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2008.03.31 自力と他力
仏教には、自力と他力がある、という風によく言われます。

またこの違いを、浄土教の方では、聖道門と浄土門に分けることもあります。

簡単に説明しますと、

自力である聖道門は、
内なる仏性を開発するべく、
自己修行によって悟りの境地に到ることを目指す道であります。

他力である浄土門は、
神仏に己の全存在を投げ捨て、
うちまかせていくことで、救われていくことを目指す道です。


しかし、現代の仏教界においては、どちらの道も中途半端に終わっています。

自力といっても、悟りなどあるのかどうか?
他力といっても、救いなどあるのかどうか?
仏性といっても、神仏といっても、そんなものがあるのかどうか?

こんなことをやっています。

それもそのはず、仏教を唯物論の立場で解釈しようとするからです。

真実の立場はこうです。

悟りの境地はある
霊的世界はある
神仏は存在する

そして、これはニューエイジの基本的立場でもあるのでした。




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仏教の中でも、浄土教と呼ばれる宗派は、
キリスト教に似ているとよく言われます。

キリスト教伝道が、日本で上手くいかなかったのも、
浄土教が根づいていたからだ、とも言われます。

実際の教義上においても、

絶対者への帰依を勧める
罪の自覚を促す
神仏と一体となる境地を目指す
浄土や天国など来世での幸福を説く

という点に於いて瓜二つです。

その他にも、行があまり問題とされず、信仰によって救われていくという特徴があります。

この類似点の指摘は、
宗教学者などによって、多数なされています。


それも、そのはずなのです。
近年の、霊界情報によって、驚くべきことが判明しました。

なんと、日本浄土教には、
過去世でイエス=キリストと縁のあった方々が、関わっているのです。
キリスト教系の霊人は、
時代を経て、宗派を超えて、仏教僧として生まれ、日本で、愛の精神を説いたのです。

洗礼者ヨハネは、比叡山の源信僧都として生まれ、阿弥陀仏への帰依を説きました。

法然、一遍、唯円、蓮如はそれぞれ、
キリスト十二使徒の、
トマス、ヤコブ、マタイ、アンデレでした。

親鸞は、伝道者パウロでした。

東洋と西洋の文明の合流地点、
そして、それを昇華し、あらたな霊性文明を打ちたてるべく、
日本には、そのような宗教を超えた種が撒かれていたのです。

そもそも、
イエス自身が、青年時代のインドエジプト修行旅行において、
仏典を学んだこともあるそうなのです。

人間は、
時代、宗教、人種を超えて転生し、修行している存在なのです。

このように、神の計画は、壮大なのでした。



信じるものは救われる。




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私は、見ていないのですが、

関西ローカル番組「たかじんのそこまで言って委員会」で、

新宗教批判があったようですね。

マスコミには、宗教アレルギーがあるので、気をつけないと毒されます。

見てみたいけど、たぶんイラッとくるのでやめておきます。




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2008.03.31 神智学と仏教
ニューエイジの母体となっている神智学ですが、

神智学は、仏教に影響を受けています。

昔は、神智学者は、白い仏教徒(仏法を行じる西洋人)
と呼ばれていたのです。

今でこそ、まったく別物のように扱われていますが、
明治期に、神智学者のヘンリー・スティール・オルコット著
『仏教問答』の日本語版出版に奔走したのは、仏教僧でありました。

また、オルコット氏を日本に招聘して、
インド神智学協会と交流を深めようとしたのも、
日本仏教徒達だったのです。

その後の日本仏教僧はオカルティズムではなく、
マルクス主義の方に傾倒するようになります。

唯物論の魔力から、仏教僧はいまだ抜けきれていません。

しかし、
鈴木大拙氏や今東光氏は、神智学を日本に紹介していますし、
仏教学者の渡辺照宏氏は、
神智学協会で指導していたこともあるシュタイナーに影響を受けています。

元をたどれば、神智学はほとんど仏教であり、
ニューエイジと仏教は、大いに接点があるのです!




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2008.03.31 光明荘厳
光明荘厳。 

あまり聞き慣れない言葉であります。

これは、現代の仏陀が、
仏教に古くからある、三法印に追加されたものなのです。

仏教の三法印とは何か?

それは、

諸行無常(この世の森羅万象は移り変わる)
諸法無我(宇宙の万物は仏に包括され、個別存在ではない)
涅槃寂静(霊的覚醒を伴う悟りの境地は精妙である)

の三つであります。

これは、どんな仏教でも基本に据えておかねばならないというものです。
逆にこれを外せば、仏教ではなくなるのです。

しかし、

この三法印だけでは、
仏教は、厭世的で、消極的な教えだと誤解されかねない。

そこで、

あの世の仏国土は素晴らしい世界なのですが、この世にも仏国土建設を実現させる、

この世の一切衆生には、仏の叡智が宿っているが、
その光を、悟りの力で増幅させ、よりこの世を荘厳していく、

この世は美しく、素晴らしい、

政治、経済、科学技術にも神の意志は働いており、

この世とあの世をつらぬく幸福を説いて、この世を良くしていく、

光明荘厳とは、そういったことの象徴的表現であり、
発展的で積極的な意味合いのある言葉なのです。

これを足して、仏教の四法印とする。

ニューエイジ時代にふさわしい仏法のあり方です。




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