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2008.04.19
求む、エコカー時代
愚僧は、車を運転するのですが、現行の車に15年ほど乗ってます。
次に乗り換える時には、電気自動車にするのだと決めていました。
排気ガスや騒音の出ない車なんて、どんなにいいだろう、と。
しかし、待てどもなかなか販売されない。
最近になってようやく、
三菱自動車が、電力会社と協力開発した「i MiEV」の販売を公表しました。
はたして、いつ販売されるのでしょうか?
愚僧は、技術的な問題云々よりも、
大革命になるのを恐れているのでは、とみています。
エコロジー 一害なくて 百利あり
i MiEV試乗動画
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
次に乗り換える時には、電気自動車にするのだと決めていました。
排気ガスや騒音の出ない車なんて、どんなにいいだろう、と。
しかし、待てどもなかなか販売されない。
最近になってようやく、
三菱自動車が、電力会社と協力開発した「i MiEV」の販売を公表しました。
はたして、いつ販売されるのでしょうか?
愚僧は、技術的な問題云々よりも、
大革命になるのを恐れているのでは、とみています。
エコロジー 一害なくて 百利あり
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2008.04.19
トランスパーソナル心理学
トランスパーソナル心理学は、
エサレン研究所発の「人間の潜在能力開発運動」から起こってきました。
この運動は、
人間の潜在能力を認め、
本来、人間には人生をよりよく生きる力が備わっている、とするポジティブなものです。
その後は、しだいに心理療法から東洋の宗教にも関心が移っていきます。
そのような流れのなかで、
心理学者のマズローが、自ら提唱した人間性心理学の次の段階として、
トランスパーソナル心理学を唱えました。
トランスパーソナル心理学は、
人間の自我意識を超えたトランスパーソナルな領域を認め、
宗教体験や変成意識体験をも考慮にいれて、
アカデミズムの中で学問的な研究を行う、というものでした。
その後は、急死したマズローの後を継いで、
心理学者のスラニスラフ・グロフ、チャールズ・タートなどを中心に発展していきます。
1994年には、
ジョン・エックルス、ロジャー・ペンローズなどのノーベル賞受賞者、
ダニエル・デネット、スチュアート・ハメンホフなどの意識研究の先端的学者、
ウィリス・ハーマン、ヒューストン・スミス、ロジャー・ウォルシュなどの、
トランスパーソナル学者達によって、学術雑誌が発行されています。
トランスパーソナル心理学は、
もはや胡散臭い心理学ではなく、
意識の問題、主観・客観の現実認識の問題、
を根底から考え直す重要な学問として、認められているのです。
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エサレン研究所発の「人間の潜在能力開発運動」から起こってきました。
この運動は、
人間の潜在能力を認め、
本来、人間には人生をよりよく生きる力が備わっている、とするポジティブなものです。
その後は、しだいに心理療法から東洋の宗教にも関心が移っていきます。
そのような流れのなかで、
心理学者のマズローが、自ら提唱した人間性心理学の次の段階として、
トランスパーソナル心理学を唱えました。
トランスパーソナル心理学は、
人間の自我意識を超えたトランスパーソナルな領域を認め、
宗教体験や変成意識体験をも考慮にいれて、
アカデミズムの中で学問的な研究を行う、というものでした。
その後は、急死したマズローの後を継いで、
心理学者のスラニスラフ・グロフ、チャールズ・タートなどを中心に発展していきます。
1994年には、
ジョン・エックルス、ロジャー・ペンローズなどのノーベル賞受賞者、
ダニエル・デネット、スチュアート・ハメンホフなどの意識研究の先端的学者、
ウィリス・ハーマン、ヒューストン・スミス、ロジャー・ウォルシュなどの、
トランスパーソナル学者達によって、学術雑誌が発行されています。
トランスパーソナル心理学は、
もはや胡散臭い心理学ではなく、
意識の問題、主観・客観の現実認識の問題、
を根底から考え直す重要な学問として、認められているのです。



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2008.04.19
パスカルの賭け
パスカルは、
数学者、物理学者でありましたが、
神秘家でもありました。
彼は、神への信仰をすすめるため、
「パスカルの賭け」という話をしました。
それは、こうです。
「神は存在する」と考えるのと、
「神は存在しない」と考えるのとでは、どちらが得をするだろうか?
という問いから始まります。
「神は存在しない」と考えた場合は、
その人の人生は不幸なものになってしまう。
何故なら、生前においては、神や死後の生命を信じなかったばかりに、
不道徳で退廃的になり不幸を招くことになる。
また、死の恐怖に怯えながら暮らさなければならない。
死んだ場合にも、本当に死後消滅し無になったのならば、その通りであっただけのこと。
もし、死後の世界があった場合には、後悔することになるし、生前の不幸は取り返せない。
「神は存在する」と考えた場合は、
その人は、限りない幸福を得ることが出来る。
何故なら、生前においては、神や死後の生命を信じ、人生を有意義にしようと努力し、
道徳を守ったその結果、幸福を得ることになる。
また、死の不安を感じず、人生を全うすることが出来る。
死んだ場合にも、もし仮に死後は無かったとしても、もう認識はできないし、後悔することもない。
そして、生前の信仰通りに、死後の生命があった場合には、さらなる幸福が待っている。
だから、
信じれば、全てを手に入れることが出来、そのことで失うものは何もないのだから、
神や死後の永遠の生命を信じる決断の方に賭けるべきだ。
となります。
神は存在するのか、それとも存在しないのか。
ところで私たちはどちらに傾くだろうか。
理性はこの点について何も決められない。
無限の混沌が僕らを分けへだてている。
その無限の距離の果てでは、
ひとつの賭けがなされていて、コイン投げがおこなわれる。
賭けは行わなければならない。
まったく自分の意思ではなく、あなたはすでに船に乗せられてしまっているのだ。
そうだとすればあなたはどちらに賭けるか、考えてみよう。
ところで、あなたの幸福はどうなるだろうか。
神が存在する方をとったときの、得と損を比べてみよう。
次の二つの場合を比べてみよう。あなたは勝てばすべてを得る。
そして負けても何も失わない。
ならばためらうことなく、神が存在する方に賭けなさい。
「パンセ」
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数学者、物理学者でありましたが、
神秘家でもありました。
彼は、神への信仰をすすめるため、
「パスカルの賭け」という話をしました。
それは、こうです。
「神は存在する」と考えるのと、
「神は存在しない」と考えるのとでは、どちらが得をするだろうか?
という問いから始まります。
「神は存在しない」と考えた場合は、
その人の人生は不幸なものになってしまう。
何故なら、生前においては、神や死後の生命を信じなかったばかりに、
不道徳で退廃的になり不幸を招くことになる。
また、死の恐怖に怯えながら暮らさなければならない。
死んだ場合にも、本当に死後消滅し無になったのならば、その通りであっただけのこと。
もし、死後の世界があった場合には、後悔することになるし、生前の不幸は取り返せない。
「神は存在する」と考えた場合は、
その人は、限りない幸福を得ることが出来る。
何故なら、生前においては、神や死後の生命を信じ、人生を有意義にしようと努力し、
道徳を守ったその結果、幸福を得ることになる。
また、死の不安を感じず、人生を全うすることが出来る。
死んだ場合にも、もし仮に死後は無かったとしても、もう認識はできないし、後悔することもない。
そして、生前の信仰通りに、死後の生命があった場合には、さらなる幸福が待っている。
だから、
信じれば、全てを手に入れることが出来、そのことで失うものは何もないのだから、
神や死後の永遠の生命を信じる決断の方に賭けるべきだ。
となります。
神は存在するのか、それとも存在しないのか。
ところで私たちはどちらに傾くだろうか。
理性はこの点について何も決められない。
無限の混沌が僕らを分けへだてている。
その無限の距離の果てでは、
ひとつの賭けがなされていて、コイン投げがおこなわれる。
賭けは行わなければならない。
まったく自分の意思ではなく、あなたはすでに船に乗せられてしまっているのだ。
そうだとすればあなたはどちらに賭けるか、考えてみよう。
ところで、あなたの幸福はどうなるだろうか。
神が存在する方をとったときの、得と損を比べてみよう。
次の二つの場合を比べてみよう。あなたは勝てばすべてを得る。
そして負けても何も失わない。
ならばためらうことなく、神が存在する方に賭けなさい。
「パンセ」



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2008.04.19
瞑想について
宗教では、何の為に瞑想を行うのでしょうか。
瞑想は、単なるリラックス法ではありません。
瞑想の本来の目的は、
この世の波動から離れて、霊的世界との交流をはかるためにするものです。
しかし、あくまでも高次な世界への参入であって、
低次な世界とのコンタクトではありません。
ですから、アルコールが入っていたり、心が乱れていたりする状態では、
高次な世界との交流はできません。
やはり、ここでも波長同通の法則が働きます。
心の波長を調えて、平和で静寂なものにしていくと、
温かいものを感じたり、何らかのインスピレーションがあったり、
高次な世界からの光を受けて幸福感が得られる、ことがあるのです。
ですから、瞑想には、作法も方法も無数にあります。
しかし、形や作法よりも、
神仏を信じきることと、心の波長を調えることが、最も重要なのです。
瞑想によって、
霊的な充電がなされ、日常生活の活力が得られます。
内面の智慧が開発され、この世的な能力が向上します。
心身の健康が増進され、人間関係が良好になります。
霊的能力が備わります。
認識力が上がり、悩みや問題を解決していくことが出来ます。
瞑想の効果には、はかりしれないものがあるのです。
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瞑想の本来の目的は、
この世の波動から離れて、霊的世界との交流をはかるためにするものです。
しかし、あくまでも高次な世界への参入であって、
低次な世界とのコンタクトではありません。
ですから、アルコールが入っていたり、心が乱れていたりする状態では、
高次な世界との交流はできません。
やはり、ここでも波長同通の法則が働きます。
心の波長を調えて、平和で静寂なものにしていくと、
温かいものを感じたり、何らかのインスピレーションがあったり、
高次な世界からの光を受けて幸福感が得られる、ことがあるのです。
ですから、瞑想には、作法も方法も無数にあります。
しかし、形や作法よりも、
神仏を信じきることと、心の波長を調えることが、最も重要なのです。
瞑想によって、
霊的な充電がなされ、日常生活の活力が得られます。
内面の智慧が開発され、この世的な能力が向上します。
心身の健康が増進され、人間関係が良好になります。
霊的能力が備わります。
認識力が上がり、悩みや問題を解決していくことが出来ます。
瞑想の効果には、はかりしれないものがあるのです。



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2008.04.19
良書について
良書に出会うことは、貴重な財産です。
一冊の本が、人生を変えてしまうことさえあります。
実人生では体験できないような感動を味わうこともあります。
現代には無数の出版物があります。
その中から、良書を探し出すためには、たくさん読書をしなければいけません。
読書量が増えると、
良い本、悪い本、が見分けられるようになってきます。
そして、益々読書が、充実したものになっていくのです。
読書論ついては、いろんな偉人たちが書いていますが、
そういうものを読むのもまた、参考になります。
良書を読むことで、
知性や理性が鍛えられます。
集中力や落ち着きが備わります。
内面の智慧が開発されます。
幸福や成功が手に入るかもしれません。
幅広い見識、判断力が身につきます。
感性が磨かれ、人の気持ちが分かるようになります。
本当に読書の利点は、たくさんあります。
良書の定義は、
読む人を幸福にする為に書かれた本、なのです。
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一冊の本が、人生を変えてしまうことさえあります。
実人生では体験できないような感動を味わうこともあります。
現代には無数の出版物があります。
その中から、良書を探し出すためには、たくさん読書をしなければいけません。
読書量が増えると、
良い本、悪い本、が見分けられるようになってきます。
そして、益々読書が、充実したものになっていくのです。
読書論ついては、いろんな偉人たちが書いていますが、
そういうものを読むのもまた、参考になります。
良書を読むことで、
知性や理性が鍛えられます。
集中力や落ち着きが備わります。
内面の智慧が開発されます。
幸福や成功が手に入るかもしれません。
幅広い見識、判断力が身につきます。
感性が磨かれ、人の気持ちが分かるようになります。
本当に読書の利点は、たくさんあります。
良書の定義は、
読む人を幸福にする為に書かれた本、なのです。



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