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2008.06.17 偶然か必然か
現代の仏教者は、人類の起源については、
縁起によって生じたなどと誤魔化してはっきり言及しませんが、
恐らく、大半がダーウィンの進化論を支持するのではないでしょうか。

しかし、この姿勢は、縁起の法則に背くものなのです。

近年、ダーウィンの進化論は、
唯物論哲学の上に科学を位置づけただけであって、
その成功は、科学的証明によるものではなく、
思想闘争の勝利によるものであった、と言われはじめています。

すなわち、それは科学のふりをした唯物論哲学なのです。

ダーウィニズムを支持する仏教者は、
進化は導かれたものではなく、
私達は偶然の産物だと言っているのに等しいのです。




人間の体は自然の一部であるという認識は、
ダーウィンのはるか以前から存在していた。
それは、十三世紀のカトリック神学者であり、
哲学者であったトマス・アクィナスによって肯定され、
感情的反応でも人間と動物は共通だと彼は言っている。
そして十八世紀の創造論者であり、
植物分類の現代の方法を創案したカロルス・リンネは、
人間を類人猿やサルと同じ目に分類した。
もちろん、アクィナスによって代表される伝統的思想は、
人間は動物でもあるが霊的な存在でもあると主張する。
ダーウィンが、人間は動物以上のものではないと主張したとき、
彼はこの伝統から逸脱したことになる。
しかしそれでもダーウィンは、何ら新しいことを言っていたのではない。
古代ギリシャ以来の唯物論哲学者たちも同じことを言ってきたのである。
ダーウインの新しい寄与は、変化を伴う血統的下降によって、
以前には霊的なものとされていた部分を含めて人間の本性のすべてが説明される、
と主張するところにあった。
そうすることで彼は唯物論哲学に、科学的な支持らしきものを与えた。


ジョナサン・ウェルズ「進化のイコン」




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2008.06.17 神への信仰
僧侶が神を信じるのは当然のことです。

それに違和感があるのは、
近代の仏教学者の策略が成功しているからでしょう。

日本人は民衆レベルでは、
本来、重層信仰の文化があるので、神も仏も、同じようなものだと思っています。

実際、仏陀意識は、キリストが、「我が父」と呼んだ存在であって、それで正しいのです。

神という言葉は、使い古されていますし、様々な意味にとれます。
人格を持った高級霊を神と呼ぶ場合もあれば、
究極的な根本神を指して呼ぶ場合もあります。

しかし、知性を持った人間であるならば、
宇宙には何らかの意思が働いてるという人間原理や、
人間を超えたる神秘としての存在、
人類の魂の親としての存在を認めざるを得ないはずです。

宇宙は偶然に出来上がった、と考える方に無理があります。

しかし、
神は死んだと言われた時代の、
一部の病的な西洋学問の影響を受けた日本のアカデミズム界の人々は、
自分達の宗教である仏教から、何とかして神を排除しようとしました。

西洋の学者は、自分達のキリスト信仰を守るために、仏教を無神論としたのに対し、
日本の学者は、西洋の神を認める非合理な思想と対比して、仏教を合理化しました。

科学や唯物論の方を信仰してしまったとも言えるでしょう。

本来信仰とは、
まず、宇宙は神の思いによって創造されており、
全てが神の意思の現れであることを認めるところから始まります。

保守思想には、神への信仰、人間の善性への信頼があります。
それに対する革新思想は、神の権威を否定した人間中心主義であると言えます。

すなわち、現在の仏教は、
革新勢力によって解体された思想となっているのです。

僧侶は、神への信仰を取り戻すべきなのです。




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2008.06.17 地球に感謝
畑修行(?)をしていると、大地のもの凄い生産力に気づかされます。

特に、この時期の植物の勢いは圧倒的です。

蝶や蜂、鳥も沢山現れます。

土を掘り返すと、無数の名も知らぬ虫が蠢いています。

きっと、目に見えぬ細菌達は、何万倍と存在しているはずです。

健康な土地は何もしないでいると、どんどん豊饒となります。

自然の力は、あさはかな人間の作為を超えているようです。

偉大な地球意識は、無限のエネルギーを供給し、

人間を含めたあらゆる生きものを養いつづけています。

生命は、生も死も包摂して、地球磁場に生かされているのです。

地球に感謝を捧げましょう。




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