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お釈迦様と同時代のインドには、
バラモン教にとらわれない自由思想家達が存在していました。

そのなかの代表的な方達の思想が、
原始仏典の「沙門果経」に出てきます。

彼等の思想は、どのようなものであったのでしょうか?


仏教においては、
彼等の思想を仏陀が否認したことから、彼等は「六師外道」と呼ばれています。




プラーナ・カッサパ(虚無論)

どんな行為をしても、なにをなそうとも、罪悪がなされることはない。
人を殺害しても、罪悪はなく、罪悪が現れることもない。
布施をしても、供養をしても、功徳はなく、功徳が現れることはない。


マッカリ・ゴーサーラ(宿命論)

生ける者には、因縁はない。
すべての生命あるものは、ただ運命により、性質により変化する。
愚者も賢者も流転し輪廻したあと、苦の終りを作ることになる。


アジタ・ケーサカンバラ(四大要素説)

善悪・悪行の果報はない。この世もあの世もない。霊魂もない。
人というものは、四大要素から成り、死ねばそれぞれの要素に分解される。
愚者も賢者も、身体が滅ぶと、断滅し、滅亡し、死後には存在しない。


パクダ・カッチャーヤナ(七要素説)

七種の身は、作られたものではなく、互いに分離していて、不動である。
その七種とは、地の身、水の身、火の身、風の身、楽、苦、第七として霊魂である。
たとえ鋭い剣で頭を断ち切っても、誰も、誰の生命を奪うことにはならない。
ただ七種の身の間にある裂け目に、剣が落ちるに過ぎない。


ニガンタ・ナータプッタ(ジャイナ教開祖)

私は、四種の部分からなる防御によって悪から守られている。
四種とは、悪を拒絶し、悪の防御に結ばれ、悪を除き、悪の防御に触れている、ことである。
だから私は、自己の完成者、制御者、確立者と称される。


サンジャヤ・ベーラッティプッタ(懐疑論・不可知論)

私は、質問に対して答えるであろう。
しかし、私はこうであるとも思わないし、そうであるとも思わない。
別であるとも、そうではないとも、そうではないのではないとも思わない。





現代も昔も、思想哲学的な主張には、そう大差はありませんね。




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2008.04.17 仏法の六徳
原始仏典には、「法の六徳」と言われる仏法の真実性が、
繰り返し説かれています。


1、仏法は、正しく、善い教えであでり、文証、理証、現証が具現した正法である。

2、仏法は、誰にでも実証が出来、いつでも体験することが出来る。

3、仏法は、普遍性をもち、時を問わない永遠の教えである。

4、仏法は、誰にでも勧め、確かめてもらえる教えである。

5、仏法は、修行者を、悟りの境地に、確実に導く教えである。

6、仏法は、賢者によって各自で悟られるべき教えである。



僧侶は、きちんと仏法を伝えなければいけません。




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2008.04.17 人間に光あれ
西光万吉氏は、

「人の世に熱あれ、人間に光あれ。」

という、全国水平社宣言の起草者として有名ですが、
その思想については、あまり知られていません。

彼は、
浄土真宗のお寺に生れますが、僧侶にはならず、

神道、高天原による祭政一致運動を推進する道、
地上の豊饒と平和を希望し、自然と人間の生産力を調和する道を模索しました。

高天原というのは、日本高級霊界のことです。


私はかつて共産党員であった。
それが今日のようになったのは、
唯物と唯心を超えた命の世界を思い、
高次的な高天原の展開を望む者は、
高天原の世界観に生きることは当然であり、
日本の天皇制が惟神に原始的高天原から高次的高天原に、
貫き通ずる道であることを信じたからである。
もとより惟神にということは、
高い大きないのちに連なり違うて最も自然順調にということである。


「偶感雑記」

また彼は、こう語っています。

瑞々しき惟神の無我執観たる赤子思想に照りかがやき、
清々しい惟神の無所有観たる奉還思想に澄みわたる高天鳳の高次的展開などというと、
今なお祝詞癖の抜けぬ神がかりと哂われるであろうが、
これも醒める事のない私の一つの夢である。


日本は神の国であると信じて疑わなかったのでした。

彼は、その他にも、絵画、戯曲などを残すなどして、
多彩な才能にも恵まれています。


あの感動的な言葉と、
「人間と生きるものへの限りない愛情」の実践には、
このような思想的背景があったのです。




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2008.04.17 黄金の道
仏教の基本的な教えとして、中道があります。

中道は、修行者の生活の指針となるものであり、
人生を輝かせるための秘訣です。

また、苦しみから離れた、安らぎの境地に入るための道でもあります。

誤解されやすいのですが、
まん中あたりのほどほどのところ、という意味ではなく、
もっと積極的な意味合いを持つものであって、
修行の実践の過程で、自分に適した、正しい道を探しあてていくものなのです。

お釈迦さまは、
悟りに到るための正しい道の「八正道」を示され、
この道が中道でもある、と説かれました。

正しい道を極めること、八正道を行じることそのものが、中道なのです。


修行をするにしても、焦りや不安で無理な苦行をしたり、
また、楽をしようとして怠けすぎてもいけない。

自分を責める心も、外に原因を求める心も、人を幸せにしない。

この世のことばかりに執着していても、あの世のことばかり考えていてもいけない。

安楽や贅沢ばかりの生活でも病気になるし、
食・眠・性などの欲を断ちきれば、肉体の維持は出来ない。

肉体の発達だけでなく、魂の成長も必要である。

宇宙には、進歩と調和という二大原理が働いていて、
人間の生き方においても、アクセルとブレーキが必要である。


ものごとには、適切な道というものがあり、
そこに入ることが、実は最も効率的なのです。

中道は、すべてのものを生かしていく道であり、
神の意に適った道でもあるということです。

中道とは、黄金の道なのであります。




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2008.04.17 愚僧の悩み
愚僧の修行は、読書が主です。
このブログ修行も日課となってきました。

のんびりしているタイプではないので、
常に、僧侶としてのあり方を自問自答してしまいます。

このままでは、仏教はどうなってしまうのだろうか?
僧侶の存在意義とは何なのだろうか?
自分に何が出来るのだろうか?
はたして、僧侶は必要とされているのだろうか?

悩むより行動だ、ということは分かっているのですが、
自分の不甲斐なさに、ついつい堂々巡り。


人々に救いの法施が出来るだけの、勇気と愛と智慧をお与えください。

日々、精進します。合掌。




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アメリカの心理学者ヘレン・シュックマンが、
キリストの霊からのチャネリングを受けて記された、

「コース・イン・ミラクル」は、

全米で広範な読者を獲得しました。


その内容は、

この世は全て非実在的なものであり、夢を見ているようなもの。
真に実在するものとは、霊であり神である。
全てを神にゆだねることで、苦しみから解放され、奇跡がおきる。


というもので、教科書、ワークブック、教師用指導書の3つの書から成り立っています。

この本の学習会を通じて、
キリスト教信者の間にも、ニューエージ運動が浸透することになりました。


世界の精神世界のマスターは、
ほとんどこの本を読んでいる、といわれるほどの名著です。

邦訳は、内容が深遠で、文体が複雑なので、
なかなか難しいらしく、まだのようです。

早く読んでみたいですね。

何しろ、イエスさま直伝(?)の教えなのですから。




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