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日本のお坊さんは、世俗権力に取りこまれています。

明治時代の法律で、
宗教者の加持祈祷や呪術、狐つき(霊障)の治療は禁止されました。

廃仏毀釈運動では、幾多の寺院が破壊され、僧侶は弾圧されました。

戦後には、マルクス主義の席巻により、お坊さんも洗脳されました。

日本仏教は、解体されて、あたりさわりのない伝統芸能団体と成ってしまいました。

日本のお坊さんは、
まるで、儀礼や儀式を執行するだけの、
釈迦時代のバラモン僧(もっとも、唯物論者などではありませんでしたが)のようです。

精進します。


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2008.05.10 あの世の話
あの世の世界は広大であって、全貌を窺い知ることは困難でした。
近年の霊界情報では、未知のベールの部分が公開されています。

それによると、あの世の世界には、
神々の世界から、地獄といわれる世界までの霊的次元による横割りの階層だけではなく、
様々な地域や住む霊人の性質によって、縦割りの階層も存在しているようです。

この世に全く関心のない霊人もいれば、
逆にこの世と関わりを持ち続けている霊人もいます。

また、高級霊においても、
無私の精神で、利他行や愛を説き、信仰を重視して、
法による救済を優先する主流の白色霊団や釈迦霊団に属する霊人以外にも、
傍流の裏側といわれる世界には、個人の霊的能力を追求し、
超能力や魔術、念力などを専門とする、
魔法界、仙人界、ヨガ界、天狗界に住む霊人などがいるようです。

また、善でも悪でもないのですが、人を驚かせるのが好きな霊人が住む、
妖怪の世界などもあるようです。


地球上にもいろんな個性の人達がいるように、
あの世にも、いろんな個性の霊人がいて、それぞれ切磋琢磨しているのです。    




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2008.05.10 四顛倒
この世の中に生きていると、この世界が全てだという錯覚におちいります。
仏教では、このことを四顛倒といって一番最初に正そうとします。

まったくこの世の価値観とは逆なので、受け入れることは難しいのですが、
実は、私達はこの錯覚のせいで苦しみをつくってしまうのです。

仏教では、あの世的な存在に対して目を向けさせるために、
また、霊的な実相世界の価値観の大切さを知らせるために、この世の無常を説くのです。

それが分かればこそ、この世での生き方がより重要になってくるのです。


四顛倒は常楽我浄の四つからなります。


常・・・・この世の世界やこの肉体は、常にあるものだと思う

楽・・・・この世の世界は快楽に満ちていて、楽しいものだと思う

我・・・・肉体的な自我観をもって、自分が自分がと思う

浄・・・・この世の世界やこの肉体は、清らかであると思う



この世は無常であるからこそ、それに執着せず、
永遠の生命の世界に目を向けましょう、ということであります。




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2008.05.10 天上界の総意
あらゆる宗教の開祖である霊人が、現代の仏陀に霊示を送っています。
これは、地上の諸宗教を統合しようという、天上界の意志の現れです。
未だかつてない、霊天上界と地上の総力を挙げた大宗教刷新運動であります。

スピリチュアリズムを指導していたスウェーデンボルグの仏陀への霊示です。




私が現在どのような仕事をしているか、
あなた方はご存じかどうかわかりませんが、
この18世紀から、19世紀、20世紀にかけて、
世界各国で心霊ブーム、霊界通信ブームというものが起きてきましたが、
こうした霊界通信ブームの中心的役割をやっているのが私なのです。
もちろん、こちらの世界でも仕事はありますが、
私は生前の仕事のそのひき続きとして、この霊的世界の真相を、
地上にいる人たちに送り続けたいと考えてきました。
そういう考えもあって、私たち高級霊界から、次つぎと、
古代でいえば預言者にあたるような人びとを地上に出して、彼らを指導してきました。
この霊界通信もののブームそのものは、イギリスでもずいぶん前からありましたし、
またアメリカでも1800年代以降有名になりました。
南米でも信じる人は数多くいますし、スペイン、ポルトガルのほうでも、
かなりの人がこうした真実の霊界通信を読んでいます。
けれども私の世界から見ていて、今いちばん不満に思い、
かつ必要に迫られているのが、日本という国での心霊思想の普及です。
この東洋の国は、20世紀、あるいは21世紀の覇者たるべき資格を持っている、
小さな大帝国でありますが、残念ながら、
西洋文明のなかの病的なものだけを取り入れて、
そして、神理、あるいは心霊思想というものを拒絶し、否定し、嘲笑することをもって、
知識的である、知識人的であるというふうに考えがちであります。
これはたいへん、たいへん惜しむべきことであり、残念なことでもあると思います。





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2008.05.10 平和の祈り
焦らず、前に一歩一歩進もう。

何事にも喜べず、感謝など出来ない時もある。
感動や発見もなく、ただ時間だけが過ぎてしまうような日もある。
自分にはこれ以上、愛を与えることなど出来ないと嘆息することもある。
時には、不幸な現象が重なり、少しだけ神を疑ってしまうこともある。

そんな時は、内なる光を強く灯そう。
そして、神に祈ろう。




神よ、わたしを、

あなたの平和を実らせるために、用いてください。

わたしが、憎しみのあるところに、愛をもたらすことができるように、

また、争いのあるところに、和解を、

分裂のあるところに、一致を、

疑いのあるところに、真実を、

絶望のあるところに、希望を、

悲しみのあるところに、よろこびを、

暗闇のあるところに、光をもたらすことができるように、

助け、導いてください。



神よ、わたしに、

慰められることよりも、慰めることを、

理解されることよりも、理解することを、

愛されることよりも、愛することを望ませてください。

わたしたちは、

自分を与えることによって、与えられ、

すすんでゆるすことによって、ゆるされ、

人のために死ぬことによって、永遠に生きることができるからです。



「平和の祈り」聖フランシスコ




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