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2008.05.09
仏教と無神論
明治以降、欧米の洗礼を受けた日本の仏教学者は、仏教を無神論にしてしまいました。
まず、欧米の学者が、仏教は虚無を説く無神論だ、と主張したのです。
当然、欧米の学者は、
キリスト教の神は至高神だという絶対的な信仰を持っていたからなのですが、
日本の学者は、それをそのまま受け入れたのです。
敗戦によって、日本は西洋文化に対して屈折した感情をいだくようになっていました。
何故、神はキリスト教だけのものなのでしょうか?
あらゆる宗教には神がいるはずです。
実際には、キリスト教の神も、究極の神ではありません。
キリストやマホメットを指導していたのも、
イスラエルの預言者達を指導していたのも、複数の人格神です。
仏陀もまた、人格神の一人であり、神々の指導者であったのです。
究極の神は、霊を超えたるものであり、把握することは困難なのです。
それらのことが、明らかにされたのは近年の霊界情報によってのことです。
日本のヨーガの第一人者はこう語っています。
高度の知性段階において初めて発達する純正な神秘思想的宗教においては、
冷静にして合理的な、さらに技術的な記述こそが最も適切な表現様式なのです。
ヨーロッパの学者が初めはプッダの教説を宗教ではないと考えたのは、
ここに誤解があったからです。
ヨーガと同じように知性的で、冷静であったブッダの教説は、
彼らキリスト教をもって宗教の典型と考えていた人たちには、
どうしても宗教とは受け取れなかったのです。
純正な神秘思想的宗教においては話を神から始めるのは無意味です。
それは神を否定するのではありません。
神を語る前に、神に至る道を明らかにすることから始めるべきである、
というのが神秘思想家の言い分です。
「ヨーガ根本経典」佐保田鶴治
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まず、欧米の学者が、仏教は虚無を説く無神論だ、と主張したのです。
当然、欧米の学者は、
キリスト教の神は至高神だという絶対的な信仰を持っていたからなのですが、
日本の学者は、それをそのまま受け入れたのです。
敗戦によって、日本は西洋文化に対して屈折した感情をいだくようになっていました。
何故、神はキリスト教だけのものなのでしょうか?
あらゆる宗教には神がいるはずです。
実際には、キリスト教の神も、究極の神ではありません。
キリストやマホメットを指導していたのも、
イスラエルの預言者達を指導していたのも、複数の人格神です。
仏陀もまた、人格神の一人であり、神々の指導者であったのです。
究極の神は、霊を超えたるものであり、把握することは困難なのです。
それらのことが、明らかにされたのは近年の霊界情報によってのことです。
日本のヨーガの第一人者はこう語っています。
高度の知性段階において初めて発達する純正な神秘思想的宗教においては、
冷静にして合理的な、さらに技術的な記述こそが最も適切な表現様式なのです。
ヨーロッパの学者が初めはプッダの教説を宗教ではないと考えたのは、
ここに誤解があったからです。
ヨーガと同じように知性的で、冷静であったブッダの教説は、
彼らキリスト教をもって宗教の典型と考えていた人たちには、
どうしても宗教とは受け取れなかったのです。
純正な神秘思想的宗教においては話を神から始めるのは無意味です。
それは神を否定するのではありません。
神を語る前に、神に至る道を明らかにすることから始めるべきである、
というのが神秘思想家の言い分です。
「ヨーガ根本経典」佐保田鶴治



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2008.05.09
誤解する僧侶
仏教は生きている人の為の教えですが、死者をも救う力があります。
僧侶は、先祖供養や葬儀を執行する以上、
その自覚を持たなければいけません。
悟りによる法力を得て、
あの世とこの世の両方の存在の幸福の為に尽くすのが僧侶の仕事です。
「仏教は霊魂を説かないのに誤解されている」などというのは、
とんでもない誤解であって、誤解しているのは僧侶自身なのです。
矮小化された現代の仏教は、救済力を失ってしまいました。
今後、僧侶は全員、
ワールドティーチャーである現代の仏陀に帰依しなければなりません。
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僧侶は、先祖供養や葬儀を執行する以上、
その自覚を持たなければいけません。
悟りによる法力を得て、
あの世とこの世の両方の存在の幸福の為に尽くすのが僧侶の仕事です。
「仏教は霊魂を説かないのに誤解されている」などというのは、
とんでもない誤解であって、誤解しているのは僧侶自身なのです。
矮小化された現代の仏教は、救済力を失ってしまいました。
今後、僧侶は全員、
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2008.05.09
希望の光
不安を煽る言説が増えています。
希望ある言葉を発しましょう。
闇は光には勝てません。
今起きていることは、神仏の罰ではなく、人間の悪想念が招いたこと。
肉体の死は、終りではない。
信仰を地下に封じ込めようとする勢力は、ニューエイジの中にもまぎれている。
そして、猜疑心や絶望を植えつけようとしている。
すでに光は地に降りています。
いたずらに闇を怖れる必要はありません。
釈尊、イエス時代以来の救世の大事業が、現代日本に起きているのです。
末来は必ず開けると、信じましょう。
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希望ある言葉を発しましょう。
闇は光には勝てません。
今起きていることは、神仏の罰ではなく、人間の悪想念が招いたこと。
肉体の死は、終りではない。
信仰を地下に封じ込めようとする勢力は、ニューエイジの中にもまぎれている。
そして、猜疑心や絶望を植えつけようとしている。
すでに光は地に降りています。
いたずらに闇を怖れる必要はありません。
釈尊、イエス時代以来の救世の大事業が、現代日本に起きているのです。
末来は必ず開けると、信じましょう。



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2008.05.09
悟りについて
悟りには、霊能力が伴います。
霊的世界の認識なくして、この世的な知識だけでは、悟りとは言えません。
悟りとは、
神仏の世界の原理を究明し、自らも神仏に近づいていくことです。
その過程において、心の窓が開かれ、霊的体験を通じて認識力が拡大していきます。
元来、インド仏教では、
修行の過程で自ずと得られる能力を神通力と言って認めています。
しかし、修行は、あくまでも霊的能力の獲得を目指すものではなく、
神仏に近づいていくためになされるのものです。
結果として修行は、
身体レベルでは、
人体にそなわっている自然治癒力を活性化させ、健康状態を強化することになり、
心のレベルでは、聖なる世界、高次元の霊的世界と結ばれることになるのです。
悟りへの道には、様々な可能性と無限の道が用意されています。
この方法でないと悟れないとか、悟りの限界というものはありません。
悟ることによって、
認識力が拡大し、悩み苦しみの解決が出来るようになります。
また、本当の幸福への方法が分かり、多くの人々を幸福にしていくことが出来ます。
何よりも、
悟りには、幸福感が付随し、それが人間として味わえる最大の幸福なのです。
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悟りとは、
神仏の世界の原理を究明し、自らも神仏に近づいていくことです。
その過程において、心の窓が開かれ、霊的体験を通じて認識力が拡大していきます。
元来、インド仏教では、
修行の過程で自ずと得られる能力を神通力と言って認めています。
しかし、修行は、あくまでも霊的能力の獲得を目指すものではなく、
神仏に近づいていくためになされるのものです。
結果として修行は、
身体レベルでは、
人体にそなわっている自然治癒力を活性化させ、健康状態を強化することになり、
心のレベルでは、聖なる世界、高次元の霊的世界と結ばれることになるのです。
悟りへの道には、様々な可能性と無限の道が用意されています。
この方法でないと悟れないとか、悟りの限界というものはありません。
悟ることによって、
認識力が拡大し、悩み苦しみの解決が出来るようになります。
また、本当の幸福への方法が分かり、多くの人々を幸福にしていくことが出来ます。
何よりも、
悟りには、幸福感が付随し、それが人間として味わえる最大の幸福なのです。



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2008.05.09
反省の大切さ
自己の本当の姿を知るのは勇気がいります。
知らず知らずの内に、ある傾向に偏っています。
弱い心は、自分を正当化する論理を作り上げます。
快楽や欲望追求に逃げ込んで己の仏性に蓋をしています。
様々な葛藤で心に曇りをつくり、灰色の想念が刻印されるようになります。
そして、肉体の死後は、それが顕著に現れることになります。
あの世では思いがそのまま現実となるため、誤魔化すことは出来ません。
それ故に日頃から、神仏の前に出て、
謙虚な気持ちで、己の姿を反省する習慣が大切なのです。
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知らず知らずの内に、ある傾向に偏っています。
弱い心は、自分を正当化する論理を作り上げます。
快楽や欲望追求に逃げ込んで己の仏性に蓋をしています。
様々な葛藤で心に曇りをつくり、灰色の想念が刻印されるようになります。
そして、肉体の死後は、それが顕著に現れることになります。
あの世では思いがそのまま現実となるため、誤魔化すことは出来ません。
それ故に日頃から、神仏の前に出て、
謙虚な気持ちで、己の姿を反省する習慣が大切なのです。



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