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2008.05.14
日々是好日
世界は不思議だらけ。
おおよそ、想像できうる以上のことがこの世界には存在します。
生きていることそのものが、驚異的なこと。
人間は、大宇宙の神秘の前には、謙虚にならざるを得ません。
ソクラテスの言った「無知の知」は、重要な言葉です。
己の小ささを思い知ることは大切です。
そのことで、逆に得るものがたくさんあります。
目の前には、驚きが広がっています。
当たり前の事など、なにもありません。
また、明日は、何が起こるか分かりません。
本当は、日々、新たな発見や、感動があるはずなのです。
何でも知っていると思う事から、停滞や退廃が生じます。
今日も、いのちが与えられていることに、感謝しましょう。
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
おおよそ、想像できうる以上のことがこの世界には存在します。
生きていることそのものが、驚異的なこと。
人間は、大宇宙の神秘の前には、謙虚にならざるを得ません。
ソクラテスの言った「無知の知」は、重要な言葉です。
己の小ささを思い知ることは大切です。
そのことで、逆に得るものがたくさんあります。
目の前には、驚きが広がっています。
当たり前の事など、なにもありません。
また、明日は、何が起こるか分かりません。
本当は、日々、新たな発見や、感動があるはずなのです。
何でも知っていると思う事から、停滞や退廃が生じます。
今日も、いのちが与えられていることに、感謝しましょう。



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2008.05.14
アトランティスのトト
イギリスで著名なダイアナ・クーパー氏のアトランティスに関する本に、こうありました。
第十の光線
後に仏陀になったマスターゴータマは、平和と知恵を司る光線のコハン。
この光線は、人々が地に足がついたやり方で、
人生における実践的な目的を見つけることを可能にする。
ゴータマは仏陀のエネルギーをもつ。アトランティスのトトである。
この通り、
仏陀は、今から1万2000年前、
アトランティス大陸にトスとして生まれています。
約1万年前にアトランティス大陸は沈没しますが、
そこから、飛行機によって逃れた人々が、
エジプトに、高度なピラミッド文明をもたらします。
その人々が伝えたのが
トト神とその妻ハトホル神への信仰だったのです。
その後も、この二人が、
ギリシャの地に、オフェアリス神とイシス神として、
そして、ヘルメス神とアフロディーテ神として、転生することになります。
ヘルメス文書で知られるように、
「ヘルメス・トリスメギストス」の三つのヘルメスを合わせたもの、というのは、
これらの神々が同一の魂であることを、エジプトの霊能者は知っていたのです。
その後、ヘルメスはインドに釈尊として転生し、
そして、その本体の魂は、現代の日本に再臨されているのであります。
実は、
仏陀の魂は、西洋と東洋両方の源流にもなっている、偉大な存在なのです。
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第十の光線
後に仏陀になったマスターゴータマは、平和と知恵を司る光線のコハン。
この光線は、人々が地に足がついたやり方で、
人生における実践的な目的を見つけることを可能にする。
ゴータマは仏陀のエネルギーをもつ。アトランティスのトトである。
この通り、
仏陀は、今から1万2000年前、
アトランティス大陸にトスとして生まれています。
約1万年前にアトランティス大陸は沈没しますが、
そこから、飛行機によって逃れた人々が、
エジプトに、高度なピラミッド文明をもたらします。
その人々が伝えたのが
トト神とその妻ハトホル神への信仰だったのです。
その後も、この二人が、
ギリシャの地に、オフェアリス神とイシス神として、
そして、ヘルメス神とアフロディーテ神として、転生することになります。
ヘルメス文書で知られるように、
「ヘルメス・トリスメギストス」の三つのヘルメスを合わせたもの、というのは、
これらの神々が同一の魂であることを、エジプトの霊能者は知っていたのです。
その後、ヘルメスはインドに釈尊として転生し、
そして、その本体の魂は、現代の日本に再臨されているのであります。
実は、
仏陀の魂は、西洋と東洋両方の源流にもなっている、偉大な存在なのです。



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2008.05.14
仏教の宇宙観
お釈迦さまは、宇宙観を示されました。
原始仏典では、
地球のような世界を、須弥山世界と呼び、
それが、無数に集まって、三千大千世界を形成し、
更に、三千大千世界が無限に集まって出来ているのが、十方微塵世界とされています。
これは、
太陽系が集まって銀河を形成し、
銀河が集まった銀河団がグレートウォール構造をなしていて、
更にその宇宙さえも複数ある、というマルチバース理論といった、
現代の宇宙観とも矛盾しないのです。
「比丘たちよ、お前たちは、わたしが天地の形成と崩壊や、
衆生の住んでいる国邑について述べるのを、聞きたいと思うか。」
その時、比丘たちは仏に申し上げた。
「はい、世尊よ。世尊が説かれたならば、承ってしっかり記憶いたしましょう。」
仏は比丘たちに告げられた。
「たとえば、一つの太陽や月がひと巡りすれば、
四つの天下がその光に照らされるが、それと同じような千個の世界がある。
千の世界には、千の太陽や月、千の須弥山なる山の王、四千の天下、
四千の大天下、四千の海、四千の大海、四千の龍、四千の大龍、
四千の金翅鳥、四千の大金翅鳥、四千の悪道、四千の大悪道、
四千の王、四千の大王、七千の大樹、八千の大地獄、一万の大山、
千の閻羅王、千の四天王、千の忉利天、千の焔摩天、千の兜率天、
千の化自在天、千の他化自在天、千の梵天がある。これが小千世界である。
一つの小千世界と同じように、小千世界が千ある世界がある。これが中千世界である。
一つの中千世界と同じように、中千世界が千ある世界がある。これが大千世界である。
このような世界があまねく形成されては崩壊してゆく。
それが衆生の住みかであり、一つの仏国土とよばれる。」
と仏は比丘に告げられた。
長阿含経「世記経」
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原始仏典では、
地球のような世界を、須弥山世界と呼び、
それが、無数に集まって、三千大千世界を形成し、
更に、三千大千世界が無限に集まって出来ているのが、十方微塵世界とされています。
これは、
太陽系が集まって銀河を形成し、
銀河が集まった銀河団がグレートウォール構造をなしていて、
更にその宇宙さえも複数ある、というマルチバース理論といった、
現代の宇宙観とも矛盾しないのです。
「比丘たちよ、お前たちは、わたしが天地の形成と崩壊や、
衆生の住んでいる国邑について述べるのを、聞きたいと思うか。」
その時、比丘たちは仏に申し上げた。
「はい、世尊よ。世尊が説かれたならば、承ってしっかり記憶いたしましょう。」
仏は比丘たちに告げられた。
「たとえば、一つの太陽や月がひと巡りすれば、
四つの天下がその光に照らされるが、それと同じような千個の世界がある。
千の世界には、千の太陽や月、千の須弥山なる山の王、四千の天下、
四千の大天下、四千の海、四千の大海、四千の龍、四千の大龍、
四千の金翅鳥、四千の大金翅鳥、四千の悪道、四千の大悪道、
四千の王、四千の大王、七千の大樹、八千の大地獄、一万の大山、
千の閻羅王、千の四天王、千の忉利天、千の焔摩天、千の兜率天、
千の化自在天、千の他化自在天、千の梵天がある。これが小千世界である。
一つの小千世界と同じように、小千世界が千ある世界がある。これが中千世界である。
一つの中千世界と同じように、中千世界が千ある世界がある。これが大千世界である。
このような世界があまねく形成されては崩壊してゆく。
それが衆生の住みかであり、一つの仏国土とよばれる。」
と仏は比丘に告げられた。
長阿含経「世記経」



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2008.05.14
宗教の危険性
現代の仏陀が、宗教の維持の難しさついて説かれています。
まれなることです。
宗教的なもののなかには、魔界のものの惑わし、地獄からの惑わしがありますので、
こうしたものの入る余地をなくすために、普通は一本に絞り込むのです。
一つに絞っておくと、ほかのものが入ってくる余地がなく、
間違った見解が出る余地がないということで、異端はどんどん排除していきます。
よいものを落としてしまうかもしれませんが、
地獄的なものが入り込む余地がないかたちで維持できるということです。
キリスト教などはそういう感じでしょう。
キリスト教のなかで、たとえばグノーシス派のような、
神秘的な部分を非常に重視するものなどは、
やはり高級霊からの宗教改革であったと私は思います。
イエスが生前に説きえなかった霊的世界について、
充分に補完しようとする動きだったのですが、やはり異端として消されてしまいました。
そういうことがあります。
ですから、一つに絞ることは、よし悪しの両方があります。
一方、多様なる価値観を受け入れた場合には、
確かにいろいろなものと仲よくやってはいけるのですが、
逆に、地獄からの迷わしのようなものが入ってきたとき、
それをはっきりチェックできるかどうかに不安があることは事実です。
そうした違ったものを付け足されていく余地があるわけです。
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宗教的なもののなかには、魔界のものの惑わし、地獄からの惑わしがありますので、
こうしたものの入る余地をなくすために、普通は一本に絞り込むのです。
一つに絞っておくと、ほかのものが入ってくる余地がなく、
間違った見解が出る余地がないということで、異端はどんどん排除していきます。
よいものを落としてしまうかもしれませんが、
地獄的なものが入り込む余地がないかたちで維持できるということです。
キリスト教などはそういう感じでしょう。
キリスト教のなかで、たとえばグノーシス派のような、
神秘的な部分を非常に重視するものなどは、
やはり高級霊からの宗教改革であったと私は思います。
イエスが生前に説きえなかった霊的世界について、
充分に補完しようとする動きだったのですが、やはり異端として消されてしまいました。
そういうことがあります。
ですから、一つに絞ることは、よし悪しの両方があります。
一方、多様なる価値観を受け入れた場合には、
確かにいろいろなものと仲よくやってはいけるのですが、
逆に、地獄からの迷わしのようなものが入ってきたとき、
それをはっきりチェックできるかどうかに不安があることは事実です。
そうした違ったものを付け足されていく余地があるわけです。



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2008.05.14
愚僧の活動
愚僧は常々、
一隅を照らそう、
愛に生きよう、
法力を得て人様のお役に立てよう、
適切な説法をしよう、
などと念じているのですが、そう簡単にはいきません。
救世の法が既に説かれているのに、それを邪魔してはなりません。
何か出来ることをしようと思い、このブログを始めました。
今後、実生活で、どのような活動を行うのか?
これからの時代において、僧侶は、どうあるべきなのか?
僧侶に、何が出来るのか?
このブログ上でも、模索した結果を報告していきたいと思います。
精進します。
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一隅を照らそう、
愛に生きよう、
法力を得て人様のお役に立てよう、
適切な説法をしよう、
などと念じているのですが、そう簡単にはいきません。
救世の法が既に説かれているのに、それを邪魔してはなりません。
何か出来ることをしようと思い、このブログを始めました。
今後、実生活で、どのような活動を行うのか?
これからの時代において、僧侶は、どうあるべきなのか?
僧侶に、何が出来るのか?
このブログ上でも、模索した結果を報告していきたいと思います。
精進します。



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