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2008.09.06 真理は一つ
医学の研究対象になりつつある臨死体験や、
心理学者の催眠療法による輪廻転生の事実の発見は、
私達に何を問いかけ、どのような宗教的変革を迫っているのでしょうか?

臨死体験研究者の医学博士、マイケル・セイボム氏はこう言っています。


(臨死体験研究者の)ケネス・リングは、
自分のもとに参集した臨死体験者を預言者と考えた。
そして、永遠の命と、神の言葉としての聖書の霊感を得るためには、
イエス・キリストを救い主であり主であると認めなければならない、
といった問題に関する教義的見解を評価する目的で、宗教的信仰調査表を作成した。
この調査表によって得られた結果から、ケネスは、明快な神託を受けた。
臨死体験をすることによって人は、
より伝統的な(キリスト教徒的な)宗教的方向から離れて行くということだ。
ケネスは、次のように結論している。

「この場合、NDE(臨死体験)の重要性は、
単にNDEが霊的成長を促すというだけでなく、
それが促す霊的成長の種類―すなわち宗教的教義の問題―にあるのかもしれない。」

新しい宗教がここで提示された。―この宗教は、
伝統的なキリスト教的観点を包含しながら、それを超越するものとなるだろうし、
ヒンドゥー教や仏教のような東洋的宗教や、
霊的普遍主義への顕著な変移を明示するものとなるだろう。
そして最終的には、われわれを、
『真理のもとに結集するひとつの会衆』としてまとめるものとなるだろう、というわけだ。
このように新しい世界宗教を求める声は、他の臨死研究者から歓迎された。
英国では心理学者のマーゴット・グレイがケネスと同じような主張を展開している。
自ら調べた臨死体験者たちは、すべての宗教は基本的には同じだと信じており、
神学的教義から離れて、より霊的なイデオロギーヘと立場を変えたというのだ。
オハイオ州のマイアミ大学で社会学の教鞭を執るチャールズ・フリンによれば、
自分が調査した臨死体験者たちは、キリスト教の多くの見解を信じているが、
宗教的な派閥主義から離れ、
あらゆる宗教的伝統の価値を是認する普遍的方向に向かっていたという。
また、NDEを扱った本を書いているフィリス・アトウォーターによれば、
自分が調べた臨死体験者の3分の1は、特定の宗教への所属を捨て去るか、
最初から一度も加入したことがないため、多くの人たちはその後、
形而上学的なニューエイジの教会を設立し、
シャーマニズムのような神秘主義や儀式にかかわるようになったという。
また、オーストラリアの研究者シェリー・サザランドによれば、
自ら調査した50人の臨死体験者の間では、教会のような施設による仲介も、
教派や伝統的な教えによる解釈も必要としない、
神や高次の力との直接的接触が進行中であるという。

「続あの世からの帰還」




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2008.09.06 梵天勧請
お釈迦さまは大悟された後、
創造神ブラフマーより、法を説くように要請を受けています。

仏教もある意味、啓示宗教であり、仏陀は預言者でもありました。

霊界との接触なくして、宗教は発生しえないのです。




修行僧たちよ、わたしはつぎのように思った。

『わたしが感得したこの真理はじつに深遠で、見がたく、理解しがたく、静寂で、
すぐれていて、思考の領域ではなく、微妙で、賢者によって知られるべきものである。
しかし、人々は執着を好み、執着を楽しみ、執着を喜んでいる。
しかし、執着を好み、執着を楽しみ、執着を喜んでいる人々には、
いわゆるこれを縁とすること、縁起というこの道理は見がたい。
また、いわゆる一切の自己形成力が静まること、
一切の生存のしがらみを捨て去ること、渇愛を消滅すること、汚れが薄くなること、
滅し尽くされること、ニルバーナというこの道理もまた見がたい。
しかも、わたしが教えを説いたとしても、他の者たちが、
わたしのことをよく理解しなければ、わたしは疲れるし、がっかりするであろう。』

さらに、修行僧たちよ、わたしに、
これまで聞いたことのないこの不思議な詩句がひらめき現われた。

『わたしが苦労して得たものを、いま説く必要はない。
貪りや怒りに負かされた人々には、この真理はよく理解しがたい。
世間の流れに逆らい行き、微妙で、深遠で、見がたく、微細であるこの真理を、
貪欲に染まり、暗黒に覆われた人々は、見ない。』

修行僧たちよ、このように省察したわたしのこころは意欲をなくし、
教えを説こうとは思わなくなった。
そのとき、修行僧たちよ、世界の主であるブラフマー神は、
わたしのこころのなかの考えをこころによって知ってこう思った。

『ああ、君よ、世界は減びてしまう。ああ、君よ、世界は消滅してしまう。
なぜなら、尊敬されるべき者であり、正しく目覚めた者である如来のこころが、
意欲をなくし、教えを説こうと思わなくなったのだから』と。

そこで、修行僧たちよ、世界の主であるブラフマー神は、
あたかも力のある男が曲げた腕を伸ばし、伸ばした腕を曲げるように、
ただちにブラフマー神の世界から姿を消して、わたしの前に現われた。
そして、修行僧たちよ、世界の主であるブラフマー神は上衣を一方の肩にかけ、
わたしに向かって合掌してこういった。

「尊い方よ、世尊は教えを説いてください。幸いな人は教えを説いてください。
生まれつき汚れの少ない人々がいますが、教えを聞かないで衰退しています。
かれらは教えを理解できるようになるでしょう。」

修行僧たちよ、世界の主であるブラフマー神はこのようにいった。
このようにいって、さらにこういった。

「かつてマガダ国に、汚れた者たちが考えた不浄の教えが現われました。
この不死の門を開いてください。
人々は汚れのない者によってさとられた真理を聞きなさい。
あたかも山頂の岩に立って、あまねく人々を見わたすように、
賢者よ、真理の高殿に登り、
あまねき眼をもつ者よ、憂いを離れたあなたは、
憂いに覆われ、生まれと老いに負かされている人々を観察してください。
勇者よ、立ってください。戦いの勝利者よ。
隊商主よ、負債のない者よ、世の中を歩いてください。
世尊は教えを説いてください。理解する者たちも現われるでしょう。」

そこで修行僧たちよ、わたしはブラフマー神の要請を知り、
生命あるものたちへの憐れみから、目覚めた者の眼をもって世の中をながめた。
たしかに、修行僧たちよ、わたしは目覚めた者の眼をもって世の中をながめながら、
汚れの少ない者たちを、汚れの多い者たちを、感官の鋭い者たちを、
感官の鈍い者たちを、様相の善い者たちを、様相の悪い者たちを、
教えやすい者たちを、教えにくい者たちを、
また、ある人々は来世や罪に対する恐れを見て過ごしているのを見た。
それはちょうど、青蓮の池、あるいは紅蓮の池、あるいは白蓮の池において、
ある青蓮や紅蓮や白蓮は水中に生じ、水中で生長し、水面に出ることなく、
水中に没したままで生育し、ある青蓮や紅蓮や自蓮は水中に生じ、
水中で生長し、水面で止まり、また、ある青蓮や紅蓮や白蓮は水中に生じ、
水中で生長し、水面を超えて、水にぬれずに立っているようなものである。
そこで、修行僧たちよ、わたしは世界の主であるブラフマー神に詩句で答えた。

「ブラフマー神よ、耳ある者たちに不死の門は開かれた。
信頼を寄せなさい。
ブラフマー神よ、わたしは害意をもって、
洗練された、すぐれた真理を人々に説かなかったのである。」

すると、修行僧たちよ、
世界の主であるブラフマー神は、『わたしは世尊が教えを説く機会をつくった』と、
わたしを礼拝し、右まわりの礼をして、そのまま姿を消した。


パーリ原始仏典中部第26経「聖求経」




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2008.09.06 優しい人
神への信仰がなければ、優しくはなれない。

自分が嫌いな人も、優しくなんかなれない。

優しい人は美しい。

優しい人は、悲しみや喜びを知る人。

優しい人は、自我を消し込むことが出来る人。

他人の感情に敏感な人。

真の強さを持っている人。

優しい人は愛深き人。

知恵ある優れた人。

優しさには、人を育み、感化する力がある。

優しい人になりたい。




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