2008.06.26
神聖な不満
僧侶は、智恵の眼で、
時代の流れを正確に見極める必要があります。
これは、単なる中世がえりではないのです。
科学と宗教が統合した高度な霊性文明の夜明けです。
全霊界の総力をあげての地球規模の仏国土建設運動がはじまっているのです。
同じ計画を司っている高級霊からの、アメリカ西海岸のチャネリングメッセージです。
宗教団体の一部には、
他の宗教者グループとスピリチュアルな哲学や概念について話し合い、
自分たちの見解とは相反するような考えを持った人たちでも、
非難したり揶揄したりしないという流れがあることを、私たちは喜んでいます。
以前は頑なに自分の考えを曲げようとはしなかった、
スピリチュアルなリーダーの心の中に、寛容の精神が忍び込んでいます。
ドグマや迷信の境界線が崩れ落ちて、
新しく、より広い視野が受け入れられるようになっています。
スピリチュアルな目覚めは、
もはや少数の人びとだけの関心事ではありません。
人類全体が動き出しており、内なる「神聖な不満」は非常な高みに達して、
もはや無視することは不可能です。
それはあらゆる場所において明白です。
新しいパラダイムを怖れ、抵抗している人びとですら、
天使・超常現象・死後の世界、幽体離脱などの情報に抗しがたい魅力を感じています。
哲学であれ、宗教であれ、信念体系であれ、
登場したばかりの時には、急進的で極端で、
世間をあっと言わせるようなものとして考えられますが、
やがて徐々に落ち着いてきて、
それが感じの良いものとして受け入れられ、当たり前のことになります。
ロナ・ハーマン「黄金の約束」
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時代の流れを正確に見極める必要があります。
これは、単なる中世がえりではないのです。
科学と宗教が統合した高度な霊性文明の夜明けです。
全霊界の総力をあげての地球規模の仏国土建設運動がはじまっているのです。
同じ計画を司っている高級霊からの、アメリカ西海岸のチャネリングメッセージです。
宗教団体の一部には、
他の宗教者グループとスピリチュアルな哲学や概念について話し合い、
自分たちの見解とは相反するような考えを持った人たちでも、
非難したり揶揄したりしないという流れがあることを、私たちは喜んでいます。
以前は頑なに自分の考えを曲げようとはしなかった、
スピリチュアルなリーダーの心の中に、寛容の精神が忍び込んでいます。
ドグマや迷信の境界線が崩れ落ちて、
新しく、より広い視野が受け入れられるようになっています。
スピリチュアルな目覚めは、
もはや少数の人びとだけの関心事ではありません。
人類全体が動き出しており、内なる「神聖な不満」は非常な高みに達して、
もはや無視することは不可能です。
それはあらゆる場所において明白です。
新しいパラダイムを怖れ、抵抗している人びとですら、
天使・超常現象・死後の世界、幽体離脱などの情報に抗しがたい魅力を感じています。
哲学であれ、宗教であれ、信念体系であれ、
登場したばかりの時には、急進的で極端で、
世間をあっと言わせるようなものとして考えられますが、
やがて徐々に落ち着いてきて、
それが感じの良いものとして受け入れられ、当たり前のことになります。
ロナ・ハーマン「黄金の約束」



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2008.06.26
黙想の眼
いつからか科学と宗教は分離されてしまいました。
そのおかけで私達は、世界は乾いた平坦なものとしか見えなくなりました。
しかし、真実の世界は、慈愛に満ち、ホロン的な広がりを見せています。
それを認識するためには、霊性の開発が不可欠です。
そして、真実の世界が認知されていくためにも、
科学と宗教は統合されなければなりません。
霊性哲学の第一人者ケン・ウィルバーの主張です。
私たちが第一に見逃すことができないことは、
偉大な伝統の創始者はほぼ例外なく、
一連の深遠な霊的体験を経験していることである。
彼らの啓示、直接的神秘体験は紅海を割るとか、
豆の栽培法とかについての神話的宣言ではなく、
『神なるもの』(スピリット、空性、神性、絶対者)の直接的な理解であった。
その頂点における理解は、
個とスピリットの直接的合一ないし同一性に関わるものだった。
その合一とは知的な信念として頭でとらえるのではなく、
直接体験として生きられるべきものである。
それは、まごうことなき存在の「最高善」、
途方もない合一の中に没入している幸運この上ない魂に大いなる解放、
再生、改心、悟りをもたらす直接認識であり、
基盤、ゴール、源泉、世界全体の救いとしての合一である。
そうした霊性の先駆者が各々弟子たちに与えたのは、
一連の神話的ないし教条的な信念ではなく、
「私のことを思い起こし、これをしなさい」という一連の実践、指示、手本であった。
「これをせよ」―指示―というのは、特定のタイプの黙想的祈り、
ヨーガについての広範な指示、特定の瞑想実践、実際の内面的例示である。
この神聖なる合一を知りたければ、これを行なわねばならない、ということである。
こうした指示によって、
弟子の中に進化の先駆者の霊的体験や霊的データが再現された。
その後の内面的実験の過程(数十年、時には数世紀を越える)で、
それらの指示やデータは頻繁に改良・洗練され、
初期的ないし予備的な手法やデータはより鋭敏な観察の下で精緻化された。
小乗仏教から大乗仏教への成長発展、
さらには大乗から壮麗な金剛乗への成長発展、
ハシディームとカバラによるユダヤ神秘主義の見事な成熟、
初期ヴェーダから並はずれたシャンカラ、
超える者なきラマナ・マハリシまでの偉大なヒンドゥーの開花、
プラトンからプロティノスまでの六世紀にわたる純化などは、
そうした多数の実例の一部である。
ところが、特定の霊的伝統がこうした実験的探究のプロセスを放棄した瞬間、
直接的証拠や経験、変容させる力を欠いた、
単なる教条や神話的宣言に硬直化し始めた。
そして、輝かしい霊的な光輝を放つ大いなる解放の中に、
自我を超越させるのではなく、不死をもくろむ孤立した自我を、
手を変え品を変え慰めるだけになった。
結論は明白だと思われる。
黙想の眼を捨て去れば、
宗教には理知の眼―宗教が近代哲学によって八つ裂きにされている領域―と、
肉の眼―宗教が近代科学によってさんざん笑いものにされている領域―、
しか残されていないのだ。
宗教に唯一固有のものが何かあるとすれば、それは黙想に他ならない。
このように、宗教特有の永続的で偉大な強みは、
それが核心において霊的経験の科学だということなのだ。
「科学と宗教の統合」
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そのおかけで私達は、世界は乾いた平坦なものとしか見えなくなりました。
しかし、真実の世界は、慈愛に満ち、ホロン的な広がりを見せています。
それを認識するためには、霊性の開発が不可欠です。
そして、真実の世界が認知されていくためにも、
科学と宗教は統合されなければなりません。
霊性哲学の第一人者ケン・ウィルバーの主張です。
私たちが第一に見逃すことができないことは、
偉大な伝統の創始者はほぼ例外なく、
一連の深遠な霊的体験を経験していることである。
彼らの啓示、直接的神秘体験は紅海を割るとか、
豆の栽培法とかについての神話的宣言ではなく、
『神なるもの』(スピリット、空性、神性、絶対者)の直接的な理解であった。
その頂点における理解は、
個とスピリットの直接的合一ないし同一性に関わるものだった。
その合一とは知的な信念として頭でとらえるのではなく、
直接体験として生きられるべきものである。
それは、まごうことなき存在の「最高善」、
途方もない合一の中に没入している幸運この上ない魂に大いなる解放、
再生、改心、悟りをもたらす直接認識であり、
基盤、ゴール、源泉、世界全体の救いとしての合一である。
そうした霊性の先駆者が各々弟子たちに与えたのは、
一連の神話的ないし教条的な信念ではなく、
「私のことを思い起こし、これをしなさい」という一連の実践、指示、手本であった。
「これをせよ」―指示―というのは、特定のタイプの黙想的祈り、
ヨーガについての広範な指示、特定の瞑想実践、実際の内面的例示である。
この神聖なる合一を知りたければ、これを行なわねばならない、ということである。
こうした指示によって、
弟子の中に進化の先駆者の霊的体験や霊的データが再現された。
その後の内面的実験の過程(数十年、時には数世紀を越える)で、
それらの指示やデータは頻繁に改良・洗練され、
初期的ないし予備的な手法やデータはより鋭敏な観察の下で精緻化された。
小乗仏教から大乗仏教への成長発展、
さらには大乗から壮麗な金剛乗への成長発展、
ハシディームとカバラによるユダヤ神秘主義の見事な成熟、
初期ヴェーダから並はずれたシャンカラ、
超える者なきラマナ・マハリシまでの偉大なヒンドゥーの開花、
プラトンからプロティノスまでの六世紀にわたる純化などは、
そうした多数の実例の一部である。
ところが、特定の霊的伝統がこうした実験的探究のプロセスを放棄した瞬間、
直接的証拠や経験、変容させる力を欠いた、
単なる教条や神話的宣言に硬直化し始めた。
そして、輝かしい霊的な光輝を放つ大いなる解放の中に、
自我を超越させるのではなく、不死をもくろむ孤立した自我を、
手を変え品を変え慰めるだけになった。
結論は明白だと思われる。
黙想の眼を捨て去れば、
宗教には理知の眼―宗教が近代哲学によって八つ裂きにされている領域―と、
肉の眼―宗教が近代科学によってさんざん笑いものにされている領域―、
しか残されていないのだ。
宗教に唯一固有のものが何かあるとすれば、それは黙想に他ならない。
このように、宗教特有の永続的で偉大な強みは、
それが核心において霊的経験の科学だということなのだ。
「科学と宗教の統合」



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2008.06.26
マスコミとネット
戦後、日本のマスコミは、国民の世論操作を行い続けてきました。
マスコミは意図的に、ある情報を隠蔽したり誇張したりするものです。
近年は、その権威も低下し、人々はその情報を信用してはいません。
インターネットの普及により、真実が明かにされつつあるからです。
マスコミを通さずとも、
誰もが直接に情報を収集し、自分で情報を発信する事が出来るのです。
凄い時代になりました。
そのため、人々のテレビ離れが進みスポンサーがつかず、
ますます番組の質が低下するという悪循環に陥っています。
マスコミ界は、大きな転換期を迎えているのです。
左翼的傾向の強いマスコミですが、
今後は、宗教心を持つことと、
国民の発展繁栄、精神性の向上の為に尽すことが必要なのです。
マスコミ界もアセンションしなければいけません。
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マスコミは意図的に、ある情報を隠蔽したり誇張したりするものです。
近年は、その権威も低下し、人々はその情報を信用してはいません。
インターネットの普及により、真実が明かにされつつあるからです。
マスコミを通さずとも、
誰もが直接に情報を収集し、自分で情報を発信する事が出来るのです。
凄い時代になりました。
そのため、人々のテレビ離れが進みスポンサーがつかず、
ますます番組の質が低下するという悪循環に陥っています。
マスコミ界は、大きな転換期を迎えているのです。
左翼的傾向の強いマスコミですが、
今後は、宗教心を持つことと、
国民の発展繁栄、精神性の向上の為に尽すことが必要なのです。
マスコミ界もアセンションしなければいけません。



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2008.06.26
自分を愛する
自分を愛していない人は、他人も愛せません。
他人から、愛をもらえなくても、自分を愛することは出来ます。
「私は自分を愛しています」と宣言しましょう。
罪の意識や劣等感、自虐的な思いは、捨ててしまいましょう。
自分を苛めることは、神仏の存在をも否定する行為です。
ハートのセンターに愛を感じましょう。
すると、温かくなってきて、全ての否定的感情を溶かしてくれます。
愛に勝る力はありません。
宇宙は慈愛に満ちています。
大いなる愛によって満たされたハートチャクラが、
全てのものと、つながっていることを教えてくれます。
誰もが、神仏の子なのです。
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他人から、愛をもらえなくても、自分を愛することは出来ます。
「私は自分を愛しています」と宣言しましょう。
罪の意識や劣等感、自虐的な思いは、捨ててしまいましょう。
自分を苛めることは、神仏の存在をも否定する行為です。
ハートのセンターに愛を感じましょう。
すると、温かくなってきて、全ての否定的感情を溶かしてくれます。
愛に勝る力はありません。
宇宙は慈愛に満ちています。
大いなる愛によって満たされたハートチャクラが、
全てのものと、つながっていることを教えてくれます。
誰もが、神仏の子なのです。



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2008.06.25
唯物論の歩み
唯物論は、
精神や心などのあらゆる人間の営為を、物質である脳内現象に還元し、
霊魂や神仏などの非物質的存在を認めない、という思想です。
現代の日本においては、
僧侶にすらこの思想が信奉されていますが、
歴史的に見れば、唯物論が正統な地位を獲得したのは僅かな期間にすぎません。
時代は変わります。
21世紀は、神仏の復活の時代になるでしょう。
下記は、シュタイナーによる分析です。
7世紀 ゴンディシャプールの学院の成立(イスラム世界の誕生)
↓
9-12世紀 アラビア自然科学の発達――唯物論の萌芽
フワーリズミー アヴィセンナ アヴェロエス
↓
中世 ヨーロッパ世界がアラビアの哲学・自然科学を導入
(アラビア数字 三角法 火薬・羅針盤・印刷術)
↓
13世紀 ロジャー・ベーコンの経験主義的自然学
↓
17世紀 近代自然科学の誕生――唯物論的思考方法の基礎
ニュートン ケプラー
↓
19世紀 唯物論哲学 実証主義哲学――唯物論の完成、唯物史観
フォイエルバッハ マルクス コント
進化論――人間とサルは同一の祖先から進化したと説き、宗教界に打撃
ダーウィン
↓
20世紀 ボルシェヴィズム――科学的社会主義
レーニン トロツキー
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精神や心などのあらゆる人間の営為を、物質である脳内現象に還元し、
霊魂や神仏などの非物質的存在を認めない、という思想です。
現代の日本においては、
僧侶にすらこの思想が信奉されていますが、
歴史的に見れば、唯物論が正統な地位を獲得したのは僅かな期間にすぎません。
時代は変わります。
21世紀は、神仏の復活の時代になるでしょう。
下記は、シュタイナーによる分析です。
7世紀 ゴンディシャプールの学院の成立(イスラム世界の誕生)
↓
9-12世紀 アラビア自然科学の発達――唯物論の萌芽
フワーリズミー アヴィセンナ アヴェロエス
↓
中世 ヨーロッパ世界がアラビアの哲学・自然科学を導入
(アラビア数字 三角法 火薬・羅針盤・印刷術)
↓
13世紀 ロジャー・ベーコンの経験主義的自然学
↓
17世紀 近代自然科学の誕生――唯物論的思考方法の基礎
ニュートン ケプラー
↓
19世紀 唯物論哲学 実証主義哲学――唯物論の完成、唯物史観
フォイエルバッハ マルクス コント
進化論――人間とサルは同一の祖先から進化したと説き、宗教界に打撃
ダーウィン
↓
20世紀 ボルシェヴィズム――科学的社会主義
レーニン トロツキー



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2008.06.25
永遠の大道
英国の文学者フレデリック・マイヤーズは、
心霊研究にも大きな功績を残しました。
マイヤーズは生前、自分が死んで霊界に帰った場合には、
死後存続の証明のために、必ず地上に通信を送ると約束していました。
そして、その約束どおり、
死してなお、人類の覚醒のために通信を送り続けたのです。
マイヤーズが、霊媒のG.カミンズに送った霊言です。
ああ、想像と直感―そうしたものが人間にあればこそ、
われわれは地上生活につきものの、一時的な苦痛や、悲哀や、
紛々たる誤解や、闘争を排除し、厭倒し得るのである。
見よ、自分達の前途、自分達の真上には、偉大崇厳なる自由の世界が、
自分達の来着を、笑顔をもってさしまねいているではないか。
人間は断じて五七十年の短日月に限られた、
そんなケチ臭い、そんな貧しい、そんな窮屈な、又そんな悩ましいものではない。
人間を縛るものは、実にその厄介千萬な肉体である。
肉体があるばかりに、人間は親切にして高邁なる祖霊、
その他人間以上の有情の存在に背き、
かくもせせこましい割拠的生活に悩むのである。
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心霊研究にも大きな功績を残しました。
マイヤーズは生前、自分が死んで霊界に帰った場合には、
死後存続の証明のために、必ず地上に通信を送ると約束していました。
そして、その約束どおり、
死してなお、人類の覚醒のために通信を送り続けたのです。
マイヤーズが、霊媒のG.カミンズに送った霊言です。
ああ、想像と直感―そうしたものが人間にあればこそ、
われわれは地上生活につきものの、一時的な苦痛や、悲哀や、
紛々たる誤解や、闘争を排除し、厭倒し得るのである。
見よ、自分達の前途、自分達の真上には、偉大崇厳なる自由の世界が、
自分達の来着を、笑顔をもってさしまねいているではないか。
人間は断じて五七十年の短日月に限られた、
そんなケチ臭い、そんな貧しい、そんな窮屈な、又そんな悩ましいものではない。
人間を縛るものは、実にその厄介千萬な肉体である。
肉体があるばかりに、人間は親切にして高邁なる祖霊、
その他人間以上の有情の存在に背き、
かくもせせこましい割拠的生活に悩むのである。



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2008.06.24
禁じられた呪術
釈迦教団では、呪術を行うことが禁じられていました。
お釈迦さまは、その危険性を知っていましたし、
あくまでも正法による救済、
万人が行うべき、智恵の開発による解脱の道を説いたのです。
しかし現代で言われるように、
呪術や霊力そのものに効果がなく、インチキだと言っているのではありません。
当時にも実に多種多様の呪術が行われていたことがうかがえます。
比丘たちよ、凡夫が如来をほめたたえて語りうるのは、つぎのようなことです。
『ある尊敬すべき沙門・パラモンたちは、信者から施された食ぺ物で生活しながら、
たとえば、肢体の占い、前兆の占い、天変の占い、夢の占い、身体的特徴の占い、
ネズミの齧りあとの占い、火の献供、血の献供、肢体の呪術、宅地の呪術、
王族の呪術、墓地の呪術、鬼霊の呪術、土の呪術、蛇の呪術、毒の呪術、
サソリの呪術、ネズミの呪術、烏の呪術、寿命判断、矢の護呪、獣の輪、
「月触があるであろう」、「日触があるであろう」、「星触があるであろう」、
「諸星は軌道を進むであろう」、「諸星は軌道をそれるであろう」、
「流星が落ちるであろう」、宝石の相、杖の相、剣の相、詭弁術、
不運をもたらすこと、両手を挙げさせる呪い、顎の呪い、耳の呪い、
鏡への問い、霊おろし、火を吐くこと、シリ天の招請といった、
このような無益な呪術によって邪な暮らしをしている。
しかし沙門ゴータマは、そのような無益な呪術による邪な暮らしから離れている』と。
パーリ原始仏典長部第1経「梵網経」
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お釈迦さまは、その危険性を知っていましたし、
あくまでも正法による救済、
万人が行うべき、智恵の開発による解脱の道を説いたのです。
しかし現代で言われるように、
呪術や霊力そのものに効果がなく、インチキだと言っているのではありません。
当時にも実に多種多様の呪術が行われていたことがうかがえます。
比丘たちよ、凡夫が如来をほめたたえて語りうるのは、つぎのようなことです。
『ある尊敬すべき沙門・パラモンたちは、信者から施された食ぺ物で生活しながら、
たとえば、肢体の占い、前兆の占い、天変の占い、夢の占い、身体的特徴の占い、
ネズミの齧りあとの占い、火の献供、血の献供、肢体の呪術、宅地の呪術、
王族の呪術、墓地の呪術、鬼霊の呪術、土の呪術、蛇の呪術、毒の呪術、
サソリの呪術、ネズミの呪術、烏の呪術、寿命判断、矢の護呪、獣の輪、
「月触があるであろう」、「日触があるであろう」、「星触があるであろう」、
「諸星は軌道を進むであろう」、「諸星は軌道をそれるであろう」、
「流星が落ちるであろう」、宝石の相、杖の相、剣の相、詭弁術、
不運をもたらすこと、両手を挙げさせる呪い、顎の呪い、耳の呪い、
鏡への問い、霊おろし、火を吐くこと、シリ天の招請といった、
このような無益な呪術によって邪な暮らしをしている。
しかし沙門ゴータマは、そのような無益な呪術による邪な暮らしから離れている』と。
パーリ原始仏典長部第1経「梵網経」



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2008.06.24
事実の確認
「宗教心や信仰心が大切なのは分かるけど、どうしてもそれが持てない。」
という方は多いようです。
これには、いろんな理由があるようですが、
「現実世界を見る限り、神がいるようには思えない、
神がいるのなら、こんなに悲惨で残酷な世界にはしないはずだ。」
「目に見えない死後の世界などに期待を寄せるのは、弱い人間の現実逃避だ。」
とよく言われます。
日本の場合は、学校でも宗教について教えてくれませんし、
唯物論が常識とされているので、どうしても懐疑的になるのはしかたがありません。
しかし、人間には、どこかに求める気持ちや、信じたいという気持ちがあります。
もっと崇高なもののために生きてみたいという思いが、
どこからともなく、湧いてくるものです。
人間には自由意志が与えられているので、もちろん強制はできませんが、
神やあの世の証明の為に、宗教はあるのです。
太古の昔より、多くの覚者達が神やあの世の実在をうったえ続けてきました。
世界中のあらゆる地域で、あらゆる時代に、神やあの世は信仰されています。
いまだかつて、神やあの世は存在しないことの証明に成功した人はいません。
こう言うと、「無いものを無いという証明は不可能」と言われそうですが、
無いことを主張する人に証明責任が生じるのは当然のことです。
神やあの世は、100%存在します。
真実はあるかないか、のどちらかしかありえません。
これは曖昧な問題ではないのです。
宗教心や信仰心を持つのは、困難なことではありません。
事実の確認であり、事実を受け入れるだけなのです。
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という方は多いようです。
これには、いろんな理由があるようですが、
「現実世界を見る限り、神がいるようには思えない、
神がいるのなら、こんなに悲惨で残酷な世界にはしないはずだ。」
「目に見えない死後の世界などに期待を寄せるのは、弱い人間の現実逃避だ。」
とよく言われます。
日本の場合は、学校でも宗教について教えてくれませんし、
唯物論が常識とされているので、どうしても懐疑的になるのはしかたがありません。
しかし、人間には、どこかに求める気持ちや、信じたいという気持ちがあります。
もっと崇高なもののために生きてみたいという思いが、
どこからともなく、湧いてくるものです。
人間には自由意志が与えられているので、もちろん強制はできませんが、
神やあの世の証明の為に、宗教はあるのです。
太古の昔より、多くの覚者達が神やあの世の実在をうったえ続けてきました。
世界中のあらゆる地域で、あらゆる時代に、神やあの世は信仰されています。
いまだかつて、神やあの世は存在しないことの証明に成功した人はいません。
こう言うと、「無いものを無いという証明は不可能」と言われそうですが、
無いことを主張する人に証明責任が生じるのは当然のことです。
神やあの世は、100%存在します。
真実はあるかないか、のどちらかしかありえません。
これは曖昧な問題ではないのです。
宗教心や信仰心を持つのは、困難なことではありません。
事実の確認であり、事実を受け入れるだけなのです。



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2008.06.24
実在の危機
私達は、普通に生きていると、
この世のものごとは確固として存在していると信じて疑いません。
身のまわりのものを見ても、それらは間違いなく存在しているし、
触れるとたしかに手ごたえがあり、
物質には確かな基盤が存在しているはずだ、というわけです。
もちろん私達の肉体にしても同じです。
肉体は間違いなく「何か」からできていて、実在するのは間違いないと思っています。
ところが、現代の物理学者はこの「実在」の把握を喪失しているのです。
ものごとの成り立ちである量子といわれるものが、
存在するのか、しないのかを見失っているのです。
この事実は、近代科学の発展の中でも、最も衝撃的なことであり、
厳重に秘匿されている科学の秘密の一つだ、とさえ言う人もいます。
近年のベルの定理の大発見によって、
量子の実在は非局所的であることが証明されました。
つまり、ものごとの深い実在は、
遠隔的に作用する見えない量子関連、
超光速の直接的な結びつきによって維持されている、ということなのです。
これにより、唯物論の根拠は失われてしまいました。
現在でも謎だらけの、実在とは何なのか?という問題への解答として、
主に八つの仮説が挙げられています。
一、コペンハーゲン解釈Ⅰ・・・実在は存在せず、抽象的量子記述があるのみである。
二、コペンハーゲン解釈Ⅱ・・・観測行為が実在を創り出している。
三、からみあい理論・・・実在は、分割できない全体性である。
四、多世界解釈・・・実在は、たえず数を増す平行宇宙から成る。
五、量子理論・・・世界は、非人間的な推論に従う。
六、新実在論・・・世界は、捉え難い量子と場から出来ている。
七、量子的観念論・・・意識が実在を創り出している。
八、複式宇宙論・・・世界は、半実在的であり、潜在性・可能性を持つ。
我々が現実だと思っているものは、
不可思議で魔術的であり、まさしく仏教でいう空なのです。
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この世のものごとは確固として存在していると信じて疑いません。
身のまわりのものを見ても、それらは間違いなく存在しているし、
触れるとたしかに手ごたえがあり、
物質には確かな基盤が存在しているはずだ、というわけです。
もちろん私達の肉体にしても同じです。
肉体は間違いなく「何か」からできていて、実在するのは間違いないと思っています。
ところが、現代の物理学者はこの「実在」の把握を喪失しているのです。
ものごとの成り立ちである量子といわれるものが、
存在するのか、しないのかを見失っているのです。
この事実は、近代科学の発展の中でも、最も衝撃的なことであり、
厳重に秘匿されている科学の秘密の一つだ、とさえ言う人もいます。
近年のベルの定理の大発見によって、
量子の実在は非局所的であることが証明されました。
つまり、ものごとの深い実在は、
遠隔的に作用する見えない量子関連、
超光速の直接的な結びつきによって維持されている、ということなのです。
これにより、唯物論の根拠は失われてしまいました。
現在でも謎だらけの、実在とは何なのか?という問題への解答として、
主に八つの仮説が挙げられています。
一、コペンハーゲン解釈Ⅰ・・・実在は存在せず、抽象的量子記述があるのみである。
二、コペンハーゲン解釈Ⅱ・・・観測行為が実在を創り出している。
三、からみあい理論・・・実在は、分割できない全体性である。
四、多世界解釈・・・実在は、たえず数を増す平行宇宙から成る。
五、量子理論・・・世界は、非人間的な推論に従う。
六、新実在論・・・世界は、捉え難い量子と場から出来ている。
七、量子的観念論・・・意識が実在を創り出している。
八、複式宇宙論・・・世界は、半実在的であり、潜在性・可能性を持つ。
我々が現実だと思っているものは、
不可思議で魔術的であり、まさしく仏教でいう空なのです。



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2008.06.24
来るべき時代
一刻も早く、世界から、貧・病・争の苦しみが無くなりますように。
この予言の成就を信じて、希望をもって歩んでいこう。
霊的ヒーリングという現実をもはや否定することはできない。
エネルギー・パターンや分極磁場の役割を無視することはできないのである。
医学は緩慢ではあるが、確実に、こうした現実を受け入れつつある。
低級な波動に起因する病気といったレベルは、終わりを告げ、
それらが魂を縛りつけ進化を妨げることもなくなるだろう。
人類が新たな病気を経験することは事実であるが、さほど深刻なものではなく、
ほとんどは感情的状態にかぎられることになるだろう。
地球の波動が上昇するにつれ、地球との適合性を維持するため、
肉体もより健康になっていく。
波動の上昇にともない、低級な病気に対する免疫が生じる。
そのくらい単純であり、過去20~30年間にすでに起こってきた。
この成長と進化にともなって、考え方も変わってくるだろう。
自分たちの源が「宇宙」であることを認識している魂が、
この惑星に棲息するようになる。惑星の礼儀、道徳も劇的変化をとげるだろう。
退廃的にという意味ではなく、啓発的にという意味である。
人類が自らに課したさまざまな制約は表現や真理を妨げてきたが、
それらはもう姿を消すだろう。
霊性を認めることが、恥ずべきことであるかのように秘密にされるのではなく、
「祝福」され、喜びと「愛」で迎えられるようになるだろう。
あなた方はわくわくするような時代に生きているのだ。
あなた方は「ニューエージ」の幕開けを迎えており、
ニューエージとともに、すべての魂が自由になる。
しかし、まったく犠牲を払わずにというわけではない。
精神的苦悩や混乱を経験する人たちもいるだろう。
自信のない人たちにとっては、再調整というのはけっして楽ではないが、
そうあるべきなのである。彼らも成長し、学び、そして、吸収していくだろう。
フランク・アルパー「アトランティス」
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この予言の成就を信じて、希望をもって歩んでいこう。
霊的ヒーリングという現実をもはや否定することはできない。
エネルギー・パターンや分極磁場の役割を無視することはできないのである。
医学は緩慢ではあるが、確実に、こうした現実を受け入れつつある。
低級な波動に起因する病気といったレベルは、終わりを告げ、
それらが魂を縛りつけ進化を妨げることもなくなるだろう。
人類が新たな病気を経験することは事実であるが、さほど深刻なものではなく、
ほとんどは感情的状態にかぎられることになるだろう。
地球の波動が上昇するにつれ、地球との適合性を維持するため、
肉体もより健康になっていく。
波動の上昇にともない、低級な病気に対する免疫が生じる。
そのくらい単純であり、過去20~30年間にすでに起こってきた。
この成長と進化にともなって、考え方も変わってくるだろう。
自分たちの源が「宇宙」であることを認識している魂が、
この惑星に棲息するようになる。惑星の礼儀、道徳も劇的変化をとげるだろう。
退廃的にという意味ではなく、啓発的にという意味である。
人類が自らに課したさまざまな制約は表現や真理を妨げてきたが、
それらはもう姿を消すだろう。
霊性を認めることが、恥ずべきことであるかのように秘密にされるのではなく、
「祝福」され、喜びと「愛」で迎えられるようになるだろう。
あなた方はわくわくするような時代に生きているのだ。
あなた方は「ニューエージ」の幕開けを迎えており、
ニューエージとともに、すべての魂が自由になる。
しかし、まったく犠牲を払わずにというわけではない。
精神的苦悩や混乱を経験する人たちもいるだろう。
自信のない人たちにとっては、再調整というのはけっして楽ではないが、
そうあるべきなのである。彼らも成長し、学び、そして、吸収していくだろう。
フランク・アルパー「アトランティス」



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