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2008.05.03
無我なる道
無我なる道は、幸せへの道です。
自我の蓋を外せば、神の光がさしこみます。
執着を捨て、心の窓を開けば、新しい光がその身に臨みます。
その光とは、愛であり、希望であり、創造力であり、活力であり、導きであり、無限です。
その光は、あちこちに満ち満ちていて、地上に降り注いでいます。
心を開いて、神の光を受け入れましょう。
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
自我の蓋を外せば、神の光がさしこみます。
執着を捨て、心の窓を開けば、新しい光がその身に臨みます。
その光とは、愛であり、希望であり、創造力であり、活力であり、導きであり、無限です。
その光は、あちこちに満ち満ちていて、地上に降り注いでいます。
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2008.05.03
新しい経済観
古い宗教観では、富や経済活動を悪とするような風潮があります。
しかし、ニューエイジ思想では、
清貧よりも、この世的な豊かさの享受が説かれます。
心の開発に従って、心の影である経済現象が従い、
富を得ることが出来るとされるのです。
唯物論的な考え方では、限りある資源を分けあうことになりますから、
一人が多く持つ分、それだけ他の人の取り分が減ることになります。
ですから、富の占有は、他の人から奪うことになるので、たしかに悪となります。
しかし、現代は大量生産の時代であります。
技術革新や、流通の発達、国家間の自由貿易などで、
世界中が物で満たされるようになってきました。
また、
宇宙には無限のエネルギーが満ちており、
真空というのは無ではなく、エネルギーの海であることがわかってきました。
ですから、無からいくらでもエネルギーが生み出せるのです。
新たなエネルギーが創造できる可能性は、無限にあるのです。
マルクス経済学の間違いはここにあります。
経済学の父といわれるアダム・スミスは、倫理・道徳の教授であり、
神を信じ、どうすれば国が豊かになるかを考え「国富論」を書きました。
そして実際に資本主義国は豊かになっています。
経済道徳は、時代によって変化します。
これからの宗教は、新たな経済倫理の確立が必要です。
富は、他の人の幸福の為にも使えますし、
正しい人が豊かになり発展することは善いことなのです。
神は人間に貧しくあれ、と願っているはずはありません。
限りなく、豊かに、発展繁栄していきなさい、と願っておられるはずです。
僧侶も、マルクスの呪縛から解放されるべきです。
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しかし、ニューエイジ思想では、
清貧よりも、この世的な豊かさの享受が説かれます。
心の開発に従って、心の影である経済現象が従い、
富を得ることが出来るとされるのです。
唯物論的な考え方では、限りある資源を分けあうことになりますから、
一人が多く持つ分、それだけ他の人の取り分が減ることになります。
ですから、富の占有は、他の人から奪うことになるので、たしかに悪となります。
しかし、現代は大量生産の時代であります。
技術革新や、流通の発達、国家間の自由貿易などで、
世界中が物で満たされるようになってきました。
また、
宇宙には無限のエネルギーが満ちており、
真空というのは無ではなく、エネルギーの海であることがわかってきました。
ですから、無からいくらでもエネルギーが生み出せるのです。
新たなエネルギーが創造できる可能性は、無限にあるのです。
マルクス経済学の間違いはここにあります。
経済学の父といわれるアダム・スミスは、倫理・道徳の教授であり、
神を信じ、どうすれば国が豊かになるかを考え「国富論」を書きました。
そして実際に資本主義国は豊かになっています。
経済道徳は、時代によって変化します。
これからの宗教は、新たな経済倫理の確立が必要です。
富は、他の人の幸福の為にも使えますし、
正しい人が豊かになり発展することは善いことなのです。
神は人間に貧しくあれ、と願っているはずはありません。
限りなく、豊かに、発展繁栄していきなさい、と願っておられるはずです。
僧侶も、マルクスの呪縛から解放されるべきです。



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2008.05.03
悟りの厳しさ
現代の仏陀が説かれる悟りの厳しさです。
まれなることであります。
悟りとは、厳しいものだ。
この世的なる価値観を、切り落とさねば、その出発点にも立てない。
釈尊成道の折には、
魔は、この世的道徳と、社会的義務を説いて、釈尊の帰城を勧めた。
老いた両親は、どうする。妻子は、どうする。カピラバストゥ城は、どうする、と。
釈尊は義理の母と、妻子を出家させ、釈迦族の青年も、多数出家させた。
晩年、釈迦国は、コーサラ国に攻められ、滅亡した。
釈尊が、父王の地位を継げば、一族の滅亡は防げただろう。
しかし、彼は仏陀の道を選んだ。
そして、仏教は、全世界に広がり、彼の悟りは、世界の救いとなった。
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まれなることであります。
悟りとは、厳しいものだ。
この世的なる価値観を、切り落とさねば、その出発点にも立てない。
釈尊成道の折には、
魔は、この世的道徳と、社会的義務を説いて、釈尊の帰城を勧めた。
老いた両親は、どうする。妻子は、どうする。カピラバストゥ城は、どうする、と。
釈尊は義理の母と、妻子を出家させ、釈迦族の青年も、多数出家させた。
晩年、釈迦国は、コーサラ国に攻められ、滅亡した。
釈尊が、父王の地位を継げば、一族の滅亡は防げただろう。
しかし、彼は仏陀の道を選んだ。
そして、仏教は、全世界に広がり、彼の悟りは、世界の救いとなった。



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2008.05.03
仏陀の大悟
お釈迦さまは、6年間の苦行を捨て、
「悟りを開くまではこの座を解かない」、
という覚悟で、菩提樹下での瞑想に入られました。
そして、三明を得て、遂に大悟にいたります。
この悟りが、世界の救いとなるのです。
そこで私は食事を摂り力を得ると、
もろもろの欲望、不善から離れ、
初禅、第二禅、第三禅、第四禅に達し、
苦なく楽なく、捨によって念を清浄にした。
私は心が定まり、清浄で、明るくなり、煩悩がなくなると、
穢れがなく柔らかで、仕事に適し、不動心になり、
宿明通が開発され、それによって心を傾け、
前世を多く想起した(第一明)。
次に天眼通が開発され、それによって心を傾け、
多くの人々の死後や生まれ変わりの様子を見た(第二明)。
次に漏尽通が開発され、それによって心を傾け、
『これが苦なり、これが苦の集なり、
これが苦の滅なり、これが苦滅道なり。
これらが漏、漏の集、漏の滅、漏の滅に導く道』
という真実を知った。
このように知り、見て、
心は欲漏、有漏、無明漏から解脱した(第三明)。
「パーリ原始仏典中部」
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「悟りを開くまではこの座を解かない」、
という覚悟で、菩提樹下での瞑想に入られました。
そして、三明を得て、遂に大悟にいたります。
この悟りが、世界の救いとなるのです。
そこで私は食事を摂り力を得ると、
もろもろの欲望、不善から離れ、
初禅、第二禅、第三禅、第四禅に達し、
苦なく楽なく、捨によって念を清浄にした。
私は心が定まり、清浄で、明るくなり、煩悩がなくなると、
穢れがなく柔らかで、仕事に適し、不動心になり、
宿明通が開発され、それによって心を傾け、
前世を多く想起した(第一明)。
次に天眼通が開発され、それによって心を傾け、
多くの人々の死後や生まれ変わりの様子を見た(第二明)。
次に漏尽通が開発され、それによって心を傾け、
『これが苦なり、これが苦の集なり、
これが苦の滅なり、これが苦滅道なり。
これらが漏、漏の集、漏の滅、漏の滅に導く道』
という真実を知った。
このように知り、見て、
心は欲漏、有漏、無明漏から解脱した(第三明)。
「パーリ原始仏典中部」



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