「若し苦集諦のところを知らざるありて、
『正法は常住あること無し、悉くこれ滅法なり』と言わん。
この因縁をもって、無量劫において生死に流転して諸の苦悩を受く。
もし能く法の常住不異なるを知らば、これを集を知ると名づけ、
集聖諦と名づく。もし人、かくの如く修習すること能わずんば、
これを名づけて、集と為す。集聖諦に非ず。」
「苦滅諦とは、もし多く空法を修習し学ぶことあれば、これを不善となす。
何をもっての故に。一切の法を滅するが故に。
一切法を滅するが故に、如来の真法蔵を壊るが故なり。
この修学をなすを、これを空を修すと名づく。
苦滅を修する者は一切の諸の外道に逆う。
もし空を修するを滅諦と言わば、
一切の外道もまた空法を修すれば、まさに滅諦あるべし。」
「もし説いて言うあらん。
『如来蔵あり、見るべからずと言えども、もし能く一切の煩悩を滅除すれば、
しかしてすなわち入ることを得ん』と。
もしこの心をおこす一念の因縁にて、諸法の中に自在を得ん。
もし如来の密蔵は無我空寂なりと修習するあらば、
かくの如きの人は無量世に於いて、生死の中に在って流転して苦を受く。
もしかくの如きの修をなさざるあらば、煩悩ありといえども、疾くよく滅除す。
何をもっての故に。如来の秘密蔵を知るによるが故なり。
これを苦滅聖諦と名づく。もし能くかくの如く滅を修習すれば、これ我が弟子なり。
もしかくの如き修をなすことあたわざることあらば、
これを修空と名づく。滅聖諦には非ず。」
「道聖諦とは、いわゆる仏法僧及び正解脱なり。諸の衆生あり。
転倒心にて仏法僧及び正解脱なし、生死流転、
なお幻化の如しと言い、この見を修習す。
この因縁をもって三有に輪転し、久しく大苦を受く。
もし能く発心して如来は常住無変なり、法僧解脱もまたかくの如しと見れば、
この一念に乗じて無量世に於いて自在の果報を意にしたがって得。」
[現代語訳]
「もし苦集諦の意味を知らない人がいて、
『正法というような常住なる存在は無い、ことごとく生滅し無常なのだ』
というならば、この因縁によって、その人は、長い間迷いの輪廻転生を重ねて、
さまざまな苦しみを受けることになります。
もし、実相(霊界)というのは常住で不変であり、
その上に幻のようなこの現象世界が顕れている、ということを知るならば、
これを集聖諦と名づけることが出来ます。
もし、このように世界を見ず、ただ愛欲葛藤の集まる世界だけを見ているのならば、
それは〈集〉を知っただけで、集聖諦とは言えないのです。」
「多くの空観を修し、学ぶだけでは、これは善なる行為にはなりません。
何故なら、この世の現象世界もあの世の実相も区別せず、
一切を空として滅し去ることになるからです。
如来の実相である真理の蔵、すなわち金剛不壊の仏性さえも、
空であるからとして、それを破壊してしまうからです。
一切を空として観ずることは、空を修すと言うのですが、
これを滅諦と言うのであれば、仏法以外を信仰する行者の空観も、
滅諦と言わなければなりません。
真に苦を滅する苦滅諦を修する者は、
一切の諸の外道の修法とは逆になるのです。」
「もし誰でもあれ、
『人間は、如来蔵といって、内部に如来を蔵しているのであって、
それは肉眼では見えないが、もしよく努めて一切の煩悩を滅し除くならば、
その如来蔵に達して、その秘密の蔵を開くことが出来るのだ』
という心をおこすならば、その因縁によって、その人は、
どのような世界にあっても自由自在の境地を得ることが出来ます。
ところがもし、如来の秘密の蔵とは、結局、無我であって、
虚無であるということ修行するのならば、このような人は、
実相の仏性を否定することになるので、迷いの輪廻転生を繰り返し、
苦しみを受けることになります。
もしこのような外道の修行をせずに、如来の秘密の蔵を開いて、
仏性は永遠不滅であることを知るならば、
たとえ煩悩があっても、それはすみやかに滅してしまうのです。
これこそ苦滅聖諦と名づけるものであって、
このような滅諦を修行する者が、私の仏弟子であるが、
このように修せず、もし単に空を修するだけならば、
それは修空と名づけるものであって、滅聖諦ではありません。」
「道聖諦とは、苦を滅する悟りに入る神聖な道であり、
仏法僧の三宝と、それを縁とする正しい解脱のことであります。
しかしながら、人々は、有るものを無いとする逆さまの心を起こして、
仏法僧も正解脱も、虚しく消え去るもので、生死流転する我々の姿も、
結局、夢や幻のようなものにすぎない、といって空観の修行をします。
この真理を知らないという因縁によって、
欲界・色界・無色界の迷いの世界を流転して、
長い間、大いなる苦しみを受けることになります。
しかしながら、如来は常住であって変化しない金剛不壊の存在であり、
仏法僧や正解脱も、また常住不変の実相のあらわれであるということを知るならば、
この一念に乗じて、永世の世代を通じて、
思うがままに、自在無碍の果報を得ることが出来るのです。」「涅槃経」
このように、お釈迦さまは、
聖なる悟りの方法である、苦集滅道の四聖諦を説かれたのでした。
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