訴えたいのは、
老化による純粋な自然現象による死には何一つ恐れるものはなく、
むしろ素晴らしいことばかりだということである。
言ってみれば、死は、地上よりはるかに素晴らしい景色と調和のとれた社会へ
案内してくれる素晴らしい案内者である。
地上から一個人の人間が去ったからといって、ただそれだけで嘆き悲しむのはやめよう。
見た目(肉眼)には冷たく陰気でも、霊眼で見れば、
肉体を離れた霊はバラ色の輝きに包まれながら旅立つのである。
悟れる者、常に永遠の真理と共に生きる者には、
死もなく、悲しみもなく、泣くこともないのである。
死期を迎えた者が横たわる部屋を静寂が支配するのは致し方あるまい。
が、ついに霊魂が去り肉体が屍となったならば、その時こそ静かに喜び、
やさしく歌い、心から祝福しよう。
何となれば、地上で肉体が滅びる時は、天国に霊魂が誕生する時だからである。



クリックして愚僧の活動に御協力ください。
2008.03.26
心霊研究協会
心霊研究協会(SPR)には、驚くべき人達がいたのです。
そして、科学的に霊の存在を証明することに使命を燃やしました。
その意志は、現在の超心理学に引き継がれているのでしょう。
SPR会員
J・J・トムソン 物理学者
サミュエル・ラングレー 天文学者
ウィリアム・ジェームズ 心理学者、哲学者
ハインリッヒ・ヘルツ 物理学者
ウィリアム・クルックス 物理学者、化学者
オリバー・ロッジ 物理学者
ウィリアム・バレット 物理学者
シャルル・リシェ ノーベル賞受賞生理学者
アンリ・ベルクソン 哲学者、ノーベル文学賞受賞
レイリー公 ノーベル賞受賞物理学者
カミーユ・フラマリオン 天文学者
H・H・プライス 哲学者
アリスター・ハーディー 動物学者
ハンス・ドリーシュ 生物学者、哲学者
バーナード・カー ロンドン大学数学天文学教授
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
そして、科学的に霊の存在を証明することに使命を燃やしました。
その意志は、現在の超心理学に引き継がれているのでしょう。
SPR会員
J・J・トムソン 物理学者
サミュエル・ラングレー 天文学者
ウィリアム・ジェームズ 心理学者、哲学者
ハインリッヒ・ヘルツ 物理学者
ウィリアム・クルックス 物理学者、化学者
オリバー・ロッジ 物理学者
ウィリアム・バレット 物理学者
シャルル・リシェ ノーベル賞受賞生理学者
アンリ・ベルクソン 哲学者、ノーベル文学賞受賞
レイリー公 ノーベル賞受賞物理学者
カミーユ・フラマリオン 天文学者
H・H・プライス 哲学者
アリスター・ハーディー 動物学者
ハンス・ドリーシュ 生物学者、哲学者
バーナード・カー ロンドン大学数学天文学教授



クリックして愚僧の活動に御協力ください。
2008.03.26
宗教多元主義
元福音派のジョン・ヒック教授は、宗教思想に新分野を開拓しました。
諸宗教には、それぞれ同一の超越の次元があり、
それらは、神と呼ばれたり、法(ダルマ)と呼ばれたりする。
それは、「究極の存在」であり、どの宗教でもそれとの接点に人を導き、
魂を完全性に向けて動かす伝統があると主張しました。
敬虔なヒンドゥー教徒のガンジーもまた、言いました。
「宗教は同一地点で交わる異なる道である。同一のゴールを目指しているのなら、
とる道が問題となろうか。私が信じるのは、世界の大宗教すべての基本真理である。
そのどれもが神によって与えられたものと信じる。
啓示された人々にとってそのどれもが必要であると信じる。」
ガンジーの過去世は、カノッサの屈辱時のローマ教皇グレゴリウス七世であり、
その前は、ローマ帝国の五賢帝トラヤヌスだそうです。
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
諸宗教には、それぞれ同一の超越の次元があり、
それらは、神と呼ばれたり、法(ダルマ)と呼ばれたりする。
それは、「究極の存在」であり、どの宗教でもそれとの接点に人を導き、
魂を完全性に向けて動かす伝統があると主張しました。
敬虔なヒンドゥー教徒のガンジーもまた、言いました。
「宗教は同一地点で交わる異なる道である。同一のゴールを目指しているのなら、
とる道が問題となろうか。私が信じるのは、世界の大宗教すべての基本真理である。
そのどれもが神によって与えられたものと信じる。
啓示された人々にとってそのどれもが必要であると信じる。」
ガンジーの過去世は、カノッサの屈辱時のローマ教皇グレゴリウス七世であり、
その前は、ローマ帝国の五賢帝トラヤヌスだそうです。



クリックして愚僧の活動に御協力ください。
2008.03.26
良い宗教、悪い宗教
キリストは、「樹はその実によって知られる」と言われました。
良い宗教か、悪い宗教かを判断するには、それを奉じる人々を見ればいいのです。
その宗教を信じる人が、反社会的、非常識なことばかりするようでは悪い宗教であり、
社会貢献や啓蒙活動を行って良い影響を与えているならば、良い宗教なのです。
歴史の荒波に耐えてきた伝統宗教はどれも良い宗教だと言えます。
しかし、それが形骸化してきて、救済力が衰えているのも事実です。
いずれにしても、今後、宗教の果たすべき役割は、大きいのです。
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
良い宗教か、悪い宗教かを判断するには、それを奉じる人々を見ればいいのです。
その宗教を信じる人が、反社会的、非常識なことばかりするようでは悪い宗教であり、
社会貢献や啓蒙活動を行って良い影響を与えているならば、良い宗教なのです。
歴史の荒波に耐えてきた伝統宗教はどれも良い宗教だと言えます。
しかし、それが形骸化してきて、救済力が衰えているのも事実です。
いずれにしても、今後、宗教の果たすべき役割は、大きいのです。



クリックして愚僧の活動に御協力ください。
2008.03.26
ニューエイジと仏陀 3
神智学系でも、いろいろと言われているようです。
ウエサク祭について
しかしながら、ゴータマ仏陀の場合はまだある程度世界とは接触を保っておられ、
毎年五月の第一満月の日のウェサク Wesak 祭りには、
大師方の聖同胞団(ハイラーキー)にお姿を現されて大師方に祝福を注がれ、
大師方はそれをまた全世界に注ぐ。
また、ある人々はある方法でゴータマ仏陀に接することができる。
ウェサク祭の模様は「大師方と道」431-446頁に詳しく述べられている。
主仏陀の後継者すなわち現在の菩提薩陀は主マイトレーヤで、
西洋ではキリストといわれる。
「神智学大要 5太陽系」A・E・パウエル編著
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
ウエサク祭について
しかしながら、ゴータマ仏陀の場合はまだある程度世界とは接触を保っておられ、
毎年五月の第一満月の日のウェサク Wesak 祭りには、
大師方の聖同胞団(ハイラーキー)にお姿を現されて大師方に祝福を注がれ、
大師方はそれをまた全世界に注ぐ。
また、ある人々はある方法でゴータマ仏陀に接することができる。
ウェサク祭の模様は「大師方と道」431-446頁に詳しく述べられている。
主仏陀の後継者すなわち現在の菩提薩陀は主マイトレーヤで、
西洋ではキリストといわれる。
「神智学大要 5太陽系」A・E・パウエル編著



クリックして愚僧の活動に御協力ください。
2008.03.26
ニューエイジと仏陀 2
ウィキペディアからです。
うーん。(笑)
ニューエイジにおけるマイトレーヤ
ニューエイジ・ムーブメントの文脈に、マイトレーヤがでてくることがある。
2500年説
そもそもの出所は不明(著者が知らない)だが、
ゴータマ・ブッダが入滅の2500年後にマイトレーヤとして再来するという説があり、
近年はそれにあたる。この説では、光明を得たゴータマ・ブッダは、
子宮を通して赤ん坊として再来するのではなく、
成長しかつ準備の整った成人を媒介者(メディアム)として再来すると言われている。
ある解説によると、ゴータマ・ブッダは第二身体(エーテル体)のレベルで
自らを保存することに成功し、再来を待っていると言われる。
通常の死では、肉体の死後13日で第二身体は崩壊すると言われている。
第三身体(アストラル体)は通常45日後に崩壊する。
また、第二身体は肉体と同じ大きさの身体である。
霊体離脱という、生きたまま肉体の外に出て自分の肉体を外からみる体験、
で起きているのは、第二身体が肉体から離れた状態である。
臨死体験をした人が、自分の死んだ身体を外から見ていたり、
死んだ自分の身体の回りで起きていることを見ていたりするのは、
この第二身体の出来事と説明される。
ゴータマ・ブッダはこの第二身体を何らかの特殊な技法により
保存に成功したというものである。
神と霊魂を信じながらもダーウィン進化論をも信じる、
東西文化融合型の他のある密教組織では、
「キリストとマイトレーヤ(弥勒菩薩)の二つの名を同一の人物に与えている」
ケースがあり、オカルティックなハイソサエティーにおいてある種の非公式的な
文化統一政策が進んでいるようでもある。
この系統のオカルト思想は、「宇宙人覚者方」又は「天使の天軍」、
「宇宙のキリスト・マイトレーヤ」を自称する某密教組織のものである。
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
うーん。(笑)
ニューエイジにおけるマイトレーヤ
ニューエイジ・ムーブメントの文脈に、マイトレーヤがでてくることがある。
2500年説
そもそもの出所は不明(著者が知らない)だが、
ゴータマ・ブッダが入滅の2500年後にマイトレーヤとして再来するという説があり、
近年はそれにあたる。この説では、光明を得たゴータマ・ブッダは、
子宮を通して赤ん坊として再来するのではなく、
成長しかつ準備の整った成人を媒介者(メディアム)として再来すると言われている。
ある解説によると、ゴータマ・ブッダは第二身体(エーテル体)のレベルで
自らを保存することに成功し、再来を待っていると言われる。
通常の死では、肉体の死後13日で第二身体は崩壊すると言われている。
第三身体(アストラル体)は通常45日後に崩壊する。
また、第二身体は肉体と同じ大きさの身体である。
霊体離脱という、生きたまま肉体の外に出て自分の肉体を外からみる体験、
で起きているのは、第二身体が肉体から離れた状態である。
臨死体験をした人が、自分の死んだ身体を外から見ていたり、
死んだ自分の身体の回りで起きていることを見ていたりするのは、
この第二身体の出来事と説明される。
ゴータマ・ブッダはこの第二身体を何らかの特殊な技法により
保存に成功したというものである。
神と霊魂を信じながらもダーウィン進化論をも信じる、
東西文化融合型の他のある密教組織では、
「キリストとマイトレーヤ(弥勒菩薩)の二つの名を同一の人物に与えている」
ケースがあり、オカルティックなハイソサエティーにおいてある種の非公式的な
文化統一政策が進んでいるようでもある。
この系統のオカルト思想は、「宇宙人覚者方」又は「天使の天軍」、
「宇宙のキリスト・マイトレーヤ」を自称する某密教組織のものである。



クリックして愚僧の活動に御協力ください。
2008.03.26
ニューエイジと仏陀 1
これは、トンデモ情報なのでしょうか?
私には、そうは思えません。
肉体を持たない奥義体得者(アデプト)たちは大勢いる。
彼らはワークを続けている。
神智学者たちは、彼らを”大師たち”と呼んでいる---クート・フミ大師のように。
これらは架空の名前だが、彼らは、特定の人格や個性、
今なお働きつづけている肉体を持たない魂について言っているのだ。
クートフミ・フミ大師(9人のアショカ・グループ最古の奥義体得者のひとり)が、
神智学運動の全体をつくりだした。
彼らは、来るべき仏陀の再誕が可能となるような状況をつくりだそうと試みていた。
仏陀は「私は2500年後、再び生まれ、
その名は”マイトレーヤ”となるであろう」と語っていた。
ゴータマ仏陀のように光明を得た人は、2500年後に、
誰が光明を得るかをしることができる。
だから仏陀は予言した。
和尚ラジニーシ 「未知への扉」
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
私には、そうは思えません。
肉体を持たない奥義体得者(アデプト)たちは大勢いる。
彼らはワークを続けている。
神智学者たちは、彼らを”大師たち”と呼んでいる---クート・フミ大師のように。
これらは架空の名前だが、彼らは、特定の人格や個性、
今なお働きつづけている肉体を持たない魂について言っているのだ。
クートフミ・フミ大師(9人のアショカ・グループ最古の奥義体得者のひとり)が、
神智学運動の全体をつくりだした。
彼らは、来るべき仏陀の再誕が可能となるような状況をつくりだそうと試みていた。
仏陀は「私は2500年後、再び生まれ、
その名は”マイトレーヤ”となるであろう」と語っていた。
ゴータマ仏陀のように光明を得た人は、2500年後に、
誰が光明を得るかをしることができる。
だから仏陀は予言した。
和尚ラジニーシ 「未知への扉」



クリックして愚僧の活動に御協力ください。
2008.03.26
波長同通の法側
前に憑依霊について書きましたが、
憑依霊には、いい霊と悪い霊があるのです。
人間は、実は誰しも霊媒体質なのであって、
自覚がある、なしに関わらず、霊的な影響力からは逃れられません。
悪い霊がつくと、破滅に向かい、よい指導霊がつくと、人生が好転する、
ということは実際にあるようなのです。
これには、ある法側があります。
それは、波長同通の法側といって、
波長が合うもの同士、似たもの同士が引き寄せられるというものです。
私たちの心の様相は、いろいろです。天国のように穏やかな時もあれば、
地獄のように荒れ狂っている時もあります。
その心のあり方は、目には見えませんが、ある波長を発していて、
その波長に感応して、霊が同通するようなのです。
ですから、心を常に一定の、穏やかで、澄んだものにする必要があるのです。
そしてその為に、宗教修行があるといってもいいかもしれません。
一時的に、霊能者に悪霊を祓ってもらったとしても、日々の生活で心が荒れてくると、
また、同じ悪霊を引き寄せてくることになってしまいます。
地上の人間には、自由が与えられていて、守護霊といえども、
各人の心を無理矢理変えることはできないのです。
裏をかえせば、悪霊の憑依も、自分で解決できるということです。
反省や正しい生活をして、心の曇りを取り除き、明るい気持ちに切り替えれば、
波長同通の法側によって、悪霊は憑依することが出来なくなります。
逆に、その精進している姿に関心したよい霊が応援にきて、
その人の関心のある分野において専門的な指導が始まり、
人生の悩みが解決していくことになるのです。
霊に惑わされることなく、地上の人間の力で、人生は切り開いていけるのです。
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
憑依霊には、いい霊と悪い霊があるのです。
人間は、実は誰しも霊媒体質なのであって、
自覚がある、なしに関わらず、霊的な影響力からは逃れられません。
悪い霊がつくと、破滅に向かい、よい指導霊がつくと、人生が好転する、
ということは実際にあるようなのです。
これには、ある法側があります。
それは、波長同通の法側といって、
波長が合うもの同士、似たもの同士が引き寄せられるというものです。
私たちの心の様相は、いろいろです。天国のように穏やかな時もあれば、
地獄のように荒れ狂っている時もあります。
その心のあり方は、目には見えませんが、ある波長を発していて、
その波長に感応して、霊が同通するようなのです。
ですから、心を常に一定の、穏やかで、澄んだものにする必要があるのです。
そしてその為に、宗教修行があるといってもいいかもしれません。
一時的に、霊能者に悪霊を祓ってもらったとしても、日々の生活で心が荒れてくると、
また、同じ悪霊を引き寄せてくることになってしまいます。
地上の人間には、自由が与えられていて、守護霊といえども、
各人の心を無理矢理変えることはできないのです。
裏をかえせば、悪霊の憑依も、自分で解決できるということです。
反省や正しい生活をして、心の曇りを取り除き、明るい気持ちに切り替えれば、
波長同通の法側によって、悪霊は憑依することが出来なくなります。
逆に、その精進している姿に関心したよい霊が応援にきて、
その人の関心のある分野において専門的な指導が始まり、
人生の悩みが解決していくことになるのです。
霊に惑わされることなく、地上の人間の力で、人生は切り開いていけるのです。



クリックして愚僧の活動に御協力ください。
2008.03.26
空について
仏教には「空」という思想があります。
「空」は有るでもなく、無いでもないのだ、
などと哲学的に言われても分けがわかりません。
有名な、般若心経の「色即是空空即是色」も、
色(物質)は空で、空は色(物質)と言われても何だかわかりません。
それもそのはずで、「空」とは霊的な概念だからなのです。
それを、この世的な物質的概念で説明しようとするところに無理があるのです。
あまり聞きなれない言葉ですが、仏教には「真空妙有」といわれるものがあります。
真なる空が妙なる有になる。
霊的なものが、この世のものに変化し、根底を支えている、
この世の森羅万象には、霊的な作用が働いているという、汎神論的な意味があります。
「空」は難解で、何年も専門的に勉強した僧侶にしかわからないと思われがちですが、
しかし、最近の量子力学の発見により、この「空」がわかり易くなってきました。
そこのところを、医学博士のディーパック・チョプラ博士に語っていただきましょう。
もし私たちが物理学者の目を通して体を見ることができたなら、
それは真実なのですが、巨大な、からの空間に少しばかりの散在した点と
ランダムな電気の放電が見られるでしょう。
体は原子でできていて、またそれは巨大な空のスペースのまわりを
目が回るようなスピードで回転している粒子でできています。
物理学者たちはこれらの粒子を、レプトン、クォーク、中間子などと呼んでおり、
その粒子たちは、視覚や触覚など私たちの感覚を通すことによって
物質として体験できていますが、それらは断じて物質としての存在ではないのです。
これらの粒子は、巨大な空虚の中に存在している情報とエネルギーの変動です。
粒子は空虚から絶え間なく現れて、創造され、はね帰ったり、衝突したりしながら、
やがてまた空虚に消えていきます。
また、体を物理的なものとして表現している「知性の場」は、
ほとんどが虚空間の中の量子の変動です。人間の体そのものは、
ほとんどが空のスペースなのですが、その空のスペースは無からできた空虚ではなく、
それは非物質的な知性が充満しているスペースなのです。
本質的なポイントは、私たちの真の性質は、
非物質的な「知性の場」であるということです。
何人かの科学者たちは、この私たちの本質的な存在の場を「統一場」と呼んでいます。
なぜなら、そこは宇宙全体なのです。そして、その「知性の場」が考え、
それ自身と相互に作用するとき、その表現として物質世界が現れるのです。
どうでしたか?「空」もこう説明されると理解できますね。
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
「空」は有るでもなく、無いでもないのだ、
などと哲学的に言われても分けがわかりません。
有名な、般若心経の「色即是空空即是色」も、
色(物質)は空で、空は色(物質)と言われても何だかわかりません。
それもそのはずで、「空」とは霊的な概念だからなのです。
それを、この世的な物質的概念で説明しようとするところに無理があるのです。
あまり聞きなれない言葉ですが、仏教には「真空妙有」といわれるものがあります。
真なる空が妙なる有になる。
霊的なものが、この世のものに変化し、根底を支えている、
この世の森羅万象には、霊的な作用が働いているという、汎神論的な意味があります。
「空」は難解で、何年も専門的に勉強した僧侶にしかわからないと思われがちですが、
しかし、最近の量子力学の発見により、この「空」がわかり易くなってきました。
そこのところを、医学博士のディーパック・チョプラ博士に語っていただきましょう。
もし私たちが物理学者の目を通して体を見ることができたなら、
それは真実なのですが、巨大な、からの空間に少しばかりの散在した点と
ランダムな電気の放電が見られるでしょう。
体は原子でできていて、またそれは巨大な空のスペースのまわりを
目が回るようなスピードで回転している粒子でできています。
物理学者たちはこれらの粒子を、レプトン、クォーク、中間子などと呼んでおり、
その粒子たちは、視覚や触覚など私たちの感覚を通すことによって
物質として体験できていますが、それらは断じて物質としての存在ではないのです。
これらの粒子は、巨大な空虚の中に存在している情報とエネルギーの変動です。
粒子は空虚から絶え間なく現れて、創造され、はね帰ったり、衝突したりしながら、
やがてまた空虚に消えていきます。
また、体を物理的なものとして表現している「知性の場」は、
ほとんどが虚空間の中の量子の変動です。人間の体そのものは、
ほとんどが空のスペースなのですが、その空のスペースは無からできた空虚ではなく、
それは非物質的な知性が充満しているスペースなのです。
本質的なポイントは、私たちの真の性質は、
非物質的な「知性の場」であるということです。
何人かの科学者たちは、この私たちの本質的な存在の場を「統一場」と呼んでいます。
なぜなら、そこは宇宙全体なのです。そして、その「知性の場」が考え、
それ自身と相互に作用するとき、その表現として物質世界が現れるのです。
どうでしたか?「空」もこう説明されると理解できますね。



クリックして愚僧の活動に御協力ください。