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2008.10.08
Unusual things in this world!
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2008.10.08
魂をこそ
日常的に、人の死に接しているのは宗教者ではなく、
お医者さんであり看護師さん達です。
どんな患者さんでも、
病気の先には、必ず死というものを迎えなければなりません。
医療従事者は、嫌でも、死というものに直面せざるを得ないのです。
死が全ての終焉であるのならば、
どんなに医療が進歩しても、
結局は医療行為は、敗北、失敗に終わることになります。
しかし、
死というのは肉体活動の停止、次なる生存形態への移行にすぎません。
近年では、医療従事者が宗教的な発言をされることも多くなってきました。
医学会でも「魂」を研究しないと駄目だという声もあるようです。
スピリチュアルケアの重要性もますます増してきています。
そのような風潮のなかで、
同じように葬儀や法事などで死に関わっているはずのお坊さんは、
何故か、「魂」について一向に語ろうとしません。
お坊さんの口から聞かれるのは、
江原スピリチュアルに対しての批判ばかり。
仏教者には、「霊魂」というものに一種のアレルギーがあるようです。
「霊魂」は非物質で、物質的実体はないし、
死後も変化成長するので、常住なる存在ではありません。
無我とも無自性空とも矛盾しない概念です。
肉体つまり人間であるということは、
自分で選択した一時的な状態であって、
私たちの本質である「魂」は永遠に存続するものなのです。
見えないものを否定するのは誰にでも出来ます。
権威や常識の方が間違っていた、ということはよくあることです。
これからの時代、お坊さんは「魂」をこそ語るべきなのです。
愚僧も精進します。
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
お医者さんであり看護師さん達です。
どんな患者さんでも、
病気の先には、必ず死というものを迎えなければなりません。
医療従事者は、嫌でも、死というものに直面せざるを得ないのです。
死が全ての終焉であるのならば、
どんなに医療が進歩しても、
結局は医療行為は、敗北、失敗に終わることになります。
しかし、
死というのは肉体活動の停止、次なる生存形態への移行にすぎません。
近年では、医療従事者が宗教的な発言をされることも多くなってきました。
医学会でも「魂」を研究しないと駄目だという声もあるようです。
スピリチュアルケアの重要性もますます増してきています。
そのような風潮のなかで、
同じように葬儀や法事などで死に関わっているはずのお坊さんは、
何故か、「魂」について一向に語ろうとしません。
お坊さんの口から聞かれるのは、
江原スピリチュアルに対しての批判ばかり。
仏教者には、「霊魂」というものに一種のアレルギーがあるようです。
「霊魂」は非物質で、物質的実体はないし、
死後も変化成長するので、常住なる存在ではありません。
無我とも無自性空とも矛盾しない概念です。
肉体つまり人間であるということは、
自分で選択した一時的な状態であって、
私たちの本質である「魂」は永遠に存続するものなのです。
見えないものを否定するのは誰にでも出来ます。
権威や常識の方が間違っていた、ということはよくあることです。
これからの時代、お坊さんは「魂」をこそ語るべきなのです。
愚僧も精進します。



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2008.10.08
果報
あの世での幸福は、
この世での生き方にかかっている、とお釈迦さまは説かれました。
天に功徳を積む行為である善行、愛行は、
決して壊れることない財宝のように、あの世までつき従うのです。
長らく外に滞在し、
無事遠くから帰った人を、
親族、友人、また知己は、
帰ったことを大いに善ぶ。
それと同じく功徳を積んで、
この世からあの世へ行ける者を、
もろもろの功徳は待ち受ける。
親族のように、愛しい帰りを。
パーリ原始仏典小部「天宮事経」
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この世での生き方にかかっている、とお釈迦さまは説かれました。
天に功徳を積む行為である善行、愛行は、
決して壊れることない財宝のように、あの世までつき従うのです。
長らく外に滞在し、
無事遠くから帰った人を、
親族、友人、また知己は、
帰ったことを大いに善ぶ。
それと同じく功徳を積んで、
この世からあの世へ行ける者を、
もろもろの功徳は待ち受ける。
親族のように、愛しい帰りを。
パーリ原始仏典小部「天宮事経」



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