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2008.07.19
スピリチュアルと仏教学者
マニアックな話ですいません。
近年、日本仏教の可能性を模索し、
仏教の現代社会における意義について積極的に提言されている、
東京大学大学院教授の仏教学者、末木文美士氏が、
作家の柳美里さんとの対談でこんな発言をされています。
(柳)でも霊能者というのは、いますごく流行ってますよね。
(末木)いわゆるスピリチュアルみたいな、一種の宗教化しない宗教みたいな感じですね。
(柳)そういった霊能者や神秘体験みたいなものってどうなんでしょうか。
(末木)僕自身そういう能力はないから感覚的にはわからないけど、
でも、そういうものがあることは積極的に認めたいし、そういう話は好きです。
柳さんはそういうのをわかるところがあるんじゃないですか。
こういう感覚を持った仏教学者もおられるのですね。
氏の今後の活躍に期待したいところです。
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
近年、日本仏教の可能性を模索し、
仏教の現代社会における意義について積極的に提言されている、
東京大学大学院教授の仏教学者、末木文美士氏が、
作家の柳美里さんとの対談でこんな発言をされています。
(柳)でも霊能者というのは、いますごく流行ってますよね。
(末木)いわゆるスピリチュアルみたいな、一種の宗教化しない宗教みたいな感じですね。
(柳)そういった霊能者や神秘体験みたいなものってどうなんでしょうか。
(末木)僕自身そういう能力はないから感覚的にはわからないけど、
でも、そういうものがあることは積極的に認めたいし、そういう話は好きです。
柳さんはそういうのをわかるところがあるんじゃないですか。
こういう感覚を持った仏教学者もおられるのですね。
氏の今後の活躍に期待したいところです。



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2008.07.19
何はなくとも八正道
お釈迦さまは、一宗一派の教えを説いたのではなく、真実を説かれました。
ですから、どのような宗教を信じていても、どのような戒の修行をしていても、
八正道がありさえすれば悟る人が現れるだろう、
と言われています。
これは、仏教の大きな特色です。
スバッダよ。
いかなる教えと戒律においてでも、
『尊い八支よりなる道』(八正道)が存在すると認められないところには、
第一の『道の人』は認められないし、そこには第二の『道の人』も認められないし、
そこには第三の『道の人』も認められないし、そこには第四の『道の人』も認められない。
しかし、いかなる教えと戒律においてでも、
『尊い八支よりなる道』が認められるところには、
第一の『道の人』が認められ、そこには第二の『道の人』も認められ、
そこには第三の『道の人』も認められ、そこには第四の『道の人』も認められる。
このわが教えと戒律とにおいては『尊い八支よりなる道』認められる、
ここに第一の『道の人』がいるし、ここに第二の『道の人』がいるし、
ここに第三の『道の人』がいるし、ここに第四の『道の人』がいる。
他のもろもろの論議の道は空虚である。―『道の人』を欠いている。
スバッダよ。修行僧はここに正しく住しなさい。
そうすれば、世の中は真人たちを欠くことの無いものとなるであろう。
パーリ原始仏典長部第16経「大般涅槃経」
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ですから、どのような宗教を信じていても、どのような戒の修行をしていても、
八正道がありさえすれば悟る人が現れるだろう、
と言われています。
これは、仏教の大きな特色です。
スバッダよ。
いかなる教えと戒律においてでも、
『尊い八支よりなる道』(八正道)が存在すると認められないところには、
第一の『道の人』は認められないし、そこには第二の『道の人』も認められないし、
そこには第三の『道の人』も認められないし、そこには第四の『道の人』も認められない。
しかし、いかなる教えと戒律においてでも、
『尊い八支よりなる道』が認められるところには、
第一の『道の人』が認められ、そこには第二の『道の人』も認められ、
そこには第三の『道の人』も認められ、そこには第四の『道の人』も認められる。
このわが教えと戒律とにおいては『尊い八支よりなる道』認められる、
ここに第一の『道の人』がいるし、ここに第二の『道の人』がいるし、
ここに第三の『道の人』がいるし、ここに第四の『道の人』がいる。
他のもろもろの論議の道は空虚である。―『道の人』を欠いている。
スバッダよ。修行僧はここに正しく住しなさい。
そうすれば、世の中は真人たちを欠くことの無いものとなるであろう。
パーリ原始仏典長部第16経「大般涅槃経」



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2008.07.19
魅惑の瞑想
瞑想の価値は忘れられがちでありますが、
現在では、日常生活に瞑想を取り入れる人は増えています。
科学的にもその驚くべき効果が報告されています。
何といっても、お金はかかりませんし、一人で出来ます。
スピリチュアルライフに瞑想はかかせません。
堅苦しい作法や、呼吸法にあまりこだわらなくてもよいのです。
日常生活では慌ただしく外面に向かう心を内面に向け、
静かに自己を見つめる時間を少しでも取ることが大切なのです。
私達は、外側ばかり探していますが、自己の内奥にこそ宝庫が眠っているのです。
自己の内奥には、ハイヤーセルフと呼ばれる存在があって、
さらにその奥は内的宇宙へと繋がっていきます。
瞑想によって、そこにアクセスしていこう、ということなのです。
瞑想の目的は、無になることではありません。
瞑想は宗教的行為であり、霊的実在界と交流するためのものです。
そのため、どの宗教にも瞑想行はあります。
瞑想に慣れてくると、霊天上界から光を受けエネルギーを充電することが出来ますし、
さらに瞑想が深まれば、インスピレーションやアドバイスを得ることも可能になります。
通俗的には、健康増進にも役立ち、
集中力や能力が向上し、心の平安が得られるという、素晴らしいトレーニングなのです。
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現在では、日常生活に瞑想を取り入れる人は増えています。
科学的にもその驚くべき効果が報告されています。
何といっても、お金はかかりませんし、一人で出来ます。
スピリチュアルライフに瞑想はかかせません。
堅苦しい作法や、呼吸法にあまりこだわらなくてもよいのです。
日常生活では慌ただしく外面に向かう心を内面に向け、
静かに自己を見つめる時間を少しでも取ることが大切なのです。
私達は、外側ばかり探していますが、自己の内奥にこそ宝庫が眠っているのです。
自己の内奥には、ハイヤーセルフと呼ばれる存在があって、
さらにその奥は内的宇宙へと繋がっていきます。
瞑想によって、そこにアクセスしていこう、ということなのです。
瞑想の目的は、無になることではありません。
瞑想は宗教的行為であり、霊的実在界と交流するためのものです。
そのため、どの宗教にも瞑想行はあります。
瞑想に慣れてくると、霊天上界から光を受けエネルギーを充電することが出来ますし、
さらに瞑想が深まれば、インスピレーションやアドバイスを得ることも可能になります。
通俗的には、健康増進にも役立ち、
集中力や能力が向上し、心の平安が得られるという、素晴らしいトレーニングなのです。



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