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2008.07.25 魂を語ろう
本当に激動の時代です。

今日の常識が、明日も通用するとは限りません。

時代は変わりつつあります。

医学界ですら、スピリチュアルについて目を向けはじめているのに、

本職のはずのお坊さんにとっては、まだ対岸の火事みたいです。

魂が餓えている人があちこちにいるのです。

学校で教えられないのならば、
せめてお坊さんぐらいは、魂について語るべきです。

何を恐れているのでしょうか?

仏教が唯物論なのだったら、
そのような主張をしている人はいくらでもいるので、別にお坊さんなんていりません。

仏教に魂を取り戻すために、愚僧のブログ修行は続きます。

日々、精進します。




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2008.07.25 魔パーピマン
魔というのは、架空の存在ではありません。

魔が修行者に憑依して転落させようとするのは、現代にもよくあることです。

仏典にも、
神通第一の目連尊者が霊眼によって、
魔の存在を見抜くところが説かれています。

仏教が霊的存在を認めない、というのはとんでもない話なのです。




そのとき尊者マハーモッガッラーナは空き地で経行をしていた。
ちょうどそのとき、
魔パーピマンは尊者マハーモッガッラーナの腹のなかに入り込み、下腹部に至った。
尊者マハーモッガッラーナは、
「わたしの腹は臨月に至ったように重苦しいが、なぜだろう」と考えた。
そこで尊者マハーモッガッラーナは経行をやめて、
部屋へ入り、設けられている座にすわった。
すわって尊者マハーモッガッラーナは一人で注意深く思いを凝らした。
尊者マハーモッガッラーナは魔パーピマンが下腹部に至っているのを見た。
見て魔パーピマンにいった。
「パーピマンよ、出てきなさい。パーピマンよ、出てきなさい。
如来や如来の弟子を困らせてはいけない。
長いあいだあなたに不利益と苦しみとをもたらすことを行なってはならない」と。

魔パーピマンは考えた。
「この沙門はわたしを知らずに、見ずに、
『パーピマンよ、出てきなさい。パーピマンよ、出てきなさい。
如来や如来の弟子を困らせてはいけない。
長いあいだあなたに不利益と苦しみとをもたらすことを行なってはならない』といった。
この者の師ですら、わたしをこんなに早く知ることはできないであろう。
どうしてこの沙門がわたしを知ることができようか」と。

そこで尊者マハーモッガッラーナは魔パーピマンにいった。
「パーピマンよ、わたしはこのようにあなたを知っている。
あなたは『かれはわたしを知らない』と考えてはならない。
パーピマンよ、あなたは魔である。
パーピマンよ、あなたは考えたのだ。
『この沙門はわたしを知らずに、見ずに、
パーピマンよ、出てきなさい、パーピマンよ、出てきなさい、
如来や如来の弟子を困らせてはいけない、
長いあいだあなたに不利益と苦しみとをもたらすことを行なってはならない、といった。
この者の師ですら、わたしをこんなに早く知ることはできないであろう。
どうしてこの沙門がわたしを知ることができようか』と」

そこで魔パーピマンは考えた。
「この沙門はわたしを知り、見ているから、
『パーピマンよ、出てきなさい、パーピマンよ、出てきなさい、
如来や如来の弟子を困らせてはいけない、
長いあいだあなたに不利益と苦しみとをもたらすことを行なってはならない』といったのだ」

そこで魔パーピマンは尊者マハーモッガッラーナの口から出て、僧坊の戸口に立った。
尊者マハーモッガッラーナは魔パーピマンが戸口に立ったのを見た。


パーリ原始仏典中部第50経「降魔経」




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2008.07.25 大黒神の奇跡
先述した、義浄の「南海奇帰内法伝」には、
7世紀インドの僧伽の生活が描写されていますが、
義浄が目撃したいろいろな奇跡現象も報告されているのです。

これは、現代と違って、
仏教徒は、霊的世界との交わりを日常的に持っていた証拠です。


ところで、私、義浄はかつて、
自ら親しく大聖釈迦世尊が、大涅槃を説かれた処である般弾那寺で、
奇瑞のあったという大黒神の神容を見たことがある。
奇瑞というのは次のような話である。
ここのつねの僧衆の食事の数は一百有余なのだが、
仏跡の巡礼が集中する春と秋の一年二時の礼拝の際、期せずして大量の巡礼があり、
僧徒の五百人にもならなんとするものが、
正午になろうとしているとき、たちまちに来たのであった。
もうそのときは、正に正午になろうとしており、
よろしくさらにに煮る(非時食戒を守るため)ことができなかったのである。
知事僧の人が、まかない方に告げて言った、
「これは何とも突然のことだ。さて、どうしたものだろうか?」
時に一人、浄人の老母があって、知事僧に告げて言った、
「なになに、いつものこと、わざわざ、憂えられることはありません」と。
ついにこの老母は、さかんに香火を燃やし、さかんにお供えを並べて、
大黒神に告げて言ったのである、
「大聖釈迦世尊は般涅槃なされましたが、教えを受け継ぐその徒は尚、今も在ります。
あちこちから僧徒がきては、大聖釈迦世尊の御跡仏跡に礼拝を為しております。
どうぞ、彼ら法門の徒への飲食の供給と承受は欠乏させないでください。
これはあなたさまの力でなすべきところであります。
そうぞ時を知って、どうか急いで、正午までの食事時間に間に合わせてください」と。
つぎに僧伽の人々を集め、命じて大衆を座らせ、寺のいつもの食事を、
何時もの通りに上座から次第にくばると、大衆各自、みな足りたのであり、
その上、その餐食のあまったのもまた、いつものようであったのである。
これを見て皆、「すばらしい!」と唱えて天神の力を讃えたのである。
以上の話は、私、義浄が実際に自ら親しくこの寺に礼拝し、
まみえることを行ない、ことさらに、神容を見たときのものである。
この大黒神、願い求める者には効験があり、
人知の及ばない不思議なはたらきは、虚しくはないのである。          
                                   



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