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2008.11.10 覚醒の時
人々は精神的価値観に目覚めようとしている。

変化は急速に起こっている。

物質偏重の文明を疑問視する声があちこちにあがっている。

神の粒子が発見されようとしている。

マスコミにも、癒しや感動を提供するスピリチュアルを否定しずらい空気があるという。

宗教に傷つけられた人も、死の恐怖に怯える人も、スピリチュアルを受け入れ始めている。

スピリチュアルは何ら新しいものではない。

近代の啓蒙主義が地下に閉じ込めたものが、表舞台に登場して来たにすぎない。

これに抵抗している存在は、欺瞞と糊塗の仮面が剥がされるのを恐れている。

意識は光の一種であり、物質にさえ作用する。

愛・知・反省・発展の精神こそが、世界を変える。

これに目覚めた人は、とてつもない幸福者である。




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我が宗教にこそ唯一最高の真理真実が説かれている、
という主張はよく聞かれますが、こういう独善性は宗教者にありがちです。

物理学こそが真実で、生物学や数学は真実では無いと、一体誰が言うでしょうか?

本来、大自然の地球上には、人間の作った国境などの区分はありません。

宗教だけは、現象や事実を無視して、偏狭な姿勢を変えようとしません。

これでは、宗教は狂信的だと言われても仕方がありません。

宗教者は、教義や教学ではなく、事実を語るべきなのです。

事実を語らねば、信用回復ははかれません。

神はいるのかいないのか、あの世はあるのかないのか、事実はどちらかです。




歴史的に長い間、教義に対する客観的判断や考慮がなされず、
人々がそれに慣らされて、盲目的に信じて来ているのが宗教である。
例えば、訳の判らぬ仏教の経文を葬式で唱えれば本当に御霊が浮かばれて、
霊的次元が高まっていくのか、という様な事を人々は考慮せず、
過去からの伝統的習慣として漫然と行って来ている。
この地球人類の宗教とは私観的、情緒的なものであり、
人々は自分達の宗教と一致しない他宗教の人々は、
間違っていると頭から信じている場合が多い。
この様な観念で人々がそれぞれの宗教宗派を盲目的に信仰しているから、
地球上の宗教宗派の紛争は歴史的に長く継続され解決がなされないのである。
大切な事は大自然界の事実である。 
大自然界の大いなる生命そのものの力と働きには宗教宗派の差別はない。
人間・動物・植物の差別すら大自然界の生命の営みに差別はないのだ。
宗教宗派は、人間が大自然界の事実の一部をそれぞれに認識して、
人為的に作った大自然界の解釈の方法手段である。
大自然界の単なる解釈の方法手段なるが故に事実、
宗教宗派はなくても全生物の生存は可能なのだ。
しかし、もし大自然界の大生命の営みがなければ、
如何なる生物の生存も不可能である。
宗教宗派で言う真理とは、大自然界の事実そのものを意味していなければ何らの価値もない。
宗教宗派の真理が大自然界の事実そのものに立脚していなけれは、
人間の単なる勝手な想像・錯覚に過ぎないからだ。
大自然界の事実を解釈する方法や手段には自由選択性があっても良いが、
事実に立脚していない事を宗教宗派で真理や教義としている事は明らかな間違いである。
宗教宗派が大自然界の事実に沿った解釈や教義をしているならば、
宗教宗派の分裂や争いは無くなる。
何故なら、普遍共通なる大自然界の事実を真理や教義としていれば、
悟ったところは全て同じ事になるからである。
人類が今日持っている様な宗教宗派の分裂や対立を、
キリスト・釈迦は、当時予想もしなかったであろう。
彼らの解いた真理や教義とは大自然界の事実そのものであり、
宗教宗派ではなかったから、人類の宗教宗派による分裂・対立・紛争などは、
彼らにとっては想像もつかなかった事であろう。

ジナ・サーミナラ「神の理性」




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ロンドン仏教協会長であったC・ハンフレーズ氏は、
1946年に来日し、戦後の日本仏教復興の為に、
日本仏教界17宗派に、統一的な信条としての「仏教の十二原理」を提示しました。

この提案には、各宗派が同意し、
一時的ではあれ、日本に全一仏教が誕生したのです。

この原理は、その後、
マルクス主義の席巻とともに忘れさられてしまいました。


以下は全仏教に共通なる基本的原理又は真理とする所である。

第二。
万有の根本事実は転変あるいは無常の法則である。
一切の存在は土竜より大山に至るまで、一想念より天下国家に至るまで、
存在の同一循環、即ち生成、発展、凋落及び死滅の道程を進行するものである。
ただ、万有の根源的生命のみは永遠にして、万物の間に自己を実現して行くものである。

第三。
転変無常の法則は、人間霊魂に就きてもまた同様であり、
人間霊魂と呼ばれるものは不死不変でない。
ただ思議すべからざるもの、即ち最高の実在のみは流転を超越しており、
人間を始め、一切の有情はこの最高実在の顕現に外ならない。
何人といえども、自身中に流動しつつあるこの根源的生命を容易に捕捉し難きことは、
あたかも、彼の電球に光明を付与する電流の把握し難きが如くである。





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