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2008.05.19
日々新生
人間は、一日一日、新生しています。
毎日の睡眠は小さな死です。
覚醒すると、充電された新たな生をむかえます。
これが、小さな誕生です。
睡眠する前に恐怖を感じる人はいません。
それは、また再び、眼を覚ますことを確信しているからです。
そう考えると、死についても、恐怖を感じる必要はありません。
何故なら、必ず、死を契機にして、あの世での生が始まるからです。
全てはサイクルです。
いのちの輪は途絶えることはありません。
永遠の輪廻転生のなかの、今、を感じよう。
そして、私達は、宇宙の根源と深いところで繋がっています。
一日の始まりと終りに、
感謝と祈りの習慣を持つことで、この根源との結びつきが強まります。
祈ることで、睡眠中にこの無常なる世界で生きていく力を与えられ、
そのお陰で、一日を生かしきることが出来た事に感謝する。
そうすると、より根源との結びつきが強まり、
ますます力を与えられる、という好循環が始まるのです。
人間は、日々、成長するように出来ています。
神仏を信頼しつつ、毎日を生きていこう。
愚僧も精進します。
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
毎日の睡眠は小さな死です。
覚醒すると、充電された新たな生をむかえます。
これが、小さな誕生です。
睡眠する前に恐怖を感じる人はいません。
それは、また再び、眼を覚ますことを確信しているからです。
そう考えると、死についても、恐怖を感じる必要はありません。
何故なら、必ず、死を契機にして、あの世での生が始まるからです。
全てはサイクルです。
いのちの輪は途絶えることはありません。
永遠の輪廻転生のなかの、今、を感じよう。
そして、私達は、宇宙の根源と深いところで繋がっています。
一日の始まりと終りに、
感謝と祈りの習慣を持つことで、この根源との結びつきが強まります。
祈ることで、睡眠中にこの無常なる世界で生きていく力を与えられ、
そのお陰で、一日を生かしきることが出来た事に感謝する。
そうすると、より根源との結びつきが強まり、
ますます力を与えられる、という好循環が始まるのです。
人間は、日々、成長するように出来ています。
神仏を信頼しつつ、毎日を生きていこう。
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2008.05.19
天国に還る方法
私達は、地上に生れてきた以上は、
いつかは、この世を去っていなかければなりません。
誰も逃れることのできない宿命であります。
残念なことに、
あの世へは、財産やお金を持って帰ることはできません。
家族も友人も、何もかも置いていかねばならず、
持って帰れるのは心だけなのです。
あの世では、肩書き、地位、名誉は、全く通用しません。
それでは、あの世で通用する価値とは何でしょうか?
あの世は、多くの階層に分かれていますが、
地獄的世界と天国的世界は、はっきりと分かれています。
少なくとも、天国の入り口である5次元霊界に還るためのキーワードは、
他人の幸せを喜べるかどうか、ということなのです。
これは「黄金律」とよばれ、世界の宗教で共通して言われていることなのです。
キリストは、
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」
と教えました。
旧約聖書にも、
「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。」とあります。
孔子は、
「己の欲せざるところ、他に施すことなかれ。」と言いました。
お釈迦さまも、
「自分が愛しいように他の人もその通りなのだから、 他の人をも愛しむようにせよ。」
と繰り返し説かれました。
現代では、宗教は軽視されがちですが、
このように、宗教はあの世の価値観を教えるものなのです。
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いつかは、この世を去っていなかければなりません。
誰も逃れることのできない宿命であります。
残念なことに、
あの世へは、財産やお金を持って帰ることはできません。
家族も友人も、何もかも置いていかねばならず、
持って帰れるのは心だけなのです。
あの世では、肩書き、地位、名誉は、全く通用しません。
それでは、あの世で通用する価値とは何でしょうか?
あの世は、多くの階層に分かれていますが、
地獄的世界と天国的世界は、はっきりと分かれています。
少なくとも、天国の入り口である5次元霊界に還るためのキーワードは、
他人の幸せを喜べるかどうか、ということなのです。
これは「黄金律」とよばれ、世界の宗教で共通して言われていることなのです。
キリストは、
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」
と教えました。
旧約聖書にも、
「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。」とあります。
孔子は、
「己の欲せざるところ、他に施すことなかれ。」と言いました。
お釈迦さまも、
「自分が愛しいように他の人もその通りなのだから、 他の人をも愛しむようにせよ。」
と繰り返し説かれました。
現代では、宗教は軽視されがちですが、
このように、宗教はあの世の価値観を教えるものなのです。



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2008.05.19
本格派リーダーの提言2
引き続いて、浅野氏の提言を紹介します。
このような方が現れているのも、大きな霊界の計画であると思われます。
大きく平らな愛を、自分にまず注いであげることです。
それはもちろん、いなるエゴや、わがままや甘さとは全く異なります。
ごまかしでもありません。
これまでの宗教は、本当の自分への愛と、エゴやわがままや甘さなどを許してしまう、
偽りの自分への愛とを区別できませんでした。
自分への愛が必要なことを薄々感づいても、
それ以上に、利己的で狭い自分への愛に陥ることや、
罪を犯し、社会に混乱を招くことを恐れすぎたのでしょう。
そのため、自分への愛を魔的なものとして、回避しようと意識しすぎています。
それが、キリスト教や仏教をはじめ、多くの宗教に蔓延している病根です。
神は本来、愛と恵みと命のお方です。
それは、ヨハネによる福音書にも書かれているとおりです。
それが健全な捉え方であり、取り組み方になります。
むしろ、最近の心理療法や、研修や人間論などのほうが、
このことを正しく健全に捉えています。
地上の物理領域は、忌み嫌われる、価値も意味もない領域ではありません。
神のお心と意図は、
「地上の物理領域は穢れていて価値がないから、
そこから早く脱出して霊的領域に還って来るように」とか、
「あのような忌み嫌われる世界は早く失くしたいからあなたも見切りをつけ、
そこを捨て去って上がって来なさい」ということではありません。
大乗仏教の慈悲による菩薩精神は、
時に自分の成長や命の本源に還ることを後回しにして、
ほかの人のために尽くし、この地上を住みやすい浄土にすることです。
だからこそ、人は積極的にこの世に生まれ変わって来るのです。
生まれ変わらなくて済むところまで成長を遂げ、カルマを果たし終わっていても、
自己意志によって、あるいは神様からお役をあてがわれて再び地上に生まれて来ます。
それは、後輩のために自分を役立てようとする願いと目的を持っているからです。
同時に、この地上そのものを素晴らしい領域にする目的もあります。
あの世に天国をもたらし、霊界を浄化し、整えることだけでは不十分です。
キリスト教や、一部の浄土系の宗教は、あの世志向の一方通行の捉え方ですが、
それは本当のものではありません。そこには、自分だけが早くあの世に行って、
救われるという狭い小さな考え方が潜んでいます。
大来仏教では、この世を大切にし、まだ修行中の人たちのことも思いやって協力し、
この世の場を浄めて素晴らしい世界を設えようとします。
密教ではこれを密厳浄土と言って、とても重んじています。
そこには、単なる現世利益を超えた、本質に関わる素晴らしい狙いがあります。
浄土系の中でも、親鷲の教えはあの世志向ではなく、還相回向と言って、
積極的にこの世に還って来てこの世を良くし、
この世に残されている後輩の人たちのために尽くしていくことを大切にしています。
これこそが、大きな慈悲の大乗仏教といえます。
親鸞は霊的成長を往相回向、社会貢献を還相回向として、その両面を重視しました。
霊界と顕界との双方に霊的進化と調和がもたらされ、
あの世にも地上にも神の国が実現することが、宇宙創造神の本願なのです。
「自分探しの旅 現世編」
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このような方が現れているのも、大きな霊界の計画であると思われます。
大きく平らな愛を、自分にまず注いであげることです。
それはもちろん、いなるエゴや、わがままや甘さとは全く異なります。
ごまかしでもありません。
これまでの宗教は、本当の自分への愛と、エゴやわがままや甘さなどを許してしまう、
偽りの自分への愛とを区別できませんでした。
自分への愛が必要なことを薄々感づいても、
それ以上に、利己的で狭い自分への愛に陥ることや、
罪を犯し、社会に混乱を招くことを恐れすぎたのでしょう。
そのため、自分への愛を魔的なものとして、回避しようと意識しすぎています。
それが、キリスト教や仏教をはじめ、多くの宗教に蔓延している病根です。
神は本来、愛と恵みと命のお方です。
それは、ヨハネによる福音書にも書かれているとおりです。
それが健全な捉え方であり、取り組み方になります。
むしろ、最近の心理療法や、研修や人間論などのほうが、
このことを正しく健全に捉えています。
地上の物理領域は、忌み嫌われる、価値も意味もない領域ではありません。
神のお心と意図は、
「地上の物理領域は穢れていて価値がないから、
そこから早く脱出して霊的領域に還って来るように」とか、
「あのような忌み嫌われる世界は早く失くしたいからあなたも見切りをつけ、
そこを捨て去って上がって来なさい」ということではありません。
大乗仏教の慈悲による菩薩精神は、
時に自分の成長や命の本源に還ることを後回しにして、
ほかの人のために尽くし、この地上を住みやすい浄土にすることです。
だからこそ、人は積極的にこの世に生まれ変わって来るのです。
生まれ変わらなくて済むところまで成長を遂げ、カルマを果たし終わっていても、
自己意志によって、あるいは神様からお役をあてがわれて再び地上に生まれて来ます。
それは、後輩のために自分を役立てようとする願いと目的を持っているからです。
同時に、この地上そのものを素晴らしい領域にする目的もあります。
あの世に天国をもたらし、霊界を浄化し、整えることだけでは不十分です。
キリスト教や、一部の浄土系の宗教は、あの世志向の一方通行の捉え方ですが、
それは本当のものではありません。そこには、自分だけが早くあの世に行って、
救われるという狭い小さな考え方が潜んでいます。
大来仏教では、この世を大切にし、まだ修行中の人たちのことも思いやって協力し、
この世の場を浄めて素晴らしい世界を設えようとします。
密教ではこれを密厳浄土と言って、とても重んじています。
そこには、単なる現世利益を超えた、本質に関わる素晴らしい狙いがあります。
浄土系の中でも、親鷲の教えはあの世志向ではなく、還相回向と言って、
積極的にこの世に還って来てこの世を良くし、
この世に残されている後輩の人たちのために尽くしていくことを大切にしています。
これこそが、大きな慈悲の大乗仏教といえます。
親鸞は霊的成長を往相回向、社会貢献を還相回向として、その両面を重視しました。
霊界と顕界との双方に霊的進化と調和がもたらされ、
あの世にも地上にも神の国が実現することが、宇宙創造神の本願なのです。
「自分探しの旅 現世編」



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2008.05.19
本格派リーダーの提言1
1万件を超える過去世リーディングを行って人々に霊的アドバイスを与え続けている、
浅野信氏は、その分野で高い評価をえている優れた霊的指導者です。
浅野氏は、単に伝統宗教を否定しがちなニューエイジ界において、
団体宗教の現代的意義を説き、新しいあり方をも提言している、
という点において、群を抜いています。
その高い見識を紹介したいと思います。
現代は、「物」に傾きすぎた世相を呈しています。
人々が宗教から離れ、倫理観が低下して犯罪が横行し、
地球の自然も破壊され、多くの害が生じています。
そのような末期的な様相を救済するように、
あるいはバランスを何とか取り戻そうとするかのように、
新しい精神運動やスピリチュアルな動き、また、宗教を改めて見直し改革し、
これからの時代にふさわしいものにしていこうという動きが至る所で始まっています。
BC五、六世紀のブッダが現れた時代も、
紀元一世紀のキリストが現れた時代も、この現代のように暗黒の時期でした。
今も単に暗くて絶望的な事ばかりではありません。
ヨーロッパでも日本でも、中世の時代は暗黒期と見なされていましたが、
歴史の研究が進むにつれ、
中世に最も素晴らしい霊的な働きがあったことが証明されてきているのです。
現代はそれがさらに著しい形で出ています。
「善なるものはますます善となり、悪なるものはますます悪となる」と、
黙示録の最後にも表現されているように。
このような両極端な事象が、暗黒期を乗り越えると次第に整理され、
産みの苦しみを経て、一つなる素晴らしい原初のあり方が回復してくるのです。
それぞれの人が、自分の霊的な系統に応じた師匠を目標として持つことで、
それが参考になったり励みになったり、自分の戒めになります。
教えと共に、教えを具現化したモデルがいると、学びにも取り組みやすくなります。
目に見える基準に自分を当てはめることで、
「自分はどこが間違っているのか、どうしていけばよいのか」が、
察せられるようになります。だからこそ、いろいろな宗教に目標となる先輩が現れ、
さまざまな教えを説いているのです。
仏教では、人間論の、カルマ的観点で出来事を説明しています。
一方、キリスト教やイスラム教ではカルマ論はほとんど説かず、
神様が試練を与えると説いています。
本当は、キリストご自身はカルマをご存知で、これを説いていましたし、
聖書にも記されていますが、現代の聖書学には輪廻転生とカルマヘの認識がないため、
聖書を正しく読み取れていません。
キリスト教やイスラム教では、神様が出来事を起こすということを強調するため、
人間が自ら引き起こしているカルマに関してあまり気づいていません。
輪廻転生を認めず、奇妙な異端、邪説として拒否してしまったからです。
しかし、モーゼもキリストも、カルマと輸廻転生を知っていました。
実際に目覚めて悟りに達すれば、カルマと輪廻転生が事実であり、
本当に起きていることだとわかります。
しかし、そこまでまだ霊的に進化していない人たちが、
説かれた教えだけをそのまま守り、形式主義に陥っているために、
人間が自己責任で出来事に向き合っていることに気づけないでいます。
それゆえに、神と人との関係が一方的に捉えられているのが、
キリスト教やイスラム教の特徴です。一言でいえば、他力的すぎるのです。
一方、仏教や一部の宗教は自力的になりすぎていて、
神の恩寵の面や、神にお委ねして引き上げられるという面が希薄です。
本来は他力の下で自力が生きてきて、実りをもたらすものです。
「自分探しの旅 現世編」
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浅野信氏は、その分野で高い評価をえている優れた霊的指導者です。
浅野氏は、単に伝統宗教を否定しがちなニューエイジ界において、
団体宗教の現代的意義を説き、新しいあり方をも提言している、
という点において、群を抜いています。
その高い見識を紹介したいと思います。
現代は、「物」に傾きすぎた世相を呈しています。
人々が宗教から離れ、倫理観が低下して犯罪が横行し、
地球の自然も破壊され、多くの害が生じています。
そのような末期的な様相を救済するように、
あるいはバランスを何とか取り戻そうとするかのように、
新しい精神運動やスピリチュアルな動き、また、宗教を改めて見直し改革し、
これからの時代にふさわしいものにしていこうという動きが至る所で始まっています。
BC五、六世紀のブッダが現れた時代も、
紀元一世紀のキリストが現れた時代も、この現代のように暗黒の時期でした。
今も単に暗くて絶望的な事ばかりではありません。
ヨーロッパでも日本でも、中世の時代は暗黒期と見なされていましたが、
歴史の研究が進むにつれ、
中世に最も素晴らしい霊的な働きがあったことが証明されてきているのです。
現代はそれがさらに著しい形で出ています。
「善なるものはますます善となり、悪なるものはますます悪となる」と、
黙示録の最後にも表現されているように。
このような両極端な事象が、暗黒期を乗り越えると次第に整理され、
産みの苦しみを経て、一つなる素晴らしい原初のあり方が回復してくるのです。
それぞれの人が、自分の霊的な系統に応じた師匠を目標として持つことで、
それが参考になったり励みになったり、自分の戒めになります。
教えと共に、教えを具現化したモデルがいると、学びにも取り組みやすくなります。
目に見える基準に自分を当てはめることで、
「自分はどこが間違っているのか、どうしていけばよいのか」が、
察せられるようになります。だからこそ、いろいろな宗教に目標となる先輩が現れ、
さまざまな教えを説いているのです。
仏教では、人間論の、カルマ的観点で出来事を説明しています。
一方、キリスト教やイスラム教ではカルマ論はほとんど説かず、
神様が試練を与えると説いています。
本当は、キリストご自身はカルマをご存知で、これを説いていましたし、
聖書にも記されていますが、現代の聖書学には輪廻転生とカルマヘの認識がないため、
聖書を正しく読み取れていません。
キリスト教やイスラム教では、神様が出来事を起こすということを強調するため、
人間が自ら引き起こしているカルマに関してあまり気づいていません。
輪廻転生を認めず、奇妙な異端、邪説として拒否してしまったからです。
しかし、モーゼもキリストも、カルマと輸廻転生を知っていました。
実際に目覚めて悟りに達すれば、カルマと輪廻転生が事実であり、
本当に起きていることだとわかります。
しかし、そこまでまだ霊的に進化していない人たちが、
説かれた教えだけをそのまま守り、形式主義に陥っているために、
人間が自己責任で出来事に向き合っていることに気づけないでいます。
それゆえに、神と人との関係が一方的に捉えられているのが、
キリスト教やイスラム教の特徴です。一言でいえば、他力的すぎるのです。
一方、仏教や一部の宗教は自力的になりすぎていて、
神の恩寵の面や、神にお委ねして引き上げられるという面が希薄です。
本来は他力の下で自力が生きてきて、実りをもたらすものです。
「自分探しの旅 現世編」



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