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2008.04.29
群盲の比喩
お釈迦さまは、間違った見解を持つものが、
法(神)についてあれこれ推測しても真理に到達することはない、
ということを、「群盲象を撫でる」という例え話で明らかにされています。
その時、釈尊は、比丘たちに言われた。
昔々、鏡面という名の王がいた。
ある時、生まれながらの盲人たちを一箇所に集めて、告げた、
「お前たち、生れながらの盲人よ。象が分かるか」
すると、答えた、
「大王よ。私には見分けもつかず、存じてもおりません」
王は再度告げた、
「お前たちは、それがどのようなものかを知りたいか」
答えた、
「知りたいと思います」
そこで、王はただちに侍者に命じて、象を引いて来させ、
盲人たちに、自分の手で象を撫でさせた。
その中には、象を撫でようとして鼻を探り当てた者がいたが、王は、
「これが象なのだ」と言った。
また象を撫でようとしてその牙を探り当てた者もおり、
また象を撫でようとしてその耳を探り当てた者もおり、
また象を撫でようとしてその頭を探り当てた者もおり、
また象を撫でようとしてその背を探り当てた者もおり、
また象を撫でようとしてその腹を探り当てた者もおり、
また象を撫でようとしてその腿を探り当てた者もおり、
また象を撫でようとしてそのふくらはぎを探り当てた者もおり、
また象を撫でようとしてその足跡を探り当てた者もおり、
また象を撫でようとしてその尾を探り当てた者もいたが、
王はすべて、
「これが象なのだ」と言った。
さて、鏡面王は、その象を退け、盲人にたずねた、
「象はどのようであったか」
その盲人たちのうち、象の鼻を探り当てた者は、「象は曲がった轅のようでした」と言い、
その盲人たちのうち、象の牙を探り当てた者は、「象は杵のようでした」と言い、
その盲人たちのうち、象の耳を探り当てた者は、「象は箕のようでした」と言い、
その盲人たちのうち、象の頭を探り当てた者は、「象は鼎のようでした」と言い、
その盲人たちのうち、象の背を探り当てた者は、「象は小山のようでした」と言い、
その盲人たちのうち、象の腹を探り当てた者は、「象は壁ようでした」と言い、
その盲人たちのうち、象の腿を探り当てた者は、「象は木のようでした」と言い、
その盲人たちのうち、象のふくらはぎを探り当てた者は、「象は柱のようでした」と言い、
その盲人たちのうち、象の足跡を探り当てた者は、「象は臼のようでした」と言い、
その盲人たちのうち、象の尾を探り当てた者は、「象は組みひものようでした」と言った。
そして、それぞれ言い争い、互いに議論しあい、こちらがこうだと言えば、
あちらがそうでないと言い、やむことなくあれこれ言って、ついにとっ組み合いになった。
すると、王はこれを見て、喜び大笑いした。
それから、王はすぐさま偈を説いた。
「盲人たちが群がって、ここで言い争いをしている。
象自身はもともと一つの体なのに、
思い描いたものが多様なので、議論が起こったのだ」
仏が比丘に告げられた。
「仏道以外の異端者たちも、やはりこれと同様なのである。
苦諦を理解せず、集諦・滅諦・道諦を理解しないで、
それぞれ多様な誤った見解を起こし、互いに議論しあっている。
自分を正しいと思い込むから、言い争いを起こすのである。」
長阿含経典「世記経」
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法(神)についてあれこれ推測しても真理に到達することはない、
ということを、「群盲象を撫でる」という例え話で明らかにされています。
その時、釈尊は、比丘たちに言われた。
昔々、鏡面という名の王がいた。
ある時、生まれながらの盲人たちを一箇所に集めて、告げた、
「お前たち、生れながらの盲人よ。象が分かるか」
すると、答えた、
「大王よ。私には見分けもつかず、存じてもおりません」
王は再度告げた、
「お前たちは、それがどのようなものかを知りたいか」
答えた、
「知りたいと思います」
そこで、王はただちに侍者に命じて、象を引いて来させ、
盲人たちに、自分の手で象を撫でさせた。
その中には、象を撫でようとして鼻を探り当てた者がいたが、王は、
「これが象なのだ」と言った。
また象を撫でようとしてその牙を探り当てた者もおり、
また象を撫でようとしてその耳を探り当てた者もおり、
また象を撫でようとしてその頭を探り当てた者もおり、
また象を撫でようとしてその背を探り当てた者もおり、
また象を撫でようとしてその腹を探り当てた者もおり、
また象を撫でようとしてその腿を探り当てた者もおり、
また象を撫でようとしてそのふくらはぎを探り当てた者もおり、
また象を撫でようとしてその足跡を探り当てた者もおり、
また象を撫でようとしてその尾を探り当てた者もいたが、
王はすべて、
「これが象なのだ」と言った。
さて、鏡面王は、その象を退け、盲人にたずねた、
「象はどのようであったか」
その盲人たちのうち、象の鼻を探り当てた者は、「象は曲がった轅のようでした」と言い、
その盲人たちのうち、象の牙を探り当てた者は、「象は杵のようでした」と言い、
その盲人たちのうち、象の耳を探り当てた者は、「象は箕のようでした」と言い、
その盲人たちのうち、象の頭を探り当てた者は、「象は鼎のようでした」と言い、
その盲人たちのうち、象の背を探り当てた者は、「象は小山のようでした」と言い、
その盲人たちのうち、象の腹を探り当てた者は、「象は壁ようでした」と言い、
その盲人たちのうち、象の腿を探り当てた者は、「象は木のようでした」と言い、
その盲人たちのうち、象のふくらはぎを探り当てた者は、「象は柱のようでした」と言い、
その盲人たちのうち、象の足跡を探り当てた者は、「象は臼のようでした」と言い、
その盲人たちのうち、象の尾を探り当てた者は、「象は組みひものようでした」と言った。
そして、それぞれ言い争い、互いに議論しあい、こちらがこうだと言えば、
あちらがそうでないと言い、やむことなくあれこれ言って、ついにとっ組み合いになった。
すると、王はこれを見て、喜び大笑いした。
それから、王はすぐさま偈を説いた。
「盲人たちが群がって、ここで言い争いをしている。
象自身はもともと一つの体なのに、
思い描いたものが多様なので、議論が起こったのだ」
仏が比丘に告げられた。
「仏道以外の異端者たちも、やはりこれと同様なのである。
苦諦を理解せず、集諦・滅諦・道諦を理解しないで、
それぞれ多様な誤った見解を起こし、互いに議論しあっている。
自分を正しいと思い込むから、言い争いを起こすのである。」
長阿含経典「世記経」



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2008.04.29
地湧の菩薩
宮沢賢治は、敬虔な仏教徒でありました。
優れた詩や童話作品などで、親しまれる宮沢賢治ですが、
その人生や信仰についてはあまり知られていません。
彼は、盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)に首席で入学、
自然科学を学びます。そのころに、「法華経」と出会い、
日蓮宗の信者となって熱心な宗教活動を行うようになります。
東京に出て、日蓮主義の「国柱会」にも参加しています。
東京から帰った後には、花巻農学校の教師となりますが、
その変わった授業が評価されず、教職を去ることとなります。
その後は、「羅須地人協会」と自ら名づけた小さな家で、
農業と芸術の一体化による新しい村づくり、農業指導に励みます。
その後も、石灰肥料を普及する指導員となって働きますが、
激務によって体調を崩し、37才という若さで、独身のままこの世を去ります。
遺言では、「法華経」を千部配るように言い残しました。
評価が高まって国民的作家となったのは、没後のことです。
あまり知られていませんが、宮沢賢治は霊能力者でもあったのです。
生前に知人に語ったことばが残されています。
「僕はもう何べんか早池峰山に登りました。
あの山には、御承知かも知れませんが早池峯の七不思議というのがありまして、
その一つに河原の坊という所があります。
早池峯の登山口で裾野をのぼりつめたところの岳川という、
岩をかむ清流の岸辺にありまして、言い伝えでは何でも何百年か以前に、
天台宗の大きな寺のあった跡で、修行僧も大勢集まっていて、
随分盛んなものだったということです。そこでは今も朝の小暗い黎明時に、
ひょっとするとしんしんと読経の声が聞えて来ると噂されております。
先年登山の折でした。僕はそこの大きな石に腰をかけて休んでいたのですが、
ふと山の方から手に錫杖を突き鳴らし、
眉毛の長く白い見るからに清清しい高僧が下りて来ました。
その早池峯に登ったのは確か三年ばかり前なのですが、
その御坊さんにあったのは、何でも七百年ばかり前のようでしたよ。」
「僕は妹のとし子が亡くなってから、いつも妹を思ってやすむ前には必ず読経し、
ずっと仏壇のそばに寝起きしているのだが、
この間いつものように一心に御経を読んでからやすむと、
枕辺にとし子の姿がありありと現れたので、
すぐ起きてまた御経を上げていると見えなくなった。
次の晩もやはり姿が見え、二晩だけであとは見えなかった。
人間というものは、死んでからまた別の姿になってどこかに生を受けるものらしい。」
「宮沢賢治」佐藤隆房著
宮沢賢治は、
「世界が全体幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」として、
無私の精神で他者への献身につとめた、菩薩でありました。
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優れた詩や童話作品などで、親しまれる宮沢賢治ですが、
その人生や信仰についてはあまり知られていません。
彼は、盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)に首席で入学、
自然科学を学びます。そのころに、「法華経」と出会い、
日蓮宗の信者となって熱心な宗教活動を行うようになります。
東京に出て、日蓮主義の「国柱会」にも参加しています。
東京から帰った後には、花巻農学校の教師となりますが、
その変わった授業が評価されず、教職を去ることとなります。
その後は、「羅須地人協会」と自ら名づけた小さな家で、
農業と芸術の一体化による新しい村づくり、農業指導に励みます。
その後も、石灰肥料を普及する指導員となって働きますが、
激務によって体調を崩し、37才という若さで、独身のままこの世を去ります。
遺言では、「法華経」を千部配るように言い残しました。
評価が高まって国民的作家となったのは、没後のことです。
あまり知られていませんが、宮沢賢治は霊能力者でもあったのです。
生前に知人に語ったことばが残されています。
「僕はもう何べんか早池峰山に登りました。
あの山には、御承知かも知れませんが早池峯の七不思議というのがありまして、
その一つに河原の坊という所があります。
早池峯の登山口で裾野をのぼりつめたところの岳川という、
岩をかむ清流の岸辺にありまして、言い伝えでは何でも何百年か以前に、
天台宗の大きな寺のあった跡で、修行僧も大勢集まっていて、
随分盛んなものだったということです。そこでは今も朝の小暗い黎明時に、
ひょっとするとしんしんと読経の声が聞えて来ると噂されております。
先年登山の折でした。僕はそこの大きな石に腰をかけて休んでいたのですが、
ふと山の方から手に錫杖を突き鳴らし、
眉毛の長く白い見るからに清清しい高僧が下りて来ました。
その早池峯に登ったのは確か三年ばかり前なのですが、
その御坊さんにあったのは、何でも七百年ばかり前のようでしたよ。」
「僕は妹のとし子が亡くなってから、いつも妹を思ってやすむ前には必ず読経し、
ずっと仏壇のそばに寝起きしているのだが、
この間いつものように一心に御経を読んでからやすむと、
枕辺にとし子の姿がありありと現れたので、
すぐ起きてまた御経を上げていると見えなくなった。
次の晩もやはり姿が見え、二晩だけであとは見えなかった。
人間というものは、死んでからまた別の姿になってどこかに生を受けるものらしい。」
「宮沢賢治」佐藤隆房著
宮沢賢治は、
「世界が全体幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」として、
無私の精神で他者への献身につとめた、菩薩でありました。



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2008.04.29
奇蹟の時代
世界を救う為に、仏陀が現れている。
空前絶後の、世界規模の救済運動が起きている。
信じられる人は、幸いです。
現代の仏陀は、アメリカ人にも、英語で法を説く。
私は、イエスが「我が父」と呼んだ存在だと、
我を信ぜよ、そして、この法を広めよ、と。
奇蹟であります。
僧侶も、一刻も早く目覚めましょう。
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空前絶後の、世界規模の救済運動が起きている。
信じられる人は、幸いです。
現代の仏陀は、アメリカ人にも、英語で法を説く。
私は、イエスが「我が父」と呼んだ存在だと、
我を信ぜよ、そして、この法を広めよ、と。
奇蹟であります。
僧侶も、一刻も早く目覚めましょう。



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2008.04.29
心の力
幸せは、見つけ出し、育むことが出来ます。
幸せとは、心の状態です。
外側の出来事をどう解釈し、内面でどのように受け止めるかによって決ります。
幸せは、あらゆる所に見つかります。
実は、身のまわりに良いものはたくさん溢れています。
それらに焦点をあて感謝すると、ますます幸せを呼び込むようになります。
あらゆる出来事が、幸福の種となります。
すべては魂の成長のため、と受け止めると、すべてが学びになります。
その経験を通して、心が鍛えられます。
心には、人生を変えるものすごい力があります。
幸・不幸をつくっているのも心です。
釈尊が繰り返し、『諸の事象は皆、心を先とし、心を主とし、心により生じる』
と、説かれたように、心こそがあらゆる問題を解決する力を持つのです。
私達は、幸福になるために生れてきたのだし、
その鍵は誰にでも、神様から心の力として与えられているのです。
愚僧もまた、皆様の幸せのために、精進します。
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幸せとは、心の状態です。
外側の出来事をどう解釈し、内面でどのように受け止めるかによって決ります。
幸せは、あらゆる所に見つかります。
実は、身のまわりに良いものはたくさん溢れています。
それらに焦点をあて感謝すると、ますます幸せを呼び込むようになります。
あらゆる出来事が、幸福の種となります。
すべては魂の成長のため、と受け止めると、すべてが学びになります。
その経験を通して、心が鍛えられます。
心には、人生を変えるものすごい力があります。
幸・不幸をつくっているのも心です。
釈尊が繰り返し、『諸の事象は皆、心を先とし、心を主とし、心により生じる』
と、説かれたように、心こそがあらゆる問題を解決する力を持つのです。
私達は、幸福になるために生れてきたのだし、
その鍵は誰にでも、神様から心の力として与えられているのです。
愚僧もまた、皆様の幸せのために、精進します。



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