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2008.06.23 守護霊の存在
究極的な神仏を求めるだけでは、
神や仏はあまりにも遠すぎて身近に感じられず、
孤独感をつのらせることになるかもしれません。

私達はひとりじゃない神仏がいてくださる、と言われても、
神や仏は直接話せる存在ではないので、それが実感できません。

しかし、実際には目に見えない世界では、神仏以外にも多くの魂が、
この世の人々を愛の心でもって指導し、真実に導こうと努力しているのです。

それを受けとる側の地上の人間は、なかなかその事実に気づきません。

そのなかでも、もっとも身近なのが守護霊の存在です。
英語圏では、ガーディアンスピリットとか、ハイヤーセルフなどと言われます。

守護霊は、誰にでも必ずいて、この存在は自分の過去世でもあります。

私達の魂の本当の姿は、複数の霊体(六体)が集まって一グループを構成しています。

そのため、守護霊は自分と良く似ているので万能ではありません。
しかし、霊的存在なので、私達よりは認識力が上なのです。

そのような存在に常に見守られていると知ることは、なんと心強いことでしょう。

ですから、この宇宙の中においては、孤独などということはありえないのです。
私達は、どのような時でも、孤立無援の状態ではありません。

私達といっしょに、苦しみ、悲しみ、涙し、
共に喜びを分かち合ってくれる存在があるのです。

それゆえ、身近な存在である守護霊への感謝は大切ですし、
守護霊への祈りは、もっとも効果があるのです。




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2008.06.23 世界の起源
お釈迦さまは、世界創造の秘密、宇宙の起源を把握していました。

よく言われる、「仏教は創造神を認めない」という説は誤りであって、
お釈迦さまは、
世界の諸宗教が説く「神」に相当する梵天による世界創造を認めています。

さらに、宇宙や生命の発生を偶然に帰するような考え方も否定されました。

しかし、より本質的なる世界創造の秘密は、理解しがたいことであるために、
言及しないということをもって、それ以上のことを伝えようとされたのです。




釈尊
「ヴァガヴァさん、世界の起源について偶然に生じたのである、
と師匠が伝えるように唱える一群の修行者・バラモンがいます。

かれらに会ってこのようにいいました。

『みなさん、あなたがたが、世界の起源について、偶然に生じたのである、
と師匠が伝えるように唱えているというのはほんとうですか?』と。

わたしに質問されて、かれらは、『そのとおり。』と答えました。

わたしはかれらにこのようにいいました。


『どうして、あなたがたが、世界の起源について、偶然に生じたのである、
と師匠が伝えるように唱えると、定められているのでしょう?』と。

わたしに問われて、かれらは返答に窮しました。
答えられずに、かえってかれらがわたしに答えを求めました。
かれらが聞くのでわたしは説明しました。

『みなさん、アサンニヤサッタという名の神々がいます。
ところが、意識が生じてその神々は、神界から落ちます。
みなさん、そのなかのあるものが、その世界から落ちて、
この地上にやって来るということがあります。
この地上にやって来たものが、在家から出家生活に入ります。
在家から出家生活に入ったものは、熱心に、勤勉に専心して、
怠ることなく、正しく思考することによって、精神統一を達成し、
その精神統一の際に前世の住処を思い出すのですが、
そのさらに前のことまでは思い出せません。
そういう人が、このようにいうのです。
〈自分も世界も偶然に生じたものである。それはなぜか?
わたしは過去には存在しなかった。存在しなかったそのわたしが、
いま、存在するものとなった〉と。
ですから、みなさん、世界の起源について、このように、偶然に生じたのである、
と師匠が伝えるようにあなたがたも唱えるようになっているのです。』と。

かれらは、このようにいいました。

『ゴータマさん、このように関きますと、ゴータマさんがおっしゃるとうりです。』と。


バッガヴァさん、わたしは、世界の起源を知っています。
それを知っているばかりでなく、さらにそれ以上のことを知っています。
それでいて、その知識に言及することはありません。
言及することがないため、わたしひとりだけが平安の楽しみを知っていたわけです。
それを了解しているので、完き人は過ちに陥いることはありません。」


パーリ原始仏典長部第24経「パーティカ経」




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霊性思想は、昔ならば精神世界とひとくくりにされていましたが、
今では、そうとう広がりをみせ、複雑化しています。

宗教系、心理学系、チャネリング系、ヒーリング系、
哲学系、神秘主義系、オカルト系、陰謀論系、スピリチュアル系、
ニューエイジ系、ニューサイエンス系とさまざま。

もはや、完全に市民権を得たと言えるでしょう。

人々の霊的情報の正邪を見分ける眼も養われてきたようです。

なんでもかんでもオウムやカルトだと言われる時代は過ぎ去りました。

これからは、
教えにも高低があることを知り、
人々の魂を向上させ、愛や慈悲を説く、
正しい神を源として発信されたものを選別していく必要があります。

僧侶も勉強しないと、確実に時代に取り残されるでしょう。




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