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津田眞一国際仏教学大学院大学教授が、
優れた業績をあげた仏教学者に授与される東方学術賞を受賞しました。

ようやく仏教学界も唯物論から決別するようです。

日本仏教の夜明けは近い?

津田教授の主張は明快です。


私は開放系の神をいいます。
皆様は私を気狂いだとお思いになりますか。
事実私は気狂いではありませんし、神を、いや、
神観念の必然性をいう私の論理は酔狂っておりません。
平静そのものです。
またその論理は狂い様がないほど明白で単純なものです。
逆に、その明白で単純な論理からみまして、
仏教はキリスト教のような神観念を立てない宗教なのだ、
とする近代仏教学の思い込みの方が余程異常なのです。

仏教は人格神をもたない、というのは近代人の合理主義コンプレックス、
あるいは日本近代に特有の西欧ないしキリスト教コンプレックスの所産の、
要するに実体のない神話にすぎないのです。
当時、仏教は社会的にキリスト教に押しまくられていました。
それに対して、
「何をいってんだ、本場のヨーロッパではキリスト教の神なんて、もう古いんだぜ、
現にニーチェだって『神は死んだ』と言っているではないか。
そこへいくと我々の仏教は最初から神観念をたてない、
神観念を立てる必要のない合理的な宗教なんだから、神、超越的な人格神、
などという不合理な観念をたてるキリスト教より優れているんだぞ」というわけです。
しかし、こんなつまらない理由で神観念が否定されてはたまったものではありません。


「アーラヤ的世界とその神」




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2008.10.17 独立自尊の魂
日本を代表する啓蒙思想家であり教育者の福沢諭吉氏。

氏は、時事新報の創刊者、慶應義塾の創設者として有名です。

合理精神を重んじ、「独立自尊」をかかげて人々を啓蒙し、
日本の近代化に大きく貢献しました。

自伝には、こう記されています。

「外国交際または内国の憲法政治などについて、
それこれと言う議論は政治家のこととして差し置き、
私の生涯の中にでかしてみたいと思うところは、
全国男女の気品を次第々々に高尚に導いて、
真実文明の名に恥ずかしくないようにすることと、
仏法にても耶蘇教にてもいずれにても宜しい、
これを引き立てて多数の民心を和らげるようにすることと、
大いに金を投じて有形無形、高尚なる学理を研究させるようにすることと、
およそこの三ヵ条です。」

彼は宗教には淡白であったとされていますが、神仏を敬う精神を持っていました。

それもそのはず、
彼の魂は、ギリシャの自由な精神を尊び、
天界の描写から魂の不滅までを説き、
国家に尽くした政治家は死後正当な報いを受けると唱えた、
共和政ローマ期の文筆家、哲学者のキケロ。
また、「理一分殊」という形而上学を唱えて、儒教を集大成して朱子学を確立し、
「少年老い易く、学成りがたし」と自己修養を勧めた朱子なのです。

彼は、自立と自由を伝える魂でありました。


天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり。
されば天より人を生ずるには、
万人は万人皆同じ位にして、生れながら貴賤上下の差別なく、
万物の霊たる身と心との働を以て、
天地の間にあるよろずの物を資り、以て衣食住の用を達し、
自由自在、互に人の妨をなさずして、各安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。

「学問のすすめ」



 
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