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シルバーバーチの霊媒モーリス・バーバネルが、

イングランド国教会が1937年から2年間にわたり、
霊媒を使った組織的な研究を行って結論を出した「調査報告書」を公表しています。

仏教界にとっても大いに関係のあることなので紹介します。




きわめて重大な事としてよく指摘されるのは、
スピリチュアリズムが多くの点において、
信心深い人々が抱いている高度な信仰の数々を再確認していること、
さらには、そうした信心深い人々にとっても、
すでに意義を失ってしまった教義の真実性に新たな確認を与えていることである。


他界した友人がすぐ近くにいて、霊界でも成長し続けており、
その後も自分達に関心を抱き続けてくれているという認識は、
それを実際に体験した者にとっては、聖霊との交わりの信仰に、
新たな即時性と価値をあたえてくれる以外の何ものでもないことは確かに事実である。


確かに、福音書に記されている奇跡的諸現象と、
スピリチュアリズムにおける実験によって確かめられた現代の心霊現象との間に、
実に明瞭な類似点があることは事実である。
したがって、もしもわれわれが後者を科学的論述と証明ができないという理由で、
疑問視しなければならないと主張するのであれば、
聖書の奇跡も、キリストの復活そのものも、
同じく科学的証明ができないものであることを付記しなければならなくなる。
 

わが国教会の最大の過ちは、神は、紀元666年まで世界の一地域、
即ち、パレスチナにのみ働きかけ、それ以後は他のいかなる土地にも、
いかなる働きかけもしていないという信仰を作り上げてしまったことである。





この報告書は当時、極秘にされたようです。




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近代日本にも偉大な宗教家が生れています。

それは、「生長の家」の総裁、谷口雅春氏です。

彼は、どの宗教も実相世界(霊界)の表現であり、
その根は一つであるという万教帰一を唱えました。

そして、
全ては完全なる神の現れであるので、
本来、「悪なし、病気なし、死なし、肉体なし」である


本来の心は完全で、神そのもの、光明そのものであることを悟れば、
それが現象世界にも顕現してくるのだ

という実相哲学を唱えました。


著書には、「生命の実相」という大部の哲学書があり、
また、仏教にも言及した、「涅槃経」、「維摩経」、「般若心経」などの解釈書もあります。

「生長の家」では、観法、行法として、
神の光を引き入れるための祈りである「神想観」を行うのが特徴です。

彼は、
ニューソート思想、光明思想を日本に根づかせ、
人類光明化運動を起こすべく、55年の長い期間「生長の家」を指導しました。
世界最大のニューソート団体だとも言われています。

生前彼を指導していた霊人こそ、
日本神道の主宰神、天御中主神でありました。

また、彼の前世は、伊邪那岐命であり、
新プラトン主義の創始者プロティノスでもある、というのは驚きです。


「生長の家」は、日本神道の一大革新運動でもあったのです。




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2008.04.24 如来の十力
原始仏典の「大獅子吼経」には、
如来が持つ十の能力について述べられています。
全て、霊的な能力です。


一、善と悪、正しさを知る能力

二、過去、現在、末来に作用する業の法則を知る能力

三、あらゆる境涯にいたる道を知る能力

四、欲界、色界、無色界などのあらゆる世界の様子を知る能力

五、あらゆる生命の考えを知る能力

六、あらゆる生命の霊格を知る能力

七、瞑想、禅定の状態を知る能力

八、過去世を何世でも遡って知る能力

九、天眼(霊視)によって生命の死後の状態を知る能力

十、この世にいながら霊力を自由自在に制御する能力





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2008.04.24 執着を捨てる
お釈迦さまは、執着を捨てよと繰り返し説かれました。

あらゆる苦しみは執着から生じます。

この肉体は四大元素の化和合であり、
本当の自分ではありません。

永遠不滅ではない肉体は、仮の宿です。

この世の全てのものは、変化し、老朽化し、滅びます。

地位や財産、名誉や肩書きは、霊界にはもって帰れません。

愛の反対が、執着です。

愛は与えることであるのに対し、執着は奪うことです。

執着は自我を肥大させます。
肥大した自我は、もっと欲しいと叫びます。

本来、自分のものは何一つありません。

自他は一体であり、皆、大宇宙の一部です。

執着は、自分の周囲に壁を築きます。

この壁を壊せば、神の光が流れ込みます。

執着を捨てれば、幸福になれる。

キリストも、「命を捨つる者は、命を得る」と言っています。

蝶は、捕まえようとしても、逃げていきますが、
無心でいると、頭にとまって休憩するのです。

執着を捨てるとは、
ちっぽけな自我が、本当の自分ではなく、
実相の如来のいのちが、本当の自分であることを知ることです。

執着を捨てるとは、
仏の愛に満ち、完全円満なる永遠の実相世界を掴みとることです。

執着を捨てるとは、幸福を得るための方法だったのです。




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