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2008.03.30 神智学光線
神智学光線を浴びてください。


第一宇宙線
決断、勇気、破壊・・・・・サナート・クメラ

第二宇宙線
智慧と愛・・・・ブッダ(クートフーミ、ジュアルクール [補佐])  

第三宇宙線
計画、謀略、政治的知能・・・・マハ・チョウハン(ヴェネチャン・チョウハン[担当])

第四宇宙線
調和美、統合、統一愛・・・・セラピス

第五宇宙線
科学的探求、発見発明力・・・・ヒラリオン

第六宇宙線
理想、憧憬・・・・イエス

第七宇宙線
魔力・・・・聖ジャーメイン



言葉の響きが面白いですね。




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ブログは楽しいです。
しかも無料。
こんな楽しいものがこの世にあったとは。

こうやって書いていると、
自分の未熟さに気づかされます。

苦しくなっても、途中で止めずに、
誰も見なくなっても、こつこつと続けていこうと思います。

仏教もニューエイジも、
愛を説き、神の言葉を伝え、自他を救おうとするものです。

ここを見る人にとって、魂の糧になるような、
そんなブログにしていきたいです。

ランキングにも登録したし。
でも、うけ狙いではなく、マニアックにいこう。

もっと精進します。




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2008.03.30 如来の再生
如来は通常の魂の形態を超えているので、その再生は思慮を絶しているのです。

お釈迦さまはこう説明されています。

ヴァッチャよ、あなたはわからなくなるに違いない、迷うに違いない。
ヴァッチャよ、この教えは意味が深く、洞察しがたく、さとりがたく、
寂静で優れており、思慮の領域を超え、微妙であり、
賢明な人によって知られるものである。
異なった見解を持ち、異なった修行をし、
異なった行いをするあなたには知りがたいのである。

物質・感受・想・形成力・意識として如来を認知する者は、
如来にはその物質・感受・想・形成力・意識は捨てられており、
根を断たれたターラ樹の幹のように消滅し、
未来に再び生じないものであることを認知するであろう。

しかし、ヴァッチャよ。
如来は物質・感受・想・形成力・意識という呼び名から解き放たれており、
大海のように深く、無量であり、底が知られない。
それゆえ再生するというのは適切ではなく、
再生しないというのは適切ではなく、
再生しつつしかも再生しないというのは適切ではなく、
再生するのでもなく、再生しないのでもないというのは適切ではない。


パーリ原始仏典中部第72経「火ヴァッチャ経」




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2008.03.30 供養の意味
供養には意味があるのでしょうか?

お釈迦さまの時代から、先祖供養は行われていました。
それどころか、お釈迦さまは供養を勧めています。

何故なのでしょうか?

それは、供養は、利他行にあたるからです。

仏教には、回向(えこう)という言葉があります。
これは、悟りの功徳を、他に施し、ふりむけることによって、
いい影響を与えることが出来るというものなのです。

ですから、悟りの功徳によって、先祖も喜ぶし、
またそれが善行となり、自分にも益となるからなのです。

実際、原始仏典の「餓鬼事経」というお経には、
仏弟子達により行われる供養によって、救われる霊の話がたくさんでてきます。

悟りには、迷っている霊を救う力があるということなのです。

しかし、まず生きているものから救われていかなければいけません。
迷っているものが、迷っているものを救うことは出来ないのです。

一般的には、
特別に先祖供養をしなくても、
仏法に従って、明るく、健全に精進している姿を
故人に見てもらうことで、それが供養になります。




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2008.03.30 六道輪廻
お釈迦様は、偉大な霊覚者でありました。

仏教以前の、ヴェーダ(古代インドの聖典)でも、
あの世や輪廻は説かれていたのですが、
お釈迦さまは、それをより詳細に、因果応報の法則に基づいて、体系づけられました。

これは、お釈迦さまの霊査によるものであって、
あらゆる生命の過去世や死後の転生を実際に確認し、
輪廻のしくみを知れるからこそ出来たことなのです。

お釈迦様は、

「私は、天眼によって、衆生が優れたものや劣ったものとして転生するのを、
業によって善趣や悪趣に牽かれていくのを、ありありと観察して知っている。」


こう言われています。

お釈迦様は、当時のインドにいた霊能力自慢の修行者を説き伏せて、
次ぎ次ぎと帰依者にしています。他にも霊能者はたくさんいたけれども、
そこまで見通せるほどの霊覚者は、歴史上においても稀なのです。


そこで説かれたのが、六道輪廻です。

私達は、生前につくったそれぞれのカルマにしたがって、 
地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天界という六道といわれる、
あの世の世界のいずれかに、帰っていくことになります。
そしてあの世での生活を終え、また地上に生まれてきます。
そのように私達は、流転輪廻を重ねて、魂修行をしている存在なのです。

仏陀は、「輪廻からの解脱」を説いたので、
悟りを開くともう二度と輪廻しない、という専門家がいますが、

それは間違いで、
悟りを完成し、六道から解脱して天界より上段の如来界、仏界に入ると、
カルマにもとづく自動的な転生をさせられるのではなく、
自分の意志で自由に生まれを決定することが出来るようになる、
ということなのです。

如来は、人類救済の為に何度も生まれてくる、というのが本当なのです。


「修行僧たちよ。過去の世に真人・正しくさとりを開いた人々がいた。
それらの尊師たちにも侍り仕えることに専念している従者たちがいて、
譬えば、わたしにとってのアーナンダのごとくであった。
修行僧らよ。
また、未来の世にも、真人・正しくさとりを開いた人々があらわれるであろう。」


「ブッダ最後の旅」




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2008.03.30 祈りの詩
神智学やヨガの普及に尽力した竜王会の三浦関造氏の祈りの詩であります。




清くすみわわたる大霊の光に
御意識をかがやかして
智慧と慈愛の御振動にて
われ等を導き給う大救世主よ

正義おとろえて不義栄ゆるの時
悪を亡ぼし善を助けんが為
しばしば地上に帰り給いし大救世主よ

今また混沌たる闇の世に
至尊清浄の御神力のあらたに
帰り給いてわれ等を照らし
鉄鎖の束縛
熔炉の苦痛より
われ等を救い給う大救世主よ

われ等はみ教えに学び
みこころに一心を安定し
一切の行いを大前に捧げ
しずかにゆるぎなく
大霊の大法則に合し
一切の苦難を踏破せん

われ等は我欲を制して
自ら足るを知り
何ごとにも悲しまず
怒らず恨まず恐れず
何ものにも悪意をもたず
懇切に慈悲深く
常に太陽の如く光を分光し
苦楽何れに処するも坦々として
心調和し我執なく
正しき決意堅固に
勇猛精進して
汝より離れ去ることあらず

汝が大神の中にましまし
大神また汝の中にまします如く
我等もろ共汝の中に在れば
願わくば大救世主よ
汝も亦われ等の中に燃え輝き
至上至尊の大智慧力を
不滅なる大統一力を
万能の大神通力を
聖なる神眼力を
時空超越の大自在力を揮わせ給わんことを






凄い決意ですね。私も精進します。




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聖徳太子が、尊奉していた維摩経という経典があります。

生長の家の谷口雅春氏が、
「 維摩経こそ、仏教の最高峰たる真理を述べたものである。」
と言っているように、
この経典を大乗仏典の最高傑作だとする人も多いのです。

維摩経では、「空」や「不二」という、とらわれのない境地、霊的概念が、
主人公の維摩を通して融通無碍に説かれています。

維摩は、在家信者でありながらも、釈迦十大弟子以上の悟りを示し、
在家信者や仏弟子をも導くことがありました。

経典にはこうあります。

「(維摩)は比類のないほど財産を持った資産家である。
俗衣をまとい、家庭生活を営み、飲食を享受し、賭事やばくちをする場所にも出入りし、
遊びに通じ、色街にも通い、酒場にも足をはこぶことも多いのである。
仏教以外の教えにも耳を傾け、それらの書籍を読み、政治・法律にも詳しく、
街の治安にも協力し、学校にも顔を出す。いろんな会合にも招かれれば喜んで出席する。
そのような彼を資産家たちも、在家信者たちも、バラモンや、王族や、町人なども、
さらに諸天でさえ尊敬するのである。なぜかというと、彼は自ら処するところにおいて、
彼の周りの人々をいつの間にか正しい道に導いているからである。
金持といっても金銭に執着していない、学識があるかと学者ぶるのでもない。
世間では悪の巣窟だといわれるところでも、そこを避けて通るわけでもない。
彼は人間それぞれ生きざまをさらけだしている生活する場にはすべて立ち寄り、
そこで人間の正しい生き方を教えているのである。」


この経典の中では、

その維摩に、
弥勒菩薩などの諸菩薩や釈迦弟子が次ぎ次ぎと、法問答でやり込められ、
その後には、お釈迦様とも、対等に受け答えをします。

その維摩の姿に驚いた釈迦十大弟子の智慧第一シャーリプトラが、
お釈迦さまに、「あの維摩は一体何者なのでしょうか。」と尋ねると、

お釈迦様は、「アクショービヤ如来である。」と告げられます。

その後、維摩が三昧に入って神通を見せて、このお経は終わります。


近代に入ってからは、人気がなくなってしまった維摩経ですが、
そこには、計り知れない真理が述べられているのです。

尚、
霊界情報では、この維摩は実在の人物であり、釈尊も一目置く存在であったそうです。
また、死後も霊界から大乗仏典編纂を指導した存在であるということです。

そして、釈尊が再誕している今、維摩もまた・・・。




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