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2008.05.17
漢字思考の弊害
お坊さんは、漢字への偏向を改めた方がいいように思います。
国際論文は英語で書かれる時代です。
漢字は、表意文字の為、視覚的、感覚的です。
そのため、意味の捉え方が曖昧になりがちでなのです。
もともと仏教は、古代インド語で説かれました。
真理は、漢文のお経の中にあるのではありません。
真理である法(ダルマ)は、この宇宙の中に偏在しているのです。
「空」とは何か?
「勝義諦」とは何か?
「宿業」とは何か?
「識」とは何か?
「極楽」とは何か?
「涅槃」とは何か?
「仏・如来」とは何か?
これをあらためて考えてみる必要があると思うのです。
例えば、これらを英語で説明するとなれば、どう表現すれば良いのか、
と考えてみると、大変困難を覚えることに気づかされます。
平易な一般的表現で説明できないということは、本当は理解出来ていないということです。
僧侶は、
漢字の専門用語に逃げ込みがちな体質を改めないと、
人々の魂に届く説法はできないと思うのです。
いよいよ仏教も、グローバル時代に突入です。
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
国際論文は英語で書かれる時代です。
漢字は、表意文字の為、視覚的、感覚的です。
そのため、意味の捉え方が曖昧になりがちでなのです。
もともと仏教は、古代インド語で説かれました。
真理は、漢文のお経の中にあるのではありません。
真理である法(ダルマ)は、この宇宙の中に偏在しているのです。
「空」とは何か?
「勝義諦」とは何か?
「宿業」とは何か?
「識」とは何か?
「極楽」とは何か?
「涅槃」とは何か?
「仏・如来」とは何か?
これをあらためて考えてみる必要があると思うのです。
例えば、これらを英語で説明するとなれば、どう表現すれば良いのか、
と考えてみると、大変困難を覚えることに気づかされます。
平易な一般的表現で説明できないということは、本当は理解出来ていないということです。
僧侶は、
漢字の専門用語に逃げ込みがちな体質を改めないと、
人々の魂に届く説法はできないと思うのです。
いよいよ仏教も、グローバル時代に突入です。



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2008.05.17
閻魔大王の決意
僧侶が、地獄の存在を説かなくなって久しいですが、
お釈迦さまは、はっきりとその存在を説いています。
閻魔大王が、苦しみを受ける人々を見てつくづく嫌になり、
来世では、お釈迦さまの弟子として地上に生まれ変わりたいと嘆くところです。
「弟子たちよ、これらの生き物たちのなかには、
じつに身体では悪い行ないをすることをつねとし、
ことばでは悪い発言をすることをつねとし、
心では悪い考えをもつことをつねとし、
聖者たちを誹謗し、よこしまな見解をもち、
よこしまな見解にもとづく行ないをつねとする者たちがいます。
かれらは身体が減んで死んだ後は、悪い境涯である、地獄に堕して生まれます。
弟子たちよ、このとき、地獄の獄卒たちは、かれらの手足を捕縛して閻魔王に見せます。
『王よ、この者は慈悲心なく、修行者、バラモン、
および一族のなかの年長者を敬わない者です。王はこの者に罰を与えるべきです』と。
弟子たちよ、閻魔王はそのかれに神の使者を例示し、適用し、教誠します。
『おい、男よ、そなたは人間たちのなかに顕現した神の使者を見なかったのか?』と。
弟子たちよ、その昔、閻魔は次のように思いました。
『ああ、世の悪事を行なう人々には、さまざまな責め苦が行なわれる。
ああ、じつに、わたしは人間に生まれたい。
そして如来にして、供養を受けるにふさわしい、
正しい悟りを得た方のお生まれになる世において、
わたしもかの尊き師を敬い奉りたい。
そして、わたしにかの尊き師が法をご教示され、
またわたしもかの尊き師の法を学ぶことができればよいのに』と。
弟子たちよ、わたしはこの話を他の修行者やバラモンに聞いて語るのではありません。
そうではなく、わたしがみずから知り、みずから目にし、
みずから了解したことを、それをわたしは語るのです。」
尊き師はこのように話した。
このように話した後、善き道を行く師はさらにまた次のように述べた。
「神の使者に気づかず、わがまま放題に振舞う輩、
劣った集団に属する人々は、長夜、憂いを抱く。
しかし、このとき、正しい法に従い、
決してわがまま放題に振舞うことのない正しい人々は、神の使者に感化されて、
生死を引き起こす執着のなかに恐怖を見出し、
執着を離れることによって、生死の寂静において、解脱する。
平安に達し、楽をもつ人々は、現世において寂滅することで、
すべての怨みと恐怖を超え、すべての苦しみを乗り越えているのだから。」
パーリ原始仏典中部第130経「天使経」
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お釈迦さまは、はっきりとその存在を説いています。
閻魔大王が、苦しみを受ける人々を見てつくづく嫌になり、
来世では、お釈迦さまの弟子として地上に生まれ変わりたいと嘆くところです。
「弟子たちよ、これらの生き物たちのなかには、
じつに身体では悪い行ないをすることをつねとし、
ことばでは悪い発言をすることをつねとし、
心では悪い考えをもつことをつねとし、
聖者たちを誹謗し、よこしまな見解をもち、
よこしまな見解にもとづく行ないをつねとする者たちがいます。
かれらは身体が減んで死んだ後は、悪い境涯である、地獄に堕して生まれます。
弟子たちよ、このとき、地獄の獄卒たちは、かれらの手足を捕縛して閻魔王に見せます。
『王よ、この者は慈悲心なく、修行者、バラモン、
および一族のなかの年長者を敬わない者です。王はこの者に罰を与えるべきです』と。
弟子たちよ、閻魔王はそのかれに神の使者を例示し、適用し、教誠します。
『おい、男よ、そなたは人間たちのなかに顕現した神の使者を見なかったのか?』と。
弟子たちよ、その昔、閻魔は次のように思いました。
『ああ、世の悪事を行なう人々には、さまざまな責め苦が行なわれる。
ああ、じつに、わたしは人間に生まれたい。
そして如来にして、供養を受けるにふさわしい、
正しい悟りを得た方のお生まれになる世において、
わたしもかの尊き師を敬い奉りたい。
そして、わたしにかの尊き師が法をご教示され、
またわたしもかの尊き師の法を学ぶことができればよいのに』と。
弟子たちよ、わたしはこの話を他の修行者やバラモンに聞いて語るのではありません。
そうではなく、わたしがみずから知り、みずから目にし、
みずから了解したことを、それをわたしは語るのです。」
尊き師はこのように話した。
このように話した後、善き道を行く師はさらにまた次のように述べた。
「神の使者に気づかず、わがまま放題に振舞う輩、
劣った集団に属する人々は、長夜、憂いを抱く。
しかし、このとき、正しい法に従い、
決してわがまま放題に振舞うことのない正しい人々は、神の使者に感化されて、
生死を引き起こす執着のなかに恐怖を見出し、
執着を離れることによって、生死の寂静において、解脱する。
平安に達し、楽をもつ人々は、現世において寂滅することで、
すべての怨みと恐怖を超え、すべての苦しみを乗り越えているのだから。」
パーリ原始仏典中部第130経「天使経」



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2008.05.17
精神世界ブログ万歳
ブログ修行の一環で、他の方のブログを拝見することが多くなりました。
愚僧の場合は、ジャンルが精神世界のみという偏りぶりです。
皆様、それぞれ素晴らしいですね。
中には、これは本物だと思える霊覚者もいらっしゃいます。
やはり日本は神国なんですね。
皆様、それぞれ、愛の波動と熱いメッセージを発信されています。
昔のようなオカルト的な暗い雰囲気はそこにはなく、明るく爽やかです。
愚僧も、これからは数少ない仏教スピリチュアル系ブログの普及に努めます。
ところで、先日ネット検索をしていて、物凄いブログ主様に出会いました。
鳥肌が立ちまくりでありました。さすがにHS(?)は凄いです。
(お知らせ)
下部リンク場所から掲示板に飛べます。
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皆様、それぞれ素晴らしいですね。
中には、これは本物だと思える霊覚者もいらっしゃいます。
やはり日本は神国なんですね。
皆様、それぞれ、愛の波動と熱いメッセージを発信されています。
昔のようなオカルト的な暗い雰囲気はそこにはなく、明るく爽やかです。
愚僧も、これからは数少ない仏教スピリチュアル系ブログの普及に努めます。
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鳥肌が立ちまくりでありました。さすがにHS(?)は凄いです。
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2008.05.17
霊的修行の道
知識と実際の心境は違います。
いくら、肉体は仮の宿であって、霊こそが実在だと知っていても、
肉体的な欲望に負けることがあります。
知識をどこまで深く掘り下げ、自分の血肉としているかが問われます。
宗教者にしても、言動と行動が違っている場合も多いです。
愚僧も、悟りにはほど遠い自分が嫌になることがあります。
そして、もう無理だと絶望に近い感情にとらわれることもしばしばです。
そんな時は、「愛」、「知」、「反省」、「発展」、
という修行のキーワードを強く思い出すようにしています。
すると、また目標が明確になり、希望が湧いてきます。
再び、間違いのない道が与えられていることに喜べるのです。
修行は、死ぬまで、いや永遠に続くのです。
精進します。
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肉体的な欲望に負けることがあります。
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宗教者にしても、言動と行動が違っている場合も多いです。
愚僧も、悟りにはほど遠い自分が嫌になることがあります。
そして、もう無理だと絶望に近い感情にとらわれることもしばしばです。
そんな時は、「愛」、「知」、「反省」、「発展」、
という修行のキーワードを強く思い出すようにしています。
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再び、間違いのない道が与えられていることに喜べるのです。
修行は、死ぬまで、いや永遠に続くのです。
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