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2008.07.10
仏教と成功哲学
仏教の今後の展開としては、
健康志向のポジティブ心理学や成功哲学とリンクしていくべきです。
これはすでに、キリスト教の宣教師が取り入れています。
仏教というと厭世的で線香臭いので、
成功哲学とは全く結びつかないように思われるかもしれません。
しかし実は、成功哲学の元をたどれば、仏教にたどり着くのです。
近代の欧米人によって、仏教哲学が注目されました。
「原因と結果の法則」、「人間の本性は霊(仏性)であるという思想」、
「心の健康、静寂への志向性」、「潜在意識を説明した唯識思想」、
「宇宙は生命であり、全ては心の現れとする唯心論」、
このような仏教思想が、
カントやヘーゲルなどのドイツ観念論哲学、
ベルグソンなどの生命主義、
エマソンを代表する米国のニューソート哲学、
マーフィーやカーネギーなどの成功哲学や人生成功論、
などに影響を与えたのです。
そもそも、お釈迦さまは、
プロの出家修行者以外の在家修行者には、
繁栄の法則や職業倫理を教えています。
また、
正当に獲得され、
人の為に惜しみなく使われる富は、
この世の豊かな恵みであり、
この世で賞賛を、天で喜びを見出すだろう。
それはまた適度に享受されるべきものである。「増支部」
とも説かれているのです。
仏教の理想は、「この世」と「あの世」の両方での幸福です。
なぜか日本仏教は、「無」にばかりこだわっているようです。
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
健康志向のポジティブ心理学や成功哲学とリンクしていくべきです。
これはすでに、キリスト教の宣教師が取り入れています。
仏教というと厭世的で線香臭いので、
成功哲学とは全く結びつかないように思われるかもしれません。
しかし実は、成功哲学の元をたどれば、仏教にたどり着くのです。
近代の欧米人によって、仏教哲学が注目されました。
「原因と結果の法則」、「人間の本性は霊(仏性)であるという思想」、
「心の健康、静寂への志向性」、「潜在意識を説明した唯識思想」、
「宇宙は生命であり、全ては心の現れとする唯心論」、
このような仏教思想が、
カントやヘーゲルなどのドイツ観念論哲学、
ベルグソンなどの生命主義、
エマソンを代表する米国のニューソート哲学、
マーフィーやカーネギーなどの成功哲学や人生成功論、
などに影響を与えたのです。
そもそも、お釈迦さまは、
プロの出家修行者以外の在家修行者には、
繁栄の法則や職業倫理を教えています。
また、
正当に獲得され、
人の為に惜しみなく使われる富は、
この世の豊かな恵みであり、
この世で賞賛を、天で喜びを見出すだろう。
それはまた適度に享受されるべきものである。「増支部」
とも説かれているのです。
仏教の理想は、「この世」と「あの世」の両方での幸福です。
なぜか日本仏教は、「無」にばかりこだわっているようです。



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2008.07.10
大阿闍梨の言葉
真言宗の池口恵観氏は、
高野山大僧正でありながら、医学博士号もお持ちです。
数多くの著書があり、
様々な大学で客員教授・非常勤講師として教鞭をとられています。
著名人とも広く交流をもたれ、過去には、
霊界研究者でもあった丹波哲朗さんと「あの世」についての対談をされています。
そんな氏は、近代の僧侶としては珍しく、
霊力、法力をもって衆生を救済するべく大変エネルギッシュに活躍されています。
その著書では、このように言われています。
衆生を救いたいという御仏の大慈・大悲の光は、
この宇宙のあらゆるとことにあふれています。
その光を受け取れるかどうかは、受け取る側の心の状態によって決るのです。
生命とは、この世に生きている形はそれぞれに違うけれど、
その本質は同じものであり、水のように渾然一体となって流れているものです。
その流れの上流にはご先祖の霊があります。
仏さまは、この世に生きた体はなくなっても、
体に宿っていた生命は宇宙にあると教えています。
見えない力を感じること、それは霊性を健康にすることです。
つまり、「おかげ」を知る心を見つけることです。
すべての生命は決してぽつんと宇宙に孤立しているのではなく、
縁というネットワークで結ばれています。
このネットワーク、そして宇宙と生命の流れを素直にキャッチするとき、
人には歓喜が生まれます。おそらく多くの宇宙飛行士たちが、
生命の奥底からわき上がる歓喜を覚えたのではないでしょうか。
この歓喜こそ、世界にあるすべてのものを仏の世界に導く灯火であると、
私は信じています。
「道を開く宇宙の法則」
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高野山大僧正でありながら、医学博士号もお持ちです。
数多くの著書があり、
様々な大学で客員教授・非常勤講師として教鞭をとられています。
著名人とも広く交流をもたれ、過去には、
霊界研究者でもあった丹波哲朗さんと「あの世」についての対談をされています。
そんな氏は、近代の僧侶としては珍しく、
霊力、法力をもって衆生を救済するべく大変エネルギッシュに活躍されています。
その著書では、このように言われています。
衆生を救いたいという御仏の大慈・大悲の光は、
この宇宙のあらゆるとことにあふれています。
その光を受け取れるかどうかは、受け取る側の心の状態によって決るのです。
生命とは、この世に生きている形はそれぞれに違うけれど、
その本質は同じものであり、水のように渾然一体となって流れているものです。
その流れの上流にはご先祖の霊があります。
仏さまは、この世に生きた体はなくなっても、
体に宿っていた生命は宇宙にあると教えています。
見えない力を感じること、それは霊性を健康にすることです。
つまり、「おかげ」を知る心を見つけることです。
すべての生命は決してぽつんと宇宙に孤立しているのではなく、
縁というネットワークで結ばれています。
このネットワーク、そして宇宙と生命の流れを素直にキャッチするとき、
人には歓喜が生まれます。おそらく多くの宇宙飛行士たちが、
生命の奥底からわき上がる歓喜を覚えたのではないでしょうか。
この歓喜こそ、世界にあるすべてのものを仏の世界に導く灯火であると、
私は信じています。
「道を開く宇宙の法則」



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2008.07.10
僧侶の役割
現代社会において、僧侶は無力です。
昔の僧侶は、シャーマンとして、知識人教養人として尊敬されていました。
今では、職業の細分化専門化が進み、
僧侶の担うべき仕事は、儀礼の執行ぐらいしかありません。
立場を失った僧侶が、自暴自棄になり事件をおこし、
新聞の紙面を賑わすことも珍しくはありません。
僧侶は、せめて人々の幸福の為に生きましょう。
地球が愛の星となるように祈願しましょう。
人々の魂を救いましょう。
神仏の存在ぐらいは、信じましょう。
暗い思想を説いて、日本の繁栄と発展の邪魔をしないようにしましょう。
僧侶は、この世を超えた価値基準で生きる存在であるべきです。
私利私欲ではなく、崇高なものにいのちを捧げる存在がいる、
というだけで、社会に潤いを与える役割を果たすのです。
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昔の僧侶は、シャーマンとして、知識人教養人として尊敬されていました。
今では、職業の細分化専門化が進み、
僧侶の担うべき仕事は、儀礼の執行ぐらいしかありません。
立場を失った僧侶が、自暴自棄になり事件をおこし、
新聞の紙面を賑わすことも珍しくはありません。
僧侶は、せめて人々の幸福の為に生きましょう。
地球が愛の星となるように祈願しましょう。
人々の魂を救いましょう。
神仏の存在ぐらいは、信じましょう。
暗い思想を説いて、日本の繁栄と発展の邪魔をしないようにしましょう。
僧侶は、この世を超えた価値基準で生きる存在であるべきです。
私利私欲ではなく、崇高なものにいのちを捧げる存在がいる、
というだけで、社会に潤いを与える役割を果たすのです。



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2008.07.10
僧侶とスピリチュアルケア
臨床医療におけるスピリチュアルケアの重要性が認識されはじめ、
僧侶が宗教者としての役割を果たすよう求められています。
しかし、唯物論者の僧侶にスピリチュアルケアなど出来るのでしょうか?
長岡西病院でビハーラ(仏教系ホスピス)僧としての経験もある、
四天王寺大学人文社会学部の谷山洋三准教授は、
このように、日本の仏教界に対して痛烈な批判をされています。
「仏教界でスピリチュアルケアに取り組んでいる人は決して多くありません。
実は仏教者がそれに関心を持つことにハードルがあるのです。
日本の仏教はたいてい『霊』を否定しています。
これは『無我』を『無霊魂』と解釈することから来ています。
私はインド仏教を学んだので、その解釈は歪んでいると思っていますが、
とにかく日本の仏教は『霊』という言葉を使わない。
すると、『スピリチュアルケア』の語に接したときには、
どうしても『霊』の語が出てきますから、
『こんなものは仏教に関係ない』という印象を持ってしまいがちになるのです。」
「よく『葬式仏教』と揶揄されますが、問題は、
儀礼だけを行なって、中身が乏しい点にあるのです。」
いよいよ、僧侶は目覚めなければいけません。
時代から完全に取り残される前に。
大下先生に見習うべきです。
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僧侶が宗教者としての役割を果たすよう求められています。
しかし、唯物論者の僧侶にスピリチュアルケアなど出来るのでしょうか?
長岡西病院でビハーラ(仏教系ホスピス)僧としての経験もある、
四天王寺大学人文社会学部の谷山洋三准教授は、
このように、日本の仏教界に対して痛烈な批判をされています。
「仏教界でスピリチュアルケアに取り組んでいる人は決して多くありません。
実は仏教者がそれに関心を持つことにハードルがあるのです。
日本の仏教はたいてい『霊』を否定しています。
これは『無我』を『無霊魂』と解釈することから来ています。
私はインド仏教を学んだので、その解釈は歪んでいると思っていますが、
とにかく日本の仏教は『霊』という言葉を使わない。
すると、『スピリチュアルケア』の語に接したときには、
どうしても『霊』の語が出てきますから、
『こんなものは仏教に関係ない』という印象を持ってしまいがちになるのです。」
「よく『葬式仏教』と揶揄されますが、問題は、
儀礼だけを行なって、中身が乏しい点にあるのです。」
いよいよ、僧侶は目覚めなければいけません。
時代から完全に取り残される前に。
大下先生に見習うべきです。



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