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2008.10.30
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2008.10.30
仏陀の神変
奇跡を起こせば、霊を目の前に見せれば、
言うことを信じようとせまる人がいるのは、今も昔も変わりありません。
仏教はキリスト教のような奇跡を説かない合理的な宗教であるという説も、
そのような懐疑論者による捏造です。
仏典は、あらゆる偏見を捨て、素直に読む必要があるのです。
世尊は、次第に遊行しながら、ウルヴェーラーに至りたもうた。
その時、ウルヴェーラーには、ウルヴェーラ・カッサパ、ナディー・カッサパ、
ガヤー・カッサパという、三人の結髪(髪を巻き貝のように結い上げた)行者たちが住んでいた。
そのうち、ウルヴェーラ・カッサパという結髪行者は、五百人の結髪行者たちの指導者であり、
統率者であり、頭目であり、上首であり、最上者であった。
ナディー・カッサパという結髪行者は、三百人の結髪行者たちの指導者であり、統率者であり、
頭目であり、上首であり、最上者であった。
ガヤー・カッサパという結髪行者は、ニ百人の結髪行者たちの指導者であり、
統率者であり、頭目であり、上首であり、最上者であった。
時に、世尊は、
結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパの庵に近い、あるうっそうとした森に住された。
時に、世界の主・梵天が、深夜に、絶妙な色彩をもってあまねくうっそうとした森を照らし、
世尊のおられるところに現れた。
向かって、世尊に敬礼し、あたかも大きな火の塊のようにかたわらに立った。
時に、結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパは、
その夜が過ぎてから、世尊のおられるところに向かった。
そして、世尊に、次のように語りかけた。
「大沙門よ、時間となりました。食事が調いました。
どの者が、深夜に、絶妙な色彩をもってあまねくうっそうとした森を照らし、
あなたのおられるところに現れ、向かってあなたに敬礼し、
あたかも大きな火の塊のようにかたわらに立ったのですか」と。
「カッサパよ、この者は世界の主・梵天で、私のいるところに、
真理を聞くために現れたのです」と。
時に、結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパに、次のような思念が生じた。
「大沙門は、大神通を持ち、大威神力を持っている。
なぜなら、世界の主・梵天すらも、真理を聞くために現れるほどであるから。
しかし、彼は、私のような尊敬を受けるに値する人ではない」と。
時に、世尊は、
結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパの庵に近い、あるうっそうとした森に住された。
時に、結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパは、
その夜が過ぎてから、世尊のおられるところに向かった。
向かって、幸あるお方に、時刻を告げた。
「時間となりました。食事が調いました」と。
「カッサパよ、先に行ってください。私はあとからまいります」と、
世尊は、結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパを先に送ってから、
三十三天に赴かれ、パーリッチャッタカの花を取り、
結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパよりも先に着き、聖火堂に坐したもうた。
結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパは、世尊が、聖火堂に坐しておられるのを見た。
見て、幸あるお方に、次のように語りかけた。
「大沙門よ、あなたはどの道によって来られたのですか。
私は、あなたよりも先に出立しました。
そのあなたが、先に着いて聖火堂に坐しておられる」と。
「カッサパよ、私は、今、あなたを先に送ってから、三十三天に赴き、
パーリッチャッタ力の花を取り、あなたよりも先に着いて、聖火堂に座したのです。
カッサパよ、このパ―リッチャッタカの花は、色麗しく、香りに満ちている。
もしお望みなら、お持ちください」と。
「大沙門よ、よしましよう。あなただけが、この花を持つにふさわしい人です。
あなたがこれをお持ちください」と。
時に、結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパに、次のような思念が生じた。
「大沙門は、大神通を持ち、大威神力を持っている。
私を先に送ってから、三十三天に赴き、パーリッチャッタカの花を取り、
私よりも先に着き、聖火堂に坐すほどであるから。
しかし、彼は、私のような尊敬を受けるに値する人ではない」と。
その時、彼ら結髪行者たちは、火に奉仕しようと思っても、薪を割ることができなかった。
時に、彼ら結髪行者たちに、次のような思念が生じた。
「私たちが薪を割れないのは、疑いなく、大沙門の神通・威神力のためだ」と。
時に、世尊は、結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパに、次のように語りかけられた。
「カッサパよ、薪を割りたまえ」と。
「大沙門よ、割ってください」と。
たちまち、五百の薪が割れた。
時に、結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパに、次のような思念が生じた。
「大沙門は、大神通を持ち、大威神力を持っている。
なぜなら、薪すらも割るほどであるから。
しかし、彼は、私のような尊敬を受けるに値する人ではない」と。
その時、彼ら結髪行者たちは、火に奉仕しようと思っても、火を燃やすことができなかった。
時に、彼ら結髪行者たちに、次のような思念が生じた。
「私たちが火を燃やすことができないのは、疑いなく、大沙門の神通・威神力のためだ」と。
時に、世尊は、結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパに、次のように語りかけられた。
「カッサパよ、火を燃やしたまえ」と。
「大沙門よ、火を燃やしてください」と。
たちまち、五百の火が燃えた。
時に、結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパに、次のような思念が生じた。
「大沙門は、大神通を持ち、大成神力を持っている。
なぜなら、火すらも燃やすほどであるから。
しかし、彼は、私のような尊敬を受けるに値する人ではない」と。
その時、彼ら結髪行者たちは、火に奉仕したあとで、火を消すことができなかった。
時に、彼ら結髪行者たちに、次のような思念が生じた。
「私たちが火を消すことができないのは、疑いなく、大沙門の神通・威神力のためだ」と。
時に、世尊は、結髪行者・ウルヴェ―ラ・カッサパに、次のように語りかけられた。
「カッサパよ、火を消したまえ」と。
「大沙門よ、火を消してください」と。たちまち、五百の火が消えた。
時に、結髪行者、ウルヴェーラ・カッサパに、次のような思念が生じた。
「大沙門は、大神通を持ち、大威神力を持っている。
なぜなら、火すらも消すほどであるから。
しかし、彼は、私のような尊敬を受けるに値する人ではない」と。
その時、結髪行者たちは、寒い冬の夜、八日祭と八日祭の間、
雪が降る時節、ネーランジャラー河で、沈んだり、浮き上がったり、
沈んだり浮き上がったりを繰り返す行を修した。
時に、世尊は、五百の暖炉を何もないところからお造りになった。
そこで彼ら結髪行者たちは、河から上がってから、暖を取ってくつろいだ。
時に、彼ら結髪行者たちに、次のような思念が生じた。
「これらの暖炉が造られたのは、疑いなく、大沙門の神通・成神力のためだ」と。
時に、結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパに、次のような思念が生じた。
「大沙門は、大神通を持ち、大威神力を持っている。
なぜなら、大きな暖炉を造るほどであるから。
しかし、彼は、私のような尊敬を受けるに値する人ではない」と。
その時、時ならぬ大雲が雨を降らせ、大洪水が起こった。
世尊が住しておられた場所も、水で覆われた。
時に、世尊に、次のような思念が生じた。
「あらゆる方角に水を退け、真ん中で、
塵にまみれた地面の上でそぞろ歩きしたらどうだろうか」と。
時に、世尊は、あらゆる方角に水を退け、真ん中で、
塵にまみれた地面の上でそぞろ歩きしたもうた。
時に、結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパは、「大沙門が水に流されてはならない」と考え、
船に乗り、大変に多くの結髪行者たちとともに、世尊が住しておられた場所に赴いた。
結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパは、幸あるお方が、あらゆる方角に水を退け、
真ん中で、塵にまみれた地面の上でそぞろ歩きされているのを見た。
見て、世尊に、次のように語りかけた。
「大沙門よ、あなたはここにおいででしたか」と。
「カッサパよ、私はここにいる」と言って、世尊は、空中に飛び上がり、船の中に立たれた。
時に、結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパに、次のような思念が生じた。
「大沙門は、大神通を持ち、大威神力を持っている。
なぜなら、水すらも彼をさらって行かないほどであるから。
しかし、彼は、私のような尊敬を受けるに値する人ではない」と。
時に、世尊に、次のような思念が生じた。
「この愚かな男には、いつまでも、次のような思念が生ずるであろう。
『大沙門は、大神通を持ち、大威神力を持っている。
しかし、私のような尊敬を受けるに値する人ではない』と。
私は、この結髪行者を驚かせ信心を起こさせてはどうだろうか」と。
時に、世尊は、結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパに、次のように語りかけられた。
「カッサパよ、あなたは、尊敬を受けるに値する人ではないし、
また、尊敬を受けるに値する人になる道に入っているのでもない。
あなたが尊敬を受けるに値する人となったり、
あるいはそういう人の尊敬を受けるに値する人になる道に入ったりとなるその道を、
あなたはまだ得ていない」と。
時に、結髪行者・ウルヴエーラ・カッサパは、世尊の足に頭をつけて礼拝し、
世尊に、次のように語りかけた。
「尊いお方よ、私は、世尊のもとで出家し、具足戒を得たいと存じます」と。
パーリ原始仏典律蔵「大品」
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
言うことを信じようとせまる人がいるのは、今も昔も変わりありません。
仏教はキリスト教のような奇跡を説かない合理的な宗教であるという説も、
そのような懐疑論者による捏造です。
仏典は、あらゆる偏見を捨て、素直に読む必要があるのです。
世尊は、次第に遊行しながら、ウルヴェーラーに至りたもうた。
その時、ウルヴェーラーには、ウルヴェーラ・カッサパ、ナディー・カッサパ、
ガヤー・カッサパという、三人の結髪(髪を巻き貝のように結い上げた)行者たちが住んでいた。
そのうち、ウルヴェーラ・カッサパという結髪行者は、五百人の結髪行者たちの指導者であり、
統率者であり、頭目であり、上首であり、最上者であった。
ナディー・カッサパという結髪行者は、三百人の結髪行者たちの指導者であり、統率者であり、
頭目であり、上首であり、最上者であった。
ガヤー・カッサパという結髪行者は、ニ百人の結髪行者たちの指導者であり、
統率者であり、頭目であり、上首であり、最上者であった。
時に、世尊は、
結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパの庵に近い、あるうっそうとした森に住された。
時に、世界の主・梵天が、深夜に、絶妙な色彩をもってあまねくうっそうとした森を照らし、
世尊のおられるところに現れた。
向かって、世尊に敬礼し、あたかも大きな火の塊のようにかたわらに立った。
時に、結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパは、
その夜が過ぎてから、世尊のおられるところに向かった。
そして、世尊に、次のように語りかけた。
「大沙門よ、時間となりました。食事が調いました。
どの者が、深夜に、絶妙な色彩をもってあまねくうっそうとした森を照らし、
あなたのおられるところに現れ、向かってあなたに敬礼し、
あたかも大きな火の塊のようにかたわらに立ったのですか」と。
「カッサパよ、この者は世界の主・梵天で、私のいるところに、
真理を聞くために現れたのです」と。
時に、結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパに、次のような思念が生じた。
「大沙門は、大神通を持ち、大威神力を持っている。
なぜなら、世界の主・梵天すらも、真理を聞くために現れるほどであるから。
しかし、彼は、私のような尊敬を受けるに値する人ではない」と。
時に、世尊は、
結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパの庵に近い、あるうっそうとした森に住された。
時に、結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパは、
その夜が過ぎてから、世尊のおられるところに向かった。
向かって、幸あるお方に、時刻を告げた。
「時間となりました。食事が調いました」と。
「カッサパよ、先に行ってください。私はあとからまいります」と、
世尊は、結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパを先に送ってから、
三十三天に赴かれ、パーリッチャッタカの花を取り、
結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパよりも先に着き、聖火堂に坐したもうた。
結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパは、世尊が、聖火堂に坐しておられるのを見た。
見て、幸あるお方に、次のように語りかけた。
「大沙門よ、あなたはどの道によって来られたのですか。
私は、あなたよりも先に出立しました。
そのあなたが、先に着いて聖火堂に坐しておられる」と。
「カッサパよ、私は、今、あなたを先に送ってから、三十三天に赴き、
パーリッチャッタ力の花を取り、あなたよりも先に着いて、聖火堂に座したのです。
カッサパよ、このパ―リッチャッタカの花は、色麗しく、香りに満ちている。
もしお望みなら、お持ちください」と。
「大沙門よ、よしましよう。あなただけが、この花を持つにふさわしい人です。
あなたがこれをお持ちください」と。
時に、結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパに、次のような思念が生じた。
「大沙門は、大神通を持ち、大威神力を持っている。
私を先に送ってから、三十三天に赴き、パーリッチャッタカの花を取り、
私よりも先に着き、聖火堂に坐すほどであるから。
しかし、彼は、私のような尊敬を受けるに値する人ではない」と。
その時、彼ら結髪行者たちは、火に奉仕しようと思っても、薪を割ることができなかった。
時に、彼ら結髪行者たちに、次のような思念が生じた。
「私たちが薪を割れないのは、疑いなく、大沙門の神通・威神力のためだ」と。
時に、世尊は、結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパに、次のように語りかけられた。
「カッサパよ、薪を割りたまえ」と。
「大沙門よ、割ってください」と。
たちまち、五百の薪が割れた。
時に、結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパに、次のような思念が生じた。
「大沙門は、大神通を持ち、大威神力を持っている。
なぜなら、薪すらも割るほどであるから。
しかし、彼は、私のような尊敬を受けるに値する人ではない」と。
その時、彼ら結髪行者たちは、火に奉仕しようと思っても、火を燃やすことができなかった。
時に、彼ら結髪行者たちに、次のような思念が生じた。
「私たちが火を燃やすことができないのは、疑いなく、大沙門の神通・威神力のためだ」と。
時に、世尊は、結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパに、次のように語りかけられた。
「カッサパよ、火を燃やしたまえ」と。
「大沙門よ、火を燃やしてください」と。
たちまち、五百の火が燃えた。
時に、結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパに、次のような思念が生じた。
「大沙門は、大神通を持ち、大成神力を持っている。
なぜなら、火すらも燃やすほどであるから。
しかし、彼は、私のような尊敬を受けるに値する人ではない」と。
その時、彼ら結髪行者たちは、火に奉仕したあとで、火を消すことができなかった。
時に、彼ら結髪行者たちに、次のような思念が生じた。
「私たちが火を消すことができないのは、疑いなく、大沙門の神通・威神力のためだ」と。
時に、世尊は、結髪行者・ウルヴェ―ラ・カッサパに、次のように語りかけられた。
「カッサパよ、火を消したまえ」と。
「大沙門よ、火を消してください」と。たちまち、五百の火が消えた。
時に、結髪行者、ウルヴェーラ・カッサパに、次のような思念が生じた。
「大沙門は、大神通を持ち、大威神力を持っている。
なぜなら、火すらも消すほどであるから。
しかし、彼は、私のような尊敬を受けるに値する人ではない」と。
その時、結髪行者たちは、寒い冬の夜、八日祭と八日祭の間、
雪が降る時節、ネーランジャラー河で、沈んだり、浮き上がったり、
沈んだり浮き上がったりを繰り返す行を修した。
時に、世尊は、五百の暖炉を何もないところからお造りになった。
そこで彼ら結髪行者たちは、河から上がってから、暖を取ってくつろいだ。
時に、彼ら結髪行者たちに、次のような思念が生じた。
「これらの暖炉が造られたのは、疑いなく、大沙門の神通・成神力のためだ」と。
時に、結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパに、次のような思念が生じた。
「大沙門は、大神通を持ち、大威神力を持っている。
なぜなら、大きな暖炉を造るほどであるから。
しかし、彼は、私のような尊敬を受けるに値する人ではない」と。
その時、時ならぬ大雲が雨を降らせ、大洪水が起こった。
世尊が住しておられた場所も、水で覆われた。
時に、世尊に、次のような思念が生じた。
「あらゆる方角に水を退け、真ん中で、
塵にまみれた地面の上でそぞろ歩きしたらどうだろうか」と。
時に、世尊は、あらゆる方角に水を退け、真ん中で、
塵にまみれた地面の上でそぞろ歩きしたもうた。
時に、結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパは、「大沙門が水に流されてはならない」と考え、
船に乗り、大変に多くの結髪行者たちとともに、世尊が住しておられた場所に赴いた。
結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパは、幸あるお方が、あらゆる方角に水を退け、
真ん中で、塵にまみれた地面の上でそぞろ歩きされているのを見た。
見て、世尊に、次のように語りかけた。
「大沙門よ、あなたはここにおいででしたか」と。
「カッサパよ、私はここにいる」と言って、世尊は、空中に飛び上がり、船の中に立たれた。
時に、結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパに、次のような思念が生じた。
「大沙門は、大神通を持ち、大威神力を持っている。
なぜなら、水すらも彼をさらって行かないほどであるから。
しかし、彼は、私のような尊敬を受けるに値する人ではない」と。
時に、世尊に、次のような思念が生じた。
「この愚かな男には、いつまでも、次のような思念が生ずるであろう。
『大沙門は、大神通を持ち、大威神力を持っている。
しかし、私のような尊敬を受けるに値する人ではない』と。
私は、この結髪行者を驚かせ信心を起こさせてはどうだろうか」と。
時に、世尊は、結髪行者・ウルヴェーラ・カッサパに、次のように語りかけられた。
「カッサパよ、あなたは、尊敬を受けるに値する人ではないし、
また、尊敬を受けるに値する人になる道に入っているのでもない。
あなたが尊敬を受けるに値する人となったり、
あるいはそういう人の尊敬を受けるに値する人になる道に入ったりとなるその道を、
あなたはまだ得ていない」と。
時に、結髪行者・ウルヴエーラ・カッサパは、世尊の足に頭をつけて礼拝し、
世尊に、次のように語りかけた。
「尊いお方よ、私は、世尊のもとで出家し、具足戒を得たいと存じます」と。
パーリ原始仏典律蔵「大品」



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2008.10.30
アートマン
仏教無霊魂説の根拠は、
お釈迦さまが「アートマン」を否認している、という事実にあります。
しかしながら、仏典のなかには、
ジーヴァ(魂)、非物質領域の存在、神霊やヤッカ(鬼神)や悪魔、
化生の生けるもの、突如姿を現し消えていく霊的存在、
意によって自在に肉体を離れる幽体、肉体の死後に四方を飛びまわる識、
受胎の際に入るガンダッバ、などが説かれた箇所が多数散見されます。
これはどういうことでしょうか?
当時のインドの聖典ヴェーダを奉じるヨガ行者達は、不滅のアートマンを信じていました。
アートマンとは、このようなものです。
ヒンドゥー教にいう普遍的かつ唯一の霊魂。
肉体から独立した絶対的な我でもある。
感覚や思考や欲望のかなたにあるところから、
いわばそれはエゴを否定するものともいえる。
それはまた個人のすべての活動を根底から結びつけ、統一するが、
これらの活動とは個別的であれ、全体的であれ、いかなる従属関係にもない。
そのかぎりにおいて、アートマンはそれ自体未分化な絶対者ブラフマーと同一視される。
『ティヨ・ビンドゥ・ウパニシャド』は、こうした考えについて次のように説明している。
「…宇宙なり、ブラフマーなりをシンボルとするものは、あきらかにアートマンにほかならない」。
至高のアートマンは、知でもなければ非知でもない。
存在でも非在でもない。
それゆえこれを理解したり定義したりすることはできず、思考や記述の対象にもなりえない。
さらに、不変・不滅のものであり、終わりもなければ始まりもない。
ヨーガの苦行が向かおうとするのは、まさにこの心的な空であり、
個体的な条件を越えたところにある。(『世界秘儀秘教辞典』)
すなわち、この思想では、
「人間の霊魂と神は同一であって、死後には直ちに、個別性は失われ絶対的存在と成る」、
のであって、極めて大雑把な霊魂観であることが分かります。
これが梵(神)我一如という思想です。
お釈迦さまは、天眼・宿命通力をもって、
生きとし生けるもの達が、生前になした行為、そのカルマにしたがって、
様々な階層の霊界に赴き、そしてまた地上に生まれては、幾度も転生を重ねている、
という生命の実相を霊視することができました。
このことは、
仏陀にしか知りえない認識困難な霊的真実でありました。
その悟りえた事実から、お釈迦さまは、
「人間は死ねば終りではない。
しかしながら、生前の姿そのままに死後存続するのでもない。
不変の絶対的な実体というものがあるわけではない。
また、霊魂は神そのものというのでもない。
そうではなく、カルマによって生成され転変する個性を持った本質、
霊的生命というべきものが、永遠に進化していくのだ。」と説かれたのです。
無霊魂主義の唯物論的立場でも、
死ねば誰もが神と一体になるという立場でも、仏道修行は無意味となるのです。
この両極端を排し、断常の中道を説いたのでありました。
ですから、
お釈迦さまは、無霊魂を説いたのではなく、
ヨガ行者の信じていた霊魂観を、生命の実相の観点から修正したと見るべきなのです。
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お釈迦さまが「アートマン」を否認している、という事実にあります。
しかしながら、仏典のなかには、
ジーヴァ(魂)、非物質領域の存在、神霊やヤッカ(鬼神)や悪魔、
化生の生けるもの、突如姿を現し消えていく霊的存在、
意によって自在に肉体を離れる幽体、肉体の死後に四方を飛びまわる識、
受胎の際に入るガンダッバ、などが説かれた箇所が多数散見されます。
これはどういうことでしょうか?
当時のインドの聖典ヴェーダを奉じるヨガ行者達は、不滅のアートマンを信じていました。
アートマンとは、このようなものです。
ヒンドゥー教にいう普遍的かつ唯一の霊魂。
肉体から独立した絶対的な我でもある。
感覚や思考や欲望のかなたにあるところから、
いわばそれはエゴを否定するものともいえる。
それはまた個人のすべての活動を根底から結びつけ、統一するが、
これらの活動とは個別的であれ、全体的であれ、いかなる従属関係にもない。
そのかぎりにおいて、アートマンはそれ自体未分化な絶対者ブラフマーと同一視される。
『ティヨ・ビンドゥ・ウパニシャド』は、こうした考えについて次のように説明している。
「…宇宙なり、ブラフマーなりをシンボルとするものは、あきらかにアートマンにほかならない」。
至高のアートマンは、知でもなければ非知でもない。
存在でも非在でもない。
それゆえこれを理解したり定義したりすることはできず、思考や記述の対象にもなりえない。
さらに、不変・不滅のものであり、終わりもなければ始まりもない。
ヨーガの苦行が向かおうとするのは、まさにこの心的な空であり、
個体的な条件を越えたところにある。(『世界秘儀秘教辞典』)
すなわち、この思想では、
「人間の霊魂と神は同一であって、死後には直ちに、個別性は失われ絶対的存在と成る」、
のであって、極めて大雑把な霊魂観であることが分かります。
これが梵(神)我一如という思想です。
お釈迦さまは、天眼・宿命通力をもって、
生きとし生けるもの達が、生前になした行為、そのカルマにしたがって、
様々な階層の霊界に赴き、そしてまた地上に生まれては、幾度も転生を重ねている、
という生命の実相を霊視することができました。
このことは、
仏陀にしか知りえない認識困難な霊的真実でありました。
その悟りえた事実から、お釈迦さまは、
「人間は死ねば終りではない。
しかしながら、生前の姿そのままに死後存続するのでもない。
不変の絶対的な実体というものがあるわけではない。
また、霊魂は神そのものというのでもない。
そうではなく、カルマによって生成され転変する個性を持った本質、
霊的生命というべきものが、永遠に進化していくのだ。」と説かれたのです。
無霊魂主義の唯物論的立場でも、
死ねば誰もが神と一体になるという立場でも、仏道修行は無意味となるのです。
この両極端を排し、断常の中道を説いたのでありました。
ですから、
お釈迦さまは、無霊魂を説いたのではなく、
ヨガ行者の信じていた霊魂観を、生命の実相の観点から修正したと見るべきなのです。



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2008.10.30
天下分け目の決戦
2008.10.30
世界の再生
西洋合理主義は、
キリスト教宗教改革の、
「想像的なもの」に対する、すみずみまで浸透した検閲の産物だとも言われます。
その急進的な改革によって、大自然と人間が分離され、宇宙との繋がりは失われ、
異教・異端・預言・魔術・錬金術・降神術・記憶術・占星術への徹底した迫害が行われました。
その後、西洋では、宗教性を失ったキリスト教に変わって、
「物質科学」や「偶然」という新しい「真理」が登場します。
現代では、この西洋文明が世界を席巻し、そして閉塞状況に陥っています。
失われたものは、容易に取り戻すことは出来ません。
しかし、世界は再生されなければなりません。
そのための新しい宗教改革が、ここ日本を発祥として起きつつあります。
これこそが、人類の唯一の希望なのです。
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キリスト教宗教改革の、
「想像的なもの」に対する、すみずみまで浸透した検閲の産物だとも言われます。
その急進的な改革によって、大自然と人間が分離され、宇宙との繋がりは失われ、
異教・異端・預言・魔術・錬金術・降神術・記憶術・占星術への徹底した迫害が行われました。
その後、西洋では、宗教性を失ったキリスト教に変わって、
「物質科学」や「偶然」という新しい「真理」が登場します。
現代では、この西洋文明が世界を席巻し、そして閉塞状況に陥っています。
失われたものは、容易に取り戻すことは出来ません。
しかし、世界は再生されなければなりません。
そのための新しい宗教改革が、ここ日本を発祥として起きつつあります。
これこそが、人類の唯一の希望なのです。



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