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2008.04.26 大切なこと
大切なのは、肉体が我ではないということを悟ること。

生老病死の苦しみは、誰にでも必ず、やってきます。

しかし、その苦しみを苦しみとする必要はありません。

本当の自分は、永遠の魂であると知れば、

生れてくる苦しみも、老いる苦しみも、病気の苦しみも、死の苦しみも、

乗り越えられます。

神が私達を苦しめるために、そのような仕組みを作ったのではありません。

限りがあり、不自由で、儚く、不浄なる世界を経験してこそ、

常住で安楽、清浄なる霊界での生活の価値が分かるからです。

あの世では、食べる必要もなく、眠る必要もなく、自由自在の世界です。

この世での経験は、あの世での経験の何倍にも相当するのです。

あの世へ帰れば、その喜びは何倍にもなり、限りない光輝につつまれます。

必ず報いがあるのです。

また、人は、決して一人ではありません。

必ずあの世で見守っている霊存在がいます。

そして、神仏も、限りない慈愛をもって見守っておられます。

信じることで、この世とあの世はつながります。

この世にいながら、あの世にいるように生きる。

これが、悟りなのです。 

精進します。




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2008.04.25 循環文明論
ニューエイジでは、はるか昔に地球上に栄えた、
アトランティス、ムー、レムリアなどの超古代文明が存在していたと言われます。

常識では、ダーウィンやスペンサー流の社会進化論的見方が適用され、
人類は、原始社会から徐々に文明社会に進化発展し、
現在もまたその途上にある、とされています。

人類学によると、
人間の文明の歴史は、たかだか1万年ほどであるということです。

しかし、最近の発掘調査や遺跡の発見などで、
この年数はどんどん過去に遡っています。

また、いわゆるオーパーツなどの発掘物も無数に発見されていますし、
常識では説明のつかない、古代遺跡や建造物がたくさんあります。

インド聖典ヴェーダなどの古代文献には、超古代文明について書かれたものがあります。

証明するのは難しいのですが、

最近の霊界情報によると、
アトランティスは1万年前、ムーは1万5千年前、レムリアは15万年前、
に滅びていった文明であるそうです。

それ以前にも、文明はいくつも生れては滅び、
それぞれの文明が異なった価値尺度を求めるようになるそうです。
その中には、現代の科学水準をはるかに超え、
人類が宇宙に出て、他の惑星に移住していった時代もあるとのことです。
また、核戦争によって滅びてしまったことも・・・。

実は、地球人類の歴史は、4億年もあるのです。

人類文明は一直線に進化しているのではなく、循環しているのです。
文明にもまた、栄枯盛衰があり、輪廻転生がある。

そして、そのはるか昔の文明に生きていたのは、
他ならぬ、輪廻転生をしながら魂修行をしている私たちであるのです。


文明の転換期には、必ず大指導霊が地上に生まれ、人類を導くことになるという。

そう考えると、
現代の時代は、危機の時代でもあり、希望の時代でもあることが分かるのです。




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スピリチュアル映画、
「What the Bleep Do We Know!?」のダイジェスト版です。

What Happens When You Combine Today's Cutting Edge Scientists & Mystics?
最先端の科学と神秘思想が融合したら、一体何が起こるのでしょう?

Can Science And Religion Really Be On The Same Path? 
On The Same Planet? In The Same Movie!?
科学と宗教は本当に同じ道を通ることができるでしょうか? 
同じ惑星の上で? 同じ映画の中で?







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二十世紀最大の神秘家ルドルフ・シュタイナーは、「人智学協会」の設立者です。

シュタイナーは、オーストリア帝国に生れ、
ウィーン工科大学、ウィーン大学で、哲学・心理学・医学などを学んでいます。

彼は、巨大な宗教家でありましたが、
それ以外にも、哲学、自然科学、有機農法、教育、医学、芸術、社会運動など、
多岐にわたる分野での活動に携わっています。

独自の教育システムを考案した「シュタイナー学校」、
霊的存在を表現する肉体芸術「オイリュトミー」、
社会改革論である「社会有機体三層化運動」、
新しい有機農法の「バイオダイナミック農法」、
シュタイナー自身が設計、建築に関わった「ゲーテアヌム」、
などで有名です。

彼の著作や講演録は、400巻以上にも及ぶ膨大なものであり、
その思想の全貌が理解されるようになるまでは、
まだまだ時代を待たなければなりません。

シュタイナーには、少年のころから、見霊能力がありました。

少年(シュタイナー)にとっては、自殺した当人が霊となって現れ、
死者となったばかりの自分のために供養してくれるようにと依頼してきたのだ、
ということに疑問の余地がなかったのです。
このことがあってから、少年の魂に新しい世界が開けてきました。
外の樹木や山々だけでなく、その背後の世界も語りかけてくるようになったのです。
ほぼそのころから、その地方にとくに活発にはたらいている自然霊たち、
事物の背後にあって創造行為に参与している霊たちと、
外界の事物と親しむのと同じように、親しむようになったのです。


「ルドルフ・シュタイナー書簡集」


少年時代に幾何学を愛好していた彼は、
論理的思考と、霊的世界の狭間で悩むようになります。

しかし、18才ごろからのフィヒテ哲学との出会いや、
霊的指導者との出会い、フリーメーソンとの関わりなどによって、
方向性が定まり、霊的修行の道を歩むようになります。


そして、36才の時に新たなる覚醒が訪れます。

ワイマール時代の終わりごろ、私は36才に達していた。
すでに一年前から私の魂の中には深刻な変化が始まっていた。
そしてそれが、ワイマールを去るまでに、決定的な体験になった。
霊界で体験できることは私にとってつねに自明の事柄だった。

このような生活の内的必然性から行われた瞑想の中で、
私にはますます内なる霊的人間の存在が確信できるようになった。
肉体から完全に離脱した状態でも、霊的に生き、知覚し、
運動することのできる人間の存在がである。


「自叙伝」

しかしながら、40才までは、霊的世界については隠したまま、
ニーチェの研究家、労働学校の教師、文芸雑誌の編集長として時を待ちます。

そしてその後、神智学協会からの要請を受けて、
ついにオカルティストとしての道を歩みはじめるのです。


人智学では、

肉体、エーテル体、アストラル体などの人体の多重構造理論、
輪廻転生の教義、宇宙の霊的進化の歴史、
存在界の物質界、生命界、霊界の三区分説、
超感覚的知覚を獲得するための修行論、

などが説かれます。

また、仏陀にも言及しています。

仏陀の力は、西洋の哲学者の世界観のなかに流れ込んで、働いている。
精神界から仏陀が、西洋の哲学的精神生活を推進させているのである。
精神界における仏陀の任務はどのようなものなのだろうか。
高い叡智の力を永久に人々の心のなかに燃え立たせるという任務である。
世界を貫くこの流れが、仏陀の流れである。
仏陀の流れは、概念化したかたちで二十世紀にも流れている。
仏陀の流れのなかには、わたしたちが人間として関わるものすべてが含まれている。


「キリスト秘教と人類の霊的指導」


シュタイナー思想は、
ブルーノ・ワルター、カンディンスキー、カフカ、ミヒャエル・エンデ、ヘルマン・ヘッセ、
などにも影響を与えています。

また、このシュタイナーを、
キリスト教聖者の一人として名を加えるべきだという神学者さえいます。

彼は、時代の唯物論的風潮と伝統宗教の集団的傾向とに戦いつづけた、巨人でありました。


尚、
このシュタイナーは如来界の人であり、
生前彼を指導していたのは、同じ如来界のゲーテとトマス・アクイナスであったそうです。




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ブログ修行も一ヶ月を過ぎ、すっかり愚僧の日課となりました。

随分とブログというものに慣れてまいりましたし、
当ブログ会社のサービスも機能も充実しており、快適であります。

コメントをや拍手をくださる皆様、ランキングボタンをクリックしてくださる皆様、
いつも見にきてくださる皆様、たまたま来られた皆様、
愚僧のたくらみに賛同してくださいまして、本当に感謝しております。

皆様に仏のご加護がありますように。

今後は、より研鑽を積み、ブログ道を邁進してまいります。

これも、たくらみを成就させるためであります。

お坊さまにも是非見ていただきたいです。
お坊さまとの相互リンクも大募集中です。


足りない頭に鞭を打ち、日々、精進します。




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2008.04.25 僧侶と神
これからは、僧侶も神を語る時代です。

とかく僧侶の神についての見解は、曖昧です。

僧侶は、空や縁起の概念をもちだして、
物質の相互関係性を強調するのが常です。

それは、ダーウィニズムや唯物論と、どう違うのでしょうか?

万物の背後に、
何らかの知性、働き、超越性、霊的次元を認めているのでしょうか?

宗教もグローバル時代に突入です。

仏教は無神論だ、といい出したのは西洋人です。

仏教を無神論にしたがる日本の勢力には、
西洋宗教に対する屈折した複雑な感情があります。

しかし、それは間違いです。

お釈迦さまは、人格神はもちろん、創造神すら認めています。

神については、語ってはいけないことも、語りすぎることもありません。

神は一切の根源であり、神は無限だからです。

神について考えない人はいません。

子供は誰でも自分の親を知りたがるように。


神も仏も言葉の違いにすぎません。

一神も多神も汎神も、見る視点の違いにすぎません。

宇宙や生命は、偶然に出来たのではありません。

その奥には、あきらかに神の働きが感じられるはずです。

神を否定すれば、
愛も、真善美も、信仰も、宇宙への信頼も、生命への畏敬も生れてきません。


もっともっと、僧侶が神を語り、
仏という言葉を神と同義語にしようではありませんか。




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シルバーバーチの霊媒モーリス・バーバネルが、

イングランド国教会が1937年から2年間にわたり、
霊媒を使った組織的な研究を行って結論を出した「調査報告書」を公表しています。

仏教界にとっても大いに関係のあることなので紹介します。




きわめて重大な事としてよく指摘されるのは、
スピリチュアリズムが多くの点において、
信心深い人々が抱いている高度な信仰の数々を再確認していること、
さらには、そうした信心深い人々にとっても、
すでに意義を失ってしまった教義の真実性に新たな確認を与えていることである。


他界した友人がすぐ近くにいて、霊界でも成長し続けており、
その後も自分達に関心を抱き続けてくれているという認識は、
それを実際に体験した者にとっては、聖霊との交わりの信仰に、
新たな即時性と価値をあたえてくれる以外の何ものでもないことは確かに事実である。


確かに、福音書に記されている奇跡的諸現象と、
スピリチュアリズムにおける実験によって確かめられた現代の心霊現象との間に、
実に明瞭な類似点があることは事実である。
したがって、もしもわれわれが後者を科学的論述と証明ができないという理由で、
疑問視しなければならないと主張するのであれば、
聖書の奇跡も、キリストの復活そのものも、
同じく科学的証明ができないものであることを付記しなければならなくなる。
 

わが国教会の最大の過ちは、神は、紀元666年まで世界の一地域、
即ち、パレスチナにのみ働きかけ、それ以後は他のいかなる土地にも、
いかなる働きかけもしていないという信仰を作り上げてしまったことである。





この報告書は当時、極秘にされたようです。




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近代日本にも偉大な宗教家が生れています。

それは、「生長の家」の総裁、谷口雅春氏です。

彼は、どの宗教も実相世界(霊界)の表現であり、
その根は一つであるという万教帰一を唱えました。

そして、
全ては完全なる神の現れであるので、
本来、「悪なし、病気なし、死なし、肉体なし」である


本来の心は完全で、神そのもの、光明そのものであることを悟れば、
それが現象世界にも顕現してくるのだ

という実相哲学を唱えました。


著書には、「生命の実相」という大部の哲学書があり、
また、仏教にも言及した、「涅槃経」、「維摩経」、「般若心経」などの解釈書もあります。

「生長の家」では、観法、行法として、
神の光を引き入れるための祈りである「神想観」を行うのが特徴です。

彼は、
ニューソート思想、光明思想を日本に根づかせ、
人類光明化運動を起こすべく、55年の長い期間「生長の家」を指導しました。
世界最大のニューソート団体だとも言われています。

生前彼を指導していた霊人こそ、
日本神道の主宰神、天御中主神でありました。

また、彼の前世は、伊邪那岐命であり、
新プラトン主義の創始者プロティノスでもある、というのは驚きです。


「生長の家」は、日本神道の一大革新運動でもあったのです。




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2008.04.24 如来の十力
原始仏典の「大獅子吼経」には、
如来が持つ十の能力について述べられています。
全て、霊的な能力です。


一、善と悪、正しさを知る能力

二、過去、現在、末来に作用する業の法則を知る能力

三、あらゆる境涯にいたる道を知る能力

四、欲界、色界、無色界などのあらゆる世界の様子を知る能力

五、あらゆる生命の考えを知る能力

六、あらゆる生命の霊格を知る能力

七、瞑想、禅定の状態を知る能力

八、過去世を何世でも遡って知る能力

九、天眼(霊視)によって生命の死後の状態を知る能力

十、この世にいながら霊力を自由自在に制御する能力





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2008.04.24 執着を捨てる
お釈迦さまは、執着を捨てよと繰り返し説かれました。

あらゆる苦しみは執着から生じます。

この肉体は四大元素の化和合であり、
本当の自分ではありません。

永遠不滅ではない肉体は、仮の宿です。

この世の全てのものは、変化し、老朽化し、滅びます。

地位や財産、名誉や肩書きは、霊界にはもって帰れません。

愛の反対が、執着です。

愛は与えることであるのに対し、執着は奪うことです。

執着は自我を肥大させます。
肥大した自我は、もっと欲しいと叫びます。

本来、自分のものは何一つありません。

自他は一体であり、皆、大宇宙の一部です。

執着は、自分の周囲に壁を築きます。

この壁を壊せば、神の光が流れ込みます。

執着を捨てれば、幸福になれる。

キリストも、「命を捨つる者は、命を得る」と言っています。

蝶は、捕まえようとしても、逃げていきますが、
無心でいると、頭にとまって休憩するのです。

執着を捨てるとは、
ちっぽけな自我が、本当の自分ではなく、
実相の如来のいのちが、本当の自分であることを知ることです。

執着を捨てるとは、
仏の愛に満ち、完全円満なる永遠の実相世界を掴みとることです。

執着を捨てるとは、幸福を得るための方法だったのです。




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