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2008.10.12
四法印
現代の仏陀が新たなる法印を開示された説法です。
まさに、直説金口であります。
しかし、見よ。
あなた方の同輩たちの愚かなることを―。
諸行が無常であることが、
まだわからぬか。
あなた方は、肉体という、
仮の姿に宿っているだけであるということが、
まだわからぬか。
この地上にあり、生きているものすべてが、
移ろいゆくものであることが、
まだわからぬか。
物質など、本来、姿形なきものであることが、
まだわからぬか。
その、時間の法が、諸行無常の法が、
二千六百年経って、まだわからぬか。
そして、諸法は無我であると、
私は同じく、あなた方に説いたはずである。
あなた方一人びとりは、個性ある魂のように見え、
あなた方の目に映るあらゆるものは、個別に見え、
各人が、それぞれの意志において生命を得ているかに見えて、
その実、宇宙の理法はただ一つであり、
すべては神の光から現われたるものである。
地にある人間も、動物も、植物も、鉱物も、
そして、この地を去りたるところにある霊存在も、
これらはすべて、一切は空である。
すべては空であり、
すべては神の光によってのみ存在しているのだ。
これを諸法無我という。
そして、われ、第三に説きたるは、
永遠の時間のなかにおける諸行無常と、
宇宙を貫く、縦の時間・空間を貫く軸のなかにおける諸法無我の、
この交わるところに、
永遠の生命が生きているということなのだ。
その真実を知ったときに、
あなた方は、この地上において、
生命ある身でありながら、
すでに涅槃に入ったのである。
すでに永遠の生命を得たのである。
すでにこの地上にて解脱したのである。
この第三の法門を、涅槃寂静の法門という。
諸行無常、
諸法無我、
涅槃寂静、
これが、
仏の説く法の印である三法印というものである。
記憶せよ。
しかし―しかし、しかし、しかし、しかし、
新世界の建設を担うべきあなた方に、
要請されている法門が、いま一つある。
光明荘厳の法門である。
涅槃寂静の、己れひとりの解脱をもって、
今世の修行としてはならぬ。
その身そのままが、
神仏よりいただいたる仏性を宿しているのであるならば、
この穢れたる、物質に覆われたる三次元の世界にあって、
光明を放て。
荘厳たる光明を放て。
この光明荘厳の法門を加えて、
私は、如来の四法印としよう。
よいか、よいか、よいか、よいか。
この世は、一時期の仮の宿りである。
仮の宿りではあるが、
この地上もまた、
永遠の仏陀のしろしめす地である。
わが統べる国である。
この地上を、光で満たすのだ。
悟りを開け。
そのときに、あなた方のその姿から、
荘厳たる光明が溢れくるであろう。
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まさに、直説金口であります。
しかし、見よ。
あなた方の同輩たちの愚かなることを―。
諸行が無常であることが、
まだわからぬか。
あなた方は、肉体という、
仮の姿に宿っているだけであるということが、
まだわからぬか。
この地上にあり、生きているものすべてが、
移ろいゆくものであることが、
まだわからぬか。
物質など、本来、姿形なきものであることが、
まだわからぬか。
その、時間の法が、諸行無常の法が、
二千六百年経って、まだわからぬか。
そして、諸法は無我であると、
私は同じく、あなた方に説いたはずである。
あなた方一人びとりは、個性ある魂のように見え、
あなた方の目に映るあらゆるものは、個別に見え、
各人が、それぞれの意志において生命を得ているかに見えて、
その実、宇宙の理法はただ一つであり、
すべては神の光から現われたるものである。
地にある人間も、動物も、植物も、鉱物も、
そして、この地を去りたるところにある霊存在も、
これらはすべて、一切は空である。
すべては空であり、
すべては神の光によってのみ存在しているのだ。
これを諸法無我という。
そして、われ、第三に説きたるは、
永遠の時間のなかにおける諸行無常と、
宇宙を貫く、縦の時間・空間を貫く軸のなかにおける諸法無我の、
この交わるところに、
永遠の生命が生きているということなのだ。
その真実を知ったときに、
あなた方は、この地上において、
生命ある身でありながら、
すでに涅槃に入ったのである。
すでに永遠の生命を得たのである。
すでにこの地上にて解脱したのである。
この第三の法門を、涅槃寂静の法門という。
諸行無常、
諸法無我、
涅槃寂静、
これが、
仏の説く法の印である三法印というものである。
記憶せよ。
しかし―しかし、しかし、しかし、しかし、
新世界の建設を担うべきあなた方に、
要請されている法門が、いま一つある。
光明荘厳の法門である。
涅槃寂静の、己れひとりの解脱をもって、
今世の修行としてはならぬ。
その身そのままが、
神仏よりいただいたる仏性を宿しているのであるならば、
この穢れたる、物質に覆われたる三次元の世界にあって、
光明を放て。
荘厳たる光明を放て。
この光明荘厳の法門を加えて、
私は、如来の四法印としよう。
よいか、よいか、よいか、よいか。
この世は、一時期の仮の宿りである。
仮の宿りではあるが、
この地上もまた、
永遠の仏陀のしろしめす地である。
わが統べる国である。
この地上を、光で満たすのだ。
悟りを開け。
そのときに、あなた方のその姿から、
荘厳たる光明が溢れくるであろう。



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2008.10.12
マスコミ注意報
マスコミは何のために存在しているのでしょうか?
マッチポンプ、総ワイドショー化には、皆うんざりしています。
精神性の向上や希望を阻害し、罪悪感や暗さを蔓延させる。
経済不況や格差社会を喧伝し、いたづらに不安を煽る。
正義の味方よろしく、不祥事や失言を取り上げ、集団で糾弾し、謝罪を要求する。
自らの左翼的なイデオロギーに不利になる情報は報じない、あるいは捏造する。
テレビ新聞雑誌と国民との乖離はますます激しくなるばかり。
もはや、末期的な様相を呈しています。
ネットという情報源を手に入れた人々は、気づきはじめています。
マスコミが、国民心理に悪影響を及ぼし不況をつくり上げていること。
国民を真に不幸にしているのはマスコミだということに。
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精神性の向上や希望を阻害し、罪悪感や暗さを蔓延させる。
経済不況や格差社会を喧伝し、いたづらに不安を煽る。
正義の味方よろしく、不祥事や失言を取り上げ、集団で糾弾し、謝罪を要求する。
自らの左翼的なイデオロギーに不利になる情報は報じない、あるいは捏造する。
テレビ新聞雑誌と国民との乖離はますます激しくなるばかり。
もはや、末期的な様相を呈しています。
ネットという情報源を手に入れた人々は、気づきはじめています。
マスコミが、国民心理に悪影響を及ぼし不況をつくり上げていること。
国民を真に不幸にしているのはマスコミだということに。



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2008.10.12
お坊さんはいづこに
このブログは、
もはや唯物主義者集団と成り下がった仏教界に対して発信しています。
仏教者にこそ見ていただきたいのです。
愚僧は、熱烈にお坊さんからの反応を求めているのです。
お坊さんはあまりネットなんかしないのでしょうか?
スピリチュアル仏教こそ本道だというお坊さんはいづこに?
伝統と信頼ある仏教教団だからこそ、出来ることもあります。
堂々と、正しい法を説けばいいだけなのです。
今が、救済力を失った仏教が再び力を取り戻せるかどうかの瀬戸際です。
日々、精進します。
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もはや唯物主義者集団と成り下がった仏教界に対して発信しています。
仏教者にこそ見ていただきたいのです。
愚僧は、熱烈にお坊さんからの反応を求めているのです。
お坊さんはあまりネットなんかしないのでしょうか?
スピリチュアル仏教こそ本道だというお坊さんはいづこに?
伝統と信頼ある仏教教団だからこそ、出来ることもあります。
堂々と、正しい法を説けばいいだけなのです。
今が、救済力を失った仏教が再び力を取り戻せるかどうかの瀬戸際です。
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2008.10.12
生きてこそ
生きるということは、楽しいことばかりではありません。
むしろ、苦しいことの方が多いのかもしれません。
そして、その人生から逃げ出したくなることも、誰にでもあります。
ふと、死ねば楽に成れるのに、と考えることも、誰にでもあります。
もちろん、自殺する自由もあります。
この世には、想像を絶する苦しみというものも現実に存在するからです。
しかし、とにかく生きることが最善です。
必ず、後に微笑むことが出来ます。
魂の存在や死後の世界を否定することは、人のいのちを奪うのと同罪です。
スピリティズムは、
自殺の問題に関して、有益で、より決定的な結論をもたらします。
スピリティズムは、自殺した人の死後の不幸な状態を見せることで、
誰も神の法則を破ることはできないのだということを証明してくれます。
神は、人間が自分に与えられた人生を短縮することを禁じています。
自殺した者の味わう苦しみは永遠ではなく、一時的なものですが、
だからといって、それが恐ろしいものではないということではありません。
神の命令が下る前にこの世を去ろうとする者がその実態を知ることができれば、
誰もがもう一度考え直したくなるような恐ろしいものなのです。
スピリティズムを信じる者は、このように自殺に反対する理由を持っています。
地球上に生きる間に甘受し、堪え忍んだ苦しみが大きければ大きいほど、
幸せにすることのできる未来の生命ヘの確信。
人生を短縮することが、期待する結果とはまったく反対の結果を生むという確信。
苦しみから逃れても、さらに恐ろしく、
長引くことになる苦境へ迫いやられるだけであるという確信。
自分を死に追いやれば、より早く天国へ行けると考えることが誤っているという確信。
自殺は霊の世界で愛する者と再会する上で障害となるという確信。
これらすべてのことが、自殺は失望しかもたらさず、
自分たちの関心とは相反しているものであると結論づけてくれるのです。
スピリティズムが改心させる自殺願望者の数は非常に大きなものです。
もし、すべての人がスピリティズムの考えを信じるようになれば、
意識的な自殺者はいなくなるでしょう。
自殺に関して、
唯物主義とスピリティズムの教義のそれぞれがもたらす結果を比べるならば、
一方の理論は自殺をうながし、
一方の理論は自殺を防ぐのだということがわかり、
そのことは経験からも証明されています。
アラン・カルデック「スピリティズムによる福音」
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むしろ、苦しいことの方が多いのかもしれません。
そして、その人生から逃げ出したくなることも、誰にでもあります。
ふと、死ねば楽に成れるのに、と考えることも、誰にでもあります。
もちろん、自殺する自由もあります。
この世には、想像を絶する苦しみというものも現実に存在するからです。
しかし、とにかく生きることが最善です。
必ず、後に微笑むことが出来ます。
魂の存在や死後の世界を否定することは、人のいのちを奪うのと同罪です。
スピリティズムは、
自殺の問題に関して、有益で、より決定的な結論をもたらします。
スピリティズムは、自殺した人の死後の不幸な状態を見せることで、
誰も神の法則を破ることはできないのだということを証明してくれます。
神は、人間が自分に与えられた人生を短縮することを禁じています。
自殺した者の味わう苦しみは永遠ではなく、一時的なものですが、
だからといって、それが恐ろしいものではないということではありません。
神の命令が下る前にこの世を去ろうとする者がその実態を知ることができれば、
誰もがもう一度考え直したくなるような恐ろしいものなのです。
スピリティズムを信じる者は、このように自殺に反対する理由を持っています。
地球上に生きる間に甘受し、堪え忍んだ苦しみが大きければ大きいほど、
幸せにすることのできる未来の生命ヘの確信。
人生を短縮することが、期待する結果とはまったく反対の結果を生むという確信。
苦しみから逃れても、さらに恐ろしく、
長引くことになる苦境へ迫いやられるだけであるという確信。
自分を死に追いやれば、より早く天国へ行けると考えることが誤っているという確信。
自殺は霊の世界で愛する者と再会する上で障害となるという確信。
これらすべてのことが、自殺は失望しかもたらさず、
自分たちの関心とは相反しているものであると結論づけてくれるのです。
スピリティズムが改心させる自殺願望者の数は非常に大きなものです。
もし、すべての人がスピリティズムの考えを信じるようになれば、
意識的な自殺者はいなくなるでしょう。
自殺に関して、
唯物主義とスピリティズムの教義のそれぞれがもたらす結果を比べるならば、
一方の理論は自殺をうながし、
一方の理論は自殺を防ぐのだということがわかり、
そのことは経験からも証明されています。
アラン・カルデック「スピリティズムによる福音」



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2008.10.12
信仰の意味
現代の仏陀の説かれる信仰のすすめです。
これ以上の幸福はありません。
あなたの主を信じ、あなたの主を愛しなさい。
そして、あなたの主の愛を受け止めなさい。
私があなた方を愛していることを信じなさい。
私はあなたがたを愛しています。
その私の愛を純粋に受け取ってください。
あなたがたが私を愛すれば、
「私もあなたがたを愛している。」ということかが分かってきます。
あなたがたが私を愛すれば愛するほどに、私の愛が分かってきます。
「あなたがたは愛されている。
あなたがたが、悲しみや苦しみのなかにあるとき、私もまた、あなたがたと共にいる。
あなたがたと共に苦しみ、共に悲しみ、そして、あなたがたを助けようとしている。」
そういうことが分かってきます。
私は、いつも、あなたがたと共にいます。
あなたがたが私を信じるかぎり、私は、いつも、あなたがたと共にいます。
朝も昼も夜も、どんなときも、あなたがたと共にいます。
あなたがたが病気で苦しんでいるときには、私も苦しんでいるのです。
私は、いつも、あなたがたと共にいます。
あなたがたが幸福なときにばかり、共にいるわけではありません。
あなたがたが私を必要としているときにこそ、私は、あなたがたと共にいるのです。
そのときのために私はいるのです。
あなたがたが一人で幸福に過ごせているときには、
私の姿を見ることはできないでしょう。
しかし、あなたがたが不幸のなかにあって、
ほんとうに困っているときには、私に祈ってください。
私のことを思ってください。
私は、必ず、あなたがたと共にいます。
それが信仰の意味です。
信仰とは親子以上の深い絆です。
なぜなら、私とあなたがたは魂でつながっているからです。
そして、信仰は、来世で、あなたがたが住む世界を決める鍵です。
この世において、いちばん大切なものは、実は信仰なのです。
この世において、
いちばん持ちにくいものも信仰であり、いちばん大切なものも信仰なのです。
信仰を得ることができたら、ほかのものは、もう要りません。
たとえ、会社で出世しなくても、お金持ちになれなくても、離婚をして苦しんでも、
愛する子供を失っても、事故に遭っても、病気になっても、車椅子の生活になっても、
信仰を失わなければ、あなたがたの前には希望の未来が必ず待ち受けています。
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
これ以上の幸福はありません。
あなたの主を信じ、あなたの主を愛しなさい。
そして、あなたの主の愛を受け止めなさい。
私があなた方を愛していることを信じなさい。
私はあなたがたを愛しています。
その私の愛を純粋に受け取ってください。
あなたがたが私を愛すれば、
「私もあなたがたを愛している。」ということかが分かってきます。
あなたがたが私を愛すれば愛するほどに、私の愛が分かってきます。
「あなたがたは愛されている。
あなたがたが、悲しみや苦しみのなかにあるとき、私もまた、あなたがたと共にいる。
あなたがたと共に苦しみ、共に悲しみ、そして、あなたがたを助けようとしている。」
そういうことが分かってきます。
私は、いつも、あなたがたと共にいます。
あなたがたが私を信じるかぎり、私は、いつも、あなたがたと共にいます。
朝も昼も夜も、どんなときも、あなたがたと共にいます。
あなたがたが病気で苦しんでいるときには、私も苦しんでいるのです。
私は、いつも、あなたがたと共にいます。
あなたがたが幸福なときにばかり、共にいるわけではありません。
あなたがたが私を必要としているときにこそ、私は、あなたがたと共にいるのです。
そのときのために私はいるのです。
あなたがたが一人で幸福に過ごせているときには、
私の姿を見ることはできないでしょう。
しかし、あなたがたが不幸のなかにあって、
ほんとうに困っているときには、私に祈ってください。
私のことを思ってください。
私は、必ず、あなたがたと共にいます。
それが信仰の意味です。
信仰とは親子以上の深い絆です。
なぜなら、私とあなたがたは魂でつながっているからです。
そして、信仰は、来世で、あなたがたが住む世界を決める鍵です。
この世において、いちばん大切なものは、実は信仰なのです。
この世において、
いちばん持ちにくいものも信仰であり、いちばん大切なものも信仰なのです。
信仰を得ることができたら、ほかのものは、もう要りません。
たとえ、会社で出世しなくても、お金持ちになれなくても、離婚をして苦しんでも、
愛する子供を失っても、事故に遭っても、病気になっても、車椅子の生活になっても、
信仰を失わなければ、あなたがたの前には希望の未来が必ず待ち受けています。



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2008.10.12
イエスと仏陀
イエス=キリストと仏陀はよく比較されます。
キリスト教信者は20億とも言われ、
その抱える霊人(ホワイト霊団)も多く、人類史に巨大な霊的インパクトを与えてきました。
一方の仏教信者は、特にアジア地域に多く、
八万四千の法と言われるほど、そのバラエティと教えの深さにおいては類を見ません。
どちらも、人類最高の指導者であることに異を唱える人はいないでしょう。
キリストの説いた、神への信仰と、愛と天国の教えは普遍的な真実です。
仏陀の説いた、
悟りの段階論、智慧や霊能の開発法、縁起の理法、多神の肯定、
カルマの法則、輪廻転生、霊界や宇宙の階層構造、慈悲の教えなどは、
未だに色あせない永遠の法です。
イエスと仏陀、共に9次元大如来。
イエスは、アガシャー、クリシュナとして生まれ、
仏陀は、トス、ヘルメスとして、人類を導いてきた存在です。
現在、イエスは霊界の最高責任者、
仏陀は、地上に降臨したワールドティーチャー。
偉大なる師に帰依します。
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キリスト教信者は20億とも言われ、
その抱える霊人(ホワイト霊団)も多く、人類史に巨大な霊的インパクトを与えてきました。
一方の仏教信者は、特にアジア地域に多く、
八万四千の法と言われるほど、そのバラエティと教えの深さにおいては類を見ません。
どちらも、人類最高の指導者であることに異を唱える人はいないでしょう。
キリストの説いた、神への信仰と、愛と天国の教えは普遍的な真実です。
仏陀の説いた、
悟りの段階論、智慧や霊能の開発法、縁起の理法、多神の肯定、
カルマの法則、輪廻転生、霊界や宇宙の階層構造、慈悲の教えなどは、
未だに色あせない永遠の法です。
イエスと仏陀、共に9次元大如来。
イエスは、アガシャー、クリシュナとして生まれ、
仏陀は、トス、ヘルメスとして、人類を導いてきた存在です。
現在、イエスは霊界の最高責任者、
仏陀は、地上に降臨したワールドティーチャー。
偉大なる師に帰依します。



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