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近代スピリチュアリズムの歴史―心霊研究から超心理学へ近代スピリチュアリズムの歴史―心霊研究から超心理学へ
(2008/04)
三浦 清宏

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心霊研究に長年従事されてこられた著者渾身の書です。

著者である三浦清宏氏は、
芥川賞や日本文芸大賞を受賞している大作家であり、
明治大学の工学部教授もされています。

そんな社会的地位のある氏が、
心霊主義を真っ向から擁護したスピリチュアリズムの歴史を概観した本書を、
世に問うた勇気に敬服いたします。

時代は変わりつつあります。

この本の素晴らしさは、あとがきに垣間見れます。


ここまで書いてきて改めて心霊研究の歴史が、
霊的現象をめぐって信ずる者と信じない者との戦いの記録であったことを痛感する。
その間いろいろな問題点が提出され研究の対象はほぼ出揃ったかに見えるが、
百数十年もかかってどれもまだ合意に達していないということは、
ほかの分野には見られない驚くべきことである。
心霊(サイ)研究は人類に最後に残された研究分野で、
単に物理学や化学や心理学の問題にとどまらず、電磁気学や生理学、大脳生理学、
脳神経科学、動物行動学、人類学など広い分野に及ぶ学際的研究である、
と言われるが、問題の難しさをそう表現するのは結構だとしても、
いつまでやってもイタチごっこというのはいったいどういうわけだろう。
何か根本的に考えなければならない問題があるのではないだろうか。
一口に言えば人間能力そのものの問題だろうと思うが、
たとえばジョン・ベロフが「実験者効果」または「場効果」という言葉を使って、
実験の対象が実験する人間の影響を受けることを指摘しているのは、
この問題を意識したものだ。実際、ベロフの言葉の由来する量子力学の分野では、
研究結果が実験者の影響を受けるというのはすでに常識となっているらしいことは、
筆者のような門外漢の耳にも入っている。
超心理学の分野で言えば、ガートルード・シュマイドラーが「羊と山羊」という言葉で、
心霊現象を信ずる者と信じない者との間に、
結果の差が生じることを指摘しているのと同じである。
先日、筆者は興味深いことを聞いた。
或る会合で現代天文学の最先端にいると言われる学者が言ったことだが、
われわれ人間が現在知りうる物質世界は、
原子、人間、星、銀河のすべてを含めても宇宙全体のわずか四パーセントで、
残り九六パーセントは不明なのだそうである。
不明な部分は宇宙全体の七三パーセントのエネルギー、二三パーセントの物質で、
これを「暗黒エネルギー」及び「暗黒物質」というらしい。
或る時から宇宙の膨張が加速されるようになったのを、
宇宙の微妙な温度差によって計ったところ、そのエネルギーと物質の量は、
われわれの知りうる世界の総量を遥かに上回ったというのである。
計算違いではないかと疑いたくなるような話で、
それに比べれば心霊現象などは他愛もないことに思えるほどだ。
われわれの知らない部分がまだ数パーセント残っているというのなら話は分かるが、
(それにしても今いる宇宙からすれば膨大な量だが)、物質的には約五倍、
エネルギーに関しては十八倍の量のものがわれわれの認識を拒否しているのである。
これではわれわれは何も知らないと言ってもおかしくない。
「暗黒」と言っても真っ暗だというのではなく、
「見えない」また「知らない(知り得ない)」ということらしい。また、それがどこか、
われわれの知り得ないところに行ってしまっているということではなく、
わたしたちの周りにありながら「見えない」らしい。
これが本当だとすると(心霊現象と違って疑う人間はいないらしいが)、
この「暗黒世界」の中で何が起こっていようが、われわれは異議申し立てをしようがない。
どんな仮説も(たとえ「霊界」のようなものでも)荒唐無稽だと言って、
笑って済ませるわけにはゆかなくなる。これを裏から言えば、
人間の知性などというものはいかにちっぽけなものに過ぎないかということにもなる。
と言って筆者は人間知性を低く評価するものではない。
まだ分からないことがたくさんあるのだ、
ということが分かっただけでも立派なものだと思う。
それにしてもわれわれ人間は今までなんとそのちっぽけな知識を振り回してきたことか。
そこで私はこう言いたい。
心霊現象というものが現在の科学的基準に合わないからといって、
あり得ないと考えることはやめようではないか。
科学者と言われる人間が調査して真実であると認めたことは、
それだけの根拠があると考えよう。もしあなた自身が科学者で、
再調査しても同じ結果にはならない(再現性がない)ということなら、
まず現象そのものを疑う代わりに自分の調査の方法を疑ってみたらどうだろう。
「実験者効果」ということを考えることも必要かもしれない。
こんなことは私のような素人が言うまでもないことだが、
心霊現象というのはもともと再現することの非常に難しいものなのだ。





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2008.07.15 悪しき処
現代の僧侶が全く語らなくなった「地獄」ですが、
お釈迦さまは、死後に趣く先としての「地獄」の存在をはっきり説かれています。

最初期の仏典にはこう説かれています。


仏は比丘に告げられた。

「この四天下は、八千の天下がその外側を取り囲んでおり、
さらに大海がその八千の天下をぐるりと取り囲んでいて、
さらに広大な金剛山がその大海を取り囲んでいる。
金剛山の外側には、さらに第二の広大な金剛山があり、
二つの山の間は、深くて暗く、太陽・月や天の神々など、
偉大な力をもつものでさえ、光によって、そこを照らすことはできない。
かしこには八つの大きな地獄があり、
その一つの地獄ごとに、十六の小さな地獄がある。 
一番目の大地獄は『想地獄』という名であり、
二番目は『黒縄地獄』という名であり、三番目は『堆圧地獄』という名であり、
四番目は『叫喚地獄』という名であり、五番目は『大叫喚地獄』という名であり、
六番目は『焼炙地獄』という名であり、七番目は『大焼炙地獄』という名であり、
八番目は『無間地獄』という名である。」


その時、世尊は、すぐさま偈頌を説かれた。

「身(おこない)として善からぬことをなし、
口(ことば)や意(こころ)も不善であれば、想地獄に落ちるであろう。
恐ろしくて身の毛もよだつ。
悪しき思いをもって、父母や仏や声聞に対するならば、黒縄地獄に落ちるであろう。
その苦しみは計り知れぬ。
(身・口・意の)三種の悪しき業をなすのみで、
三種の善き行いをしなければ、堆圧地獄に落ちるであろう。
その苦しみは計り知れぬ。
怒って人を傷つけようと思い、生き物を殺して血で手を汚し、
もろもろの悪しき行いばかりするならば、叫喚地獄に落ちるであろう。
常に多くの誤った考えになじみ、欲望という網におおわれて、
卑しい行いばかりしていれば、大叫喚地獄に落ちるであろう。
常に物を焼くことをし、もろもろの生き物を焼いていれば、
焼炙地獄に落ちて、長い闇夜の中で、焼かれるであろう。
善き果報をもたらす行い、つまり善き果報をもたらす清らかな道を捨て、
多くの悪しき行いばかりしていると、大焼炙地獄に落ちるであろう。
この上なく重大な罪悪をなし、必ず悪道に落ちるべき業ばかりしていると、
無間地獄に落ち、計り知れぬほど責苦を受けるであろう。
想地獄と黒縄地獄、堆圧地獄に二つの叫喚地獄、
焼炙地獄に大焼炙地獄、そして無間地獄が八番目である。
この八つの大地獄の、遮るものなき火の色は、
前世の悪行ゆえの禍によるものであり、
小地獄もそれぞれ十六そなわっている。」


長阿含経「世記経」




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知的探求の先に神の存在を認めることは、
科学の敗北ではなく、科学の新たなる発見です。

近代物理学のパイオニアたちは、
皆、霊的思想に親和性を持った神秘家でもありました。

実は、奇跡は身の回りでたくさん起きています。

生きているということだけで、本当は奇跡です。

当たり前のことなど、何一つありません。

何故、口から摂取した他の生命が、自己の体内組織に同化するのでしょうか?

何故、原子を同じように配列しても、意識をもった生命が創れないのでしょうか?

何故、地球は太陽の周りを回っているのでしょうか?

生かされている奇跡を喜びましょう。




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2008.07.15 永遠の仏陀
現在、スピリチュアル批判をしている僧侶は多い。

大いに疑問である。

仏陀は、預言者であり人類最高の霊能力者であった。

仏陀は、霊的秘儀を司り、霊界を熟知していた。

イエスが、「我が父」と呼んだ、愛の神。

中東では、「エルの神」と呼ばれた存在。

霊界においても地上においても巨大な光を発し、常に人類を導いてきた存在。

地球系最高大霊が仏陀なのである。

僧侶は、
スピリチュアリズムやニューエイジを計画立案、指導しているのは、
誰であるのかを知らなければならない。

現在、日本において、
本来は地上に生まれるはずのない仏陀の本体が下生しているというのに、
気づかずこの世を終えることになれば、仏教徒として永遠の悔いを残すことになるだろう。




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現在の日本では、スピリチュアルブーム真っ盛り。

スピリチュアリズム勃興のはじまりである1848年のハイズビル事件は、
霊的真実を普及させるために、霊界側が緻密な計画のもとに起こしたものでありました。

フォックス姉妹のまわりでおきるポルターガイスト現象は、
科学者を巻き込んだ大騒動となり、
後に、霊がこのようなメッセージを送ってきました。

友人諸君よ。この真実を世界に公表したまえ。
今や新しい時代の曙が来たのだ。
もうそれを隠そうとしてはいけない。
諸君がそのつとめを果たせば、
神が護り、善霊たちが見守ってくれるだろう。


1848年は、唯物論全盛時代のはじまりをつげるべく、
マルクスが「共産党宣言」を出した年であり、
霊界側はこれを予見して、物理現象を起こして霊界の実在を知らせようとしたのです。

唯物論と心霊主義、
この戦いは、いつまで続くのでしょうか?




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