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2008.08.18
因果応報の教え
因果の理法は、普遍的な真実です。
これを欠いた教えは、仏教ではありません。
「大徳(ブッダ)よ、西の方より来れるバラモンは、水瓶を持ち、花環をつけ、水に浴し、
火神につかえ、死せる人々を天界に昇らしめることができるという。
大徳は、あまねく世人の尊敬を受けられる覚者であられるが、大徳もまた、
人々の身壊れ、命終わりて後、善趣天界に上生せしめることを得るであろうか。」
「部落の長よ、では、私から、汝に問うてみたい。
汝の思うとおりに答えてみるがよい。
部落の長よ、汝はこれをいかに思うであろうか。
ここに一人の人があって、人を殺し、物を盗み、偽りを言うなどして、
あらゆる邪まの業をなしたとするがよい。
そこに大勢の人々が集まり来て、
『この人死して後は善趣天界に生まれるように』と、
祈祷し、合掌したとするならば、汝はいかに思うか。
この人は、この大勢の祈祷合掌の力によって、
死後、天界に生まれることができるであろうか。」
「大徳よ、いいえ、彼は天界に生まれることはできますまい。」
「部落の長よ、たとえば、ここに一人の人があって、
深き湖の水の中に大きな石を投じたとするがよい。
そのとき、そこに大勢の人々が集まり来て、
『大石よ、浮かびいでよ。浮かび上がって、陸に上れ』、と祈願し、合掌して、
湖のまわりを回ったとするならば、汝はいかに思うか。
その大きな石は、大勢の人々の祈祷合掌の力によって 、
浮かびいでて陸にあがるであろうか。」
「大徳よ、いいえ、大きな石が浮かびいでて陸にあがるはずはありません。」
「たとえば、ここに一人の人があって、
深き湖の水の中に、油のつぼを投じたとするがよい。
そして、つぼは割れ、油は水の面に浮いたとするがよい。
そのとき、大勢の人々が集まり来て、
『油よ沈め、油よ沈め、汝油よ、水の底に下れ』、
と祈りをなし、合掌して、湖の回りを回ったとするならば、汝はいかに思うか。
その油は、人々の合掌祈祷の力によって、沈むであろうか。」
「大徳よ、いいえ、油が水の底に沈むはずはありません。」
「それと同じことである。あらゆる邪悪な業をつんできたものが、
いかに祈祷し合掌したからとて、死後、天界におもむく道理はない。
その人は、身壊れ、命終わりて後は、悪趣地獄に生まれるほかはないのである。」
パーリ原始仏典相応部
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これを欠いた教えは、仏教ではありません。
「大徳(ブッダ)よ、西の方より来れるバラモンは、水瓶を持ち、花環をつけ、水に浴し、
火神につかえ、死せる人々を天界に昇らしめることができるという。
大徳は、あまねく世人の尊敬を受けられる覚者であられるが、大徳もまた、
人々の身壊れ、命終わりて後、善趣天界に上生せしめることを得るであろうか。」
「部落の長よ、では、私から、汝に問うてみたい。
汝の思うとおりに答えてみるがよい。
部落の長よ、汝はこれをいかに思うであろうか。
ここに一人の人があって、人を殺し、物を盗み、偽りを言うなどして、
あらゆる邪まの業をなしたとするがよい。
そこに大勢の人々が集まり来て、
『この人死して後は善趣天界に生まれるように』と、
祈祷し、合掌したとするならば、汝はいかに思うか。
この人は、この大勢の祈祷合掌の力によって、
死後、天界に生まれることができるであろうか。」
「大徳よ、いいえ、彼は天界に生まれることはできますまい。」
「部落の長よ、たとえば、ここに一人の人があって、
深き湖の水の中に大きな石を投じたとするがよい。
そのとき、そこに大勢の人々が集まり来て、
『大石よ、浮かびいでよ。浮かび上がって、陸に上れ』、と祈願し、合掌して、
湖のまわりを回ったとするならば、汝はいかに思うか。
その大きな石は、大勢の人々の祈祷合掌の力によって 、
浮かびいでて陸にあがるであろうか。」
「大徳よ、いいえ、大きな石が浮かびいでて陸にあがるはずはありません。」
「たとえば、ここに一人の人があって、
深き湖の水の中に、油のつぼを投じたとするがよい。
そして、つぼは割れ、油は水の面に浮いたとするがよい。
そのとき、大勢の人々が集まり来て、
『油よ沈め、油よ沈め、汝油よ、水の底に下れ』、
と祈りをなし、合掌して、湖の回りを回ったとするならば、汝はいかに思うか。
その油は、人々の合掌祈祷の力によって、沈むであろうか。」
「大徳よ、いいえ、油が水の底に沈むはずはありません。」
「それと同じことである。あらゆる邪悪な業をつんできたものが、
いかに祈祷し合掌したからとて、死後、天界におもむく道理はない。
その人は、身壊れ、命終わりて後は、悪趣地獄に生まれるほかはないのである。」
パーリ原始仏典相応部



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2008.08.18
叡智あふれる宇宙
唯物論的還元主義とダーウィニズムが席巻している現代ですが、
これらが必ずしも正しいとは限りません。
むしろ、誤った思想である可能性の方が高いのです。
私たちは、偶然で意味の無い宇宙などではなく、
意味と栄光にあふれる宇宙に住んでいるのです。
そして、それは、神的存在による創造的叡智によるものなのです。
アインシュタイン博士の言葉を紹介します。
私の宗教は、限りないより優れた精神が自らを開示して、
我々のか弱い貧弱な心によって受け止めることのできるわずかの部分を、
垣間見せてくれることに対する、謙虚な感嘆からなっている。
理解不能の宇宙の中で開示される一つのより優れた理性の力の存在に対する、
この深い感情を伴う確信が、私の神概念を形成している。
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これらが必ずしも正しいとは限りません。
むしろ、誤った思想である可能性の方が高いのです。
私たちは、偶然で意味の無い宇宙などではなく、
意味と栄光にあふれる宇宙に住んでいるのです。
そして、それは、神的存在による創造的叡智によるものなのです。
アインシュタイン博士の言葉を紹介します。
私の宗教は、限りないより優れた精神が自らを開示して、
我々のか弱い貧弱な心によって受け止めることのできるわずかの部分を、
垣間見せてくれることに対する、謙虚な感嘆からなっている。
理解不能の宇宙の中で開示される一つのより優れた理性の力の存在に対する、
この深い感情を伴う確信が、私の神概念を形成している。



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2008.08.18
アクエリアスの時代
近代に入ってから、日本仏教が失ったものは何なのか、
またどうしてそうなってしまったのか、ということを省みる時期にきたようです。
そういう作業をしないと、
霊性が開花する時代に入って、方向性を見失ってしまうでしょう。
直感医療の第一人者、キャロライン・メイス氏はこう言っています。
牡羊座の時代は、
紀元前2000年から、魚座の時代を告げたキリストの生誕まで続いた。
そして、いま水瓶座の時代に入ろうとしている。
牡羊座は火の星座であり、火つけ、原初の創造の火を象徴し、
星座のサイクルである12宮そのものの始まりを表すとともに、
私の見方では、さまざまな文化、文明が生まれる速度を上げる力を象徴している。
牡羊座の時代は、
物理的な環境の支配が中心となった「法」の時代であり、続く魚座の時代の感情的、
心理的、霊的発展の基盤となる社会的、文化的な基礎を築いた時代だった。
魚座の時代は二元的な時代で、
人間の意識が強烈な二極分化を起こした時代でもあった。
たとえば、東洋と西洋、国家と教会、身体と霊などであり、
政治的な「右翼・左翼」の色分けさえも行われた。
同時に、同族的な意識から離れ、
自己というものについてより明確な概念をもつようになった。
ルネッサンスは個人の栄光をたたえ、
芸術家、作曲家は作品に自分の名前を記すようになり、人々は日記をつけはじめた。
法の概念も、集団の規範から個人の権利に焦点が移り、
マグナ・カルタ、アメリカ合衆国憲法、そして、
最近の社会・宗教的制限の緩和をめざした法律などがこのシフトを体現している。
水瓶座の時代に入ろうとしているいま、
私たちは、魚や動物で象徴されていた星座の時代から、
人間が象徴する星座の時代へと移行しようとしている。
そのシンボルは水を運ぶ人間だ。
魚座のテーマが「対立」だとしたら、水瓶座は「全体」を象徴し、
そのなかで私たちは霊的な統合をめざす。
これまでにみられなかったような規模で、
世界のさまざまな宗教が互いを認め合おうとしはじめている。
人間はグローバルに展開する市場とテクノロジーを発展させた。
社会的正義や環境保護は明らかに踏みにじられてはいるものの、
世界中でその必要性が意識されるようになっている。
星座が支配する各時代を経ていくにしたがって、私たちの霊的意識は成熟し、
自分自身、そして他の生命の本質にもある霊の存在や、
さらにまわりにある何か大きな力を意識するようになっていった。
私たちがそれぞれの時代の価値観や信念をいかに吸収し、個人、身体、
霊のレベルで自分を癒していく努力をどれだけ妨げているかを理解するために、
これらの時代がどういう役割を演じたかを探っていく必要がある。
「チャクラで生きる」
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またどうしてそうなってしまったのか、ということを省みる時期にきたようです。
そういう作業をしないと、
霊性が開花する時代に入って、方向性を見失ってしまうでしょう。
直感医療の第一人者、キャロライン・メイス氏はこう言っています。
牡羊座の時代は、
紀元前2000年から、魚座の時代を告げたキリストの生誕まで続いた。
そして、いま水瓶座の時代に入ろうとしている。
牡羊座は火の星座であり、火つけ、原初の創造の火を象徴し、
星座のサイクルである12宮そのものの始まりを表すとともに、
私の見方では、さまざまな文化、文明が生まれる速度を上げる力を象徴している。
牡羊座の時代は、
物理的な環境の支配が中心となった「法」の時代であり、続く魚座の時代の感情的、
心理的、霊的発展の基盤となる社会的、文化的な基礎を築いた時代だった。
魚座の時代は二元的な時代で、
人間の意識が強烈な二極分化を起こした時代でもあった。
たとえば、東洋と西洋、国家と教会、身体と霊などであり、
政治的な「右翼・左翼」の色分けさえも行われた。
同時に、同族的な意識から離れ、
自己というものについてより明確な概念をもつようになった。
ルネッサンスは個人の栄光をたたえ、
芸術家、作曲家は作品に自分の名前を記すようになり、人々は日記をつけはじめた。
法の概念も、集団の規範から個人の権利に焦点が移り、
マグナ・カルタ、アメリカ合衆国憲法、そして、
最近の社会・宗教的制限の緩和をめざした法律などがこのシフトを体現している。
水瓶座の時代に入ろうとしているいま、
私たちは、魚や動物で象徴されていた星座の時代から、
人間が象徴する星座の時代へと移行しようとしている。
そのシンボルは水を運ぶ人間だ。
魚座のテーマが「対立」だとしたら、水瓶座は「全体」を象徴し、
そのなかで私たちは霊的な統合をめざす。
これまでにみられなかったような規模で、
世界のさまざまな宗教が互いを認め合おうとしはじめている。
人間はグローバルに展開する市場とテクノロジーを発展させた。
社会的正義や環境保護は明らかに踏みにじられてはいるものの、
世界中でその必要性が意識されるようになっている。
星座が支配する各時代を経ていくにしたがって、私たちの霊的意識は成熟し、
自分自身、そして他の生命の本質にもある霊の存在や、
さらにまわりにある何か大きな力を意識するようになっていった。
私たちがそれぞれの時代の価値観や信念をいかに吸収し、個人、身体、
霊のレベルで自分を癒していく努力をどれだけ妨げているかを理解するために、
これらの時代がどういう役割を演じたかを探っていく必要がある。
「チャクラで生きる」



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