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2008.05.21
英国人作家の悟り
20世紀の英国人作家のポール・ブラントンは、
古代の知恵の研究者として、本物の教えを求めてインドを探索し、
神秘思想家のラマナ・マハルシのもとにたどり着きます。
そして、ついに新生の体験を得て、
このような智恵の言葉を述べています。
一、人間には不死不滅なものが秘む。人は真の自我に無頓着であるが、
どんなに無頓着であっても、不死不滅なるものの偉大さに変りはない。
二、人間は神の知覚力を失っているから、自分自身のまことの価値を信じない。
だから自分自身の中に、完全正確なものを持ちながら、人の意見を求めて、
右往左往するのである。
三、神性はすべての人の生活を新たにする。しかしそれに無頃着だったら、
啓示は石地に蒔かれた種子のように、花も咲かせず実りもしない。
誰も、神の意識から追い出す者はない。追い出す者はただ己自らである。
四、人々は、人生の神秘と意義について、ろくでもない虚偽の探求をして来た。
君を生み出した生命は、君のどんな優れた思想よりも高貴なもの、
偉大なものである。人間は最も偉大なものと関係があり、
最も偉大なものに育てられている。
肉体は母の胎内に十ヶ月養われて出て来たが、
人間には肉体以上のものがあって、宇宙の意志が念じこまれている。
おまけに、人間の内部には、宇宙神の権化が大我原子となって宿り、
いつか本人に心の用意が出来た時、
内から輝く太陽のように現われようとして機会を待っている。
五、人間は、まだ考えて見たことのない欲求を有し、
自由な生活をしたいと思っているが、
その結果として来るものをそっちのけにして、空っぽの夢に、
自分の生命をしばりつけている。自分の罪を人には隠しても、
神の目から隠すことは出来ない。正義は今も厳として律しているが、
その執行力は目には見えないし、法廷にも現われまい。
地上の法は誤魔かせても、神の法則が賦課する罰からのがれることは出来ない。
因果応報の法則は、一時間毎にこういう人間を危険の中に追いこんでいる。
六、つらい悲しみの下に耐え忍んで来た人や、
涙の中に淡暗い永年月を送って来た人達は、
生命が常に無言のことばを語っているのを受け容れる準備をいくらかしているだろう。
苦は楽の種子である。幸福な日に有頂天にならない者は、
暗い日にも大して悩まない。人間は高慢ちきでやっていけるものではない。
喜びのよこ糸、苦しみのたて糸で織り出されない人生というものはない。
だから人間は高慢得意でやっていけるものではない。
得意高慢でやって居れば、ゆゆしい危険にはまりこむ。
見えざる神の前には、謙遜を衣としていかなければならない。
神は多年つづいて来たものを数日で台なしにしてしまうものである。
すべての運命は周期率的に変る。思慮浅薄な者にはそれがわからない。
宇宙を見てもわかることだが、遠日点の次には近日点が来る。
人の一生も運命も、盛衰栄枯定まらず、健康もまたあてにならず、
生者必滅、会者定離である。暗愚な苦痛の夜があければ、
新らしい智慧の喜びとなる。こういうわけだから、最後の教訓は、
「気づいていない内部(精神的)の永遠なる避難所を見出せ」ということである。
七、人間は、崇高なる者の光輝く翼のもとにはぐくまれているのを見出す時だけ、
安全な保護を感ずるものである。人間は古代の智慧力量に結ばれて、
わが内部の神の前にいつも立っている。
だからこの御計らいに、わが身も、苦労も重荷も任せておけば誤ちがない。
八、真の自我を見たものは、決して人を怨まない。怨みにまさる罪はない。
われ等は神聖な可能性によって一切を変化せしむる光の中に於て、
同胞を見れば怨みは消えてなくなってしまう。
人は同胞を見るに愛と敬意を以てすれば、同胞の心には神に似たものが膨張する。
九、精妙荘厳な思想を求めれば、古代の大予言者が見えて来る。
わが天性が厳かな啓示を受ければ、讃嘆歓喜せずにおれない。
思想的にも感情的にも至尊のものは、求めざるに足もとに現われる。
ヘブルやアラビヤの聖者に劣らぬビジョンは、平静な心の内部に臨む。
静けき光の中に、仏陀は涅槃を理解して、これを人々に教え給うた。
理解が目ざめれば、一切を抱く愛が目ざめる。
マグダラのマリヤは、イエスの足もとに無明の人生を涙で洗い流した。
十、人類生活が始って以来、幾千代の日は過ぎ去ったが、
古代智慧の荘厳なる光は一点の塵埃もとどめない。
それを受ける準備あるものは、自己の知力でこれを得ようとせず、
群がる小惑星の中に、大きな星が輝くように、
雑多な思いの中に光芒爛として光る時だけ、
古代の智慧の驚きをわが内に見出す。
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古代の知恵の研究者として、本物の教えを求めてインドを探索し、
神秘思想家のラマナ・マハルシのもとにたどり着きます。
そして、ついに新生の体験を得て、
このような智恵の言葉を述べています。
一、人間には不死不滅なものが秘む。人は真の自我に無頓着であるが、
どんなに無頓着であっても、不死不滅なるものの偉大さに変りはない。
二、人間は神の知覚力を失っているから、自分自身のまことの価値を信じない。
だから自分自身の中に、完全正確なものを持ちながら、人の意見を求めて、
右往左往するのである。
三、神性はすべての人の生活を新たにする。しかしそれに無頃着だったら、
啓示は石地に蒔かれた種子のように、花も咲かせず実りもしない。
誰も、神の意識から追い出す者はない。追い出す者はただ己自らである。
四、人々は、人生の神秘と意義について、ろくでもない虚偽の探求をして来た。
君を生み出した生命は、君のどんな優れた思想よりも高貴なもの、
偉大なものである。人間は最も偉大なものと関係があり、
最も偉大なものに育てられている。
肉体は母の胎内に十ヶ月養われて出て来たが、
人間には肉体以上のものがあって、宇宙の意志が念じこまれている。
おまけに、人間の内部には、宇宙神の権化が大我原子となって宿り、
いつか本人に心の用意が出来た時、
内から輝く太陽のように現われようとして機会を待っている。
五、人間は、まだ考えて見たことのない欲求を有し、
自由な生活をしたいと思っているが、
その結果として来るものをそっちのけにして、空っぽの夢に、
自分の生命をしばりつけている。自分の罪を人には隠しても、
神の目から隠すことは出来ない。正義は今も厳として律しているが、
その執行力は目には見えないし、法廷にも現われまい。
地上の法は誤魔かせても、神の法則が賦課する罰からのがれることは出来ない。
因果応報の法則は、一時間毎にこういう人間を危険の中に追いこんでいる。
六、つらい悲しみの下に耐え忍んで来た人や、
涙の中に淡暗い永年月を送って来た人達は、
生命が常に無言のことばを語っているのを受け容れる準備をいくらかしているだろう。
苦は楽の種子である。幸福な日に有頂天にならない者は、
暗い日にも大して悩まない。人間は高慢ちきでやっていけるものではない。
喜びのよこ糸、苦しみのたて糸で織り出されない人生というものはない。
だから人間は高慢得意でやっていけるものではない。
得意高慢でやって居れば、ゆゆしい危険にはまりこむ。
見えざる神の前には、謙遜を衣としていかなければならない。
神は多年つづいて来たものを数日で台なしにしてしまうものである。
すべての運命は周期率的に変る。思慮浅薄な者にはそれがわからない。
宇宙を見てもわかることだが、遠日点の次には近日点が来る。
人の一生も運命も、盛衰栄枯定まらず、健康もまたあてにならず、
生者必滅、会者定離である。暗愚な苦痛の夜があければ、
新らしい智慧の喜びとなる。こういうわけだから、最後の教訓は、
「気づいていない内部(精神的)の永遠なる避難所を見出せ」ということである。
七、人間は、崇高なる者の光輝く翼のもとにはぐくまれているのを見出す時だけ、
安全な保護を感ずるものである。人間は古代の智慧力量に結ばれて、
わが内部の神の前にいつも立っている。
だからこの御計らいに、わが身も、苦労も重荷も任せておけば誤ちがない。
八、真の自我を見たものは、決して人を怨まない。怨みにまさる罪はない。
われ等は神聖な可能性によって一切を変化せしむる光の中に於て、
同胞を見れば怨みは消えてなくなってしまう。
人は同胞を見るに愛と敬意を以てすれば、同胞の心には神に似たものが膨張する。
九、精妙荘厳な思想を求めれば、古代の大予言者が見えて来る。
わが天性が厳かな啓示を受ければ、讃嘆歓喜せずにおれない。
思想的にも感情的にも至尊のものは、求めざるに足もとに現われる。
ヘブルやアラビヤの聖者に劣らぬビジョンは、平静な心の内部に臨む。
静けき光の中に、仏陀は涅槃を理解して、これを人々に教え給うた。
理解が目ざめれば、一切を抱く愛が目ざめる。
マグダラのマリヤは、イエスの足もとに無明の人生を涙で洗い流した。
十、人類生活が始って以来、幾千代の日は過ぎ去ったが、
古代智慧の荘厳なる光は一点の塵埃もとどめない。
それを受ける準備あるものは、自己の知力でこれを得ようとせず、
群がる小惑星の中に、大きな星が輝くように、
雑多な思いの中に光芒爛として光る時だけ、
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2008.05.21
神秘詩人
ウィリアム・ブレイクは、18世紀最大の詩人であり、
イギリスを代表する大神秘家でもあります。
ブレイクは、靴下商人の息子としてロンドンに生れました。
幼少のころから、霊や幻影を見ることのできる能力を持っていて、
ブレイク自身が、過去の預言者や天使たちを頻繁に見ていたと語っています。
成人したブレイクは、弟のロバートから資金面の援助を受けて、
印刷工房を開設しますが、弟ロバートの死後に、
ロバートの霊から銅版印刷の技術を教えられ、銅版版画の手法を確立します。
その後は、生涯この仕事に没頭し、
彼自身が語っているように、
天使や精霊たちによって霊感を与えられた挿し絵つきの詩と散文を、
100巻にもわたって作成しています。
彼の死後、この作品群は、
神秘主義のアーヴィング派の牧師に譲り渡されました。
しかし、この牧師が、悪魔によって書かれた作品だと判断し、
なんと、全部焼いてしまったのです。
現在、僅かに残されているブレイクの作品は、
大英博物館所蔵のもので、値段がつけられないほどの貴重品だと見なされています。
ブレイクは、神秘思想家スウェーデンボルグを信奉していましたが、
後年は、スウェーデンボルグを批判し、独自の神秘主義に傾倒します。
彼の書くものすべては、
天の神々によって口授されたものであったのです。
死すべき運命に生まれた者は
現世の束縛から逃れるためには
再び大地へ溶け去らねばならぬ
だから肉は 私にとって何者でもない
恥じらいと自惚れから肉は生まれ
朝を謳歌しても 夕べには死す
だが神の慈悲は死を眠りへと変え
肉は再び起き上がって涙する
死すべき私を生んだ母よ
あなたは私の心臓を作り
私の鼻、目、耳を作った
残酷にも偽りの涙を流しつつ
私の舌を粘土で作り
私に死すべき命をもたらした
私の自由をあがなうのはイエスの死
だから肉は 私にとって何者でもない
「無垢と経験のうた」
あらゆる聖書、聖典は、以下の誤りの原因となってきた。
一、人間は、二つの実在する要素に還元される。すなわち肉体と霊魂。
二、情動は、悪と呼ばれ、肉体のみから生じ、
理性は、善と呼ばれ、霊魂のみから生じる。
三、神は、情動を追及する人間を、永遠に責めさいなむであろう。
しかし、真実はその逆である。
一、霊魂と分離した肉体は存在せず、肉体と呼ばれるものは、
この時代の霊魂の主要な窓口である五感によって認識される霊魂の一部分である。
二、生命を持つのは情動だけである。情動は肉体より生じ、
理性は情動の部分的なあるいは外面的な表皮に過ぎない。
三、情動こそが永遠の喜びである。
「天国と地獄の結婚」
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ブレイクは、靴下商人の息子としてロンドンに生れました。
幼少のころから、霊や幻影を見ることのできる能力を持っていて、
ブレイク自身が、過去の預言者や天使たちを頻繁に見ていたと語っています。
成人したブレイクは、弟のロバートから資金面の援助を受けて、
印刷工房を開設しますが、弟ロバートの死後に、
ロバートの霊から銅版印刷の技術を教えられ、銅版版画の手法を確立します。
その後は、生涯この仕事に没頭し、
彼自身が語っているように、
天使や精霊たちによって霊感を与えられた挿し絵つきの詩と散文を、
100巻にもわたって作成しています。
彼の死後、この作品群は、
神秘主義のアーヴィング派の牧師に譲り渡されました。
しかし、この牧師が、悪魔によって書かれた作品だと判断し、
なんと、全部焼いてしまったのです。
現在、僅かに残されているブレイクの作品は、
大英博物館所蔵のもので、値段がつけられないほどの貴重品だと見なされています。
ブレイクは、神秘思想家スウェーデンボルグを信奉していましたが、
後年は、スウェーデンボルグを批判し、独自の神秘主義に傾倒します。
彼の書くものすべては、
天の神々によって口授されたものであったのです。
死すべき運命に生まれた者は
現世の束縛から逃れるためには
再び大地へ溶け去らねばならぬ
だから肉は 私にとって何者でもない
恥じらいと自惚れから肉は生まれ
朝を謳歌しても 夕べには死す
だが神の慈悲は死を眠りへと変え
肉は再び起き上がって涙する
死すべき私を生んだ母よ
あなたは私の心臓を作り
私の鼻、目、耳を作った
残酷にも偽りの涙を流しつつ
私の舌を粘土で作り
私に死すべき命をもたらした
私の自由をあがなうのはイエスの死
だから肉は 私にとって何者でもない
「無垢と経験のうた」
あらゆる聖書、聖典は、以下の誤りの原因となってきた。
一、人間は、二つの実在する要素に還元される。すなわち肉体と霊魂。
二、情動は、悪と呼ばれ、肉体のみから生じ、
理性は、善と呼ばれ、霊魂のみから生じる。
三、神は、情動を追及する人間を、永遠に責めさいなむであろう。
しかし、真実はその逆である。
一、霊魂と分離した肉体は存在せず、肉体と呼ばれるものは、
この時代の霊魂の主要な窓口である五感によって認識される霊魂の一部分である。
二、生命を持つのは情動だけである。情動は肉体より生じ、
理性は情動の部分的なあるいは外面的な表皮に過ぎない。
三、情動こそが永遠の喜びである。
「天国と地獄の結婚」



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2008.05.21
江戸の霊能僧
カトリック教会においても、エクソシストといわれる祓魔師が存在しますが、
仏教僧にも、死者鎮魂呪術としての称名念仏を行う民間の行者が存在しました。
中でも、浄土宗の僧、祐天は江戸時代を代表する呪術師であり、
時の徳川将軍に信任され、増上寺36世にまで登りつめています。
祐天は、成田山新勝寺の断食堂で21日間参籠修行し、
不動明王に、剣を飲まされる夢を見て、霊能を授かります。
その後は、念仏布教を志し、諸国を歩きながら、
人々に南無阿弥陀仏の六字名号を与えて、
求められるに従って、死者の鎮魂や追善供養を行っています。
また、民衆に信仰心を与えるために、
誰でもわかりやすく念仏を唱える事ができる「じゃんがら念仏踊り」を伝えました。
ちなみに、祐天の公案した寺内の消防防火体制が、
江戸町火消し組織に多大な影響を与えたと言われています。
祐天は、様々な霊験をあらわしましたが、
説教としての唱導文学である「死霊解脱物語聞書」にその様子が詳細に描かれています。
その死後には、常々、祐天のことを、
「現今真の僧侶は祐天ただ1人である」、と称賛していた将軍吉宗によって、
祐天寺建立が許可され、現在、東京目黒の祐天寺は地名にもなっています。
祐天は、
自力行者ではないのに関わらず、
霊能を開発し、念仏の力で死者を成仏させた希有な浄土僧でありました。
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
仏教僧にも、死者鎮魂呪術としての称名念仏を行う民間の行者が存在しました。
中でも、浄土宗の僧、祐天は江戸時代を代表する呪術師であり、
時の徳川将軍に信任され、増上寺36世にまで登りつめています。
祐天は、成田山新勝寺の断食堂で21日間参籠修行し、
不動明王に、剣を飲まされる夢を見て、霊能を授かります。
その後は、念仏布教を志し、諸国を歩きながら、
人々に南無阿弥陀仏の六字名号を与えて、
求められるに従って、死者の鎮魂や追善供養を行っています。
また、民衆に信仰心を与えるために、
誰でもわかりやすく念仏を唱える事ができる「じゃんがら念仏踊り」を伝えました。
ちなみに、祐天の公案した寺内の消防防火体制が、
江戸町火消し組織に多大な影響を与えたと言われています。
祐天は、様々な霊験をあらわしましたが、
説教としての唱導文学である「死霊解脱物語聞書」にその様子が詳細に描かれています。
その死後には、常々、祐天のことを、
「現今真の僧侶は祐天ただ1人である」、と称賛していた将軍吉宗によって、
祐天寺建立が許可され、現在、東京目黒の祐天寺は地名にもなっています。
祐天は、
自力行者ではないのに関わらず、
霊能を開発し、念仏の力で死者を成仏させた希有な浄土僧でありました。



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2008.05.21
苦手なこと
待合室にて、
久しぶりに青年向け漫画週刊誌を読んでみたら、ショックを受けてしまいました。
学生時代には、楽しめていたはずなのに、
とにかく血や暴力描写に過敏に反応してしまいます。
結構、その影響を引きずってしまいました。
愚僧は、気弱で臆病な人間になりつつあるようです。
とにかく血やホラーは苦手なのです。
精進します。
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久しぶりに青年向け漫画週刊誌を読んでみたら、ショックを受けてしまいました。
学生時代には、楽しめていたはずなのに、
とにかく血や暴力描写に過敏に反応してしまいます。
結構、その影響を引きずってしまいました。
愚僧は、気弱で臆病な人間になりつつあるようです。
とにかく血やホラーは苦手なのです。
精進します。



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