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2008.09.25 魂の親
地球人類は、
4億年の歴史において、地球で創造された人々、
他惑星から移住してきた人々が混在していて、
それぞれ起源を異にするというのが真相です。

しかし、次第に地球人類としての統一性が確立されていきました。

霊界においても、同じです。

現在では、今までベールにつつまれていた、
神々の世界、最高神霊の世界である9次元宇宙界の情報が開示されています。

そのほとんどは他惑星から、地球に招聘されてきた霊人です。

アモール(イエス)は射手座、
モーリヤ(モーゼ)は蟹座、
セラビム(孔子)は白鳥座、
エンリル(サナト・クマーラ)はマゼラン星雲、
カイトロン(ニュートン)、オルゴン(マイトレーヤ)、アケメーネ(マヌ)はオリオン座、
セオリヤ(ゼウス)、サマトリヤ(ゾロアスター)はペガサス座、

とそれぞれです。

地球人類の造物主であり最高指導霊は、
遥かなる昔から、金星、地球と見守ってきた、
釈迦の生命体の中核的存在である、エル・カンターレです。

もちろん、根本仏、究極の神である高次元存在は別に存在します。

しかし、地球霊団の人霊としては頂点に君臨する存在です。

現在、1億5千年ぶりに、
地上に降臨し、地上と霊界の意思統一を図るべく、
エル・カンターレ文明の建設を使命とされているのです。

信じがたい事実でありますが、信じられる方は幸いです。

本当の魂の親を知るということは、何にも勝る喜びです。




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わたしたちの本質は、霊としての存在です。

そして、肉体の死をもって人生が終わるわけでは無いのはもちろん、
人生修行の為、何度も地上(他惑星も)に生まれては、「神仏」へと近づいているのです。

輪廻転生は、人類に希望を与える最も大切な思想です。

個性は、自らの課題でもあって、
今を如何に生きるか、ということが来世をも決定することになるのです。

まさに、自己責任の原則が厳密に適用されています。

どんな境涯でも学びの場だし、
なにより自分自身で選んで生まれてきているのですから。

人にはそれぞれ、魂の歩んできた道のりがあります。

それは、正当に評価されねばなりません。

神の仕組みは、どこまでも公平です。

失敗しても、何度でもやり直しが出来る。

永遠のいのちが与えられている、ということがどれほどの奇跡でしょうか?

神仏は、悪も失敗も退歩も許容し、
限りない慈愛でもって、一人ひとりに機会を与えておられるのです。


ゲーテ
人の魂は水に例えることができる。それは天から降り、天に戻って行く。
そしてまた地上に戻る。こうして永遠に行き来しているのである。

カール・ユング
人生は時に始まりも終わりもない一つの物語のように思えることがある。
自分が歴史の一部分で、前後のテキストを失った抜粋のような気がするときもある。
私は確かに前世紀にも生きていて、
その時出会った問題に答えを出すことができなかったような気がする。
つまり、その時に与えられた任務を十分に果たさなかったために、
もう一度生まれてこなくてはならなかったように思えるのである。

トルストイ
前世で自殺した男の今生での体験の物語を書いたとしたら、さぞかしおもしろかろう。
前世では直面した様々な問題に、彼は今生でも再び遭遇する。
そして、それらを解決しない限り、
そこから先へは進めないことに気づくまでの物語になろう。
過去の人生で行ったことが、現在の人生に方向性を与えているのだ。

アルバート・シュバイツアー
輪廻転生の考え方は現実をとてもうまく説明してくれる。
そのために、インドの思想は、ヨーロッパの思想家をなやましている困難な問題を、
楽々と乗り越えているのだ。

ウォルト・ホイットマン
さあ、と私の「魂」が言った。私の「肉体」のために歌を書こう。
わたしたちはひとつのものだ。
もしわたしが死んでから目には見えぬ姿で地上にもどり、
あるいは、遠く遙かなのちの世に、別の天体の住人となって、
大地の土壌、樹木、風、激浪のしらべに合わせつつ、
どこかの仲間たちの群れを相手に、
ふたたび歌い始める折でもあれば、
いつも嬉しげに微笑を湛えて歌い続け、
いつもなお永遠にその歌をわがものとしておけるよう。
―さらばまず、ことのはじめに、「魂」と「肉体」のために歌いつつ、
その歌にわたしはわが名をしるす。

ウィリアム・ワーズワース
この世に生まれてくることは、眠りと忘却に過ぎない。
肉体の中に宿り、我々の星である魂は、
はるかかなたから来て、
あらゆる場所にあらゆる姿で生まれる。
しかし、生まれる前のことを、完全に忘れているわけではない。
肉体の衣のうしろに、栄光の雲をたなびかせて、
我々は神のみもとの故郷より、やって来るのだ。
幼年期には天は我々のまわりにあるのだ。   

ラルフ・ワルド・エマーソン
この世の秘密とは、すべてのものは死なないということだ。
しばらくの間、視界から消え失せても、あとで再び戻ってくる。
何ものも死なない。
人間は死ぬふりをするだけだ。
見せかけの葬儀、悲しげなとむらいに退屈して死者は別の姿をして、
元気はつらつ窓から外を覗いている。




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2008.09.25 縁起の法則
誤解されている「縁起の法則」でありますが、
これは、自然法則(物質)レベルの相互因果関係のみに適用されるものではありません。

現代科学で言うところの、
素粒子の結びつきによって事象を説明するものではないということです。

仏教は当然宗教なのですから、形而上的領域も含まれています。

お釈迦さまは、こう説かれています。


「アーナンダよ、『識(vinnana)という縁から名色(物質)がある』、
とこのように言いましたが、
それはつぎの理由によって、識という縁から名色があるというように、知られるべきです。
アーナンダよ、識(魂)が母胎に入らなかったとするならば、
はたして名色(肉身)は、母胎の中で育つでしょうか?」

「そのようなことはありません、尊師よ。」

「ではまたアーナンダよ、識(魂)が母胎に入ったあと、外れたとするならば、
はたして名色(肉身)は、五蘊の備わった状態に生まれることになるでしょうか?」

「そのようなことはありません、尊師よ。」

「アーナンダよ、識(魂)が、まだ若い少年、あるいは少女のうちに断たれたとするならば、
はたして名色(肉身)は、成長し、成熟し、老大となるでしょうか?」

「そのようなことはありません、尊師よ。」

「アーナンダよ、それゆえに、この識こそが名色の因であり、
これが因縁であり、これが生起であり、これが縁なのです。
アーナンダよ、『名色という縁から識がある』とこのように言いましたが、
それはつぎの理由によって、名色という縁から識があるというように、知られるべきです。
アーナンダよ、識(魂)が名色(肉身)において根拠を得ることがなかったとするならば、
はたして未来に生・老・死という苦の集まりの発生は知られるのでしょうか?」

「そのようなことはありません、尊師よ。」

「アーナンダよ、それゆえに、この名色こそが識の因であり、
これが因縁であり、これが生起であり、これが縁なのです。
アーナンダよ、実にこの名色(肉身)が識(魂)とともに互いに縁起する限り、
その限りにおいて生まれたり、老いたり、死んだり、没したり、再生したりし、
その限りにおいて名称の路があり、その限りにおいて語源の路があり、
その限りにおいて説明の路があり、その限りにおいて慧の領域があり、
その限りにおいてこの状態を説明するために輪廻が起こるのです。」


パーリ原始仏典長部第15経「大因縁経」




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