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2008.10.29 王道
仏の教えは幅広く、
他力を強調する場合も、自力を強調する場合もあります。

前者の教えは、
信仰による救い、そのまま、あるがまま、感謝、許し、人間皆神、一気に悟る頓悟。

後者の教えは、
努力精進、自戒・修行・伝道の勧め、愛(菩薩行)の実践、そして悟りの階梯を登る漸悟。

しかし、お釈迦さまの本懐は、
最後の言葉である、「怠ることなく修行を完成させよ」に示されています。

わざわざ、あの世からこの世に生まれてくるのは、進歩向上の為です。

幾転生を重ねても、魂は変化なくあるいは退化するのであれば、
苦しみ多いこの世に生まれてくる必要はありません。

神の意図が、生命の限りない進化発展にある以上、それに従うのが王道です。

やはり仏教の特色は、自己開発、自分づくりにあるのです。

それが、破滅や堕落、魔の誘惑から身を守る、最も確かで安全な道なのです。




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2008.10.29 宗教者として
日本の仏教者のなかに、
霊魂否定論者の多いことには、ほとほと呆れてしまいます。

無常だ、実体など無い、空だ、などと言いながらも、
肉体の欲望や世俗の楽しみの追求には余念がないところを見ると、
物質だけは実体視しているようです。

まさに、神をも恐れぬ単なる唯物論者です。

そのような僧侶に、ターミナルケアやスピリチュアルケアなど望むべくもありません。

霊魂を否定する僧侶は、宗教者ではないのです。

今求められているのは、江原氏のような魂を語れる本当の宗教者です。

仏説を信じず、信仰を否定し、霊を嘲笑し、輪廻や地獄極楽を合理化する現代の僧侶。

この存在が、仏教衰退の元凶です。




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中世ルネサンスの本質は、
文芸復興などではなく、
プラトン主義、ヘルメス神秘思想、魔術の再生でありました。

当時の科学では、生気論が主流であって、
霊魂の存在は自明なものとして扱われていました。

そして、科学と宗教は、相即不離の関係にありました。

ニュートン、ケプラー、ガリレオ、ベーコン、デカルトの主たる関心ごとは、
神の働きの解明にあったのです。

現代では、19世紀の合理主義者の謬見が未だに根強く支持されているため、
このような世界観は、主流の座から降ろされています。

しかし、これまで一度も、合理主義者が完全勝利したことはありません。

ルネサンス的な精神、思想は、形を変えながらも、生き延びてきました。

むしろ、近年においては、ルネサンスは再評価され、
唯物論の崩壊によってパラダイムは転換しようとしています。

この兆候は、境界科学の広がりを見ても明らかです。

再び、新たなルネサンスが興る日も近いのです。

すなわちそれは、第五元素エーテルの復活、科学と宗教の再結合です。




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