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2008.05.20
古典に学ぶ
古典文学というのは、
情報が古く、現代には通用しないと思いがちですが、
いまだに、われわれに多大な霊感を与えてくれます。
古典は、
長い年月にわたり読みつがれ、時代を超えて人々に愛され続けています。
そこには、色あせない普遍的な真理や教訓が示されているからです。
古代ギリシアのホメロスやソフォクレス、古代ローマのウェルギリウス、
ダンテ、シェイクスピア、ゲーテなどの作品は、その高みにおいて最高峰のものです。
現代の作家でも、それらを超える作品を遺すことは難しいのではないでしょうか。
特に古代インドの叙事詩である「マハーバーラタ」は驚くべき書物であります。
「マハーバーラタ」は、
古代インド語で書かれた、10万詩以上で成り立つ世界最大の叙事詩です。
それは、ホメロスの「イリアス」と「オデュッセイア」を併せた、
8倍程の分量を誇る、歴史的事実と口承伝説が記された物語です。
『ここにあるもの総ては何処にもあり、ここに無いものは何処にも無い』、
という記載があるほどです。
その起源は、
1万年前にもさかのぼるという説もあるぐらい古いものです。
なんと、この書物には、
太古の時代に、航空機や戦車、ミサイルや、通信機器、照明器具、
を有した高度な科学技術文明が存在していたことが描かれています。
古典には、まだまだ学ぶべきところがたくさんあるのです。
彼が不真実の言葉を口から出したとたん、
それまで常に地面から4インチ浮いて動き、
決して地面につくことのなかったユディシュティラの戦車の車輪は、
下に落ち地面に接触した。
ヴリシュニ族とアンダーカ族の3都市には、どんな武器を用いても効果がなかった。
そこでいかづちをあやつる者グルカは、
高速の強力なヴィマーナで、飛びながら、3都市に投げつけた。
神々すら恐れを抱き、大きな痛みを感じる武器を、
宇宙のあらゆる力が詰めこまれたただ一本の飛び道具を。
1万個の太陽さながらに光り輝きながら、
煙と火の白熱した柱がここぞとばかりに立ち昇った。
それは未知の武器、鉄の稲妻、巨大な死の使者だった。
ヴリシュニ族とアンダーカ族の全市民が灰と化した。
死体は焼けただれて、もはや見分けもつかなかった。
毛と爪がどんどん抜け落ち、壺はわけもなく割れた。
鳥たちはうろたえて空できりきり舞いし、白く変えられた。
数刻ののち、すべての食物は毒で汚れた。
クル族の戦士は恐怖にかられ、戦場から逃走した。
ある者はわが子や父親を、友や兄弟を戦車に乗せて、
ある者は鎧を脱ぎ捨てて流れに身を投じ、体や装備を洗った。
破壊が終わるとパンダヴァ族の王ユディスティラは知らされた、
鉄の稲妻の威力とヴリシュニ族たちの殺戮を。
それは死の杖のように恐るべき槍。
その寸法は3腕尺と6足尺。
授けられたその力は、千の目を持つインドラの稲妻。
それは生けるものすべてを滅ぼした。
「マハーバーラタ」
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情報が古く、現代には通用しないと思いがちですが、
いまだに、われわれに多大な霊感を与えてくれます。
古典は、
長い年月にわたり読みつがれ、時代を超えて人々に愛され続けています。
そこには、色あせない普遍的な真理や教訓が示されているからです。
古代ギリシアのホメロスやソフォクレス、古代ローマのウェルギリウス、
ダンテ、シェイクスピア、ゲーテなどの作品は、その高みにおいて最高峰のものです。
現代の作家でも、それらを超える作品を遺すことは難しいのではないでしょうか。
特に古代インドの叙事詩である「マハーバーラタ」は驚くべき書物であります。
「マハーバーラタ」は、
古代インド語で書かれた、10万詩以上で成り立つ世界最大の叙事詩です。
それは、ホメロスの「イリアス」と「オデュッセイア」を併せた、
8倍程の分量を誇る、歴史的事実と口承伝説が記された物語です。
『ここにあるもの総ては何処にもあり、ここに無いものは何処にも無い』、
という記載があるほどです。
その起源は、
1万年前にもさかのぼるという説もあるぐらい古いものです。
なんと、この書物には、
太古の時代に、航空機や戦車、ミサイルや、通信機器、照明器具、
を有した高度な科学技術文明が存在していたことが描かれています。
古典には、まだまだ学ぶべきところがたくさんあるのです。
彼が不真実の言葉を口から出したとたん、
それまで常に地面から4インチ浮いて動き、
決して地面につくことのなかったユディシュティラの戦車の車輪は、
下に落ち地面に接触した。
ヴリシュニ族とアンダーカ族の3都市には、どんな武器を用いても効果がなかった。
そこでいかづちをあやつる者グルカは、
高速の強力なヴィマーナで、飛びながら、3都市に投げつけた。
神々すら恐れを抱き、大きな痛みを感じる武器を、
宇宙のあらゆる力が詰めこまれたただ一本の飛び道具を。
1万個の太陽さながらに光り輝きながら、
煙と火の白熱した柱がここぞとばかりに立ち昇った。
それは未知の武器、鉄の稲妻、巨大な死の使者だった。
ヴリシュニ族とアンダーカ族の全市民が灰と化した。
死体は焼けただれて、もはや見分けもつかなかった。
毛と爪がどんどん抜け落ち、壺はわけもなく割れた。
鳥たちはうろたえて空できりきり舞いし、白く変えられた。
数刻ののち、すべての食物は毒で汚れた。
クル族の戦士は恐怖にかられ、戦場から逃走した。
ある者はわが子や父親を、友や兄弟を戦車に乗せて、
ある者は鎧を脱ぎ捨てて流れに身を投じ、体や装備を洗った。
破壊が終わるとパンダヴァ族の王ユディスティラは知らされた、
鉄の稲妻の威力とヴリシュニ族たちの殺戮を。
それは死の杖のように恐るべき槍。
その寸法は3腕尺と6足尺。
授けられたその力は、千の目を持つインドラの稲妻。
それは生けるものすべてを滅ぼした。
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2008.05.20
そうじ力で幸せに
「そうじ力」を身につけることによって幸福になることが出来る、
ということで、大変なブームにもなっています。
実際に、その効果は想像以上に大きいのです。
「そうじ力」は、運命を好転させる最良のツール、であるとも言われます。
乱雑で汚れた部屋は、その心の反映であるため、
そのマイナスのエネルギーの滞った状態が保たれることになります。
そのエネルギーの流れを、そうじによってきれいにし、プラスに変えることによって、
幸福を呼び込むことが出来るという理論なのです。
不要なものを捨て、空にすることで、入ってくる流れをつくりだします。
滞っているエネルギーを循環させることで、その流れは活発になります。
また、この行為によって、執着を捨てるという精神的な態度が養われます。
身の回りを整理整頓することにより、頭の中も整理され、仕事効率が上がり、
自分の問題や悩みまで、すっきりすることがあるのです。
「そうじ」というのは、物質的な事柄に関わることだけではなく、
霊的磁場を清めることでもあり、精神的な爽快感も伴います。
神道などでいわれる、祓い清める働きがありますし、
神仏と清らかな姿勢で対峙するための行為でもあります。
また、自分だけのためではなく、
他の人を幸せにするために、もてなしの心でそうじをすることによって、
その空間のエネルギーが高められ、そこにいる人が幸せになっていく、
そして、その幸せが循環していくことになります。
この行為は、
最終的には地球を浄化し、地球を磨いて輝かせることに繋がっていくのです。
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実際に、その効果は想像以上に大きいのです。
「そうじ力」は、運命を好転させる最良のツール、であるとも言われます。
乱雑で汚れた部屋は、その心の反映であるため、
そのマイナスのエネルギーの滞った状態が保たれることになります。
そのエネルギーの流れを、そうじによってきれいにし、プラスに変えることによって、
幸福を呼び込むことが出来るという理論なのです。
不要なものを捨て、空にすることで、入ってくる流れをつくりだします。
滞っているエネルギーを循環させることで、その流れは活発になります。
また、この行為によって、執着を捨てるという精神的な態度が養われます。
身の回りを整理整頓することにより、頭の中も整理され、仕事効率が上がり、
自分の問題や悩みまで、すっきりすることがあるのです。
「そうじ」というのは、物質的な事柄に関わることだけではなく、
霊的磁場を清めることでもあり、精神的な爽快感も伴います。
神道などでいわれる、祓い清める働きがありますし、
神仏と清らかな姿勢で対峙するための行為でもあります。
また、自分だけのためではなく、
他の人を幸せにするために、もてなしの心でそうじをすることによって、
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最終的には地球を浄化し、地球を磨いて輝かせることに繋がっていくのです。



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2008.05.20
霊的なるもの
本当に価値あるものは、目に見えないものにあります。
世界は粒子によって組み立てられた、構造物ではありません。
イデアといわれる実在世界が背後に存在し、
それから流出した世界が、この物質世界であるのです。
真・善・美や愛、神仏もまた、目には見えません。
全て霊的なるものなのです。
かつて、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、
東京帝国大学で、生徒達にこのように講義しています。
われわれが、いかなる宗教を信じるにせよ信じないにせよ、
近代科学の果たした貢献の一つは、
これまで物質的で実体があると思ってきたものがすべて、
その本質において霊的なものであることをまったく疑問の余地なく証明したことである。
たとえわれわれが、幽霊をめぐる古風な物語やその理屈づけを信じないとしても、
なお今日、われわれ自身が一個の幽霊にほかならず、
およそ不可思議な存在であることを認めないわけにはいかない。
われわれの知識が増大するにしたがって、宇宙の神秘もいっそうその重さを増し、
われわれの身の上にのしかかり、ますます怖ろしいものとなってくる。
それは、霊的な神秘といえるものである。あらゆる偉大な芸術は、ある程度、
この宇宙の解きがたい謎というものをわれわれに喚起する。
偉大な芸術作品には、つねになにか霊的なものが宿っているといわれるゆえんである。
それが、われわれの内部にひそむ、無限なるものに関わるなにかに触れるのである。
偉大な思想を読むとき、すばらしい彫像や建築物や絵画を目にするとき、
また美しい音楽に耳傾けるとき、心と精神には感動の戦慄が走る。
その感動はちょうど、人々が霊や神を視たと思ったときに感じる戦慄によく似ている。
だからこそ、どんなに知識が増えようとも、
世界は依然として超自然をテーマとした文学に歓びを見出すのである。
この先何百年経とうが、その事実は変わらないであろう。
霊的なものには、必ず真理の一面が反映されている。
だから、いわゆる幽霊の存在がいくら信じられなくなったとしても、
それが表わす真理にたいする人間の関心まで減少することはないのである。
霊的なものにたいする感覚を持たない人間が、
なにかに生命を吹きこむことなどできるはずもないのだ。
たとえ、それが歴史書であれ、演説草稿であれ、
たとえわずか一ぺ―ジにすぎなかろうとも、そうである。
人々の魂に触れることを可能ならしめているものは、
言葉そのものであることをよく知っておく必要がある。
しかもそれを知るためには、同じように言葉によってしか触れられない、
霊的なるものを、みずからの内に保有していなければならないであろう。
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世界は粒子によって組み立てられた、構造物ではありません。
イデアといわれる実在世界が背後に存在し、
それから流出した世界が、この物質世界であるのです。
真・善・美や愛、神仏もまた、目には見えません。
全て霊的なるものなのです。
かつて、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、
東京帝国大学で、生徒達にこのように講義しています。
われわれが、いかなる宗教を信じるにせよ信じないにせよ、
近代科学の果たした貢献の一つは、
これまで物質的で実体があると思ってきたものがすべて、
その本質において霊的なものであることをまったく疑問の余地なく証明したことである。
たとえわれわれが、幽霊をめぐる古風な物語やその理屈づけを信じないとしても、
なお今日、われわれ自身が一個の幽霊にほかならず、
およそ不可思議な存在であることを認めないわけにはいかない。
われわれの知識が増大するにしたがって、宇宙の神秘もいっそうその重さを増し、
われわれの身の上にのしかかり、ますます怖ろしいものとなってくる。
それは、霊的な神秘といえるものである。あらゆる偉大な芸術は、ある程度、
この宇宙の解きがたい謎というものをわれわれに喚起する。
偉大な芸術作品には、つねになにか霊的なものが宿っているといわれるゆえんである。
それが、われわれの内部にひそむ、無限なるものに関わるなにかに触れるのである。
偉大な思想を読むとき、すばらしい彫像や建築物や絵画を目にするとき、
また美しい音楽に耳傾けるとき、心と精神には感動の戦慄が走る。
その感動はちょうど、人々が霊や神を視たと思ったときに感じる戦慄によく似ている。
だからこそ、どんなに知識が増えようとも、
世界は依然として超自然をテーマとした文学に歓びを見出すのである。
この先何百年経とうが、その事実は変わらないであろう。
霊的なものには、必ず真理の一面が反映されている。
だから、いわゆる幽霊の存在がいくら信じられなくなったとしても、
それが表わす真理にたいする人間の関心まで減少することはないのである。
霊的なものにたいする感覚を持たない人間が、
なにかに生命を吹きこむことなどできるはずもないのだ。
たとえ、それが歴史書であれ、演説草稿であれ、
たとえわずか一ぺ―ジにすぎなかろうとも、そうである。
人々の魂に触れることを可能ならしめているものは、
言葉そのものであることをよく知っておく必要がある。
しかもそれを知るためには、同じように言葉によってしか触れられない、
霊的なるものを、みずからの内に保有していなければならないであろう。



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