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2008.06.28 明治の高僧達
明治仏教は動乱期にありました。

廃仏毀釈の荒波がおこり、キリスト教の進出、
近代国家建設のなかでのアイデンティティーの喪失、
などにより、仏教界は危機的な状況だったのです。

そんななかで、多くの高僧達が、宗派を超えた新しい運動を展開しました。


神智学と邂逅した、新仏教徒達。

『健全な仏教信仰、社会の根本改善、宗教の自由討究、
迷信の撲滅、宗教的制度・儀式の否定、政治上の保護干渉の排斥』
をかかげた、仏教清徒同志会。

仏教哲学による啓蒙活動を行い、霊魂不滅を唱えた井上円了。

西洋哲学を学び、それを昇華させた精神主義運動の清沢満之。

東西神秘思想の架け橋となった鈴木大拙。

日蓮主義を掲げ、法華精神による国家建設を唱えた田中智学。

極貧者の救済を唱えた無我愛運動の伊藤証信。

神通力を得ていた光明会の山崎弁栄。

神・仏・需の一致を唱え、生涯戒律を守った釈雲照。

その他にも数多くの僧侶が活躍しました。


「虚無」の哲学に落ち込んでしまって、
違う意味で危機的状況にある今こそ、
時代に即応した、スピリチュアル仏教運動が起こるべきなのです。




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2008.06.28 神なき時代
東洋哲学者の西晋一郎に師事し、
全一学という実践的な思想を提唱した森信三氏は、
戦前から戦後にかけて活躍した日本を代表する教育者です。

東西両文明の哲学や宗教を極めると、当然の彼のような保守思想に帰結します。

現在の神を語ることが憚られるような風潮は異常です。

ましてや宗教者であるはずの僧侶ですら、虚無思想に毒されているのです。

もともと東洋には、物しか存在しない、などという考え方はないのです。

神仏を信仰するのがあたりまえの時代に戻さなければなりません。

森信三氏の言葉です。




なぜわたくしは、神の問題を重視するかと申しますと、
この問題は、自分のいのちの本源に関する問題だからであります。
否、一個のわたくしだけでなく、万人の、地上一切の生命の本源だからです。
神について、いまひと言でいうなれば、
「神とはこの大宇宙をあらしめ、かつこれを永遠無窮に統一している絶大な力であり、
超生命的な大生命である」と考えているのであります。

「人は死んでからどうなるか」という問題ですが、
これに対するわたくしの答えは、
「われわれ人間は、死ねば生まれる以前の世界へ還ってゆく」ということです。
結局のところ、この世へ生まれでる以前の魂のふるさとへ還ってゆくことです。
それまでに自分のなすべき仕事を、できるだけ片づけておきたいと思うだけです。
この世に派遣せられた者として、その使命を、
十分に果たしておく必要があるということです。

この世におけるいろいろのよからぬこと、また思わしからざることも、畢竟するに、
神の全知の眼から見れば、それぞれそこに意味があるといえるわけです。
いやしくもわが身の上に起こる事柄は、そのすべてが、
この私にとって絶対必然であるとともに、またこの私にとっては、
最善なはずだというわけです。
それは必ずや神が私にとって、それを絶対に必然と思し召されるがゆえに、
かく与えたもうたのであると信ずることです。

わが国教育界の現時の頽廃は、結局民族の使命感の喪失に帰因するのでしょう。
これまでは富国強兵の延長線上でしかなかったのですが、
いまや人類的立場に立って東西文化の融合の架け橋として、
その縮図を提供するという使命感を打ち出すべきでしょう。
思えば内村鑑三は、すでに三十代にして『地人論』において、
民族の使命を宣言しているのですからね。





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これから新しくはじめてみたいことを40ぐらい書いて、
目立つところに張っておくと、
それを見るたびに生きる気力が湧いて来るとのことです。
あまりお金がかからないものなら、欲張ってもいいのです。

愚僧も少しだけリストアップしてみました・・・。


英語の勉強、スポーツ自転車、書道を習う、冒険、ヒーリング技法の修得、
HSに入会、速読術のマスター、ボランティア活動、電気自動車の購入、
詩作、音楽活動、新しい僧侶のスタイルを開発する、本を書く、料理を覚える、
自給自足生活、写真、資格試験にチャレンジ、手品、肉体の浄化、気功、
社交的になる、カウンセリングを学ぶ、文学を楽しむ、数学の勉強etc

夢はかなう・・・はず(・・?




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