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2008.09.15
ユングとUFO
霊能者でもあったユングは、
あくまでも学者としての立場を守りつつ、様々な不思議について言及しています。
一般的には、
ユングは、「UFO」を投影された心的現象としたとされていますが、
晩年には、それが実在する可能性について認めているのです。
同時代の出来事について、その意味するところを正確に見きわめるのはむずかしい。
判断が主観的なものを一歩も出ない恐れが多分にある。
だから私がいま、現代のある出来事について、
いかにそれが重要に思えるからといって、
辛抱づよく聴いて下さる人たちに私見を述べようとする大胆さは、十分承知している。
出来事というのは、世界の隅々から寄せられるあの円い物体にまつわる噂である。
それは対流圏も成層圏も駆けぬけて、
「ソーサー、皿、スクープ、ディスク、UFO」などと呼ばれている。
そのような物体の噂ないしは実在は、
いまも言うように私には極めて重大なことと思われてならない。
だから、私の声の及ぶかぎりの人にだけでも、
ひとつの時代の終わりにふさわしい出来事が、
人類を待ち構えていることを覚信していただければそれで良い。
もしUFOが現実のものであるなら、
―ごく普通に考えてこれ以上疑う余地はなさそうである―、
それは無重力のものかそれとも心的なものか、仮定はこの二つしかありえないが、
私にはいずれとも決定できない。
ここで私には、第三の可能性―もとよりあらゆる必要な条件つきだが―が、
あるように思える。すなわち、UFOは実際的に物質的な現象であり、
未知の性状をもった存在なのである。
「空飛ぶ円盤」
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
あくまでも学者としての立場を守りつつ、様々な不思議について言及しています。
一般的には、
ユングは、「UFO」を投影された心的現象としたとされていますが、
晩年には、それが実在する可能性について認めているのです。
同時代の出来事について、その意味するところを正確に見きわめるのはむずかしい。
判断が主観的なものを一歩も出ない恐れが多分にある。
だから私がいま、現代のある出来事について、
いかにそれが重要に思えるからといって、
辛抱づよく聴いて下さる人たちに私見を述べようとする大胆さは、十分承知している。
出来事というのは、世界の隅々から寄せられるあの円い物体にまつわる噂である。
それは対流圏も成層圏も駆けぬけて、
「ソーサー、皿、スクープ、ディスク、UFO」などと呼ばれている。
そのような物体の噂ないしは実在は、
いまも言うように私には極めて重大なことと思われてならない。
だから、私の声の及ぶかぎりの人にだけでも、
ひとつの時代の終わりにふさわしい出来事が、
人類を待ち構えていることを覚信していただければそれで良い。
もしUFOが現実のものであるなら、
―ごく普通に考えてこれ以上疑う余地はなさそうである―、
それは無重力のものかそれとも心的なものか、仮定はこの二つしかありえないが、
私にはいずれとも決定できない。
ここで私には、第三の可能性―もとよりあらゆる必要な条件つきだが―が、
あるように思える。すなわち、UFOは実際的に物質的な現象であり、
未知の性状をもった存在なのである。
「空飛ぶ円盤」



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2008.09.15
仏教の五大
西洋世界の源流となった古代ギリシャでは、
アリストテレスによって、地・水・火・風・エーテルの五大元素説が唱えられました。
同じように、東洋においても、
お釈迦さまが、地・水・火・風・空の五大を説いています。
これらは現代科学で言うところの、
元素や原子などの物質を指すのではなく、
世界を形成するところの元とされる形而上的な概念なのです。
そもそも、仏教は神秘思想であって唯物論とは全く相容れる要素はないのです。
「尊師よ、呼吸に対して精神を集中する修行をどのようにして修習し、
どのようにして数多く行なえば、大きな結果があり、大きな利益がありますか。」
「ラーフラよ、内の、自身の、堅く、固体であり、執着されたもの、
すなわち髪、毛、爪、歯、肉、筋、骨、骨髄、心臓、肝臓、肋膜、
脾臓、肺、腸、腸間膜、胃の内容物、糞、またはその他のあるゆる内の、
自身の、堅く、固体であり、執着されたもの、これが内の地の要素といわれる。
この内の地の要素と外の地の要素とが地の要素である。
次に水の要素とはどれらであるか。
内の水の要素と外の水の要素とである。
ラーフラよ、内の水の要素とはどれらであるか。
内の、自身の、水、液体であり、執着されたもの、
すなわち胆汁、痰、膿、血、汗、脂、涙、膏、唾、はなみず、
関節滑液、尿、またはその他のあらゆる内の、自身の、水、液体であり、
執着されたものが、ラーフラよ、内の水の要素といわれる。
この内の水の要素と外の水の要素とが水の要素である。
次に火の要素とはどれらであるか。
内の火の要素と外の火の要素とである。
ラーフラよ、内の火の要素とはどれらであるか。
内の、自身の、火、火的なもの、執着されたもの、すなわち熟せしめるもの、
老いさせるもの、燃焼させるもの、食べ飲み噛み味わったものを消化させるもの、
またはその他のあらゆる内の、自身の、火、火的なもの、
執着されたものが、ラーフラよ、内の火の要素である。
この内の火の要素と外の火の要素とが火の要素である。
次に風の要素とはどれらであるか。
内の風の要素と外の風の要素とである。
ラーフラよ、内の風の要素とはどれらであるか。
内の、自身の、風、風的なもの、執着されたもの、すなわち上に行く風、
下に行く風、腹外の風、腹内の風、肢体を循環する風、
吸う息、吐く息、またはその他のあらゆる内の、自身の、風、風的なもの、
執着されたものが、ラーフラよ、内の風の要素といわれる。
この内の風の要素と外の風の要素とが風の要素である。
次に空の要素とはどれらであるか。
内の空の要素と外の空の要素とである。
ラーフラよ、内の空の要素とはどれらであるか。
内の、自身の、空、空的なもの、執着されたもの、
すなわち耳の孔、鼻の孔、口の門、
またそれによって食べ飲み噛み味わったものを呑み下し、
またそこに食べ飲み噛み味わったものがとどまり、
またそれによって食べ飲み噛み味わったものを下腹部より排泄するもの、
またはその他のあらゆる内の、自身の、空、空的なもの、執着されたものが、
ラーフラよ、内の空の要素といわれる。
この内の空の要素と外の空の要素とが空の要素である。
それが、『それはわたしのものではない。
わたしはそれではない。それはわたしの自我ではない。』とこのように、
正しい智慧であるがままに見られるべきである。
このように正しい智慧であるがままに見て、
地・水・火・風・空の要素から厭離し、
地・水・火・風・空の要素からこころを離れさせるのである。」
パーリ原始仏典中部第62経「大ラーフラ教誡経」
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アリストテレスによって、地・水・火・風・エーテルの五大元素説が唱えられました。
同じように、東洋においても、
お釈迦さまが、地・水・火・風・空の五大を説いています。
これらは現代科学で言うところの、
元素や原子などの物質を指すのではなく、
世界を形成するところの元とされる形而上的な概念なのです。
そもそも、仏教は神秘思想であって唯物論とは全く相容れる要素はないのです。
「尊師よ、呼吸に対して精神を集中する修行をどのようにして修習し、
どのようにして数多く行なえば、大きな結果があり、大きな利益がありますか。」
「ラーフラよ、内の、自身の、堅く、固体であり、執着されたもの、
すなわち髪、毛、爪、歯、肉、筋、骨、骨髄、心臓、肝臓、肋膜、
脾臓、肺、腸、腸間膜、胃の内容物、糞、またはその他のあるゆる内の、
自身の、堅く、固体であり、執着されたもの、これが内の地の要素といわれる。
この内の地の要素と外の地の要素とが地の要素である。
次に水の要素とはどれらであるか。
内の水の要素と外の水の要素とである。
ラーフラよ、内の水の要素とはどれらであるか。
内の、自身の、水、液体であり、執着されたもの、
すなわち胆汁、痰、膿、血、汗、脂、涙、膏、唾、はなみず、
関節滑液、尿、またはその他のあらゆる内の、自身の、水、液体であり、
執着されたものが、ラーフラよ、内の水の要素といわれる。
この内の水の要素と外の水の要素とが水の要素である。
次に火の要素とはどれらであるか。
内の火の要素と外の火の要素とである。
ラーフラよ、内の火の要素とはどれらであるか。
内の、自身の、火、火的なもの、執着されたもの、すなわち熟せしめるもの、
老いさせるもの、燃焼させるもの、食べ飲み噛み味わったものを消化させるもの、
またはその他のあらゆる内の、自身の、火、火的なもの、
執着されたものが、ラーフラよ、内の火の要素である。
この内の火の要素と外の火の要素とが火の要素である。
次に風の要素とはどれらであるか。
内の風の要素と外の風の要素とである。
ラーフラよ、内の風の要素とはどれらであるか。
内の、自身の、風、風的なもの、執着されたもの、すなわち上に行く風、
下に行く風、腹外の風、腹内の風、肢体を循環する風、
吸う息、吐く息、またはその他のあらゆる内の、自身の、風、風的なもの、
執着されたものが、ラーフラよ、内の風の要素といわれる。
この内の風の要素と外の風の要素とが風の要素である。
次に空の要素とはどれらであるか。
内の空の要素と外の空の要素とである。
ラーフラよ、内の空の要素とはどれらであるか。
内の、自身の、空、空的なもの、執着されたもの、
すなわち耳の孔、鼻の孔、口の門、
またそれによって食べ飲み噛み味わったものを呑み下し、
またそこに食べ飲み噛み味わったものがとどまり、
またそれによって食べ飲み噛み味わったものを下腹部より排泄するもの、
またはその他のあらゆる内の、自身の、空、空的なもの、執着されたものが、
ラーフラよ、内の空の要素といわれる。
この内の空の要素と外の空の要素とが空の要素である。
それが、『それはわたしのものではない。
わたしはそれではない。それはわたしの自我ではない。』とこのように、
正しい智慧であるがままに見られるべきである。
このように正しい智慧であるがままに見て、
地・水・火・風・空の要素から厭離し、
地・水・火・風・空の要素からこころを離れさせるのである。」
パーリ原始仏典中部第62経「大ラーフラ教誡経」



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