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2008.07.30 哲人の言葉
日本では、何故か評価が低い、
アメリカを代表する思想家ラルフ・ワルド・エマソンの美しい文章を紹介します。

彼が、超絶主義者と呼ばれるゆえんが理解できます。




毎日われわれの周囲で起こっていることをちょっと考えてみれば、
われわれの意志の法則よりも高度な法則が世のなかの出来事を統制していて、
われわれの苦労などは不必要で不毛であり、気楽に、素朴に、
心のままに行動するときに、初めてわれわれは強者となり、
服従することに満足すれば聖者になることが分るだろう。
信仰と愛が、信じつつ愛することが、われわれから、
気苦労の巨大な重荷を取り除いてくれる。
まことに、わたしの兄弟たちよ、神は実在しているのだ。
われわれが誰ひとり宇宙に害を加えることができないように、
自然の中心に、そしてあらゆる個人の意思を越えて、ひとつの魂が存在している。
その魂がおのれにそなわる強力な魅力を自然のなかにそそぎこんでいるために、
われわれはその魂の助言を受けいれると栄え、
その魂の被造物たちをもしも傷つけようとして努力すれば、
われわれの手は両脇に貼りついてはなれず、
あるいはわれとわが胸を乱打する仕儀となる。
物事の推移がすべてわれわれに信仰を教えてくれる。
われわれはただ従うだけでいい。われわれひとりひとりに導きが与えられており、
謙虚に耳を傾むければ正しい言葉が聞こえるはずだ。
だのにどうして地位や職業や仲間、行動の仕方や楽しみ方を、
それほど苦労して選ばなければならないのか。
紛れもなく君のためにはひとつの正義が潜在していて、
均衡をとったり故意に選んだりすることを不必要にしている。
君のためにひとつの実世界があり、君にふさわしい場所と心にかなう義務もある。
浮遊するすべてのものにいのちを与える能力と知恵の流れのさなかに身をひたせば、
努力もせずに真理のもとへ、正義と完全な充足のもとへ運ばれていく。
すると異を唱えるすべての者たちこそ間違っていることを証明できるようになる。
すると君は世界そのものとなり、正義、真理、美の尺度となる。
現在のように惨めな干渉ばかりくり返して、
おせっかい屋になることをもしも望まなければ、
人びとの仕事は、社会、文学、芸術、科学、宗教は、
いまよりも遥かにりっばなものになり、世界の初めから予言され、
いまもなお心の底から予言されている天国が、
いま目にうつるばらや空気や太陽の姿そのままに、
おのずから形をととのえていくことだろう。


「霊の法則」



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フランス人探検家、
アレクサンドラ・デビッドニール氏は驚くべき女性です。

1910年代に、チベットが、まだ白人禁制の時代に、
入国を果たし、当地でラマ尼僧となり、以後30年近く修行に明け暮れます。

帰国後は、チベット財団を設立し、東洋思想の啓蒙に努めています。

現ダライラマ14世は、彼女のことをこう回想しています。

「デビッドニールは例外だった。彼女のような独立的女探検家は普通でないばかりか、
サンスクリットと仏教哲学に通じ、またチベット語を話して、
先住民と自由に心を通わせたヨーロッパ人は極めて、稀である。」

102才で生涯を閉じるまで、敬虔な仏教徒として生き、
40冊を超える著書の出版、重要な経典の翻訳をしています。

彼女は、その著書で、
今や、消滅寸前の貴重なチベット仏教の真の姿について報告しています。




科学知識の増大によって、
現代人の超常現象に対する魅力が失われたと考えるのは、大きな誤りである。
心霊現象や奇跡、魔術への信仰は、中世と同様に、今も根強く生きている。
われわれが得たのは、異端審間を恐れることなく、これらの現象について語り、
体験する自由ぐらいなものだ。わたしは、長年、チベットで生活してきたため、
様々な理由で訪れてくる人々から、奇跡を披露してほしいと、会う度に要求されてきた。
好奇心を満たそうという単純な気持ちの人もいれば、試験に合格したい、
仕事運をよくしてほしい、病気を治してほしいという人、
中には、犯罪がうまくいくよう祈願してほしいという者までいた。
復讐心に燃えて、浮気中の夫とその相手を殺してほしい、と申し出てくる婦人もいた。
むろん、ピストルで身を固め、不倫する男女に立ち向かえということではなく、
遠距離から呪い殺せという意味である。
このような人々は、チベット人が奇跡を信じていないことを知ったら、さぞ驚くに違いない。
彼らは、われわれが驚異とみなす超常現象は、
例外的条件の下で自然のエネルギーが作用したものか、
そのエネルギーを操る術を心得ている者の手腕によるものか、さもなければ、
超常現象の物質的、精神的メカニズムを動かす要素を持っている人が、
知らずに行っているにすぎない、と考えているのだ。
チベット人はまた、人間に想像できるものは、
みな実現が可能であると信じる傾向がある。
外的事実に対応していないものを、人間は想像できないからであるという。
これと関連して、チベット人はまた、非常に強力かつ継続的な凝念によって、
生き動く実体までも作り出せる、と信じている。
いずれにせよ、どの場合にも、自然のエネルギーが自発的に働いているか、
能力のある者がそれを操っているということなのである。
また、こうした人々が人間以外の存在から助けを受けている場合もあり、
このような信仰はチベットでは根強い。
それはまた、われわれ西洋諸国でも広く行われていることでもある。
諸聖人への祈り、願かけのために彼らに供物を捧げる習慣などは、
類似の信仰に由来するものではなかろうか。


「チベット魔法の書」



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他の一神教と比較して、
仏教は創造神を認めない教えだという論調がまかり通っています。

そもそも、
一神教と言われるキリスト教、ユダヤ教、イスラム教で言う「神」とは、
それぞれ、どのような存在を指しているでしょうか?

それぞれの「神」が違う存在であるのであれば、
唯一神のはずなのに、三体も「神」が存在するのでしょうか?

同じなのであれば、別の宗教である必要が無くなってしまわないでしょうか?

このことを考えるにあたって、
それぞれの開祖は、「神」をどう捉えていたかを知る必要があります。

結論を言えば、それぞれの開祖は、
同じ高級神霊グループからの指導を受けていました。

モーゼが指導を受けたのは、ヤーウェ神が主ですが、
ヤーウェというのは、エンリルという人格神のことです。
モーゼは、以前から中東全域で信仰されていた至高神エルと、
それを取り巻く複数神霊の区別がつかず、エンリル神を唯一神としてしまいました。

キリストは、旧約のヤーウェ神からも、ヘルメス神からも指導を受けていました。
キリスト教から派生したグノーシス主義では、
旧約の神であるヤーウェは怒りの神、裁きの神という性格を持ち、
罰としての災いを下す恐ろしい存在として、これを中間界に位置づけ、
その上に、新約の愛と光の神を最高の領域に置くなどして、この二つの神を分けています。

マホメットに対して、
大天使ガブリエルを通して降ろされたメッセージは、
旧約の預言者たちのものと同じ高級霊団グループからのものでした。
マホメットは、古い宗教から脱皮をはかる宗教革新運動のために、
もともと多神の中の至高神であったアッラーを、唯一神としたのです。

このように、
一神教で言われる唯一神である創造神は、実際は高級神霊であり、
かつて人間として肉体を持ったことのある人格神であるのです。

これは、日本神道の神々についても同じことが言えます。

霊界の真相では、多神の方が正しく、
「神」と呼ばれる高級諸神霊が複数いるということです。

そして、人格を持った存在ではなく、
すべてを包括するより高次で絶対的な神は、根本神として別にあるのです。

それでは、仏教ではどうでしょうか?

お釈迦さまが頻繁に対話をした大梵天や帝釈天は、創造神であり、人格神です。
そういう意味では、これらの存在は、一神教でいう「神」と同等の存在なのです。

しかも、浄土教でいう阿弥陀仏という存在は、
明らかに人格神であり、これは一神教であると言えるのです。

お釈迦さまは、「天上天下唯我独尊」と宣言されたように、
天の神々たちよりも、上位にある存在だったのです。
そして、別名「天人師」とも呼ばれるように神々の師としての立場があったのです。

また、仏教では、
人格神の上位概念として大日如来、毘盧遮那仏が説かれていますし、
そのものを開示することによって、
根本神の存在を示しているのです。

究極の神は、人格神を超えたるものであり、
地上の人間には認識し難いものであったのです。
諸宗教では、人格神どまりの認識だったのですが、
仏教では、人格神を認めて、なおかつそれ以上の概念をも説いていると見るべきなのです。




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現代においては、
高度化した仕事を営む上で役立つ、生きた宗教が要請されています。

古い宗教では、あの世のことや心の平安だけを説いていれば良かったのですが、
文明の大発展にともない、この世での幸福理論を説く必要が出てきました。

アメリカンドリームは、
メイフラワー号に乗った新教徒たちから始まったのです。
ここに、神の意思が表れています。

V・ピールやシュラーは、牧師さんですが、
人は日々考えている通りになるといって、
信仰と仕事の成功を結びつけて教えを説きました。

ニューソートは、意識が現実を創り出すといって、
この世での成功や発展繁栄、富について教えました。

その流れが、現在の引き寄せの法則やニューエイジ思想に繋がっています。

アメリカでの流行は、日本に遅れてやってくるので、
これからの宗教には、そういう要素が求められるのは必然です。

現在の僧侶は、あの世のことも説かなければ、
この世での実践的な幸福の方法も説いてません。

これでは、日本仏教が衰退するのも無理はありません。

宗教は、時代の要請に対応していかなければならないのです。

これからのキーワードはこうです。


内なる声に従う

直観的なひらめきを大切にする

奇跡の日常性を感じる

祈りや瞑想の時間を持つ

神や宇宙を信頼する

絶えず感謝を持ち続ける

自分の夢や可能性を信じる

肯定的なことに焦点を当てる

自分が望むビジョンを思い描く





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