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2008.05.13 仏教と神々
お釈迦さまは、多くの霊的存在と対話をしています。

お釈迦さまに法を説くことを要請した、梵天勧請の梵天はブラフマンであり、
古代インドでは宇宙創造神、最高神とされていました。

お釈迦様の説法を聴聞した帝釈天は、
霊界情報では、マイトレイヤー大如来だということです。

その他にも、
仏教の守護神である四天王や、
護法神の十二神将、
夜叉や阿修羅などの鬼神、
乾闥婆・龍・迦楼羅・緊那羅・摩喉羅迦などの自然霊も、仏法に帰依しました。

仏教徒は、神々(Deva)である天部との結びつきを回復するべきなのです。




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2008.05.13 永遠の哲学
「永遠の哲学」とは、人類に共通した普遍的な真理という意味の言葉で、
数学者ライプニッツが、すべての宗教の根底にあるものだ、として用いました。

哲学者ケン・ウィルバーは、この「永遠の哲学」という概念を発展させ、
全ての宗教は、その洞察において同一である、だけではなく、
様々な深さ、階層が存在する、という「新・永遠の哲学」を唱えています。

イギリスの作家、オルダス・ハクスリーは、
世界の神秘主義者の言説を取り上げ、この概念をまとめています。

ハクスリーの「永遠の哲学」のまとめを抜粋します。





「永遠の哲学」を研究するには、いわば下から―実践と道徳から―始めてもよく、
逆に上から―形而上的な真理を考察すること―から手をつけてもよい。
いや、もう一つ、
真ん中から―心と物、行ないと考えとが出会う心の中の中心点から―始めてもよい。
下から入る門は、もっばら実践的な師たち―たとえば仏陀のような、
思弁というものに用がなく、人間の心に燃える貪欲と怒りと無知の恐るべき業火を、
消し去ることを主に問題としていた人たち―が好む入り口であり、
上から入る門は、考え、思弁することが天職である人たち、
すなわち生まれながらの哲学者や神学者たちが通る門であり、
真ん中の門は、「霊的宗教」と呼ばれてきたものを唱導する人たち―すなわち、
インドの敬度な瞑想者、イスラーム神秘主義のスーフィー、
中世後期のカトリック神秘家、さらにプロテスタントでは、デンク、フランク、
カステリオとか、エヴェラール、ジョン・スミス、
初期のクエーカー信徒や、ウィリアム・ローといった人たち―が、
「永遠の哲学」に参入する門として通ったものなのである。


あらゆる存在の神的な「根拠」は霊的な「絶対者」であり、
それは推論的な思考によって説明しようとしても、いわく言いがたいものなのだが、
人間が直接体験をして現実化することもできるものなのである。
この「絶対者」はヒンドゥー教やキリスト教の神秘用語で表現すれば無形の神である。
人間の最終到達点、人間存在の究極理由は、
神的な「根拠」と一体になってその「根拠」を知ることにほかならない。
その知は、「自己を死なせ」て、いわば神の入ってくる余地を、
設けようとする覚悟ができている人だけに訪れることができる。


人生の、神的で永遠な充実を得ることができるのは、
欲望、利己、自己中心的な考えや感情、
願いや行動という部分的でしかない分離生活を意識的に棄て去った人だけである。
苦行、あるいは意識的に白己を死なせることは、
キリスト教やヒンドゥー教や仏教など、世界各地の大宗教や小宗教の経典に、
必ずといってもよいくらい、妥協しない強固さをもって記されている。


宇宙は事象の絶えることのない継続である。
が、その底にあるのは、「永遠の哲学」によると、
神的な「霊」の時間を超えた今にほかならない。


洋の東西を問わず、万人の意見が一致している点が一つある。
肉体内にある命は、救いや解脱を実現するための絶好の機会を提供してくれる、
という点である。カトリックの教理も、大乗仏教の教義も、
死後の肉体から離れた状態になった魂は、功徳を身につけることができず、
ひたすら煉獄または浄罪界にあって過去の行ないがもたらす結果を受苦する、
と主張しつづけている、という点で共通しているのだ。



「永遠の哲学」




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「スピリチュアル仏教」。

これからは、このキャッチフレーズがいいですね。

真言宗の大下大圓氏が使っておられます。

何となく線香くさくないし、新しい感じがします。

本来、仏教がスピリチュアルなのは当たり前の話なのですが・・・。

安易なようですが、この言葉を使うには勇気がいります。

また、流行に迎合するのではなく、覚悟が必要です。

戦後、宗教アレルギーに陥った日本仏教は、霊魂を闇に葬り去りました。

それを、また復活させることにもなりかねない危険な言葉なのであります。




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2008.05.13 五つの鞘
アメリカのスピリチュアル界のリーダー、医学博士のディーパック・チョプラは、
霊体を含む人体の多次元構造を五つのコーシャ(鞘)に分類して説明しています。

博士の説く、
各コーシャの健全な発達の為の振舞い方、であります。





1、アンナマヤ・コーシャ 肉体

あなたの体を養い、大切にしなさい。
肉体には信じられない知性が存在していることを評価しなさい。
肉体を恐れたり、毒で汚してはいけない。
外に出て、体を動かしなさい。

2、プラーナマヤ・コーシャ 生命体

自然のなかに飛び出し、そこが自分の家だという気分を満喫しなさい。
生態系を大切にし、育くんでいきなさい。
ほかの生き物を傷つけてはいけない。
恐怖や敵意を抱かずに自然を眺めなさい。
大切なのは、生命にたいし敬意を抱くことです。

3、マノマヤ・コーシャ 精神体

精神を前向きに活用しなさい。
本を読んで、人間のもっとも優れた表現をじっくりと味わいなさい。
自分が全体のなかの一員であることに気づき、
分離よりも全体につながるようなアイデアを思い浮かべなさい。
敵味方といった考えは止めなさい。
ひとりでに反応してしまう習憤やマイナスの信念はなにか検討し、
取り除いてしまいなさい。あらゆる機会を探して、
ハイヤーセルフから送られてくる合図を進んで受け入れるようにしなさい。

4、ヴィジュニャーナマヤ・コーシャ エゴ体

ヴィジョンを探しなさい。もっとも自分が成長できるパターンに従いなさい。
個人が進化していくための方法を探しなさい。
たくさんの文化を結びつけているスピリットや膨大な叡知の伝統を大切にしなさい。
あらゆる面でできるかぎり、思いやりをもちなさい。
「世界はわが家」という格言に従って生きることです。

5、アーナンダマヤ・コーシャ 至福体

至福を見つけるために、自分なりの訓練をしなさい。
瞑想や深いリラクゼーションのような、
脳に「アルフアー波」を創り出す訓練を利用して、至福を味わいなさい。
サマディー(至福)とは実際にはどのような状態か、突き止めなさい。
自分が存在することそれ自体に感謝しなさい。





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2008.05.13 仏陀の袈裟衣
神は決して人類を見捨てません。

闇の中から、一条の光が差し込んでいます。

仏陀の袈裟衣を離さない限り、永遠の生命を得ることが出来ます。

霊的戦士として生きることで、肉体生命の死は超えていけます。

私たちは厳しい時代になることは、承知の上で生れてきたはずなのです。

一時的に混乱し、闇が地上を覆っているように見えたとしても、

実相世界は、愛であり、善であり、光に満ちた世界です。

仏陀の全人類救済運動の船に乗り込もう。




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