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2008.08.22
ダーウィンの呪縛
無神論、唯物論、ダーウィニズムに侵された知識人が、
害悪を撒き散らしているのが、現代の実相です。
アメリカのインテリジェント・デザイン運動の総本山、
ディスカヴァリー・インスティテュートの上級研究員は、
次のように指摘しています。
今日の主導的シェークスピア学者の多くは有神論を拒否している。
彼らにとって具合の悪いことは、
彼らが生涯をかけて研究している当のシェークスピア作品は、
これを拒否しないということである。
この大劇作家のテーマは唯物論に深刻な挑戦状を突きつける。
その作品のすべてが、
霊と肉、善と悪、天国と地獄という存在論的なカテゴリーを認めているからである。
しかしもっと根本的なことは、シェークスピアの叡智が、
人間を含めたあらゆるものを、心をもたぬ物質とエネルギーの流動に還元しようとする、
いかなる世界観をも拒否していることである。
彼自身の叡智がそのような卑小なものに還元されそうもないばかりか、
その叡智の生み出した作品が、
自然界の叡智を示す生命世界に、きわめてよく似ているのである。
我々は無意味というウサギの穴に落ち込み、
方向を見定めなければならない状況にある。
唯物論=相対主義=虚無主義という大河に流れ込む支流や細流はいくらでもあるが、
中でも19世紀後半以来の主たる分流は、
フロイト思想、マルクシズム、そしてとりわけダーウィニズムであった。
もしフロイトが正しいとすると、
シェークスピアのすべては、死の恐怖と性の欲求という2つの動機に還元される。
もしマルクスが正しいとすると、シェークスピアのすべては、
階級闘争という観点から捉えられた、
生産の物的関係に支配された人間のぶつかり合いに還元される。
最後に、もしダーウィンが正しいとすると、
シェークスピアのすべてはさらに還元されて、
生き残りと繁殖という動機だけが見えてくる。
唯物論をもっとも論理的に冷徹に適用すれば、
シェークスピアや彼のようなすぐれた才能の持ち主を、
物質とエネルギーの無意味な連鎖や蠢きや爆発に還元しなければならない。
「意味に満ちた宇宙」
これと全く同じことが、仏教を専門とする学者や、僧侶にも言えるのです。
いい加減に改心してほしいものです。
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
害悪を撒き散らしているのが、現代の実相です。
アメリカのインテリジェント・デザイン運動の総本山、
ディスカヴァリー・インスティテュートの上級研究員は、
次のように指摘しています。
今日の主導的シェークスピア学者の多くは有神論を拒否している。
彼らにとって具合の悪いことは、
彼らが生涯をかけて研究している当のシェークスピア作品は、
これを拒否しないということである。
この大劇作家のテーマは唯物論に深刻な挑戦状を突きつける。
その作品のすべてが、
霊と肉、善と悪、天国と地獄という存在論的なカテゴリーを認めているからである。
しかしもっと根本的なことは、シェークスピアの叡智が、
人間を含めたあらゆるものを、心をもたぬ物質とエネルギーの流動に還元しようとする、
いかなる世界観をも拒否していることである。
彼自身の叡智がそのような卑小なものに還元されそうもないばかりか、
その叡智の生み出した作品が、
自然界の叡智を示す生命世界に、きわめてよく似ているのである。
我々は無意味というウサギの穴に落ち込み、
方向を見定めなければならない状況にある。
唯物論=相対主義=虚無主義という大河に流れ込む支流や細流はいくらでもあるが、
中でも19世紀後半以来の主たる分流は、
フロイト思想、マルクシズム、そしてとりわけダーウィニズムであった。
もしフロイトが正しいとすると、
シェークスピアのすべては、死の恐怖と性の欲求という2つの動機に還元される。
もしマルクスが正しいとすると、シェークスピアのすべては、
階級闘争という観点から捉えられた、
生産の物的関係に支配された人間のぶつかり合いに還元される。
最後に、もしダーウィンが正しいとすると、
シェークスピアのすべてはさらに還元されて、
生き残りと繁殖という動機だけが見えてくる。
唯物論をもっとも論理的に冷徹に適用すれば、
シェークスピアや彼のようなすぐれた才能の持ち主を、
物質とエネルギーの無意味な連鎖や蠢きや爆発に還元しなければならない。
「意味に満ちた宇宙」
これと全く同じことが、仏教を専門とする学者や、僧侶にも言えるのです。
いい加減に改心してほしいものです。



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2008.08.22
仏陀とイエス
何かと比較される仏陀とイエスの教えですが、
最近では、違いを強調するよりも、むしろ共通点を探ろうという動きの方が活発です。
一方が完全に正しくて、他方は完全に誤りである、ということはありません。
違いを認め、理解し合うことが、これからの時代には必要なのです。
卓越した秘教の研究家ポール・ブラントンは、こう分析しています。
仏陀は、どのような罪も、有料の儀式を執り行ったり、犠牲を供えたり、
あるいは魔術を施されることによって償われることができるということを信じるよう、
腐敗堕落した司祭たちが民衆に巧みに説きつけている国に自分がいることに気づいた。
彼は、そのようにして罪が許されるということを否定し、
カルマの法則が厳格に支配しており、
目に見えない正義の厳然たる存在を揺るがすことはできない、
ということを確言することによって、自国の民衆の道徳的レベルを引き上げようとした。
イエスは、それとは対照的に、宗教が無慈悲にも「目には目を、歯には歯を」と、
公然と言い触らしている国に自分がいることに気づいた。
彼もまた民衆の道徳的レベルを引き上げようとした。
が、仏陀のそれに優るとも劣らないイエスの知恵は、イエスに、
罪の許しと神の慈悲を強調することによって状況に対処させるようにした。
「応報の法則はあらゆる人に然るべき報いを与え、
いかなる外面的宗教的儀式も、その働きを変えることはできない」ということが、
多くの仏教的教えの実質的要点である。
「そのとおりです」とイエスは言ったかもしれない。
「が、また、愛の法則もあります。それを喚起するための信仰を持ち、
それに従う意志を持っている人々への神の愛が。」
これら二人の預言者たちは、
もしわれわれが彼らが説教していた集団の違いを考慮すれば、
どちらもそれぞれの集団によって、最も必要とされていた助けを与えた、
という点で正しかったのである。
「新カルマ論」
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最近では、違いを強調するよりも、むしろ共通点を探ろうという動きの方が活発です。
一方が完全に正しくて、他方は完全に誤りである、ということはありません。
違いを認め、理解し合うことが、これからの時代には必要なのです。
卓越した秘教の研究家ポール・ブラントンは、こう分析しています。
仏陀は、どのような罪も、有料の儀式を執り行ったり、犠牲を供えたり、
あるいは魔術を施されることによって償われることができるということを信じるよう、
腐敗堕落した司祭たちが民衆に巧みに説きつけている国に自分がいることに気づいた。
彼は、そのようにして罪が許されるということを否定し、
カルマの法則が厳格に支配しており、
目に見えない正義の厳然たる存在を揺るがすことはできない、
ということを確言することによって、自国の民衆の道徳的レベルを引き上げようとした。
イエスは、それとは対照的に、宗教が無慈悲にも「目には目を、歯には歯を」と、
公然と言い触らしている国に自分がいることに気づいた。
彼もまた民衆の道徳的レベルを引き上げようとした。
が、仏陀のそれに優るとも劣らないイエスの知恵は、イエスに、
罪の許しと神の慈悲を強調することによって状況に対処させるようにした。
「応報の法則はあらゆる人に然るべき報いを与え、
いかなる外面的宗教的儀式も、その働きを変えることはできない」ということが、
多くの仏教的教えの実質的要点である。
「そのとおりです」とイエスは言ったかもしれない。
「が、また、愛の法則もあります。それを喚起するための信仰を持ち、
それに従う意志を持っている人々への神の愛が。」
これら二人の預言者たちは、
もしわれわれが彼らが説教していた集団の違いを考慮すれば、
どちらもそれぞれの集団によって、最も必要とされていた助けを与えた、
という点で正しかったのである。
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2008.08.22
慈悲心の功徳
仏教においては、慈悲心や愛の心を持つことが強く推奨されています。
それは、他の為になるだけではなく、自分の為にもなるからです。
「情けは人の為ならず」というのは、真実です。
『比丘たちよ、慈しみの心解脱を習い、修習し、復習し、乗り物とし、基礎とし、
確立し、習熟し、よく励むならば、11の功徳が期待されます。11とは何か。
①安楽に眠れます。
②安楽に目覚めることが出来ます。
③悪夢を見ません。
④人々に愛されます。
⑤人ならざるもの(聖霊)たちに愛されます。
⑥神々が守護します。
⑦火とか毒とか刀を受けません。
⑧速やかに心が安定します。
⑨顔色が輝きます。
⑩昏迷することなく命終出来ます。
⑪上位を証得しない場合、梵天界に至ります。』
パーリ原始仏典増支部「慈経」
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「情けは人の為ならず」というのは、真実です。
『比丘たちよ、慈しみの心解脱を習い、修習し、復習し、乗り物とし、基礎とし、
確立し、習熟し、よく励むならば、11の功徳が期待されます。11とは何か。
①安楽に眠れます。
②安楽に目覚めることが出来ます。
③悪夢を見ません。
④人々に愛されます。
⑤人ならざるもの(聖霊)たちに愛されます。
⑥神々が守護します。
⑦火とか毒とか刀を受けません。
⑧速やかに心が安定します。
⑨顔色が輝きます。
⑩昏迷することなく命終出来ます。
⑪上位を証得しない場合、梵天界に至ります。』
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2008.08.22
ブログのすすめ
ようやく、日常生活に戻ってきました。
ほとんどオリンピックも見れませんでした。
パソコンも復活し、またブログ修行を続けていきたいと思います。
ところで、こんな記事を見つけました。
コピペ
ブログは健康によい?生理的な効果を探る研究が進み始めた(日経サイエンス)
ブログを書く人が増えている理由は、それが一種の“自己療法”だからかもしれない。
自分の経験や思考、気持ちについて著述するのが、
心身の健康維持に有効であることは、昔から科学者に(作家にも)知られていた。
だが、自己表現的な文章を書くことはストレス解消だけでなく、
多くの生理学的な利点を生む。
記憶と睡眠が改善し、免疫細胞の活性が高まり、エイズ患者ではウイルス量が減り、
外科手術を受けた患者では傷の回復が早まることが明らかになった。
Oncologist誌2月号に掲載された研究によると、
がん患者が治療前に表現的な著述をした場合、そうした作業をしなかった患者と比べ、
心身ともに具合が明らかによくなった。
愚僧は、ブログは現代の仏道修行でもあるのだ、と勝手に思っているのです。
日々精進します。
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ほとんどオリンピックも見れませんでした。
パソコンも復活し、またブログ修行を続けていきたいと思います。
ところで、こんな記事を見つけました。
コピペ
ブログは健康によい?生理的な効果を探る研究が進み始めた(日経サイエンス)
ブログを書く人が増えている理由は、それが一種の“自己療法”だからかもしれない。
自分の経験や思考、気持ちについて著述するのが、
心身の健康維持に有効であることは、昔から科学者に(作家にも)知られていた。
だが、自己表現的な文章を書くことはストレス解消だけでなく、
多くの生理学的な利点を生む。
記憶と睡眠が改善し、免疫細胞の活性が高まり、エイズ患者ではウイルス量が減り、
外科手術を受けた患者では傷の回復が早まることが明らかになった。
Oncologist誌2月号に掲載された研究によると、
がん患者が治療前に表現的な著述をした場合、そうした作業をしなかった患者と比べ、
心身ともに具合が明らかによくなった。
愚僧は、ブログは現代の仏道修行でもあるのだ、と勝手に思っているのです。
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