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現在、伝統仏教の問題点を鋭く指摘しているのは、
行動する仏教を標榜し、自らも慶応大学で密教学を教えている正木晃氏です。

その著書のなかで、このような批判をされています。




日本仏教でも、第二次世界大戦後、長きにわたり、
一部の祖師があたかも左翼革命運動の指導者だったかのごとく論じる風潮があった。
なかには、唯物論の信奉者だったかのように、称賛する論考すらあった。
さすがに最近では、こういう事実誤認もはなはだしい論法は姿を消したが、
学問研究の成果ではこうこうだから、現状の日本仏教はまちがっている・・・
というたぐいの論法は、あいもかわらずまかり通っている。
その典型例が、霊魂観をめぐる状況である。縄文時代からこのかた、
日本人の圧倒的に多くは霊魂の実在を信じ、 
1500年ほど前に仏教が伝来してからも、この信念はゆるがなかった。
そこに横槍を入れたのが、近代的な学問仏教である。
それもただ単に横槍を入れたにとどまらない。
伝統的な霊魂観に致命傷をあたえてしまった。
なにしろ大学の仏教学の権威と称する偉い先生方が、 
一方的に仏教は霊魂などみとめないとおっしゃったり本に書いたりするものだから、
どの宗派でも、霊魂は実在するとはいえなくなってしまっている。
ところが、庶民信仰の次元では、縄文以来の伝統的な霊魂観がまだ生き残っている。
とくに、年輩の方々には、霊魂の実在を信じている方が少なくない。
いや、最近では、若年層でも、霊魂の実在をみとめる者がかなり多い。
そこで、霊魂など実在しないと考える僧侶と、ぶつかってしまう。
なかでも、葬式のときに、この問題が浮上してくる。
壇信徒は、死者の霊魂を浄土へちゃんと送ってくださいと念願する。
ところが、霊魂の実在をみとめない僧侶は、どう対処して良いか、わからない。
だいいち、霊魂の実在をみとめないのであれば、
葬式をいとなむ理由がないではないか。
霊魂という送る対象をみとめないのに、葬式をいとなんだのでは、
前にも述べたが、宅配便がなにも送らないで代金だけ請求するようなもので、
はっきりいって、それは詐欺である。
この種の話は、宗派を問わず、各地で耳にする。
壇信徒の考え方を僧侶が頭から無視して、猛反発を喰らい、
寺の経営が揺らいだところがあるかとおもえば、そのへんをうやむやにして、
両者がなんとなく妥協している例もある。
こういうぐあいなので、昨今の仏教界では、霊魂の問題を論じることに、
いたって消極的である。
臭いものに蓋をするような態度で、まことに困った事態といわざるをえない。
私自身は、こう考えている。
学問仏教に惑わされてはいけない。
たかだか明治以降の歴史しかもたない学問仏教よりも、
日本仏教の長きにわたる伝統を重視すべきである、と。


「仏教にできること」




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