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2008.05.15 仏教者と科学
愚僧の本音をいうなれば、
海外の著名な高僧である、
ダライ・ラマ氏、スマナサーラ氏、パユットー氏らの発言も少々問題があるように思います。

彼らは、西洋文明批判から始まり、神概念を拒絶し、霊魂を否定します。
そして、仏教は、合理的であることを強調します。

「こころ」という概念は認めているようですが、
その主張は、哲学範疇においては単なる唯物論なのです。

もっともこれは、明治維新後の日本の仏教者と同じものです。

すなわち、仏教は知的で科学とも矛盾しない思想なのだ、という主張です。

しかし、この主張の裏側には、西洋へのコンプレックスがあるのです。

西洋には、高度な分析知と宗教性の両立した思想があります。

実は、西洋では科学者といえども、神を信仰している人が多いのです。

東洋には、分析知よりも直感知、瞑想体験、精神性を重視する文化がありました。

近代に入った東洋人は、魔法のように物質を生み出す科学思想に圧倒され、
自らの文化を嫌悪し、西洋の物質的側面にのみ憧れるようになってしまいました。

そして、科学が宗教になったのです。

科学もまた神から生れるものだ、ということを東洋人は見過ごしているのです。

真理に、東洋も西洋もありません。

仏教者は、科学と宗教を、安易に分けるのを止めなければいけないのです。




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すでに、マスコミや本で有名になっていますが、
ジュセリーノというブラジルの予言者がいます。

彼は、子供の頃から睡眠中に予知能力を発揮し、
夢で見た内容を、世界各地に手紙で知らせています。

その手紙での予言は、高確率で的中している為、世界中の人々を驚かせています。

天変地異への不安が高まるなか、こうした行為には賛否両論がありますが、
彼は、あくまでも末来が見える人間として、
黙っていることが出来ずに、警告を発しているのだと思われます。

どうやら彼は、旧約聖書の預言者の一人の転生であるようです。


末来は決定しているのではなく、変えられます。

あくまでも、末来は私達人類の手にかかっているのです。




もはや神には何も願ってはなりません。
ただただ地球へ感謝するのみです。
私たち一人ひとりに命を与えてくださり、この地球と大自然を与えてくださった、
偉大なる創造主に感謝する以外ありません。
精神的に結ばれた見返りのない愛、
そして普遍的な愛による正しい倫理と謙虚さによってこそ、
私たちは、新しい地球を子孫へ残すことができるのです。


「ジュセリーノ予言集Ⅰ」

人類はこの上もなく深刻な状況にあります。
極度に悲惨な戦争から抜け出したあと、
まだ十回以上も、とてつもない戦争を繰り返すことができるほどの、
破壊力の脅威の下に置かれているのです。
そしてさらに、私たちの文明の終わりを招きかねない、重大な要素が横たわっています。
しかしこの暗い地平線の展望の中にも、もし私たちが望むなら、
この悪の雲をぬぐい去る希望は存在しています。
いまや私たちの文明は、かつて想像すらできないほどの進歩を勝ち得ています。
飛行機によって大陸間の距離を克服し、電波や光通信で時間を短縮し、
機械の効率化によつて大量生産を可能にして、
誰もが便利な日用品を手に入れられるようになりました。
またDNAの解明によって遺伝子さえ操作し、
原子核から驚くべきエネルギーを取り出しています。
ですが、物質と精神を分割してしまい、人としてあるべき善良さと、
本当の平和と幸福をもたらす見識が存在していません。
ですから、ここに至って、私たちは「愛」の大きな価値を学ぶことが大切なのです。


「ジュセリーノ予言集Ⅱ」




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2008.05.15 因果の理法
カルマは、宇宙の法則です。
まいた種は刈り取らねばならないという、因果の理法。

このことは、例外なくあらゆる事象に働いています。

自分が発する想念や、為した行為は、必ず自分に返ってくる、
という自己責任の法則でもあります。

だからこそ、情けは人の為ならず、と言われるのです。

また、不幸と思われる現象も、
実はそれは自分がまいた種を刈り取っている姿なのだ、ということでもあります。

これは、神による罰ではなく、愛を学ぶために与えられた課題なのです。

カルマの法則を信じることは、神を信じることでもあるのです。




「ゴータマよ、いったいどういう原因と影響で、
人々のいまの人身の優劣の差が顕れるのでしょう。
ゴータマよ、短命の人々もいますが、長寿の人々もいます。
多病の人々もいれば、無病の人々もいます。
容色悪しき人々もいれば、容色優れた人々もいます。
力のある人々もいれば、無力な人々もいます。
貧しい人々もいれば、富裕な人々もいます。
卑しい生まれの者もいれば、高貴な生まれの者もいます。
愚鈍な人々もいれば、智慧ある人々もいます。
ゴータマよ、いったいどういう原因と影響で、
人々のいまの人身の優劣の差が顕れるのでしょう。」

「学生さん、
短命に至る行ないが短命をもたらします。
長寿に至る行ないが長寿をもたらします。
多病に至る行ないが多病をもたらします。
無病に至る行ないが無病をもたらします。
醜さに至る行ないが醜さをもたらします。
美しさに至る行ないが美しさをもたらします。
権力のなさに至る行ないが権力のなさをもたらします。
権力に至る行ないが権力をもたらします。
貧しさに至る行ないが貧しさをもたらします。
富裕に至る行ないが富裕をもたらします。
劣った家柄に生まれることに至る行ないが劣った家柄に生まれることをもたらします。
尊い家柄に生まれることに至る行ないが尊い家柄に生まれることをもたらします。
愚鈍さに至る行ないが愚鈍さをもたらします。
賢明さに至る行ないが賢明さをもたらします。
学生さん、生き物たちは自分の行為をもつ者であり、行為の相続人であり、
行為を孕む者であり、行為の結びついた者であり、行為の行き着く場所なのです。
行為が生き物たちの区別を生んで、この優劣の差を引き起こしているのです。」


パーリ原始仏典第135経「業の小分析」




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2008.05.15 大切なこと
僧侶の役割とは何かを考えてみた。

法施は、最大の与える愛。

肉体の死後も魂は生き続けること、輪廻転生は真実であること。

最低限、これだけは伝えていこう。

輪廻転生の思想は、進化論による競争原理や唯物論を打破するもの。

肉体の死後にもいのちは続き、生前の心境に応じて、

霊界での生活が展開すると知ることは、どれほどの喜びでしょうか。

何より、魂は永遠であり、何度でも地上生活を経験できるのです。

この真実を知れば、どれだけの人が、救われることでしょうか。

人々の心に種をまきつづけよう。




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