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2008.11.22
霊能力の限界
釈迦当時のインドと同じように、日本にも無数の教祖が存在しています。
しかし、外道には法による救済力がありません。
現代の仏陀は、このように解き明かされています。
日本には二十万近い数の宗教団体があり、
登録していないものは、その三倍あるとも言われていますが、大部分は小さな団体です。
信者数が三百人や五百人、千人ぐらいまでの小さな教団が、非常に数多くあります。
教祖が自分の能力を仕事の限界にしているため、それ以上には大きくならないのです。
その最たるものが心霊治療です。
手のひらなどを使い、霊力で病気を治したりするわけですが、
こうした手かざしなどで病人が治ると、相手は喜ぶし、
自分も非常に偉くなったような気がします。
そういう喜びは、何ものにも代えがたく思えるものであるため、
やめられなくなり、ずっと続けることになります。
ところが、同じようなことのできる弟子を数多くは養成できません。
一人か二人は養成できるかもしれませんが、
マスプロ教育のように何十人も何百人も養成することはできません。
そうすると、一日に治療することのできる人の数に限界が生じ、
それが組織の大きさの限界になります。
新しく始まった宗教は、たいてい霊能力が中心になっています。
宗教は教祖に何らかの霊能力がないと始まらないのが普通です。
しかし、教祖がその霊能力に縛られ、
霊能力を使うことに専念していると、教団は決して大きくなりません。
その人が直接に会える人の数以上にはならないのです。
これが、数多くの宗教団体が、それほど大きくならない理由です。
私は霊能力を持っているので、
当然、病気治しなどの霊現象も起こせますが、実際には行っていません。
それを行うと、自分の体力の範囲が限界になって、教団が大きくならないからです。
病気治しを行った場合、これだけ数多くの信者がいれば、それだけで手いっぱいになります。
そういう方法によって多くの人を救おうとすると、一定の規模を超えたときに、
努力逆転となり、自分の能力や才能が裏目に出ることがあるのです。
そのため、当会は現在、教義中心で広げています。
この方法だと広がりに限界がありません。
クリックして愚僧の活動に御協力ください。
しかし、外道には法による救済力がありません。
現代の仏陀は、このように解き明かされています。
日本には二十万近い数の宗教団体があり、
登録していないものは、その三倍あるとも言われていますが、大部分は小さな団体です。
信者数が三百人や五百人、千人ぐらいまでの小さな教団が、非常に数多くあります。
教祖が自分の能力を仕事の限界にしているため、それ以上には大きくならないのです。
その最たるものが心霊治療です。
手のひらなどを使い、霊力で病気を治したりするわけですが、
こうした手かざしなどで病人が治ると、相手は喜ぶし、
自分も非常に偉くなったような気がします。
そういう喜びは、何ものにも代えがたく思えるものであるため、
やめられなくなり、ずっと続けることになります。
ところが、同じようなことのできる弟子を数多くは養成できません。
一人か二人は養成できるかもしれませんが、
マスプロ教育のように何十人も何百人も養成することはできません。
そうすると、一日に治療することのできる人の数に限界が生じ、
それが組織の大きさの限界になります。
新しく始まった宗教は、たいてい霊能力が中心になっています。
宗教は教祖に何らかの霊能力がないと始まらないのが普通です。
しかし、教祖がその霊能力に縛られ、
霊能力を使うことに専念していると、教団は決して大きくなりません。
その人が直接に会える人の数以上にはならないのです。
これが、数多くの宗教団体が、それほど大きくならない理由です。
私は霊能力を持っているので、
当然、病気治しなどの霊現象も起こせますが、実際には行っていません。
それを行うと、自分の体力の範囲が限界になって、教団が大きくならないからです。
病気治しを行った場合、これだけ数多くの信者がいれば、それだけで手いっぱいになります。
そういう方法によって多くの人を救おうとすると、一定の規模を超えたときに、
努力逆転となり、自分の能力や才能が裏目に出ることがあるのです。
そのため、当会は現在、教義中心で広げています。
この方法だと広がりに限界がありません。



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2008.11.22
周利槃特の大悟
知能と宗教的覚醒度は必ずしも比例しません。
現代人は、分析知、記憶力、合理的思考ばかり尊重して、
瞑想による直感知を軽視する傾向にあります。
仏法は、行なくしては理解できません。
生来愚鈍であった周利槃特が、仏陀の導きで後に大悟した逸話は有名です。
わたしの進歩は遅かった。
わたしは以前には軽蔑されていた。
兄はわたしを追い出した。―「さあ、お前は家へ帰れ!」といって。
こうして、追い出されて、わたしは僧園の通路の小屋に、
かっかりして、静かに立っていた。―なお教えのあることを期待して。
そこへ尊師が来られて、わたしの頭を撫でて、
わたしの手を執って、僧園のなかに連れて行かれた。
慈しみの念をもって、師はわたしに、足拭きの布を与えられた。
―「この浄らかな物をひたすらに専念をして、気をつけていなさい」といって。
わたしは師のことばを聞いて、教えを楽しみながら、
最上の道理に到達するために、精神統一を実践した。
わたしは過去世の状態を知った。
見通す天の眼は浄められた。
三つの明知は体得された。
ブッダの教えはなしとげられた。
パンダカは、千度も神通力によって、千度も自分のすがたをつくり出し、
楽しいマンゴーの林のなかで坐していた。―供養するための時が告げられるまで。
次いで、師は、時を告げる使者をわたしのところへ派遣された。
時が告げられたときに、わたしは、跳び上って空中を通って師のもとに近づいた。
師の御足に敬札して、わたしは一方の側に坐した。
わたしが座したのを知って、そこで師は、わたしの帰依を受けた。
全世界の尊敬を受ける人、もろもろの献供を受ける人、
人間どもの福を生ずる田は、供物を受けたもうた。
[チューラパンダカ長老]
パーリ原始仏典小部「テーラガーター」
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現代人は、分析知、記憶力、合理的思考ばかり尊重して、
瞑想による直感知を軽視する傾向にあります。
仏法は、行なくしては理解できません。
生来愚鈍であった周利槃特が、仏陀の導きで後に大悟した逸話は有名です。
わたしの進歩は遅かった。
わたしは以前には軽蔑されていた。
兄はわたしを追い出した。―「さあ、お前は家へ帰れ!」といって。
こうして、追い出されて、わたしは僧園の通路の小屋に、
かっかりして、静かに立っていた。―なお教えのあることを期待して。
そこへ尊師が来られて、わたしの頭を撫でて、
わたしの手を執って、僧園のなかに連れて行かれた。
慈しみの念をもって、師はわたしに、足拭きの布を与えられた。
―「この浄らかな物をひたすらに専念をして、気をつけていなさい」といって。
わたしは師のことばを聞いて、教えを楽しみながら、
最上の道理に到達するために、精神統一を実践した。
わたしは過去世の状態を知った。
見通す天の眼は浄められた。
三つの明知は体得された。
ブッダの教えはなしとげられた。
パンダカは、千度も神通力によって、千度も自分のすがたをつくり出し、
楽しいマンゴーの林のなかで坐していた。―供養するための時が告げられるまで。
次いで、師は、時を告げる使者をわたしのところへ派遣された。
時が告げられたときに、わたしは、跳び上って空中を通って師のもとに近づいた。
師の御足に敬札して、わたしは一方の側に坐した。
わたしが座したのを知って、そこで師は、わたしの帰依を受けた。
全世界の尊敬を受ける人、もろもろの献供を受ける人、
人間どもの福を生ずる田は、供物を受けたもうた。
[チューラパンダカ長老]
パーリ原始仏典小部「テーラガーター」



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2008.11.22
法施
現代の僧侶は、人々のニーズに答えていません。
仏教はともかく、僧侶は信用していない、という意見が多いのです。
人々は、どれほど魂が飢えていることでしょう。
僧侶は、もっと癒しや救いを提供すべきです。
伝道とは、智慧と慈悲をおしすすめていくことです。
死は、姿を変えた次なる生への移行にすぎず、怖いものではないということ。
あの世に持って帰れるものは心のみであり、そのため心を清くすることが大切であるということ。
あの世では、生前の心境に応じた世界が展開されるということ。
人生の目的は、愛を学ぶことにあるということ。
我々は輪廻の過程において、霊的成長を続けていく存在だということ。
このような、霊的真実を伝えていかなければなりません。
法施は、最も尊い行為であります。
人々は、真理を知ることで、永遠の生命を得ることになるのです。
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仏教はともかく、僧侶は信用していない、という意見が多いのです。
人々は、どれほど魂が飢えていることでしょう。
僧侶は、もっと癒しや救いを提供すべきです。
伝道とは、智慧と慈悲をおしすすめていくことです。
死は、姿を変えた次なる生への移行にすぎず、怖いものではないということ。
あの世に持って帰れるものは心のみであり、そのため心を清くすることが大切であるということ。
あの世では、生前の心境に応じた世界が展開されるということ。
人生の目的は、愛を学ぶことにあるということ。
我々は輪廻の過程において、霊的成長を続けていく存在だということ。
このような、霊的真実を伝えていかなければなりません。
法施は、最も尊い行為であります。
人々は、真理を知ることで、永遠の生命を得ることになるのです。



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